災難は突然やってくる。
月曜日。学校に着くなり、厄災に見舞われることになってしまった。
「ねぇ、美守。彼氏いること、なんで隠してたの?」
「マジ、縁ないとか言ってたじゃん。あれってウソだったわけ?」
教室に入るなり『おはよう』と言う間もなく、萌と愛海にしかめっ面で詰め寄られた。
もちろん、萌も愛海もあいさつすらしてくれていない。
二人の後ろでは梨乃が眉をハの字に下げてオロオロしている。二人と違って、彼女が怒っていないことだけが不幸中の幸いだった。
だけど、梨乃の助け舟は期待できそうにない。
私が梨乃の立場でも、助け舟なんて出せないだろう。だって、もしそんなことをしたら火の粉を被って自分まで火傷を負うから。
自力で難を逃れるしかない。
「え、なんのこと?」
本当に意味がわからなくて聞き返したのだけれど、二人には恍けているように聞こえてしまったらしい。普段から目つきが鋭い愛海だけでなく、萌の目尻まで吊り上った。
二人が何をそんなに怒っているだろう。見当がつかない。
「なにボケたふりしてるわけ?」
「そうだよぉ、ごまかそうとしないで」
「ご、ごめん」
ごめん。
悪くもないのに反射的に謝った自分に自己嫌悪する。
『身分の問題でもあるのか?』
三日前、茜が私に尋ねた言葉が脳裏に響いた。
身分なんてあるわけない。みんな生まれながらにして平等だと、小さい頃から道徳の授業でそう言われ続けている。
だけど、本当にそうだろうか。
スクールカーストという言葉は私たち生徒のあいだでは浸透しているし、目に見えるくらい力関係ははっきりとある。部活なんて運動部は特に上下関係が厳しい。
生徒たちだけじゃない。学校の先生のあいだにも、薄らと透けている。この先生は他の先生よりも格下だから雑用を押し付けられているなとか、あの先生は何もしないわりにはいつも偉そうにしているなとか、遠目に見ていてそう思うことがある。
『馬鹿馬鹿しいな、人間って奴は』
茜がカラカラと笑う声が耳の奥に響いた。
そうだね。本当に馬鹿みたいだよね。
心の中で、今は家でお留守番している茜に笑いかける。
「美守。お前の口癖は『ごめん』だよな」
茜から受けた指摘を思い出した。
「お前はよお、自分が悪くなくてもすぐに謝っちまう。よくねぇぜ」
茜は呆れた顔で私にそう言った。
言われた直後は反抗心でつい「狐は好き放題言えていいけど、人間はそうじゃないんだから」と言い返したけど、違う。正しいのは茜だ。
謝ったら許されるわけじゃない。悪いと認めたと思われて、もっと責められる。
いまさらそんなことに気付いた。
これまで無意味に謝ってきたことが悔しい。
「謝るくらいならさぁ、嘘とかつかないんで欲しいんだけどぉ」
「マジ、トモダチにウソつくとかありえないし」
「ほんとだよねぇ。美守がそんないやな子だとは思わなかった」
「サイテー」
好き放題私をなじる萌と愛海の声。
ちょっと前までなら、へこんでしまってさらに項垂れていただろう。でも、今は不思議と辛くなかった。
家に茜がいるからかもしれない。
梨乃たちクラスの友達にはもちろん、親友の加奈にさえも話せなかったことを、茜になら話せた。
茜が狐で人間社会とは関係がないからというのもあるのだけど、それだけじゃない。茜は何を言っても、正面から真面目に聞いてくれるから。彼が返してくれる感情は、喜びも怒りもすべて、嘘偽りも悪意もないから。
「嘘なんて吐いてないよ。彼氏ってなんのことか、本当にわからない」
きっぱりとした声で言い返した自分の言葉に、自分で驚いた。
萌と愛海はそれ以上に驚いたみたいで、目を見開いて口をぽかんと開けている。
いつもばっちりと表情を決めた美少女二人組らしくない、ちょっと間抜けな顏。装備を外した素の表情は、いつもよりもずっと好感が持てた。
口ごもる二人に、今度は穏やかな声で告げる。
「彼氏なんて本当にいない、誤解だよ」
「で、でもぉ。あたし見たんだからぁ。ねぇ、愛海」
「見た見た。先週の金曜日、アンタ、T駅に向かって赤っぽい髪の男子といっしょに歩いてたじゃん」
T駅の近く、赤っぽい髪の男子。ああ、茜とショッピングモールに出掛けたところを見られていたのか。
萌と愛海はすごく仲がいい。部活帰りに落ち合って、一緒にショッピングモールに向かっていたのだろう。そして、ショッピングモールから家に帰る途中の私を目撃したのだ。
その時、声を掛けてくれたらよかったのに。
萌と愛海がそうできなかったのは、恋人と一緒にいるところを邪魔したら悪いと思ったから?
