「翠~!帰ろ~!」
「今、行くね!」
愛花ちゃんとは、本当の意味で親友になれてから、前よりも仲が深まった。
「はあ~!来週から期末テストだね。翠は勉強してる?」
「ぼちぼちかな~」
「翠は、頭良いから勉強しなくても行けそうだけど、私なんて、毎回赤点ギリだもん」
「愛花ちゃんは、ギリギリにならないと勉強しないからでしょ」
「しなきゃいけないとは分かりつつ、出来ないのが私の悩みです」
「分からなくはないけどね~」
思い出したかのように、急に目を大きく見開く。
「そう言えば!うちのクラスの女子が言ってたんだけどね、翠が気になってる彼見たって言ってた!」
「ッ!?」
驚きのあまり、声が出なくなる。
「本当に?成瀬くんって言ってたの?」
「うん、彼ぽかったって言ってた」
「何処で見かけたって言ってたの?」
あれから私は、正直に気になってることを打ち明け、愛花ちゃんにも探すのを手伝ってもらっている。
もちろん、両親には秘密にしている。
「場所まで、言ってなかったの。ごめん」
「むしろ、私こそごめん。変なことに巻き込んで」
「全然!翠の恋愛話とか聞くの、超新鮮だったから嬉しかったし、気にしないで!あっ、後さ、話すの大分遅くなったんだけど、前電車で助けられた話してくれたじゃん」
「うん」
「その時に、遊んでそうとか、じゃなさそうと言ってたじゃん。あれね、去年同じクラスだった子たちに聞いてみたの。彼、いじめが原因でほとんど学校に来てなかったみたいで、その辺は分からないって」
愛花ちゃんの話に、安堵する。
あれから、愛花ちゃんと別れた私は、一人で図書館に来ていた。
自分が座る席を決め、教科書とノートを取り出す。家で、勉強してもはかどらないから、テスト前になると、図書館に来る。
勉強に夢中になってるせいで、時間を気にするのを忘れていた。鞄からスマホを取り出す。
そろそろ帰らなくちゃ。机に広げていた用具類を全て鞄に詰め、椅子から立った。
明日は土曜日というのもあって、居酒屋の前を通ると大人の人たちで賑わっていた。
中々の騒がしさに、人酔いしそうだ。
「おっ!高校生じゃん」
知らない男性に話かけられ、無視をする。
「ねえ、無視しないでよ」
しつこく来る男性から逃げる為に、少し速足で歩く。
「待ってよ~!一緒に飲もうよ」
こういう人と一度でも口を聞けば、中々離してくれないのは目に見えて分かる。
「待てよ」
腕を掴まれ、咄嗟に振りほどこうとした手が、男性の頬に当たってしまった。
「すみません」
「おい、人が下に出てればつけあがりやがって。」
後方から、仲間の様な人たちまで来てしまい、囲まれた。
「この女子よ、俺の顔殴りやがってよ」
「当たっただけです」
私が訂正すると、鬼の形相になる男性。でも、少しでも弱さを見せれば、この人たちは調子に乗ってしまうかもしれない。
「どいてください。私は、ただ歩いてただけです。絡んできたのはそちらからです」
「うるせえぞ!このクソガキ」
油に水を注ぐ結果になり、拳を強く握り私に振りかざす。瞬時に目を強く瞑り、頭に強い衝撃が走った。
私、今殴られたんだ。朦朧とする意識の中、男性たちの「逃げるぞ」という声を最後に意識を手放す。
ここは何処、私どうなっちゃたの?
