学校近くにある遊具の無い小さな公園の噴水の前のベンチに、萌は退屈そうな顔でスマホ片手に座っていた。

 公園に人影は無く閑散としている。まさに孤立無援状態だ。
 でもそれは萌も同様だ。大丈夫、もし取っ組み合いになっても勝ってみせる。

 「待たせてごめんね、萌」

 密かな闘志を隠して、私は笑顔で萌に近付いた。

 萌がゆっくりと顔を上げる。教室で見せるような愛らしい笑顔はそこにない。いかにも面倒ですと言いたげな顔。服装だって昨日会った時と比べると、厚手のフード付きトレーナーにジーンズスカート、ダウンジャケットと雑なコーディネートだ。

 「いいよぉ。急に呼び出したの、あたしだし」
 「それで、二人で話したいことってなに?」
 「昨日のことなんだけどぉ、誰にも話してないよね?」
 「うん、してないけど」
 「あのさぁ。伊達先輩と居たこと、誰にも言わないで欲しいんだよねぇ」

 そっちの話か。

 てっきり瀬名君と一緒だったことについて根掘り葉掘り聞かれて、図々しいだとか、抜け駆けだとか詰られるのかと思っていたのに。

 脱力する私を見ずに、萌が話しを始める。

 「伊達先輩とね、付き合うことになっちゃったんだよねぇ。ほんの少し前なんだけどぉ、伊達先輩に密かに呼び出されて告白されちゃってぇ」
 「そ、そうなんだ」
 「もぉびっくり。だって、そのちょっと前に愛海が伊達先輩のこと好きって言ってたでしょぉ。その話聞いてすぐだったから、あたし、付き合うか迷っちゃったぁ。でもね、伊達先輩が他の人が好きになるまでの期間でもいいから、どうしてもあたしと付き合いたいって言うからねぇ」

 迷ったなんて萌は言うけど、声を聞く限りでは愛海のことなど一ミリも気にしていないように思えた。
 まあでも、あんなかっこいい人に告白されたら萌でも舞い上がるよね。愛海と伊達先輩が付き合っていたならともかく、二人は付き合っていたわけではないのだし、愛海を気にする義務は萌にはないか。

 「愛海のお迎えで吹奏楽部の教室行った時とか、見学してた時とかにあたしのこと、見てるなぁと思ってたんだけどぉ、まさか先輩が私のこと好きなんてびっくり。伊達先輩ってすごくモテて、吹奏楽部の綺麗な部長さんも先輩を好きみたいって愛海が言ってたし、去年のバレンタインではチョコもらいまくりだったなんて話だし。かっこよくて、頭もすごくいいんだって。おまけにスポーツも得意らしいのぉ。そんな人に好きって言われるなんて思ってなくって」

 身を捩りながら、萌がつらつらとどこか自慢げに語りはじめる。

 なんだ、惚気に付き合わされただけか。
 ほっとして朗らかに相槌をうっていたら、萌がいきなり爆弾を投下してきた。

 「あたしと伊達先輩が付き合ってること、愛海にはぜったいにナイショにしてね」
 「え……う、うん」
 「約束だよぉ」
 「いいけど、愛海にはずっと秘密にしておくつもりなの?」

 いつかはバレるだろうし、愛海と萌は親友だ。親友に隠しごとをされる愛海の気持ちを思うと、そう尋ねずにはいられなかった。
 萌は呆れた顔で私を見た。

 「あたりまえでしょ、言えないよぉ」
 「どうして? 告白されて付き合うことにしたって、正直に言ったらいいと思うけど」
 「えぇ、いいわけがないでしょ。これだから、恋愛偏差値ゼロは能天気でいいよねぇ」

 すごい罵倒だ。
 腹立たしい。だけど、否定はできない。昨日の瀬名君との映画鑑賞も、けしてデートと言えるような甘い雰囲気はなかった。でも、誘いに乗ってくれたってことはチャンスがある。そう信じたい。

 「愛海は萌にとって親友だよね? わかってくれると思うけど」
 「むりむり。女の友情って、脆いんだよ」
 「友情と恋愛は別じゃないかな」
 「切り離せないよ。友達が自分の好きな人と付き合ってたら、たちまち友達から敵認定になるんだって。中学の時とかに経験済みだもん」
 「そうかなぁ」

