もうすぐ冬休みがやってくるというのに、ほがらかな風が頬を優しく撫でる。空は青く澄んで、陽射しがポカポカと心地いい最高の休日。
「やあ、深草さん。待たせてしまったかな」
約束より十五分ほど遅れてきながら、瀬名君は優美な笑顔で駅に現れた。
謝罪なしの堂々の遅刻。さすがは学校一のモテ男だ。
怒りは沸かなかった。彼の美しい笑顔を見た瞬間、幸福感に満たされる。それに待っている時間も甘美な蜜の味だったから。
周囲の視線がグサグサと遠慮なく突き刺さる。
「あんなイケメンなのに、もったいない」
「相手の女の子、わりと普通の子だよね」
遠慮の欠片も無いヒソヒソ話が飛び交う。
はじめて茜とお買い物デートをした時と同じだ。あの時はちょっと嫌な気持ちになったけど、今日はなんとも思わなかった。謗りに混じって聞こえた「服のセンスだけはけっこう可愛いけどね」という褒め言葉(と見せかけた容姿への批判だけど)に、気分良くなれたぐらいだ。
茜と出会ってから精神的に逞しくなっている。
瀬名君は白いハイネックのセーターに濃紺のジャケット、灰色のスラックスに革靴の大人びた服装だった。私服姿の彼を独り占めしていることに、小さな感動を覚えた。
瀬名君が値踏みするように私を頭のてっぺんからつま先まで見る。
つい、緊張して姿勢を伸ばす。
茜が選んでくれたキャンディスリーブのモカ色のブラウスはお洒落に決まっている自信がある。でも、自分で選んだダークレッドのフレアスカート風のキュロットはちょっと気合を入れ過ぎたかもしれないし、去年奮発して買ったはいいけどあまりに可愛いすぎて着れていなかった、襟に白いファーをあしらったベビーピンクのコートも、ちょっとぶりっこすぎたかもしれない。
内心冷や汗をかく私に、瀬名君は感心したような笑顔を浮かべた。
「そのブラウス、この前茜が選んだものだね。彼の見立ては正しかったみたいだね、センスあるよ。君によく似合っているね。コーディネイトも素敵だよ」
「あ、ありがとう」
私というより茜を褒めるような言葉だったし、私が選んだ服についての褒め言葉はなかった。でも、組合せを褒められただけでもよしとしよう。
私はホッと息を吐いた。
電車に乗ること二十分。
めったに足を運ぶことがない大きなY駅で電車を降りた。
Y駅には駅直結の十二階建てのデパートがあり、駅には沢山の人が溢れていてとても賑やかだ。
「すごい人……」
あまりの人の多さに圧倒する私と違って、瀬名君は縦横無尽に行きかう人を器用に避けながらスイスイと歩いていく。
すれ違う女の人が瀬名君をちらりと見ていた。芸能人顔負けの瀬名君の美貌にみんな見惚れている。
こんなすごい人と二人きりなんて、夢を見ているのではないか。思わず現実を疑ってしまう。
ぼんやりする私を瀬名君が振り返った。
彼は踵を返してこちらに戻ってくると、ごく自然な所作で私の手をとった。
彼は何も言わず、ただ、穏やかな笑顔を浮かべた。
優しげな笑みに見惚れて赤面する私の手を引いて、瀬名君が優雅に歩きだす。
まさか、エスコートしてもらえるなんて。
彼の手を握り返すことさえままならないまま、私は彼のおかげで上手に人の波間を縫って歩く。
手慣れているのか、ただ優しいだけなのか。恋愛偏差値が幼稚園の頃から成長していない私には、まったく判別がつかない。
もしかすると瀬名君も私に気があるのかも。
そんな甘ったるいことさえ考えてしまって、顔がにやけそうになる。
それもこれも、ぜんぶ、茜のおかげだ。
三日前のことだ。
私がお風呂に入っているすきに、茜が置きっぱなしのスマホを勝手に使って、瀬名君にラインを送って今日のデートの約束を取り付けてくれた。
「美守。今度の土曜日、瀬名とデートの約束とりつけたからな」
風呂から出て部屋に戻るなり、瀬名君とのデートの話を茜が伝えてきた時は死ぬ程驚いたし、恥ずかしさでつい怒ったような態度をとってしまった。
「もう、勝手なことしないで!」
声を荒げた私に、茜は飄々と笑いながら肩を竦めた。
「そう怒るなよ。お前が煮え切らねえから、背中を押してやったんだろうが」
「煮え切らないじゃなくて、せめて控えめな態度って言ってよ」