「いった」
頭には、鈍い痛みが残っていて、さっきの状況が蘇る。痛さで、上手く体が動かずにいると、誰かが扉を開けた。
音のした方に、顔を向けると、涙を流す彼がいた。
「柊くん?そんな訳ないよね。私、頭殴られたせいで幻覚見てるのかも。だって、君がここにいる訳がないもん」
そう自分に言い聞かせるのに、一歩ずつ、ゆっくり歩み寄ってくる彼の足音が、ここにいる事を教えてくれる。
「ど、うし、て」
涙が、私の視界を邪魔してきて、彼の顔よく見えない。
彼はそっと私の頬に触れる。その、温かさが本物で、余計に涙が溢れた。
「ひ、い、らぎ、く、ん」
活舌が上手く回らず、ただ何度も彼の存在を確かめたくて、名前を呼ぶ。
あれから、少し落ち着きを取り戻した私に、病院だと教えてくれた。
「さっきも、聞いたけど、どうしてここに居るの?」
彼は、自分の鞄に入っていたペンとノートを取り出した。
『人がたくさん集まってて、その人たちどかしたら、すいがたおれてて、死んだらどうしようって』
さっきの光景を思い出し、泣きそうになる彼の手を握ると、彼は私の手を自分の頬まで持っていく。その行動に、ドキドキしながらも冷静なフリをした。
「大丈夫だよ、私生きてるから」
笑顔で答える。
「柊くんと会えたの、すごっく嬉しいのに、こんな形での再会って、運悪いな~」
『おれも、会いたかった』
「本当に?柊くんから居なくなったくせに~」
少し、意地悪ぽく言ってみた。すると、彼の口角が微かに上がった。
「柊くん、理由はまた今度教えてね。会う口実作っとかないと、あなた何処かに行っちゃいそうだから」
私の手をゆっくり離し、ノートに何かを書き始める。
『もう、いなくならない。翠の隣にいる』
「何か、告白みたいな台詞だね」
私に向けてるノートのページを、自分で読み直し、顔が真っ赤になる。
「柊くんて意外と照れ屋さんだよね。」
図書室で見せてくれた表情と同じで、思わず笑ってしまう。
「今回は、手で顔覆わないの?私は、見れて嬉しいけど」
私の言葉に動揺し、余計に顔が赤くなる彼を見て、余計にからかいたくなる。
「翠!」
突然の訪問者に驚き、病室内が静まり返る。
「病院から電話がかかって来た時、心臓が止まるかと思ったのよ」
「心配かけてごめんなさい」
母の目は赤く充血していて、さっきまで泣いていたことを知る。
「あなたも、来てくれていたのね。」
彼をまた、傷つけるのではないかと不安になったが、その逆だった。
「ありがとう。本当にありがとう。先生から、男の子がずっと翠の傍にいるって聞いて、あなたかなって思ったの。沢山、傷つける事を言ってごめんなさい。翠と一緒にいてくれて、ありがとう」
深く頭を下げる母の姿を見て、初めて親らしいと思うことが出来た。
「柊くん、ありがとう。」
その後、父と弟も合流し、着替えなどを届けてくれた。
「翠、私たち本当に家に帰るけど大丈夫?」
「うん、今日は疲れてるのにありがとう。」
「そんなの当たり前でしょ、親なんだから。」
改めて言われると、なんだかむず痒く感じた。でも、不思議とそれが嫌ではなかった。
「じゃあ、成瀬くん翠のことよろしくお願いします。」
柊くんは、母に頭を下げた。
「姉ちゃん、良い男だな」
弟が耳打ちで、からかいの言葉をかけてきたので、「うるさい」と一言添えた。
父は、私の顔も彼の事も、最後まで見ることは無く、病室から出て行ってしまった。
皆がいなくなった病室は、再び静かに戻った。
「柊くん、調子のいい親でごめんね」
首を横に振る彼を見て、「家に帰ってもいいんだよ」と伝える。
『やだ』
ノート一ページに大きく書かれた二文字を見て、笑ってしまう。
「そこまで言われちゃ、断るのも失礼だよね。一緒にいて下さい」
「ねえ、退学してから何してたの?」
『特には』
「そうなの?じゃあ、ゴロゴロとか?」
『まあ、そんな感じ』
「そんな感じって、どんな感じなの?」
