瀬名君に手を引かれて歩く私の方を、すれ違う人が羨ましそうに見ている。

 妬ましげな視線なんて、私単体の時には送られることはない。居心地の悪さもあるけど、どこかくすぐったいような心地いいような気もする。

 幸せだな。
 そう思う一方で、今ここに茜がいないことに一抹の寂しさを覚えた。

 学校以外はずっと一緒にいるからわからなかったけど、ごく自然体でいられる茜と過ごす時間は、本当は尊いものなのかもしれない。
 人混みを抜けると、瀬名君はさりげなく私の手を離した。

 ちょっと残念だけど、さすがに恋人じゃない瀬名君とずっと手を繋いでいるのは心臓が持たないから、ちょうどよかったかもしれない。

 私たちは駅から徒歩十分の場所にある、アミューズメント施設複合型の大きなデパートに入り、五階の映画館を訪れた。

 薄暗い映画館のシートに瀬名君と並んで座ると、それだけでドキドキした。

 映画は瀬名君の希望でホラー要素満載のミステリーを見ることになった。
 とある村に死んだはずの人間が現れるようになり、そこから次々と不穏な事件が連鎖的に起きていく、そんな内容だった。

 あんまりデート向けな内容ではない気がする。やっぱり、瀬名君は私を恋愛の相手としては意識していないのではないだろうか。
 だとしたら残念だけど、私は怖がりではあるけれどホラーは好きだから映画はとても楽しめた。

 上映中はお喋りできないが、時々、瀬名君がこちらに顔を向けて、映画の伏線になっている部分を示唆してくれたり、ホラーシーンで怯える私を安心させるように微笑んだりしてくれて、寂しくなかった。

 エンドロールが終わり、館内が明るくなった。バラバラと人が入口から出て行く。

 「ちょっと小腹が空いたね。お茶でもしようか」
 「うん」

 映画館を出ると、四階の飲食店街に足を運んだ。
 瀬名君が白を基調として観葉植物を飾ったお洒落なカフェを指さす。

 「ここでいいかな?」
 「もちろん」

 スマートなエスコートにときめくと同時に、やっぱり手馴れているんだなと、僅かに不安を覚える。
 私は苺のミルフィーユとミルクティ、瀬名君はシャインマスカットのタルトとコーヒーを注文した。

 「僕の趣味で映画を選んでしまって悪かったね」
 「ううん、ぜんぜん大丈夫。私、ホラーもミステリーも好きだから」
 「よかった。深草さんなら、きっとそう言ってくれると思ったよ」

 もしかして褒められた?

 他の女子とは一線を画していると言われた気がして嬉しい。もしかして、瀬名君にとって特別な人になれるんじゃないか。そんな期待がよぎった。

 カフェは映画館と同様に賑わっている。

 見渡す限り席は埋まっていて、並ばずに入れたのは運が良かった。込んでいるから、注文はなかなかやってこない。普段ならちょっとイライラしていたかもしれないけど、今は瀬名君と少しでも長く一緒にいることができて、逆にラッキーだと思ってしまう。

 「僕と二人きりで遊びに来て、茜は怒らない?」

 不意打ちの質問。
 意図を考えたり、取り繕った答えを用意したりする間もなく、私は本音を口にする。

 「茜はただの友達だから。向こうは私を妹みたいなものだって思ってそうだし」

 妹みたいなもの、か。
 自分で言いながら胸が小さく疼いた。

 「深草さんは茜のことが好きなの?」
 「え―…」

 瀬名君の質問に頭の中が真っ白になる。
 その質問を、よりによって瀬名君にされるとは思ってなかった。

 完全にフリーズする私に瀬名君が目を細める。

 「わかるよ。彼、素敵だものね」

 瀬名君が何を考えているのか、私には露ほどもわからなかった。

 もう次の瞬間にはさっきの会話はまるでなかったかのように、瀬名君はさっき観た映画についての話題を口にした。

 私はそれに対して、茜や加奈と喋っている時みたいな毒舌や突飛な思考が飛び出さないように会話するのが精一杯だった。
 いつか、瀬名君にも素の自分を晒せる日が来るのだろうか。
 そんな日が来れば嬉しいけど、難しそうだ。
 梨乃には素顔を晒せるようになってきたけど、いまだに萌と愛海には気を遣って、素直な言葉で話せないぐらいなのだから。

 「大変お待たせしました」

 テーブルに注文の品が並んだ。私と瀬名君はフォークとナイフを手に取る。

 クリームとパイが綺麗な層をなし、カスタードクリームの層から苺の断面が鮮やかに顔を出す。粉砂糖で化粧した長方形の見た目の美しいミルフィーユだった。

 誘われるようにナイフを入れる。
 崩さないように慎重にナイフを入れる。だが、ナイフを入れたとたんに、バリバリと音を立ててパイが崩れる。

 しまった、ミルフィーユなんて頼まなければよかった。
 ミルフィーユは大好物だ。でも、すごく食べづらい。

 皿の上はたった一刀で、小鳥が喜んで寄ってきそうな惨状になっている。
 次こそはきれいに切らなくては。そう思うけど、ぜんぜん上手に切れない。ナイフを入れるたび、美しいミルフィーユが崩壊していく。
 ミルフィーユをバラバラ殺人状態にしている私と違って、シャインマスカットのタルトを、瀬名君は優雅にきれいに食べていた。

 タルトは固くて、ボロボロと崩れやすい。ミルフィーユと同じように食べづらいはずなのに。

 ああ、恥ずかしい。女子力低すぎだな、私。

 「浮かない顔してどうしたんだい?」

 私がしょぼくれているのに気付いた瀬名君が小さく首を傾げる。
 答えあぐねていると、彼はこう続けた。

 「この店のスイーツは口に合わなかったのかな」
 「ち、違うよ。その、上手く食べられなくて、どうしたらきれいに食べれるかなあって思って」
 「ああ、そんなことか」

 クスリと瀬名君が笑う。いつもの大人びた完璧な優美な笑顔とは違う、面白がるような素の笑顔。

 「上手に食べる方法を教えてあげようか?」
 「うん、教えて」
 「まずはミルフィーユの上の飾りをお皿に退ける。もしくは食べてしまってもいいよ。そうしたらナイフとフォークでミルフィーユを横に寝かせるんだ」
 「こう?」
 「うん、そうそう。それから左側から一口ずつ切る。ナイフはギコギコと動かしては駄目だよ。ナイフを立てて、押すように力を入れると綺麗に切れるよ」

 言われた通りにナイフを使うと、パイがボロボロにならずに上手に切ることができた。

 「すごいね、瀬名君。ありがとう」
 「ふふ、どういたしまして」

 瀬名君のおかげでミルフィーユが上手に食べられるようになった。これで今度から、萌たちとカフェに行った時でも、将来彼氏ができた時でも、気兼ねなくミルフィーユが頼める。すごく嬉しかった。

 馬鹿だな、美守。上手に食うよりも、楽しく美味しく食えればそれでいいじゃねぇか。
 茜がそう言って笑うのが聞こえた気がした。