「わざわざ来てくれて悪いね」

 大貴くんが営む楽器店に、私と幸太は足を運んだ。あくまでも“ギターのメンテナンス”という名目で、でも実際は少し気になることがあったからだ。私たちは、気を使いながら店内に足を踏み入れる。

 「子どもができたなら、結婚はおめでたい話だけどさ……柳はちょっと、ひどいよな」

 弦を調整しながら、大貴くんは淡々と口にした。彼の言葉には冷静さが漂っていたが、その中にも少しの怒りが見え隠れしているようだった。

 「先に郁弥が芹香と付き合って結婚した時は、正直、やられたーって思ったけどさ。でも二人が離婚して、芹香が海外行くって言うから連絡先教えてって頼んだけど、断られた。今は“自分を成長させたい”ってさ」

 大貴くんの言葉に、私は少し驚いた。芹香さんがそう言ったのは想像できたけど、やっぱり誰かが思っている以上に冷たい一面を見せるのだろうか。

 「……手紙とか、来た?」

 「手紙? 来ないよ。そもそも、あっちは俺の住所知らないし。スマホも番号変わってた」

 私はしばらく黙って、大貴くんの言葉をかみしめる。結局、私が彼に手紙を送ったのは、ただの偶然だったのだろうか。

 「好きとか、付き合いたいとか……言わなかったの?」

 私がそう尋ねると、大貴くんは手を止め、少し考え込んだ後、淡々と答えた。

 「聞くよねぇ。……言えなかったよ。告白もできなかった俺がさ、離婚して傷ついて、それでも前を向こうとしてる彼女に“好きだ”なんて言えるわけないだろ。……まあ、言い訳に聞こえるけどさ」

 大貴くんの告白できなかった理由に、私は心の中で納得していた。確かに、相手が傷ついている時にそんな言葉は簡単に口にできるものではないだろう。そんな彼を見て、芹香さんはどう思っていたのだろう。