会えなかった穴を埋める様に、私は彼にひたすら話しかけた。
「私ね、退学したって聞いた日、あなたを探しに行ったんだよ。何処に行けばいいのかも分からない。柊くんの家も知らないのに、体が勝手に動いてた。逃げた日に行った場所にも行ってさ、何時間もずっと待ってたの」
話してる間、彼は下を向き私の方に目を向けなかった。
「気づいたら、空が茜色に染まってて諦めて帰ったの。その後も、探そうか悩んだけど、連れ戻したいのは私の意思であって、柊くんが戻りたくないと思っていたらって考えて、探すのを諦めたの。諦めれると思っていたの。」
鼻の奥にツーンとした痛みが走る。
「でも、出来なかったの。迷惑だよね。」
こんな事、今更言われても困るよね。
「今の話全て忘れてくれてもいいから」
ノートを見せられる。
『迷惑じゃない』
不思議だな。彼がくれる言葉は信じられる。
いつの間にか、眠ってしまっていたみたい。足が重くて、そちらに目を向けると、彼が寝ていた。
やっぱり、柊くんて寝るの好きだよね。彼の寝顔を、もう一度見れる日が来るなんて、思ってもなかったな。
ゴソゴソ動く彼の姿が、あまりにも普段の彼から想像できなくて笑ってしまう。今なら、言えるかもしれない。
彼の耳に口を近付ける。そして、私の本音を伝えた。
「柊くんの事が好きです。」
顔を離し、布団の中へ潜り込み、火照る顔を冷まそうとするが、全然冷めない。
言っちゃった。言ってしまった。寝てるとはいえ、恥ずかしいくなる。
その30分後くらいに、彼が目を覚ます。
「おはよ、柊くん」
大きいあくびを一度し、ニコッと笑いかけられた。
「もしかして、寝ぼけてる?それに、前髪の寝癖やばいよ!芸術作品になってるよ!」
そう言えば、逃げ出したあの日、起こすのも大変だったけど、起きた後の彼の寝ぼけ方が異常だったことを思い出す。
あの時も、苦労した。
すると、二度目の眠りにつこうとしてるのか、寝ぼけたまま椅子から立ち上がり、私が横になってるベットへ入ってくる。
「ちょ、ちょっと、柊くん!起きて!ここ私がいるよ」
私の横で、完全に二度寝をかましたので、起こすことを断念した。
隣で、眠っている好きな人を見てると、この現実に違和感しか持てない。
無邪気な顔のまま、無防備な姿で眠る彼を見ながら、進級初日の出来事を思い出していた。
ぶつかった時、一番最初に目に入ったのは、光のない瞳だった。それを、見た私は、怖くなって、その場から逃げたっけ。
苦手で、距離を置いたりしてたのに、そんな事にも気に留めず、助けてくれたり、許してくれたり。
そんな、彼の優しさに触れれば触れるほど、幸せな気持ちになれた。
両親や、愛花ちゃんにも本音で話せる様になったのは、なんの考えもなしに、私の手を引いてくれた君がいたから。
柊くんと出会えたから、変わる覚悟が持てたんだよ。
そんな事を思っていると、彼の首に目がいく。進級した時から、ずっと気になっていた。
頑なに、何かを隠すようにタートルネックで覆われている。聞くのも野暮だと思い、その話題は避けてきた。
それでも、いつかは、ちゃんと彼の過去を知りたい。その覚悟が私に出来るまで、もう少し待っててね。
ようやく、二度寝から彼が目を覚ました。
「おはよ、起きた?」
真隣にいる私に驚き、ベットから降りようとするが、焦りすぎて、思いっきり落ちてしまう。
「大丈夫!?そこまで、焦ることなかったのに」
私もベットから降り、転んでる彼をおこす。
「それにしても、よく寝るよね。」
進級した当日も、彼の勇気ある行動に驚かされたっけ。クラスの皆、視線は柊くんに向いていたのに、当の本人は、それに全く気づくことなく、寝ていた。
その事を思い出し、一人で笑っていると、変な人を見る目で、私の顔を覗き込んでくる。
「フフッ。違うの、変な事を考えてる訳じゃないの。柊くんの事を考えて笑ってたの!」
