その日は、心の中でずっとぐるぐると感情が交差していた。
柳さんが芹香さんと結婚する——本来なら素直に喜べるはずのニュースだったはずだ。でも、柳さんはずっとそのことを隠していて、私たちの前で突然その告白をした。それがどこか裏切られたような気分にさせられた。私たちは、ずっと彼のために練習して、応援して、そして共に支えてきたのに、結局、柳さんは私たちの気持ちに無頓着だったのだろうか。そんな風に思えて仕方がなかった。
特に、大貴くんや海斗くんがどう感じたのかを思うと、胸が締め付けられる。彼らも芹香さんを好きだったのだろうに、その事実を柳さんが隠していたのが、私にはどうしても意地悪に思えてしまった。隠しておく必要なんて、どこにもなかったのに。
そして、私自身も……そう。芹香さんのことが好きだった。同性ということもあって、自分の気持ちを正直に伝えることはできなかったけれど、心の中ではずっと彼女に惹かれていた。手紙を交わしたり、目が合うたびに胸がドキドキしたり。その気持ちを、バンドのみんなも感じていたはずだと思う。
でも、芹香さんは、ただ素直にその喜びをみんなに伝えてくれただけだった。それがこんな風に複雑な気持ちにさせるなんて、予想もしなかった。でも、どうしても心から祝福できなかった。嬉しさと同時に、悲しさが込み上げてきて、私はその感情をどう扱えばいいのか分からなかった。
一番悲しそうだったのは、郁弥にいちゃんだった。彼は一度、芹香さんと結婚していた。2人の間に芽生えた愛情がどんなものであったのか、私には分からなかったけれど、郁弥にいちゃんがそれを引きずっていたことは分かっていた。それが、彼がこんなにも落ち込んでいる理由だろう。
「芹香と成美ちゃんは姉妹みたいだな」
郁弥にいちゃんの言葉に、私は何も言えなかった。本当に、その通りだったから。でも、正確に言えば、私たちは「義姉妹」だ。芹香さんと郁弥にいちゃんが結婚していたという事実が、まるで夢のようで、私の心の中でその現実を受け入れるのはかなり時間がかかった。
私も一度は悔しいと思った。でも、芹香さんが幸せなら、それが一番だと思っていた。だって、家に帰ると彼女がいる。それが、どんなに嬉しかったことか。その時、私の心の中に浮かんでいたのは、芹香さんと一緒に過ごす日々の幸せな瞬間だった。
そして、あのミュージックバーでのことも、今となっては懐かしい思い出だ。芹香さんが手作りスイーツを作ってくれて、それをみんなでシェアする時間が、自然と毎週の習慣になっていた。そんな日々を送っていたのに、3年経った今でもそのことを思い出すたびに心が痛む。
「成美、まだ寝てないのか?」
郁弥にいちゃんの声が、部屋の静けさの中に響いた。彼も、やはりあの瞬間から気持ちが落ち着いていないのだろう。
「さっきは……我ながら大人げなかった。寝れないのもわかるよ。ごめんな、成美」
私は、薄く微笑んで答えた。「ううん、私は大丈夫。お兄ちゃんこそ、どうしてるの?」
そんな風に答えたものの、心の中で抱えていた不安は消えなかった。郁弥にいちゃんは、もっと多くのことを抱えているのに、私はどうしてこんなに小さなことで悩んでいるんだろうと、自己嫌悪に陥りそうだった。
「大丈夫じゃないな。だってさ……」
郁弥にいちゃんの声が、いつになく低く、そして静かに続いた。
「芹香のお腹に赤ちゃんがいるのが……どうしても、ショックだった。めでたいことなのにな」
その言葉に、私は言葉を失った。郁弥にいちゃんと芹香さんは、子どもができなかった。2人の間には、ずっと子どもがいなかった。でも、それはおそらく、どちらかの体質によるものだった。
「結局、2週間練習なしだったな」
私は、何気なく頷いた。だけど実は、私は幸太と練習を続けていた。幸太は、学校の昼休みに顔を出してくれて、なんとなく練習が続いていた。それが、少しずつ私に元気を与えてくれた。
幸太のおかげで、私は少しずつ元気を取り戻し、意外と歌えるようにもなった。自分では上手いとは思わなかったけれど、幸太は「めっちゃうまい」と言ってくれる。嬉しいような恥ずかしいような、でもどこか幸せな気持ちだった。
「でもさ、結婚式はやるって。よりによって、芹香さんの“元夫”のバーで」
「アットホームな式がいいって。柳さん、他のバンドのつながりもあるし、芹香さんも地元の友達多いし……結局、うちの店が一番やりやすいのよ」