 「でも、嫌いではなかったと思いますよ」

 と、幸太が口を挟んだ。前から知り合いではあったけど、余興の話で一気に仲良くなった二人は、言葉の端々からお互いの関係性を感じさせる。

 「なんで、そう思うの?」

 「成美も覚えてるだろ? クラスで生徒たちに“好きなタイプ”ってからかわれた時、芹香さん、“顔のタイプは垂れ目で〜”って」

 「垂れ目……」

 大貴くんは店内の鏡に映る自分を見つめた。少し照れ臭そうに笑う。

 「僕、わかったから。他の生徒がいない時に“それって大貴くんでしょ”って聞いたら、頷いた」

 私もすぐに気づいた。芹香さんの周りに“垂れ目”といえば、大貴くんしか思い浮かばなかった。

 「芹香さん、よく“大貴くん、笑うとさらに垂れ目になるから可愛い”って」

 「でも“ちょっとチャラい”とも言ってたよ」

 「はぁぁ……チャラく見られてたのかぁ」

 幸太、そこまで言わなくても……でも、まぁ、みんな思ってたことだ。

 「俺にも、チャンスあったんかな……柳も笑うと垂れ目になるけどさ、ハハッ」

 確かに。私と幸太は顔を見合わせて頷いた。

 「明日も練習あるから、来てね」

 「2人で? 郁弥は?」

 「郁弥にいちゃんは……」

 「……だよな。無理もない」

 調整が終わると、大貴くんが少し弾いてみせてくれた。音が鳴るだけで、空気が変わる。彼のギターの音はいつも素晴らしく、心地よい振動が私の体を包み込んだ。

 「……よし、オッケー」

 「ありがとう、大貴くん」

 私は大事そうにギターをケースにしまう。

 「芹香さんにもだけど、柳のためにも、いい演奏になると思うよ。ありがとう」

 「……だな。あいつ、ちょっとでもズレるとすぐ言ってくるから。余興の直前にまた見てあげるよ」

 「助かる」

 大貴くんが笑う。垂れ目がさらに下がって見えた。やっぱり、彼の笑顔にはどこか温かみがある。

 店を出て、幸太と歩きながら話す。

 「大貴くんって、やっぱり物腰柔らかいね」

 「“来るもの拒まず”って感じだよな。……だから芹香さんにチャラいって言われるんだよ」

 「いや、本人に“チャラい”は言いすぎでしょ」

 「本人も自覚してるって。いい意味での“チャラさ”だよ」

 私の笑いが止まらなかった。大貴くんの前ではこんなに笑えなかったけど、幸太と一緒だと自然にリラックスできた。

 「次は海斗くんだね。芹香さんの幼馴染……僕たちより、もっと」

 「幼稚園から一緒って聞いたよ。バーディーズに芹香さんを連れてきたのも、海斗くんだった」

 「そうね。バンドが人気出たのは彼女のおかげでもあるけど、彼が連れてきたからこそよね」

 そんな話をしながら歩いていると、どこからか子どもたちの歌声が聞こえてきた。幼稚園。窓の向こう、子どもたちの前で歌う海斗くんの姿があった。

 バーにいる時とはまるで違う、子ども向けの柔らかい笑顔と優しい歌声。普段はクールな彼の、あんな顔は初めて見たかもしれない。

 幸太がその音に合わせて揺れている。ちょっと怪しいけど、気持ちはわかる。

 私も思わず体が動く。幸太と目が合って、ふたりで笑い合う。恥ずかしさを忘れて、つい踊ってしまう。

 ……演奏が止まった。

 気づけば、窓際に子どもたちが集まって、私たちを見ている。小さな瞳がたくさん。

 「あっ……」

 窓が開いて、海斗くんがニコニコと顔を出した。

 「楽しそうだな。……あと少しで終わるから、裏から入ってて」

 私と幸太は目を合わせて、

 「はい……」

 と返事をした。園児たちのくすくす笑いが、さらに恥ずかしさを誘った。

 私たちは裏手に回る。

 「……大人気なかったよな、自分でも思う」

 園長室に通され、授業を終えた海斗くんがやってきた。

 「ほんと、園長やってるんだね」

 「まぁね。数年前には想像もしてなかった。芹香には笑われたよ」

 「……え、それって?」

 「少し前に会ったんだ。互いに変わったなぁって話してさ」

 出してくれた麦茶が、ちょうどいい温度で心に沁みた。

 「ここまで来させて、悪かったな。大の大人が高校生に説得されるとは……」

 「いえ……」

 「芹香の新しい門出だ。しばらく、気持ちの整理がつかなかっただけだよ」

 ……ずっと好きだったのに、告白できなかったのかな。

 「本当はさ、帰国したらプロポーズしようと思ってたんだ」

 「え、告白の前に?」

 「年齢もあるし、あっちもバツイチだし。と思ってたら……子どもできて結婚かよ。よりによって、相手は柳」

 悔しいよね。……やっぱり、手紙とかは来てなかったのかな。

 「家族ぐるみの付き合いだったのによ。母ちゃんにも“お前がうかうかしてるから取られるんだ”って言われた」

 それは、しんどい。

 「……次の練習、いつだ?」

 「今日の夕方にでも!」

 幸太が勢いよく立ち上がる。海斗は少し驚いたようだったけど、頷いた。

 「……いっちょやりますか」

 「柳がよ、俺らに余興やらせたこと、後悔させてやる!」

 そ、そっち!? やっぱり大人気ない。でも、私と幸太はまた目を合わせて笑った。

 「何、笑ってんだよ」

 「いえ、バンドは熱量が大事ですから。ガツンといきましょう!」

 「おう! 任せとけ!」

 いつの間にか幸太がバンドを仕切ってる気がするけど、私にはできなかったこと。……なんだか、見直しちゃったな。