さっきより一層険しい表情になる。
「覚えてないかもしれないけど、進級した日、私の行動のせいで、柊くんに注目がいっちゃったのに、思いっきり寝たの。それが、今思い返すと面白くて、それで笑ってたんだよ」
そんな事あったかなと、考え始めるが本人は、その部分だけ記憶から抜けてるのかもと言い、笑っていた。
昨日まで、会えた喜びで泣いていたのに、今日は笑いあえているなんて、呑気過ぎるのかもしれない。
今、この一瞬、一瞬を大切にしていきたい。そして、いつの日か、彼との思い出を脳内スクリーンに映し出して、これも自分の一部だと思う日がくるだろう。
それが、もし悲しい結末であっても。
「今、行くね!」
愛花ちゃんとは、本当の意味で親友になれてから、前よりも仲が深まった。
「はあ~!来週から期末テストだね。翠は勉強してる?」
「ぼちぼちかな~」
「翠は、頭良いから勉強しなくても行けそうだけど、私なんて、毎回赤点ギリだもん」
「愛花ちゃんは、ギリギリにならないと勉強しないからでしょ」
「しなきゃいけないとは分かりつつ、出来ないのが私の悩みです」
「分からなくはないけどね~」
思い出したかのように、急に目を大きく見開く。
「そう言えば!うちのクラスの女子が言ってたんだけどね、翠が気になってる彼見たって言ってた!」
「ッ!?」
驚きのあまり、声が出なくなる。
「本当に?成瀬くんって言ってたの?」
「うん、彼ぽかったって言ってた」
「何処で見かけたって言ってたの?」
あれから私は、正直に気になってることを打ち明け、愛花ちゃんにも探すのを手伝ってもらっている。
もちろん、両親には秘密にしている。
「場所まで、言ってなかったの。ごめん」
「むしろ、私こそごめん。変なことに巻き込んで」
「全然!翠の恋愛話とか聞くの、超新鮮だったから嬉しかったし、気にしないで!あっ、後さ、話すの大分遅くなったんだけど、前電車で助けられた話してくれたじゃん」
「うん」
「その時に、遊んでそうとか、じゃなさそうと言ってたじゃん。あれね、去年同じクラスだった子たちに聞いてみたの。彼、いじめが原因でほとんど学校に来てなかったみたいで、その辺は分からないって」
愛花ちゃんの話に、安堵する。
あれから、愛花ちゃんと別れた私は、一人で図書館に来ていた。
自分が座る席を決め、教科書とノートを取り出す。家で、勉強してもはかどらないから、テスト前になると、図書館に来る。
勉強に夢中になってるせいで、時間を気にするのを忘れていた。鞄からスマホを取り出す。
そろそろ帰らなくちゃ。机に広げていた用具類を全て鞄に詰め、椅子から立った。
明日は土曜日というのもあって、居酒屋の前を通ると大人の人たちで賑わっていた。
中々の騒がしさに、人酔いしそうだ。
「おっ!高校生じゃん」
知らない男性に話かけられ、無視をする。
「ねえ、無視しないでよ」
しつこく来る男性から逃げる為に、少し速足で歩く。
「待ってよ~!一緒に飲もうよ」
こういう人と一度でも口を聞けば、中々離してくれないのは目に見えて分かる。
「待てよ」
腕を掴まれ、咄嗟に振りほどこうとした手が、男性の頬に当たってしまった。
「すみません」
「おい、人が下に出てればつけあがりやがって。」
後方から、仲間の様な人たちまで来てしまい、囲まれた。
「この女子よ、俺の顔殴りやがってよ」
「当たっただけです」
私が訂正すると、鬼の形相になる男性。でも、少しでも弱さを見せれば、この人たちは調子に乗ってしまうかもしれない。
「どいてください。私は、ただ歩いてただけです。絡んできたのはそちらからです」
「うるせえぞ!このクソガキ」
油に水を注ぐ結果になり、拳を強く握り私に振りかざす。瞬時に目を強く瞑り、頭に強い衝撃が走った。
私、今殴られたんだ。朦朧とする意識の中、男性たちの「逃げるぞ」という声を最後に意識を手放す。
ここは何処、私どうなっちゃたの?