「奥ゆかしさが美徳だなんて思うなよ。特に相手があの色男じゃあ、積極的にいかねぇと一生相手にされねぇぜ」
「それもそうかもだけど、いきなり私みたいなのから誘われたら、瀬名君が変に思うんじゃないかな。てゆうか、よく瀬名君からオッケーもらえたね。びっくりなんだけど」
私は茜が手に持っていたスマホを奪い返して、ラインの内容を確認した。
会話内容はごく普通だ。
私が加奈を誘う時の文章を参考にしたのだろう。
『おつかれさま。今度の土曜日、よかったら遊びにいかない?』
ごくシンプルな文章から始まっていた。
それに対して淡々と『いいよ、どこに行く?』と返事があり、こちらもまた『Y駅近くのデパートに映画でも見に行こうよ』と返信をしている。
「茜、Y駅周辺なんて連れて行ってあげたことないのに、よく映画館のあるデパートがあるなんて知ってたね」
「まあな。お前が学校に行っている間にちょいとノートパソコンとやらを使わせてもらって、いろいろ調べたんだよ」
私の母だってパソコンは使えないのに、狐の茜が現代人の暮らしを学んで、パソコンを使いこなしてまで私の応援をしてくれるなんて。
驚く私に茜はにやっと八重歯を見せて笑う。
「俺がお前のために選んだ服があっただろ。あれ、着て行けよ」
「どうして?」
「その服を着た姿をまた見せてくれって、あいつ言ってただろ」
「あんなの、単なる社交辞令だよ」
「あの胡散臭そうな男の本心は読めねぇが、疑っててもはじまらねぇだろ。脈があるってことにしておきな」
そういうわけで、私はめでたく茜が選んだキュートなモカ色のブラウスを着て、あの瀬名君とデートをすることになった。
茜がお節介を焼いてくれて、本当によかった。
思えば瀬名君のラインを知ることができたのも、茜のおかげだ。
みんなでカラオケに行った時のことを思い出す。
「茜。君のラインの連絡先を教えてよ」
男友達が欲しかったのか、よほど茜を気に入ったのか、瀬名君が帰り際の会計中に、茜にそう言った。
「俺、スマホ持ってねぇんだ。かわりにこいつとライン交換しとけよ」
そう言って茜が私のスマホを差し出してくれて、私は奇跡的に瀬名君とライン交換をすることができたのだ。
「やあ、深草さん。待たせてしまったかな」
約束より十五分ほど遅れてきながら、瀬名君は優美な笑顔で駅に現れた。
謝罪なしの堂々の遅刻。さすがは学校一のモテ男だ。
怒りは沸かなかった。彼の美しい笑顔を見た瞬間、幸福感に満たされる。それに待っている時間も甘美な蜜の味だったから。
周囲の視線がグサグサと遠慮なく突き刺さる。
「あんなイケメンなのに、もったいない」
「相手の女の子、わりと普通の子だよね」
遠慮の欠片も無いヒソヒソ話が飛び交う。
はじめて茜とお買い物デートをした時と同じだ。あの時はちょっと嫌な気持ちになったけど、今日はなんとも思わなかった。謗りに混じって聞こえた「服のセンスだけはけっこう可愛いけどね」という褒め言葉(と見せかけた容姿への批判だけど)に、気分良くなれたぐらいだ。
茜と出会ってから精神的に逞しくなっている。
瀬名君は白いハイネックのセーターに濃紺のジャケット、灰色のスラックスに革靴の大人びた服装だった。私服姿の彼を独り占めしていることに、小さな感動を覚えた。
瀬名君が値踏みするように私を頭のてっぺんからつま先まで見る。
つい、緊張して姿勢を伸ばす。
茜が選んでくれたキャンディスリーブのモカ色のブラウスはお洒落に決まっている自信がある。でも、自分で選んだダークレッドのフレアスカート風のキュロットはちょっと気合を入れ過ぎたかもしれないし、去年奮発して買ったはいいけどあまりに可愛いすぎて着れていなかった、襟に白いファーをあしらったベビーピンクのコートも、ちょっとぶりっこすぎたかもしれない。
内心冷や汗をかく私に、瀬名君は感心したような笑顔を浮かべた。
「そのブラウス、この前茜が選んだものだね。彼の見立ては正しかったみたいだね、センスあるよ。君によく似合っているね。コーディネイトも素敵だよ」
「あ、ありがとう」
私というより茜を褒めるような言葉だったし、私が選んだ服についての褒め言葉はなかった。でも、組合せを褒められただけでもよしとしよう。