 加奈だったらどうだろう。加奈が私の好きな人、瀬名君と付き合ったとしても、私は失恋で泣きながらも、いつかはきっと祝福してあげられる。

 「あのさぁ、美守。あの茜くんっていたでしょ。梨乃、彼のこと好きだよ」

 ぎくりと心臓が歪に脈を打った。
 私はなるべく平静を装って、笑顔で頷く。

 「え、ああ。人として、好きって言ってたよ。茜、いい人だから」
 「違うよ、恋愛の意味に決まってるでしょ」
 「そうかなあ」
 「茜くんに今度会えたら、梨乃、たぶん告るよぉ」

 梨乃が茜に告白する。
 その場面を想像した瞬間、目の前が霞んだ気がした。地面がぐらぐらして、ふらりとよろけてしまう。
 そんな私を見て、萌の目の奥がきらりと光った。

 「やっぱり美守は教えてもらってないんだねぇ」

 にやにやと笑う萌に返事をできなかった。萌はしたり顔になる。

 「そういうことだよ、美守」
 「そんな、梨乃は、そういう子じゃないと思うけど……」
 「女はみんなそうだよぉ。友情より愛情、男を選んじゃうの。梨乃が美守には茜くんが好きなこと、黙っていたのが良い証拠でしょ。
 美守、茜くんと仲がいいから警戒されてるんだよぉ」

 澄んでいた水面に黒い墨汁を落とされた。そんな気分になった。
 私が不快になったことに気付いていただろうけど、萌は話したいことを話して口止めもできたから、すごくすっきりした顔をしていた。

 「じゃあね、美守。秘密、ぜったいに守ってねぇ」

 私に手を振って、萌は軽やかな足取りでさっさと公園から去った。



 浮かない顔で家に帰った私を、茜は心配そうに迎えた。

 「やっぱり着いていけばよかったな」

 そうぼやく茜に、私は静かに尋ねる。

 「茜は、梨乃のこと、どう思う?」
 「ん、梨乃? ああ、お前の友達の一人か。たしか、垂れ目で黒髪のおかっぱの奴」

 おかっぱじゃなくてボブヘアだと思うけど。まあ、狐の茜に細かいお洒落についてはわからないか。

 「うん。梨乃のこと、好き? 付き合いたい?」
 「なんだよ美守。俺があの梨乃って女にとられちまうって不安なのか?」

 茜がにやりとしながらそう言われて、何故かドキッとした。
 それを隠すように、私はわざと尖った声を出す。

 「違うよ。そんなの、べつにどうでもいいし」
 「そりゃ残念だ。嫉妬もしてもらえねぇようじゃあ俺もまだまだだな」
 「もう、変なこと言わないでよ」
 「まあ冗談はさておき、どうしてそんなことを聞く?」
 「梨乃がね、茜のこと好きかもしれないの」

 本当は確信していた。梨乃は茜が好きだ。
 梨乃が真剣だということを茜に告げなかったのは、もしも茜がそれを好意的に受け取ったら嫌だと、とっさに思ったからだ。

 「なるほどな。でも俺を好きになってもしょうがねぇだろう。俺は狐だぜ。この通り変化できるから人間みたいに暮らせるが、いろいろ無理もあるだろうよ。そもそも、俺の正体を知ったら向こうの女から逃げていくだろうよ」
 「じゃあ、梨乃の気持ちは報われないわけだよね」
 「ああ。そもそも、俺はあの梨乃って女に興味ねぇよ」 

 茜、梨乃に興味ないんだ。
 その言葉に心のどこかでホッとした自分に嫌悪した。

 「人間サマはどうか知らねぇけど、恋愛と友情はべつものだと思うぜ。自分のダチと好きな女をとりあって負けたとしても、ダチを嫌いになったりしないし、嫌な気持ちになったりもしねぇよ」

 茜は私と同じ意見だ。
 萌が脅すから女子は友情と恋愛同時には選べないのかと不安になったけど、そんな残酷な二択に惑わされる必要なんてなかったんだ。

 「そうだよね」

 私の不安を察していたのか、茜は態とくしゃくしゃと私の頭を撫でた。

 「そりゃそうだろ。余所の知らねぇ男とくっつくよりも安心だし、自分の好きな二人がくっつくんだ。嬉しいだろう」
 「茜は、その、恋人とかいたことあるの?」

 私、大胆なこと聞いてる。でも、どうしても気になる。
 茜はちょっと驚いたように目を見開いてから、ゆっくりと目を細めた。

 「いねぇよ。俺はずっと、一人の女だけが好きだから」

 そう言った茜は少年じゃなくて、男の人という顏をしていて、どこか色っぽかった。

 茜が好きなのは誰なんだろう。
 きれいな人だろうか。それとも、とびきり可愛い子とか。見当がつかない。
 茜の恋の相手を考えると、胸がチリチリと焦げついた。