「おかしいよ、それ」
 センシティブなことなのに、莉子は慰めるどころか遠慮のかけらもなく、ばっさりと引き金をひく。
「だよね」と私は笑う。笑う必要なんてないのに、無理に笑顔を作ってしまう。
「アパートの前で会った時点で『消えろ、くそ女』案件でしょ。それなのに、家に泊めてる? はあ? 意味わかんない」
「ほんとだよね」
「だいたい、彼氏も彼氏だよ。普通彼女がこんな目に遭ってたらさ、元カノにバシッと言ってやるべきでしょ。そもそも元カノが近くをうろうろしてること自体が異常なんだから」
 莉子はフンッと鼻を鳴らすと、運ばれてきてからずいぶんと放置していたアイスコーヒーをごくりと流し込む。
「ねえ、別れなよ」
 やっぱりそうなるか、と心の中で呟く。
 莉子はまっすぐ素直で、良くも悪くも正直だ。私のことを第一に考えてくれていることが、痛いほど伝わってくる。そんな男には天音はもったいない、天音にはもっといい人がいる――莉子の口からあふれ出る私への同情や励ましを、私はちゃんと理解することができる。でも――。
「それは、できない、かな」
「え?」
「別れたくない」
「はあ? なんで? 彼氏は元カノを家に泊めるような最低な――」
「わかってるけどっ」
 抑えたつもりだったけれど、耳に届いた声は思っていたより尖っていた。隣の席でパフェをつついている若い二人組が、ちらりとこちらを見た。気持ちがしゅっと萎んで、ほんの少し冷静になる。
「……莉子の言うことは正しい。わかってる。私も自分で自分のこと、ほんと馬鹿だなって思うよ。でもさ、莉子は知らないじゃん。私が樹のことどれだけ好きか」
「……わかるよ。そりゃあ、一年つきあってるんだもん。情だって簡単にはなくならないと思う。でもさ」
「三年なんだって」
「え?」
「高校三年間付き合ったんだって。樹と元カノ。樹、元カノに『いっくん』て呼ばれてるんだよ、昔も今も。私、知らなかった。私が知らないだけで、樹には三年分の思い出があって、私がはじめてしたこと、幸せだなって思ったこと、樹はぜんぶ元カノと経験してて、それを忘れられなくて――なんて考えたら、モヤモヤして、苦しくて、泣きたくなる。私だって、樹が元カノにしたことはただの善意だとは思えないし、私への裏切りだし、莉子の言う通り最低だって思うよ。でもさ――」
 莉子は悲しそうな顔をして、まっすぐに私の目を見つめている。
 親友に同情され、「別れなよ」と言われれば、意外とあっさり受け入れられるのかなと思っていた。でもやっぱりそうではなかった。最初からわかっていたことだ。莉子に話す意味なんてなかった。「やっぱり別れられない」なんて、ただ莉子に自分の醜さを証明しただけだ。莉子にしてみれば、別れる気もないのに彼氏の愚痴を垂れ流すかまってちゃんだ。それのことに気づいているのに、好きをやめられない。綺麗なだけが恋じゃない。好きでいるのやめるって、想像以上に難しい。たとえそれが、どうしようもない相手だったとしても。

「好きなの」

 莉子は、この日初めて私から目をそらした。鼻をすすり、涙を隠すように私も顔をそらす。
「樹は今、私のこと大切にしようとしてくれてる。だからそのうちなれるんじゃないかな。くるみ(あの子)に出会う前の私たちに。そんで、樹のことも許せて、笑って茶化したりできるんじゃないかな」
 莉子はわずかに顔をしかめる。「そんなわけない」という声が聞こえてきそうだ。
「ごめん……四限始まるから、もう行くね。また連絡する」
 莉子が消え入りそうな声で言う。去り際、莉子の小さなため息が聞こえた気がした。席を立つ莉子を見送ることも言葉をかけることもできず、私はただ強い日差しが照り渡るおもてを眺めていた。