「……引き受ける郁弥さんも郁弥さんだよね」
「……お兄ちゃんも断ればよかったのに」
でも、柳さんの人脈でお客さんも来るし、店の繁盛にもつながるから、郁弥にいちゃんが断れなかったのも無理はないと思う。
幸太は、楽しそうだった。
「ねえ、余興、中止になるかもしれないのに練習して意味あるの?」
「え? てか成美、大人たちの事情に巻き込まれちゃだめだよ。お祝いしたい気持ちがあるなら、2人だけでもやろうよ」
私は、その提案にびっくりした。でも、幸太は本当にロマンチストだ。
「高校生の僕たちが、健気に演奏して、先生たちに祝福を……!」
そんな幸太を見て、少し心が和んだ。
でも、何よりも胸が痛むのは、芹香さんがまた他の人と結婚してしまうということだ。2度目の失恋だと思うと、やりきれない気持ちが込み上げてきた。
そして、郁弥にいちゃんの声が続く。
「芹香も柳さんも、優しいよね」
「……似た者同士だよな」
郁弥にいちゃんは少し笑って、そしてその言葉の後に、私の心を凍らせるような言葉を続けた。
「……本当は、俺の方が不妊体質だったんだ」
その告白に、私は驚きと共に言葉を失った。
「検査でわかってた。けど、芹香は親に言いたくなかったみたいで、自分のせいだって……」
その時、私は初めて知った。芹香さんの不妊は、実は郁弥にいちゃんの体質のせいだったことを。
「言えなかった。ショックで。店のこともあって、どうすればいいか……」
その言葉を聞いて、私は胸が締め付けられるような気持ちになった。あんなに優しい郁弥にいちゃんが、こんなに苦しんでいたなんて……。
「芹香さんのご両親に謝ってたよね。『しょうがない』って言ってた」
「優しさに、甘えちまったんだ……」
郁弥にいちゃんは、震えながらその言葉を口にした。私は思わず、彼の背中を撫でた。
「悔しい。もっと向き合えてたら……子どもがいなくてもって、言えてたら……!」
「でも、それを今さら言っても……」
「成美、ごめんな。芹香はお前のこと、本当に大事にしてた。妹のように、って……」
その言葉を聞いて、私の心は痛んだ。芹香さんのことを思い出しながら、私は涙が止まらなくなった。
柳さんが芹香さんと結婚する——本来なら素直に喜べるはずのニュースだったはずだ。でも、柳さんはずっとそのことを隠していて、私たちの前で突然その告白をした。それがどこか裏切られたような気分にさせられた。私たちは、ずっと彼のために練習して、応援して、そして共に支えてきたのに、結局、柳さんは私たちの気持ちに無頓着だったのだろうか。そんな風に思えて仕方がなかった。
特に、大貴くんや海斗くんがどう感じたのかを思うと、胸が締め付けられる。彼らも芹香さんを好きだったのだろうに、その事実を柳さんが隠していたのが、私にはどうしても意地悪に思えてしまった。隠しておく必要なんて、どこにもなかったのに。
そして、私自身も……そう。芹香さんのことが好きだった。同性ということもあって、自分の気持ちを正直に伝えることはできなかったけれど、心の中ではずっと彼女に惹かれていた。手紙を交わしたり、目が合うたびに胸がドキドキしたり。その気持ちを、バンドのみんなも感じていたはずだと思う。
でも、芹香さんは、ただ素直にその喜びをみんなに伝えてくれただけだった。それがこんな風に複雑な気持ちにさせるなんて、予想もしなかった。でも、どうしても心から祝福できなかった。嬉しさと同時に、悲しさが込み上げてきて、私はその感情をどう扱えばいいのか分からなかった。
一番悲しそうだったのは、郁弥にいちゃんだった。彼は一度、芹香さんと結婚していた。2人の間に芽生えた愛情がどんなものであったのか、私には分からなかったけれど、郁弥にいちゃんがそれを引きずっていたことは分かっていた。それが、彼がこんなにも落ち込んでいる理由だろう。
「芹香と成美ちゃんは姉妹みたいだな」
郁弥にいちゃんの言葉に、私は何も言えなかった。本当に、その通りだったから。でも、正確に言えば、私たちは「義姉妹」だ。芹香さんと郁弥にいちゃんが結婚していたという事実が、まるで夢のようで、私の心の中でその現実を受け入れるのはかなり時間がかかった。
私も一度は悔しいと思った。でも、芹香さんが幸せなら、それが一番だと思っていた。だって、家に帰ると彼女がいる。それが、どんなに嬉しかったことか。その時、私の心の中に浮かんでいたのは、芹香さんと一緒に過ごす日々の幸せな瞬間だった。