ううん、違う。私とは距離感があるからだろう。もし私じゃなくて梨乃だったら、萌も愛海もきっと声を掛けていただろう。
「あの人は、彼氏じゃないよ」
「なにそれ、じゃあどういう関係なの?」
胡散臭いものを見るように萌が眉根を寄せる。
「ただの友達だよ」
「それカレシいんのがバレた女の、ウソの常套句じゃん」
軽蔑した目で愛海が私を見る。
本当に茜はただの居候で、たかり魔の狐だ。彼氏なんて甘ったるい関係じゃない。
でも、それをどうやって二人に説明すればいいだろうか。茜が人に化けられる狐だというのは、ぜったいに誰にも知られないほうがいい。もしそんなことが知れたら、茜が酷い目に遭うかもしれない。
私から友達が去ってしまうことなんて、些細なことだ。むしろ、こんなことで友達じゃなくなってしまう関係をはなから友情とは言わない。
私は萌と愛海を真正面から見据えて言った。
「信じられなくても、嘘だと疑われても本当にそうだよ」
生意気だ。そう言いたげな二人の視線が私に突き刺さる。
怖い。でも、引けない。
私はただ、じっと二人を見つめ返した。
緊迫した空気が私たちのあいだを流れていく。冬の風よりも冷たく、荒んだ風。
今まで肯定、肯定、時に謝罪で事なかれ主義を貫いてきた私にとって、高校で初めの試練。
大人になってからは笑い話になるのかもしれないけど、今の私にとっては死活問題だと言ってもいいほどの大事件だった。
クラスメイトたちの視線がこちらに集まっているのを感じる。
無遠慮な好奇の目、目、目。
波風立たないように細心の注意を払ってみんなが住み分けている、表面上は穏やかで仲のいいクラスに沸いた、一点の黒い染み。見ていないふり、聞いていないふりをしながらも、誰もが好奇心旺盛にこちらの様子をうかがっているのを肌で感じる。
目立たない深草さんが、キラキラ女子二人に盾突いて敵認定された。面白おかしく噂される自分を想像して、逃げ出したくなった。
「信じようよ、萌、愛海。美守は友達なんだから」
梨乃が萌と愛海と私のあいだに滑り込んできて、柔らかい声で言った。
萌と愛海は納得していないような顔をしていたけれど、悪者になってまで追求するつもりはなかったようで、解散していった。
「梨乃、ありがとう」
「お礼なんて。わたしはただ、本当のことを言っただけだよ」
梨乃がにこりと笑う。
胸の前で重ねた彼女の手が、ほんの少しだけ震えているのが見えた。
きっと、怖かったのだろう。勇気を振り絞ってまで、私に助け舟を出してくれたことに胸がいっぱいになる。
妖精みたいな愛らしい容姿に気後れして、住む世界が違うとか、本当の友達にはなれないと線を引いていた自分が恥ずかしくなった。
友情や愛情に容姿なんか関係ないというのは、ただのきれいごとだ。でも、容姿がすべてじゃない。高校一年生も半分以上を過ぎた今、私はようやくそのことを本当の意味で知った気がした。
月曜日。学校に着くなり、厄災に見舞われることになってしまった。
「ねぇ、美守。彼氏いること、なんで隠してたの?」
「マジ、縁ないとか言ってたじゃん。あれってウソだったわけ?」
教室に入るなり『おはよう』と言う間もなく、萌と愛海にしかめっ面で詰め寄られた。
もちろん、萌も愛海もあいさつすらしてくれていない。
二人の後ろでは梨乃が眉をハの字に下げてオロオロしている。二人と違って、彼女が怒っていないことだけが不幸中の幸いだった。
だけど、梨乃の助け舟は期待できそうにない。
私が梨乃の立場でも、助け舟なんて出せないだろう。だって、もしそんなことをしたら火の粉を被って自分まで火傷を負うから。
自力で難を逃れるしかない。
「え、なんのこと?」
