「ねえねえ、起きて。朝ごはん作ったよ。冷蔵庫スッカスカだったから、簡単なものしかできなかったけど」
夕べほとんど眠れていない私を、くるみは荒っぽく揺する。
「スッカスカで悪かったですね」
私はタオルケットを頭からかぶる。くるみはそれをひっぺがし、「さあ、食べよう食べよう」と腕を引っ張り、パタパタとキッチンへ消えていった。昨晩はあんなに飲んで酔っ払っていたのに、この元気はいったいどこから湧いてくるのだろう。
重い身体を起こして丸いローテーブルの前に腰を下ろすと、くるみが両手に皿を持ちながら部屋に戻ってくる。
「ネギそばにしてみましたあ」
初めて聞く料理名だった。給食の献立でよくわからないおかずの名前を見たとき、どんなものかと期待半分、不安半分で給食の時間を迎えたことを思い出す。
「おまたせです」
テーブルに置かれたのは、中華めんにネギとハムが和えられた、一見パスタに見えなくもない小洒落た料理だった。醬油の香ばしいにおいがして、否が応でも食欲がそそられる。めしあがれと付け加えてくるみは私の正面に座り、私が口にするのを楽しげに待っている。添えられた箸を手に取り「いただきます」と言って、麺を二、三本口へ運んだ。
「美味しい」
私の言葉にくるみはニッと歯を見せて笑い、箸を取って小さく「いただきます」と呟く。むかつく。この、屈託ない無邪気な雰囲気とか、取り入るのがうまい感じとか、ちょっと料理がうまいところとか。
「ねえ、あーちゃんの今日の予定は?」
「普通に、授業です」
「ああ、いっくんと同じ大学だっけ?」
「はい」
「いいなあ、大学生」
「どうしてですか」
「ん? 普通に、私も大学行ってみたかったなあって思って」
「考えなかったんですか?」
「んー、私勉強とか全然できなかったし、勉強したいこともなかったからさあ。それにお金がかかるでしょ? だったら、就職したほうがいいかなあって思ってさあ。高校卒業してすぐ事務の仕事に就いたんだ。まあ、結局辞めちゃったんだけど」
「じゃあ今はなにしてるの?」
「雑貨屋さんでバイトしてる。でもそれも週二回とかだから、うん、ほんと、なんにもしてないようなもんだよ」
「彼氏に振られて住むところがないから、だ樹の家に?」
「そ」
「ほんとにそれだけ?」
「ほんとにそれだけだよお」
くるみは皿の中の麺を箸でつついている。その態度に、私は、くるみが嘘を吐いてるのではないか、樹への恋愛感情を捨てきれないのではないかと不安になる。そんな心配をよそに、くるみは上目遣いをしてニヤッと笑う。
「だからさ、今日、あーちゃんが帰ってくるの、待っててもいい?」
突拍子もない発言に、ちょっと咽せた。
「わっ、大丈夫? 鼻から麺出さないでね?」
やかましいわ、と心の中でツッコミを入れつつ、差し出されたティッシュを大人しく受けとる。
「なんで」
「え?」
「なんであなたに、ここで、待たれなきゃいけないの?」
「だから、行くところないんだってば」
「だから、おかしいでしょ。なんで私が」
樹の元カノを、と言いかけてやめた。それを意識しているのは、なんだか恥ずかしいことのように思えた。
くるみは食い下がり、おねがい、と私を見つめる。上目遣いからハートマークが飛んできそうなほどだ。
樹と付き合っている以上、絶対に縁があってはいけないはずの人だ。だめ、だめ、だめ。そう思いつつ、だめと言えない自分がいる。だめと言ってしまったら、この人はどうするだろう。大人しく引き下がるとも思えないけど、そうなったとしたら、頼る人のいないくるみはおそらくーー。
勝手な妄想を振り払うように、私は首を大きく横に振る。
「え、なに? どうしたの?」とくるみが不思議そうに訊く。
餌付けされたなんて思いたくはないし、実際そんなことはないし、でも「樹のところに行かれたくないから」なんてとてもじゃないけど言えない。そうなると、くるみに帰りを待たれてもいいと思う理由は、他に見当たらなかった。
「じゃあ、なんか作っておいて。なんでもいいから、美味しいやつ」
私の言葉にくるみはぱあっと目を見開き、心底嬉しいといった様子で「了解!」と言い、皿に残った麺に手をつけた。
