頭の傷は、そこまで酷くなく次の日には退院することができた。
「すぐに退院できて良かったね。」
「本当に、大した怪我じゃなくて良かったよ」
迎えに来てくれた母と、他愛のない話をしながら車へ向かう。
こんな日がくるなんて、母が大嫌いだった。今も、完全にその気持ちがない訳では無い。でも、寄り添い合わないと、分からる事も分からないと思うから。
知っていきたい。
「柊くん、私のママが車乗ってて。送ってくって。」
『いや、大丈夫』
「ここからじゃ、少し遠いよ。」
『電車で帰る』
「大きなお世話かもしれないけど、私は一緒に帰りたいよ。」
「翠、彼を困らせるんじゃないの。」
確かに、困らせるのはダメだよね。諦めようとした時、彼のノートが視界にはいる。
『分かった。』
私に見せ終えるとページをめくり、母にも見せ始める。
『すいのお母さん、お願いします。』
そう書いてあった。
彼を家まで送り届け様とするが、ここまでで言いと言われ、その途中で彼のことを降ろし、母の買い物に付き合った。母と一緒に買い物するなんて、本当に何年ぶりってくらい。
「今日の晩御飯何がいい?」
「久しぶりにカレーが食べたい」
「分かった、じゃあ今夜はカレーね」
会話がぎこちなく感じる。親子の期間が短い訳でも無いが、一緒の家にいても、いなくてもお互い、存在してない様なものだったから。
普通の親子なら、他愛もない事で笑いあって、不満があれば喧嘩するのが、当たり前なのかもしれない。
私は、それ全てから逃げてきた。仕方がないという言葉の諦めを沢山利用した。
私から、もっと向き合っていれば、変なすれ違いも起こさなかったのかも。
それも、今となっては不問だ。
買い物を終え、帰宅すると、父がリビングの椅子に腰をかけていた。
いつもは、自室にこもりっぱなしの父なのに、珍しい。
「ただいま」
言っても、いつも通り返事はないだろう。
「おかえり、その頭の傷はまだ痛むのか?」
驚きのあまり、父の方へ思いっきり振り返る。父は、私の方を見ていた。
「あっ、うん。傷は少し痛むくらいで、大分いいみたい」
「そうか、なら良かった。本当に」
そういうと、また持っていた本へ目を移す。
「私、荷物置きに、部屋行くね」
「うん、分かった。私は、これからご飯作るから、何かあったら、キッチンに来て」
「うん、分かった」
両親に話しかけられた。その現実が、嘘に思えて仕方ない。
パラレルワールドに来てしまったのか。
私の部屋に飾ってあった、一枚の写真を手に取る。
それは、唯一家族旅行で撮った思い出の一枚。この頃は、皆楽しそうで、よく会話もしていた。
両親の、喧嘩の頻度は元々多い方で、よく私も被害にはあっていた。それでも、直ぐに仲直りする両親を見て、安心していたの。
一番、大きい喧嘩をしたのは、私が小学二年生の頃。
その日は、天気が良くて皆で遊びに行く予定だった。私は、行く支度をしながら、ワクワクしていた。でも、それは、両親の怒鳴り声で、一瞬にして消えた。
「お前は、いつも何で俺にそんなに、突っかかってくるんだ!お前のそういう所が、めんどくさいんだよ!」
「面倒臭いって何よ!あんたの方がよっぽどだわ!」
私は、部屋に身を隠し、ただ、二人の喧嘩が終わるのを待った。だが、喧嘩は終わることなく、ヒートアップして行くだけ。終わりそうもない事は、誰が見てもハッキリしていた。
当日、小学一年生の弟は、そんな二人を見て、よく泣いてた。
毎回それを見て、私は不甲斐なさを感じていた。
「まま、ぱぱ、喧嘩やめて」
目にいっぱいの涙をためながら、両親に懇願するも、邪魔だと言われてしまう。
どうしたらいいか分からなくなった私は、ただただ、弟とその光景を見てるしかなかった。
「陽介、大丈夫だよ、お姉ちゃんがついてる」
「うん。」
「私が止めに行くから、陽介は自分の部屋にいて」
コクッと頷き、小さな体で走り出す弟を見送り、母たちのいる部屋へと向かう。
「まま、ぱぱ!やめてよ!喧嘩しないでよ!陽介が怖がってる!」