本当に意味がわからなくて聞き返したのだけれど、二人には恍けているように聞こえてしまったらしい。普段から目つきが鋭い愛海だけでなく、萌の目尻まで吊り上った。
二人が何をそんなに怒っているだろう。見当がつかない。
「なにボケたふりしてるわけ?」
「そうだよぉ、ごまかそうとしないで」
「ご、ごめん」
ごめん。
悪くもないのに反射的に謝った自分に自己嫌悪する。
『身分の問題でもあるのか?』
三日前、茜が私に尋ねた言葉が脳裏に響いた。
身分なんてあるわけない。みんな生まれながらにして平等だと、小さい頃から道徳の授業でそう言われ続けている。
だけど、本当にそうだろうか。
スクールカーストという言葉は私たち生徒のあいだでは浸透しているし、目に見えるくらい力関係ははっきりとある。部活なんて運動部は特に上下関係が厳しい。
生徒たちだけじゃない。学校の先生のあいだにも、薄らと透けている。この先生は他の先生よりも格下だから雑用を押し付けられているなとか、あの先生は何もしないわりにはいつも偉そうにしているなとか、遠目に見ていてそう思うことがある。
『馬鹿馬鹿しいな、人間って奴は』
茜がカラカラと笑う声が耳の奥に響いた。
そうだね。本当に馬鹿みたいだよね。
心の中で、今は家でお留守番している茜に笑いかける。
「美守。お前の口癖は『ごめん』だよな」
茜から受けた指摘を思い出した。
「お前はよお、自分が悪くなくてもすぐに謝っちまう。よくねぇぜ」
茜は呆れた顔で私にそう言った。
言われた直後は反抗心でつい「狐は好き放題言えていいけど、人間はそうじゃないんだから」と言い返したけど、違う。正しいのは茜だ。
謝ったら許されるわけじゃない。悪いと認めたと思われて、もっと責められる。
いまさらそんなことに気付いた。
これまで無意味に謝ってきたことが悔しい。
「謝るくらいならさぁ、嘘とかつかないんで欲しいんだけどぉ」
「マジ、トモダチにウソつくとかありえないし」
「ほんとだよねぇ。美守がそんないやな子だとは思わなかった」
「サイテー」
好き放題私をなじる萌と愛海の声。
ちょっと前までなら、へこんでしまってさらに項垂れていただろう。でも、今は不思議と辛くなかった。
家に茜がいるからかもしれない。
梨乃たちクラスの友達にはもちろん、親友の加奈にさえも話せなかったことを、茜になら話せた。
茜が狐で人間社会とは関係がないからというのもあるのだけど、それだけじゃない。茜は何を言っても、正面から真面目に聞いてくれるから。彼が返してくれる感情は、喜びも怒りもすべて、嘘偽りも悪意もないから。
「嘘なんて吐いてないよ。彼氏ってなんのことか、本当にわからない」
きっぱりとした声で言い返した自分の言葉に、自分で驚いた。
萌と愛海はそれ以上に驚いたみたいで、目を見開いて口をぽかんと開けている。
いつもばっちりと表情を決めた美少女二人組らしくない、ちょっと間抜けな顏。装備を外した素の表情は、いつもよりもずっと好感が持てた。
口ごもる二人に、今度は穏やかな声で告げる。
「彼氏なんて本当にいない、誤解だよ」
「で、でもぉ。あたし見たんだからぁ。ねぇ、愛海」
「見た見た。先週の金曜日、アンタ、T駅に向かって赤っぽい髪の男子といっしょに歩いてたじゃん」
T駅の近く、赤っぽい髪の男子。ああ、茜とショッピングモールに出掛けたところを見られていたのか。
萌と愛海はすごく仲がいい。部活帰りに落ち合って、一緒にショッピングモールに向かっていたのだろう。そして、ショッピングモールから家に帰る途中の私を目撃したのだ。
その時、声を掛けてくれたらよかったのに。
萌と愛海がそうできなかったのは、恋人と一緒にいるところを邪魔したら悪いと思ったから?