「いった」
頭には、鈍い痛みが残っていて、さっきの状況が蘇る。痛さで、上手く体が動かずにいると、誰かが扉を開けた。
音のした方に、顔を向けると、涙を流す彼がいた。
「柊くん?そんな訳ないよね。私、頭殴られたせいで幻覚見てるのかも。だって、君がここにいる訳がないもん」
そう自分に言い聞かせるのに、一歩ずつ、ゆっくり歩み寄ってくる彼の足音が、ここにいる事を教えてくれる。
「ど、うし、て」
涙が、私の視界を邪魔してきて、彼の顔よく見えない。
彼はそっと私の頬に触れる。その、温かさが本物で、余計に涙が溢れた。
「ひ、い、らぎ、く、ん」
活舌が上手く回らず、ただ何度も彼の存在を確かめたくて、名前を呼ぶ。
あれから、少し落ち着きを取り戻した私に、病院だと教えてくれた。
「さっきも、聞いたけど、どうしてここに居るの?」
彼は、自分の鞄に入っていたペンとノートを取り出した。
『人がたくさん集まってて、その人たちどかしたら、すいがたおれてて、死んだらどうしようって』
さっきの光景を思い出し、泣きそうになる彼の手を握ると、彼は私の手を自分の頬まで持っていく。その行動に、ドキドキしながらも冷静なフリをした。
「大丈夫だよ、私生きてるから」
笑顔で答える。
「柊くんと会えたの、すごっく嬉しいのに、こんな形での再会って、運悪いな~」
『おれも、会いたかった』
「本当に?柊くんから居なくなったくせに~」
少し、意地悪ぽく言ってみた。すると、彼の口角が微かに上がった。
「柊くん、理由はまた今度教えてね。会う口実作っとかないと、あなた何処かに行っちゃいそうだから」
私の手をゆっくり離し、ノートに何かを書き始める。
『もう、いなくならない。翠の隣にいる』
「何か、告白みたいな台詞だね」
私に向けてるノートのページを、自分で読み直し、顔が真っ赤になる。
「柊くんて意外と照れ屋さんだよね。」
図書室で見せてくれた表情と同じで、思わず笑ってしまう。
「今回は、手で顔覆わないの?私は、見れて嬉しいけど」
私の言葉に動揺し、余計に顔が赤くなる彼を見て、余計にからかいたくなる。
「翠!」
突然の訪問者に驚き、病室内が静まり返る。
「病院から電話がかかって来た時、心臓が止まるかと思ったのよ」
「心配かけてごめんなさい」
母の目は赤く充血していて、さっきまで泣いていたことを知る。
「あなたも、来てくれていたのね。」
彼をまた、傷つけるのではないかと不安になったが、その逆だった。
「ありがとう。本当にありがとう。先生から、男の子がずっと翠の傍にいるって聞いて、あなたかなって思ったの。沢山、傷つける事を言ってごめんなさい。翠と一緒にいてくれて、ありがとう」
深く頭を下げる母の姿を見て、初めて親らしいと思うことが出来た。
「柊くん、ありがとう。」
その後、父と弟も合流し、着替えなどを届けてくれた。
「翠、私たち本当に家に帰るけど大丈夫?」
「うん、今日は疲れてるのにありがとう。」
「そんなの当たり前でしょ、親なんだから。」
改めて言われると、なんだかむず痒く感じた。でも、不思議とそれが嫌ではなかった。
「じゃあ、成瀬くん翠のことよろしくお願いします。」
柊くんは、母に頭を下げた。
「姉ちゃん、良い男だな」
弟が耳打ちで、からかいの言葉をかけてきたので、「うるさい」と一言添えた。
父は、私の顔も彼の事も、最後まで見ることは無く、病室から出て行ってしまった。
皆がいなくなった病室は、再び静かに戻った。
「柊くん、調子のいい親でごめんね」
首を横に振る彼を見て、「家に帰ってもいいんだよ」と伝える。
『やだ』
ノート一ページに大きく書かれた二文字を見て、笑ってしまう。
「そこまで言われちゃ、断るのも失礼だよね。一緒にいて下さい」
「ねえ、退学してから何してたの?」
『特には』
「そうなの?じゃあ、ゴロゴロとか?」
『まあ、そんな感じ』
「そんな感じって、どんな感じなの?」
会えなかった穴を埋める様に、私は彼にひたすら話しかけた。
「私ね、退学したって聞いた日、あなたを探しに行ったんだよ。何処に行けばいいのかも分からない。柊くんの家も知らないのに、体が勝手に動いてた。逃げた日に行った場所にも行ってさ、何時間もずっと待ってたの」