「うるさい!黙りなさい」
「で、でも、今日、遊び、行くんじゃ、なかっらたの?」
「この状況を見て、そう思うんなら、翠の頭おかしいぞ。我慢できないのか!」
父の大きい声に、耳がキーンとなる。
気づいた時には、泣きながら、靴も履かずに家を飛び出していた。
「うわああ〜ん!怖いよ、ぱぱなんて嫌い」
公園で、大泣きしながら両親の悪口を叫ぶことしか出来なかった。
「ねえ、何で泣いてるの?」
この時、話を聞いてくれたのがその男の子だった。
私が泣き止むまで、何処にも行かず、隣に居てくれた。
柊くんによく似てる。優しいのに、ちょっと不器用で、慰め方が少し独特。
虫を手のひらに乗せて泣き止ませる人なんて、居ないもん。
ふと、持っていた写真たての蓋を開ける。
中に小さく折られた、紙がでてきた。
そこには、ヨレヨレの字で、こう綴られていた。
「ぼく、おひっこししちゃうの。みじかいあいだだったけど、あそんでくれてありがとう。もっと、いっしょにいたかった。もし、またあえたら、すいちゃんのおはなしきかせて。
なるせひいらぎより」
私、彼から受け取った手紙、ずっとここに隠してたんだ。
あの頃、言われた約束を守る為に。それに、名前お互いに知らないと思ってたのに、曖昧な記憶にはなかった、引き出しがどんどん開かれていく。
「すいちゃん、これあげる」
「なにこれ、紙?」
折られた紙を開こうとすると、私のその手を止め首を横に振る。
「これは、僕が忘れない為のお守りでもあるから、今は開けちゃダメ」
「じゃあ、いつならいいの?」
「もう少し、大人になってから」
「分かった!」
「じゃあ、指切りげんまんしよ」
二人の小指を絡ませ、歌う。
《指切りげんまん嘘ついたらハリセンボンのーます、指切った!》
「約束ね」
「うん、もう少し大人になったら開ける」
それから、月日はどんどん流れて行き、成長するに連れて、男の子の事も、手紙の存在も忘れていった。
でも、あの男の子は、やっぱり彼だったんだ。
気のせいではなかった。私は、慌てて階段を降りた。
「ママ、パパちょっと行ってくる!直ぐに戻るから!」
でも、家が分からない。とりあえず、彼を降ろした場所まで行くことにした。
どれが、彼の家か分からず途方に暮れていると、後ろから肩をポンポンとされ振り向くと、柊くんが立っていた。
「柊くん!また会えた!」
少し引き気味になる柊くんを見て、詰めてた距離を開けた。

そして、ここと指をさしたのは、大分年季の入ったアパートだった。
彼の部屋に着くと、部屋の中は少し散らかっていて、机の上には食べたカップラーメンがそのままになっていた。
「ねえ、柊くん掃除しよっか」
嫌がる彼を、無理やり参加させて、二人で掃除を始めた。
「ふぅ〜、やっと綺麗になったね!」
ピカピカになった部屋を見て満足する私の隣で、疲れてゲッソリしていた。
「プッ!柊くん、顔変!」
大笑いする私とは反対に、もう笑えないと言わんばかりに横になってしまった。
「ねえ、私聞きたいことがあってきたの」
さっきの紙を机の上に出し、横になっていた彼もゆっくり起き上がる。
「これ、柊くんが私にくれたの。引っ越す前にって」
そう切り出しても、彼は無表情のまま、何も答えない。
「教えて欲しいの。あなたに何が起きたのか、私が出会った頃は声が出てて、普通に会話もしてた。噂と関連してるの?」
質問しても、ピクリともしない。
「聞かれたくないよね。ごめん、帰るね」
立ち上がろうと、机に手をかける。すると、彼は自分の首の布をズラし、私に見せる。
首には大きな傷があり、あまりの衝撃に言葉が出てこなくなる。
『びっくりしたでしょ?』
気持ちを見透かすように書かれた文字。
『怖がらせたくなくて、ずっと黙ってようって』
『だから、退学して逃げた。』
『でも、フェアじゃないよね。』
『君は、全てを聞かせてくれてるのに、』
『俺だけ言わないのは、なんか違う。』
『話が、少し複雑になるから、』
『ちょっと待っててくれる?』
頷く。少し待っていると、パソコンを持って戻ってきた。