夕べほとんど眠れていない私を、くるみは荒っぽく揺する。
「スッカスカで悪かったですね」
私はタオルケットを頭からかぶる。くるみはそれをひっぺがし、「さあ、食べよう食べよう」と腕を引っ張り、パタパタとキッチンへ消えていった。昨晩はあんなに飲んで酔っ払っていたのに、この元気はいったいどこから湧いてくるのだろう。
重い身体を起こして丸いローテーブルの前に腰を下ろすと、くるみが両手に皿を持ちながら部屋に戻ってくる。
「ネギそばにしてみましたあ」
初めて聞く料理名だった。給食の献立でよくわからないおかずの名前を見たとき、どんなものかと期待半分、不安半分で給食の時間を迎えたことを思い出す。
「おまたせです」
テーブルに置かれたのは、中華めんにネギとハムが和えられた、一見パスタに見えなくもない小洒落た料理だった。醬油の香ばしいにおいがして、否が応でも食欲がそそられる。めしあがれと付け加えてくるみは私の正面に座り、私が口にするのを楽しげに待っている。添えられた箸を手に取り「いただきます」と言って、麺を二、三本口へ運んだ。
「美味しい」
私の言葉にくるみはニッと歯を見せて笑い、箸を取って小さく「いただきます」と呟く。むかつく。この、屈託ない無邪気な雰囲気とか、取り入るのがうまい感じとか、ちょっと料理がうまいところとか。
「ねえ、あーちゃんの今日の予定は?」
「普通に、授業です」
「ああ、いっくんと同じ大学だっけ?」
「はい」
「いいなあ、大学生」
「どうしてですか」
「ん? 普通に、私も大学行ってみたかったなあって思って」
「考えなかったんですか?」
「んー、私勉強とか全然できなかったし、勉強したいこともなかったからさあ。それにお金がかかるでしょ? だったら、就職したほうがいいかなあって思ってさあ。高校卒業してすぐ事務の仕事に就いたんだ。まあ、結局辞めちゃったんだけど」
「じゃあ今はなにしてるの?」
「雑貨屋さんでバイトしてる。でもそれも週二回とかだから、うん、ほんと、なんにもしてないようなもんだよ」
「彼氏に振られて住むところがないから、だ樹の家に?」
「そ」
「ほんとにそれだけ?」
「ほんとにそれだけだよお」
くるみは皿の中の麺を箸でつついている。その態度に、私は、くるみが嘘を吐いてるのではないか、樹への恋愛感情を捨てきれないのではないかと不安になる。そんな心配をよそに、くるみは上目遣いをしてニヤッと笑う。
「だからさ、今日、あーちゃんが帰ってくるの、待っててもいい?」
突拍子もない発言に、ちょっと咽せた。
「わっ、大丈夫? 鼻から麺出さないでね?」
やかましいわ、と心の中でツッコミを入れつつ、差し出されたティッシュを大人しく受けとる。
「なんで」
「え?」
「なんであなたに、ここで、待たれなきゃいけないの?」
「だから、行くところないんだってば」
「だから、おかしいでしょ。なんで私が」
樹の元カノを、と言いかけてやめた。それを意識しているのは、なんだか恥ずかしいことのように思えた。
くるみは食い下がり、おねがい、と私を見つめる。上目遣いからハートマークが飛んできそうなほどだ。
樹と付き合っている以上、絶対に縁があってはいけないはずの人だ。だめ、だめ、だめ。そう思いつつ、だめと言えない自分がいる。だめと言ってしまったら、この人はどうするだろう。大人しく引き下がるとも思えないけど、そうなったとしたら、頼る人のいないくるみはおそらくーー。
勝手な妄想を振り払うように、私は首を大きく横に振る。
「え、なに? どうしたの?」とくるみが不思議そうに訊く。
餌付けされたなんて思いたくはないし、実際そんなことはないし、でも「樹のところに行かれたくないから」なんてとてもじゃないけど言えない。そうなると、くるみに帰りを待たれてもいいと思う理由は、他に見当たらなかった。
「じゃあ、なんか作っておいて。なんでもいいから、美味しいやつ」
私の言葉にくるみはぱあっと目を見開き、心底嬉しいといった様子で「了解!」と言い、皿に残った麺に手をつけた。