話してる間、彼は下を向き私の方に目を向けなかった。
「気づいたら、空が茜色に染まってて諦めて帰ったの。その後も、探そうか悩んだけど、連れ戻したいのは私の意思であって、柊くんが戻りたくないと思っていたらって考えて、探すのを諦めたの。諦めれると思っていたの。」
鼻の奥にツーンとした痛みが走る。
「でも、出来なかったの。迷惑だよね。」
こんな事、今更言われても困るよね。
「今の話全て忘れてくれてもいいから」
ノートを見せられる。
『迷惑じゃない』
不思議だな。彼がくれる言葉は信じられる。
いつの間にか、眠ってしまっていたみたい。足が重くて、そちらに目を向けると、彼が寝ていた。
やっぱり、柊くんて寝るの好きだよね。彼の寝顔を、もう一度見れる日が来るなんて、思ってもなかったな。
ゴソゴソ動く彼の姿が、あまりにも普段の彼から想像できなくて笑ってしまう。今なら、言えるかもしれない。
彼の耳に口を近付ける。そして、私の本音を伝えた。
「柊くんの事が好きです。」
顔を離し、布団の中へ潜り込み、火照る顔を冷まそうとするが、全然冷めない。
言っちゃった。言ってしまった。寝てるとはいえ、恥ずかしいくなる。
その30分後くらいに、彼が目を覚ます。
「おはよ、柊くん」
大きいあくびを一度し、ニコッと笑いかけられた。
「もしかして、寝ぼけてる?それに、前髪の寝癖やばいよ!芸術作品になってるよ!」
そう言えば、逃げ出したあの日、起こすのも大変だったけど、起きた後の彼の寝ぼけ方が異常だったことを思い出す。
あの時も、苦労した。
すると、二度目の眠りにつこうとしてるのか、寝ぼけたまま椅子から立ち上がり、私が横になってるベットへ入ってくる。
「ちょ、ちょっと、柊くん!起きて!ここ私がいるよ」
私の横で、完全に二度寝をかましたので、起こすことを断念した。
隣で、眠っている好きな人を見てると、この現実に違和感しか持てない。
無邪気な顔のまま、無防備な姿で眠る彼を見ながら、進級初日の出来事を思い出していた。
ぶつかった時、一番最初に目に入ったのは、光のない瞳だった。それを、見た私は、怖くなって、その場から逃げたっけ。
苦手で、距離を置いたりしてたのに、そんな事にも気に留めず、助けてくれたり、許してくれたり。
そんな、彼の優しさに触れれば触れるほど、幸せな気持ちになれた。
両親や、愛花ちゃんにも本音で話せる様になったのは、なんの考えもなしに、私の手を引いてくれた君がいたから。
柊くんと出会えたから、変わる覚悟が持てたんだよ。
そんな事を思っていると、彼の首に目がいく。進級した時から、ずっと気になっていた。
頑なに、何かを隠すようにタートルネックで覆われている。聞くのも野暮だと思い、その話題は避けてきた。
それでも、いつかは、ちゃんと彼の過去を知りたい。その覚悟が私に出来るまで、もう少し待っててね。
ようやく、二度寝から彼が目を覚ました。
「おはよ、起きた?」
真隣にいる私に驚き、ベットから降りようとするが、焦りすぎて、思いっきり落ちてしまう。
「大丈夫!?そこまで、焦ることなかったのに」
私もベットから降り、転んでる彼をおこす。
「それにしても、よく寝るよね。」
進級した当日も、彼の勇気ある行動に驚かされたっけ。クラスの皆、視線は柊くんに向いていたのに、当の本人は、それに全く気づくことなく、寝ていた。
その事を思い出し、一人で笑っていると、変な人を見る目で、私の顔を覗き込んでくる。
「フフッ。違うの、変な事を考えてる訳じゃないの。柊くんの事を考えて笑ってたの!」
さっきより一層険しい表情になる。
「覚えてないかもしれないけど、進級した日、私の行動のせいで、柊くんに注目がいっちゃったのに、思いっきり寝たの。それが、今思い返すと面白くて、それで笑ってたんだよ」
そんな事あったかなと、考え始めるが本人は、その部分だけ記憶から抜けてるのかもと言い、笑っていた。
昨日まで、会えた喜びで泣いていたのに、今日は笑いあえているなんて、呑気過ぎるのかもしれない。
今、この一瞬、一瞬を大切にしていきたい。そして、いつの日か、彼との思い出を脳内スクリーンに映し出して、これも自分の一部だと思う日がくるだろう。
それが、もし悲しい結末であっても。