「パソコン?」
パソコンを開くと、メモ機能を開く。
『お待たせ』
「ううん、大丈夫だけど。今まで書かずに、携帯で会話すれば良かったね」
『いや、普段の会話はスクリーン通してじゃなくて原始的で良い』
「どうして?」
『声で話せてるって気がして好きだから』
画面に映し出された言葉が、また私の言葉を奪う。
『翠、俺の過去のこと全て話すよ』
覚悟していても怖い。これまで、彼が見てきて感じた全てを聞くのが。
『翠が、まずさっき言ってた通り、小学二年生の頃に俺たちは会ってる。引っ越しをしたのも嘘じゃない。』
キーボードを打っていた指が止まる。
『これを言って、翠を苦しませないかが不安なんだ。』
「私なら、大丈夫。柊くんの全て、聞いて受け入れる覚悟で今日来てるから。」
それを聞き、安心したように微笑む。
『引っ越しの日、俺は翠に会うのが怖かった。会えば、離れたくなると思ったから。父親が運転する車に乗って、この町を出た。生憎、引っ越し先に向かってる道中で、凄い雨に降られて、タイヤがスリップして、反対から来てたトラックに思いっきりぶつかった。
父親は、即死。俺は、重症だったけど一命はとりとめて、母親は病院に搬送される前に亡くなった。これが、翠と離れてからの直ぐの出来事だよ』
読み終え、涙が止まらなくなった。
「違うの、ごめん、ごめんね。私が泣くのは違うよね。分かってる、分かってるけど」
『俺の母親が、死ぬ前に言ったんだ。男なら泣くなって、だから、俺それをまもt』
途中で止まった手は、彼の顔を覆っていた。声を失った彼は泣くときも静かだ。
だから、私はあの頃の少年だった彼がくれた言葉を伝える。
「涙が出るってことは、助けてが言える素直な子。あなたが教えてくれたんだよ」
そして、彼のことを強く抱きしめる。
「もし、柊くんが叫びたいくらい苦しくなったら、私が叫ぶ。苦しくって笑えなくなったら、私が隣で楽しいことを探す。泣きたい時は、一人で泣かないで。」
あなたがそうしてくれたように、私に沢山の幸せをくれた様に、今度は与えてあげたい。
「沢山貰ってきたの。ずっと、あなたに助けられてばっかりで。」
パソコンの画面を閉じ、ノートに文字を綴る。
『声出ないんだよ』
「話せてるじゃん、ちゃんと、柊くんの声は、間違いなく私に届いてるよ」
彼の目をしっかり見る。逸らすことなくしっかりと。
「柊くん、私はあなたの声を忘れない。絶対に忘れない。だから、あなたの声を私にください。」
絶対に、あなたの声を聞き逃さない。私が、必ず拾う。
『すい、ありがとう』
ノートの文字が彼の、涙で滲む。
「こちらこそ」

少し落ち着いたところで、彼とお散歩がてら家を出て、昔遊んだ公園のベンチに座った。
「柊って、どういう名前の由来?」
『誰かを守れる人になれって意味で付けたって言われた』
「かっこいい意味だね。まさに柊くんにぴったしな名前!」
『すいは?』
「私は、誰かの拠り所になれる人になりなさいって意味で付けられたらしい」
『すいにもぴったしな名前』
「でも、初めは自分の名前大嫌いだったの。水仙のすいを取ってつけてくれたみたいなんだけど、プレゼントには向かない花らしくて、自分に似てるなって」
『俺は好きだよ。すいみたいに可愛いし』
顔が一気に熱くなる。
「冗談はやめてよ!」
『冗談は嫌い。だから、言わない。』
真面目な顔に、信じるしかなくなる。
『あと、病院の時の』
『告白、聞こえてた』
「えっ!?」
恥ずかしすぎて、顔を手で覆う。でも、その手をいとも簡単に引き離し、ノートを見せてくる。
『答えたい』
ページをめくり、文字を書く。
『すい、俺も好きだよ。ずっと初めから』
彼の答えに、もう出ないと思っていた涙がまた出てくる。
『付き合ってもらえますか?』
「はい、よろしくお願いします」
辛いから逃げたくなる。これからも、そんな事ばかりだろう。
純粋な笑顔で遊ぶ私たちの記憶は、この公園にそっと置いていき、二人で新しい道に進んでいく。