狐の恩返し

 割引商品を並べた店頭の棚に移動する。そこには売れ残った秋物の可愛い商品が並んでいた。
 十一月半ばとはいえ、たまに暖かい日もあるし、分厚いロングコートと合わせたら着るチャンスがありそうだ。ここから選ぼう。
 店頭の棚を漁りはじめた私を、茜がすぐ近くに立って眺めていた。 

 「やあ、深草さん」

 艶やかな低めの声がして、私ははっと顔を上げる。
 店の前の通りに立ち止まった瀬名君が、涼やかな目でこちらを見ていた。

 店の中に居た客も店員さんも、にわかにざわつく。たくさんの視線がこちらに集まるのを背中で感じた。それもそうだ。瀬名君みたいな美男子が登場したら、たいていの女子は視線を向けるし、ヒソヒソ話をしたくもなる。

 「せ、瀬名君……」

 いちいち名前を呼ぶのにも緊張してつっかえる私に、瀬名君は大人びた柔和な笑顔を向けた。

 「買い物かい?」

 こんな可愛い店にお前みたいな地味な女子が着る服は無いのに。瀬名君にそんなふうに思われたらどうしよう。
 そう思った私は、とっさに嘘を吐いた。

 「うん。その、友達の誕生日プレゼントを探してるの」

 茜が怪訝な顔をしたのには、気付かないふりをした。
 茜は本当のことを言わない私を変に思っているのだろう。でも、彼は瀬名君に私がこの店で自分の服を探していることを言わないでいてくれた。

 「そう、友達のプレゼントか。素敵だね。ここの服も小物もとても可愛いから、もらった子はきっと喜んでくれるよ」
 「だよね」

 瀬名君は長い足を動かし、ゆったりした足取りでこちらに歩いてきた。
 彼の視線が茜に流れる。

 「君、見ない顔だね。深草さんの友達かい」

 話し掛けられた茜が少しだけ眉を顰めて答える。

 「ん、まあな」
 「なんだ、男か。チビだからボーイッシュな女の子かと思ったよ」
 「はあ、誰がチビだと?」

 ニ十センチ近く身長差がある瀬名君を茜がギロリと睨み上げる。女の子扱いされたのとチビと言われたが気に喰わなかったのだろう。目尻を吊り上げ、眉間に皺を寄せた不機嫌な顔だ。
 茜は中性ウルフ風の髪型で男にしては髪が長めだし、背が低くて体つきも華奢だ。おまけに顔立ちもきれいだから、背が高くて大人の体格をした瀬名君から見ると、女子っぽく見えるのかもしれない。

 でも、チビは失礼なのでは。

 あからさまに不機嫌な顔を茜にハラハラしていると、瀬名君はいつもと変わらない涼しげな顔で私に向き直った。

 「彼は深草さんの恋人かい?」
 「う、ううん。えっと、小さい時の友達だよ。茜っていうの」
 「そう」

 なんで恋人かどうかを聞いてきたのだろう。
 瀬名君が何を考えているのかわからない。ひとまず、茜と瀬名君が取っ組み合いの喧嘩になるのを避けられてよかったけど、今度はべつのドキドキに襲われる。

 「深草さんも何か買っていきなよ、きっと似合うよ」

 リップサービスか本心か。
 ポーカーフェイスの笑顔からは感情が読み取れない。
 動揺して答えられずにいる私に瀬名君が近づいてくる。彼は茜と私の間に猫のようにするりと入り込むと、にっこりと笑った。

 「見繕ってあげるよ」
 「え、そんな……。いいの?」
 「女の子の服を見るのは嫌いじゃないんだ」
 「あ、ありがとう」

 まさか、瀬名君と服を選ぶことになるなんて。
 夢みたいだ。いや、本当にぜんぶ都合のいい夢かもしれない。

 瀬名君の整った横顔を見ながら、私はふわふわと舞い上がっていた。茜のことをすっかり忘れて、瀬名君と一緒に割引シールの貼ってある服を物色する。

 「これなんて似合うよ」
 「これも素敵だね」

 そう言いながら瀬名君が差し出してくる服を鏡の前で合わせながら、私はずっとドキドキとしていた。
 鏡の中の私は、みっともないくらい真っ赤な顔をしていた。

 「面白くねぇ」

 ぽつりと茜が呟く。
 私は茜も一緒にいたことを思い出して、慌てて茜の方を振り返る。
 茜は口角を下げ、そっぽを向いていた。
 狐の茜にとってファッションショーは退屈だったのだろう。それなのにずいぶんと長い時間、私の服を買うのに付き合わせてしまっている。