私はホッと息を吐いた。
電車に乗ること二十分。
めったに足を運ぶことがない大きなY駅で電車を降りた。
Y駅には駅直結の十二階建てのデパートがあり、駅には沢山の人が溢れていてとても賑やかだ。
「すごい人……」
あまりの人の多さに圧倒する私と違って、瀬名君は縦横無尽に行きかう人を器用に避けながらスイスイと歩いていく。
すれ違う女の人が瀬名君をちらりと見ていた。芸能人顔負けの瀬名君の美貌にみんな見惚れている。
こんなすごい人と二人きりなんて、夢を見ているのではないか。思わず現実を疑ってしまう。
ぼんやりする私を瀬名君が振り返った。
彼は踵を返してこちらに戻ってくると、ごく自然な所作で私の手をとった。
彼は何も言わず、ただ、穏やかな笑顔を浮かべた。
優しげな笑みに見惚れて赤面する私の手を引いて、瀬名君が優雅に歩きだす。
まさか、エスコートしてもらえるなんて。
彼の手を握り返すことさえままならないまま、私は彼のおかげで上手に人の波間を縫って歩く。
手慣れているのか、ただ優しいだけなのか。恋愛偏差値が幼稚園の頃から成長していない私には、まったく判別がつかない。
もしかすると瀬名君も私に気があるのかも。
そんな甘ったるいことさえ考えてしまって、顔がにやけそうになる。
それもこれも、ぜんぶ、茜のおかげだ。
三日前のことだ。
私がお風呂に入っているすきに、茜が置きっぱなしのスマホを勝手に使って、瀬名君にラインを送って今日のデートの約束を取り付けてくれた。
「美守。今度の土曜日、瀬名とデートの約束とりつけたからな」
風呂から出て部屋に戻るなり、瀬名君とのデートの話を茜が伝えてきた時は死ぬ程驚いたし、恥ずかしさでつい怒ったような態度をとってしまった。
「もう、勝手なことしないで!」
声を荒げた私に、茜は飄々と笑いながら肩を竦めた。
「そう怒るなよ。お前が煮え切らねえから、背中を押してやったんだろうが」
「煮え切らないじゃなくて、せめて控えめな態度って言ってよ」
「奥ゆかしさが美徳だなんて思うなよ。特に相手があの色男じゃあ、積極的にいかねぇと一生相手にされねぇぜ」
「それもそうかもだけど、いきなり私みたいなのから誘われたら、瀬名君が変に思うんじゃないかな。てゆうか、よく瀬名君からオッケーもらえたね。びっくりなんだけど」
私は茜が手に持っていたスマホを奪い返して、ラインの内容を確認した。
会話内容はごく普通だ。
私が加奈を誘う時の文章を参考にしたのだろう。
『おつかれさま。今度の土曜日、よかったら遊びにいかない?』
ごくシンプルな文章から始まっていた。
それに対して淡々と『いいよ、どこに行く?』と返事があり、こちらもまた『Y駅近くのデパートに映画でも見に行こうよ』と返信をしている。
「茜、Y駅周辺なんて連れて行ってあげたことないのに、よく映画館のあるデパートがあるなんて知ってたね」
「まあな。お前が学校に行っている間にちょいとノートパソコンとやらを使わせてもらって、いろいろ調べたんだよ」
私の母だってパソコンは使えないのに、狐の茜が現代人の暮らしを学んで、パソコンを使いこなしてまで私の応援をしてくれるなんて。
驚く私に茜はにやっと八重歯を見せて笑う。
「俺がお前のために選んだ服があっただろ。あれ、着て行けよ」
「どうして?」
「その服を着た姿をまた見せてくれって、あいつ言ってただろ」
「あんなの、単なる社交辞令だよ」
「あの胡散臭そうな男の本心は読めねぇが、疑っててもはじまらねぇだろ。脈があるってことにしておきな」
そういうわけで、私はめでたく茜が選んだキュートなモカ色のブラウスを着て、あの瀬名君とデートをすることになった。
茜がお節介を焼いてくれて、本当によかった。
思えば瀬名君のラインを知ることができたのも、茜のおかげだ。
みんなでカラオケに行った時のことを思い出す。
「茜。君のラインの連絡先を教えてよ」
男友達が欲しかったのか、よほど茜を気に入ったのか、瀬名君が帰り際の会計中に、茜にそう言った。
「俺、スマホ持ってねぇんだ。かわりにこいつとライン交換しとけよ」
そう言って茜が私のスマホを差し出してくれて、私は奇跡的に瀬名君とライン交換をすることができたのだ。