そして、あのミュージックバーでのことも、今となっては懐かしい思い出だ。芹香さんが手作りスイーツを作ってくれて、それをみんなでシェアする時間が、自然と毎週の習慣になっていた。そんな日々を送っていたのに、3年経った今でもそのことを思い出すたびに心が痛む。
「成美、まだ寝てないのか?」
郁弥にいちゃんの声が、部屋の静けさの中に響いた。彼も、やはりあの瞬間から気持ちが落ち着いていないのだろう。
「さっきは……我ながら大人げなかった。寝れないのもわかるよ。ごめんな、成美」
私は、薄く微笑んで答えた。「ううん、私は大丈夫。お兄ちゃんこそ、どうしてるの?」
そんな風に答えたものの、心の中で抱えていた不安は消えなかった。郁弥にいちゃんは、もっと多くのことを抱えているのに、私はどうしてこんなに小さなことで悩んでいるんだろうと、自己嫌悪に陥りそうだった。
「大丈夫じゃないな。だってさ……」
郁弥にいちゃんの声が、いつになく低く、そして静かに続いた。
「芹香のお腹に赤ちゃんがいるのが……どうしても、ショックだった。めでたいことなのにな」
その言葉に、私は言葉を失った。郁弥にいちゃんと芹香さんは、子どもができなかった。2人の間には、ずっと子どもがいなかった。でも、それはおそらく、どちらかの体質によるものだった。
「結局、2週間練習なしだったな」
私は、何気なく頷いた。だけど実は、私は幸太と練習を続けていた。幸太は、学校の昼休みに顔を出してくれて、なんとなく練習が続いていた。それが、少しずつ私に元気を与えてくれた。
幸太のおかげで、私は少しずつ元気を取り戻し、意外と歌えるようにもなった。自分では上手いとは思わなかったけれど、幸太は「めっちゃうまい」と言ってくれる。嬉しいような恥ずかしいような、でもどこか幸せな気持ちだった。
「でもさ、結婚式はやるって。よりによって、芹香さんの“元夫”のバーで」
「アットホームな式がいいって。柳さん、他のバンドのつながりもあるし、芹香さんも地元の友達多いし……結局、うちの店が一番やりやすいのよ」
「……引き受ける郁弥さんも郁弥さんだよね」
「……お兄ちゃんも断ればよかったのに」
でも、柳さんの人脈でお客さんも来るし、店の繁盛にもつながるから、郁弥にいちゃんが断れなかったのも無理はないと思う。
幸太は、楽しそうだった。
「ねえ、余興、中止になるかもしれないのに練習して意味あるの?」
「え? てか成美、大人たちの事情に巻き込まれちゃだめだよ。お祝いしたい気持ちがあるなら、2人だけでもやろうよ」
私は、その提案にびっくりした。でも、幸太は本当にロマンチストだ。
「高校生の僕たちが、健気に演奏して、先生たちに祝福を……!」
そんな幸太を見て、少し心が和んだ。
でも、何よりも胸が痛むのは、芹香さんがまた他の人と結婚してしまうということだ。2度目の失恋だと思うと、やりきれない気持ちが込み上げてきた。
そして、郁弥にいちゃんの声が続く。
「芹香も柳さんも、優しいよね」
「……似た者同士だよな」
郁弥にいちゃんは少し笑って、そしてその言葉の後に、私の心を凍らせるような言葉を続けた。
「……本当は、俺の方が不妊体質だったんだ」
その告白に、私は驚きと共に言葉を失った。
「検査でわかってた。けど、芹香は親に言いたくなかったみたいで、自分のせいだって……」
その時、私は初めて知った。芹香さんの不妊は、実は郁弥にいちゃんの体質のせいだったことを。
「言えなかった。ショックで。店のこともあって、どうすればいいか……」
その言葉を聞いて、私は胸が締め付けられるような気持ちになった。あんなに優しい郁弥にいちゃんが、こんなに苦しんでいたなんて……。
「芹香さんのご両親に謝ってたよね。『しょうがない』って言ってた」
「優しさに、甘えちまったんだ……」
郁弥にいちゃんは、震えながらその言葉を口にした。私は思わず、彼の背中を撫でた。
「悔しい。もっと向き合えてたら……子どもがいなくてもって、言えてたら……!」
「でも、それを今さら言っても……」
「成美、ごめんな。芹香はお前のこと、本当に大事にしてた。妹のように、って……」
その言葉を聞いて、私の心は痛んだ。芹香さんのことを思い出しながら、私は涙が止まらなくなった。