 「ごめんね、茜。そろそろ帰りたいよね」
 「そういうわけじゃねぇよ。ただ……」
 「ただ何?」
 「いや、なんでもねぇ。ゆっくり買い物すればいいさ」

 茜は少し冷めた顏でそう言うと、腕を組んで目を閉じた。

 「おやおや。お邪魔だったかな?」

 からかうような声色で瀬名君が茜に言った。
 茜が閉じていた目をゆっくり開けて、青い目でじろっと瀬名君を見る。

 「俺に構うんじゃねぇよ。お前は美守の相手をしてな」
 「つれないなぁ。男同士、仲良くなろうじゃないか」
 「ふん。そんなつもりがある顏じゃねぇな」
 「ふふ、酷いね。いいじゃないか、少し話そうよ」
 「なんで見知らずの人間と喋らなきゃいけねぇんだよ。お断りだ」
 「そう言わずに。茜君だっけ? どこの高校に通っているの?」
 「高校なんて通ってねぇよ」
 「へえ、じゃあ普段は何をしているんだい?」
 「何って。昼寝したり、散歩したり、まあ自由にやってるぜ」
 「いいねぇ、素敵な生き方じゃないか。好きな食べ物は?」
 「好き嫌いはない」
 「深草さんとはどういう知り合いなのかな?」
 「ガキの頃にちょっとな。って、俺を質問攻めにすんな。美守と喋ってりゃいいだろうが」

 煙たがる茜に瀬名君はしつこく話し掛けていた。

 瀬名君はあまり教室では男の子と喋っている姿を見ない。一人で本を読んでいるか、美人な子と喋っているかのどちらかだ。
 茜が気に入ったのだろうか。珍しいこともあるものだ。
 瀬名君が茜に構っているのを見て、ひやひやした。
 茜がじつは狐だとばれたらどうしよう。保健所に通報されたりして。それとも、人間に化ける狐として動物学者や心霊学者の研究対象にされちゃうとか。
 そんな心配をしつつ、心の片隅でほんの少しだけもやっとした。

 なんだろう、この感覚。
 梨乃と萌と愛海が自分抜きで楽しく喋っている時に感じるのと似た感覚。いるのにそこにいないような、空気になったみたいな虚しさ。
 疎外感だろうか。
 いや、疎外感に似ているけどそれとは少し違う。

 ぼんやりと喋っている二人を見ていると、茜が不意にこちらを見た。
 茜は私を数秒間じっと見詰めると、割引の棚にかかっている一着の服を手に取った。

 「これはどうだ、美守」

 茜が差し出したのは、モカ色のブラウスだ。コーヒー色のクロスタイがついていて、肩から胸の部分にクロスタイと同じ色の控えめな薔薇の刺繍が施してある。袖口はキュートなキャンディスリーブだ。
 デザインはばっちり。あとは値段だ。
 値札を見る。元値はそれなりに高いけど、割引で半額になっていた。

 「すごく可愛い。それに値段も安いね」
 「だろ」

 嬉しそうに笑う茜の笑顔が眩しい。

 「どうやら僕の出る幕はなさそうだね。僕はそろそろ行くよ」

 瀬名君が踵を返す。
 私は彼の前に回り込むと、軽く頭を下げた。

 「瀬名君、付き合わせちゃってごめんね」
 「気にしないで、いろいろと楽しかったよ。その服を着た姿を、またいつか僕にも見せてね」 

 えっ。それってどういう意味?
 私たちが通っている高校は制服で、学校で私服を着る機会はない。つまり、休日にまた会おうってことだろうか。
 単なる社交辞令なのか、本気なのか。 

 瀬名君の爆弾発言に顔を赤らめて呆然とする私に、瀬名君は飄々とした笑顔を浮かべる。

 「じゃあね」

 気紛れな風のように瀬名君は店を去っていった。