ううん、違う。私とは距離感があるからだろう。もし私じゃなくて梨乃だったら、萌も愛海もきっと声を掛けていただろう。
「あの人は、彼氏じゃないよ」
「なにそれ、じゃあどういう関係なの?」
胡散臭いものを見るように萌が眉根を寄せる。
「ただの友達だよ」
「それカレシいんのがバレた女の、ウソの常套句じゃん」
軽蔑した目で愛海が私を見る。
本当に茜はただの居候で、たかり魔の狐だ。彼氏なんて甘ったるい関係じゃない。
でも、それをどうやって二人に説明すればいいだろうか。茜が人に化けられる狐だというのは、ぜったいに誰にも知られないほうがいい。もしそんなことが知れたら、茜が酷い目に遭うかもしれない。
私から友達が去ってしまうことなんて、些細なことだ。むしろ、こんなことで友達じゃなくなってしまう関係をはなから友情とは言わない。
私は萌と愛海を真正面から見据えて言った。
「信じられなくても、嘘だと疑われても本当にそうだよ」
生意気だ。そう言いたげな二人の視線が私に突き刺さる。
怖い。でも、引けない。
私はただ、じっと二人を見つめ返した。
緊迫した空気が私たちのあいだを流れていく。冬の風よりも冷たく、荒んだ風。
今まで肯定、肯定、時に謝罪で事なかれ主義を貫いてきた私にとって、高校で初めの試練。
大人になってからは笑い話になるのかもしれないけど、今の私にとっては死活問題だと言ってもいいほどの大事件だった。
クラスメイトたちの視線がこちらに集まっているのを感じる。
無遠慮な好奇の目、目、目。
波風立たないように細心の注意を払ってみんなが住み分けている、表面上は穏やかで仲のいいクラスに沸いた、一点の黒い染み。見ていないふり、聞いていないふりをしながらも、誰もが好奇心旺盛にこちらの様子をうかがっているのを肌で感じる。
目立たない深草さんが、キラキラ女子二人に盾突いて敵認定された。面白おかしく噂される自分を想像して、逃げ出したくなった。
「信じようよ、萌、愛海。美守は友達なんだから」
梨乃が萌と愛海と私のあいだに滑り込んできて、柔らかい声で言った。
萌と愛海は納得していないような顔をしていたけれど、悪者になってまで追求するつもりはなかったようで、解散していった。
「梨乃、ありがとう」
「お礼なんて。わたしはただ、本当のことを言っただけだよ」
梨乃がにこりと笑う。
胸の前で重ねた彼女の手が、ほんの少しだけ震えているのが見えた。
きっと、怖かったのだろう。勇気を振り絞ってまで、私に助け舟を出してくれたことに胸がいっぱいになる。
妖精みたいな愛らしい容姿に気後れして、住む世界が違うとか、本当の友達にはなれないと線を引いていた自分が恥ずかしくなった。
友情や愛情に容姿なんか関係ないというのは、ただのきれいごとだ。でも、容姿がすべてじゃない。高校一年生も半分以上を過ぎた今、私はようやくそのことを本当の意味で知った気がした。



