愛花ちゃんと別れ、一人家を目指し歩く。
建物の隙間から覗かせる、夕日があまりにも綺麗で、心に染みる。
ありふれた日常生活に、隠れた感動を見つけるのが、幼い頃から好きで、高校生になった今でも探してしまう。
いわゆる、プチハッピーというやつだ。
だけど、今は彼のことが頭から離れなかった。何を考えているのか分からない目に、感情が読めない表情なのに、何処か寂しそうにも見える彼の事が、ほっとけないだけなのかもしれない。ただ、それだけなのかも。
「ただいま」
家の中は静まり返り、返事はなく、誰も家に帰って来てない事を教えてくれる。
私の家族構成は、父と母、一つ下の弟がいる。
両親は共働きで、いつも帰りが遅く、家の家事全般は、私の仕事だ。
弟は、いつも自由人で自分の為にしか行動しない人間だ。だから、時々そんな弟を見ていて、羨ましいと思う時もある。
「はあ、疲れた~」
ぽつりと独り言を零し、肩にかけていた鞄を床に落とす。
一人でいられるこの少しの時間が、何よりの幸せだ。さっきまでのうるさい教室、両親のうるさい喧嘩がないこの時間だけが、唯一の居場所。
それでも、悩みが消える事はなく、大きい溜息が出る。
すると、玄関の方から、ガチャッという音が聞こえ、扉が開き「ただいま」という母の声が聞えた。
「おかえりなさい」
仕事疲れで、脱力状態のまま家へ入ってくる母に対し、労いの言葉をかける。
「今日も一日お疲れ様!」
「うん、ありがとう。」
「疲れたでしょ、今お風呂沸かしてくるから入っといでよ!」
「翠は、いいわね。毎日楽しそうで」
この言葉で、表情が少し歪んだ気がして、笑顔を作る。
「そうかな~」
そのまま、軽く母の言葉を流しながら、自分のやるべきことに集中する。
「そうよ、誰が見ても羨ましいほどに、幸せそうで、頭の中がお花畑そう」
嫌味の言葉にも何とか持ちこたえ、笑顔のまま耐える。
「そう言えば、今日進級したのよね」
「うん」
「クラスはどう?友達出来そう?」
「まあ、ぼちぼちかな~」
「そう、翠のその明るい性格ならどうにかなるんじゃない?」
「そうかもね、アハハハ...」
母は、話を終えると、自分の部屋に行ってしまった。
そして、再び静けさを取り戻した部屋に自分だけが、ポツンと取り残される。さっきとは、打って変わり幸せの気持ちはなく、虚しさだけが残された。
それでも、自分の役目はこれだからと、何度も何度も言い聞かせた。
私は、明るくて、家族の事が大好き。大好きって、違和感しかないこの言葉を、一体誰が生み出したのか。
この生活に、ストレスが溜まらないと言えば嘘になる。けど、この家に生まれてきてしまった以上、抗う事は出来ない。
「仕方がない」
小さい声で吐いた言葉は、誰に届くでもなく、消えてしまう。
晩御飯の時間になり、食卓へ向かうと、既に父の姿はあり、弟だけが見当たらなかった。
「あれ、陽介は?」
「まだ、帰ってきてないみたい」
不満そうに言う母に対し、父は携帯に目を向け、無関心といったところだ。
「そうなんだ、また遊びに出かけっちゃったのかな?」
「知らない!」
「まま、仕方ないよ。陽介だって、高校生だしさ遊びたい時期なんじゃない?」
怒りをなだめてみるが、効果はイマイチ。
「ねえ、ちょっと!」
父に狙いを定め始める母を、阻止しようとしたが、手遅れだった。
「聞いてんの?携帯ばっか見てないでさ、こっちの話も聞いてくんない?」
「だから、聞いてるって。本当うるさいな」
「はあ?うるさいって何?あんたが呼ばれても返事しないからでしょ!何の為に耳があるのよ!」
恐れていたことが、始まってしまった。一度火が付くと、誰も手が付けられない為、見守るしかない。
父が、しつこいと声を荒げ、私の方を睨む。
「大体、お前が陽介の事なんて聞かなければ、こんなことにはならなかった。全部、お前のせいだ」
「私は、ただー」
「うるさい!喋るな!」
「ごめんなさい」
私たちには、家族という形があるだけで、絆とかそういう物自体は、とうの昔に死んでいる。
だから、家族愛とか絆って単語に冷めてしまっている。だって、それを信じるだけ逆に辛くなるから。どうせ、報われないなら、始めから信用するだけ無駄じゃん。
それに、深追いして、今が崩れてしまう方がもっと嫌だから。
「ご馳走様。」
行き場のない気気持ちのまま、食器を片付け、リビングを後にする。
そして、自室へ着き、ベットへ体を預けた。
勝手に、涙が次から次溢れて止まることを知らない。
その時、昔のある事を思い出した。小学二年生だった頃、公園で泣いていた私に、男の子が優しく声をかけてくれた。
「ねえ、何で泣いてるの?」
「お母さんたちが、お家で喧嘩してて、私も怒られたの」
その男の子は何も言わずに、頭を優しく撫でて、泣き止むまで、ずっと傍にいてくれてー。
「涙が出るってことは、助けてが言える素直な子。僕、凄く泣き虫だから、お母さんがいつもこう言ってくれるんだ。」
「君のお母さんは、優しいんだね。私のお母さんは、ほとんど怒ってるよ」
「じゃあ、これをあげる」
「これ何?」
「ダンゴムシだよ」
「虫やだ!」
「アハハ!」
楽しそうに笑う男の子を見て、つられて一緒になって笑う。
「やっと笑顔になった」
「えっ」
「じゃあ僕が、秘密にしてる事、特別に教えてあげる」
耳を貸してと言われ、男の子の口元に耳を近づける。
「僕はね、ちょっとした幸せも見逃さない。今、こうやって話せてる事も幸せ!」
一点の曇りもない無邪気な笑顔が、あまりにも眩しくて、直視できない程だった。
それから、しばらくの間は、二人でよく遊んでいたが、突然公園に来なくなり、その子とはそれっきりだ。
ずっと一緒にいられると思ってた。だから、お互いの名前すら知らない。
あっちは、私のことなんて忘れてしまっているだろうけど。
そっと目を閉じ、意識を手放す。
カーテンの隙間から覗く、眩しい光で目が覚める。
横に置いていたスマホに手を伸ばし、今の時刻を確認をする。
そして、朝の支度をする為、寝起きで重たい体を無理やり起こし、下へと向かう。
「だから、朝からやめてよ!」
「うるさいな、甲高い声で叫ぶな!」
また、朝から喧嘩してるし、朝からやめて欲しいのは、こっちのセリフだ。
「また、何が原因なの?」
仕方がなく、いつも通り喧嘩に割って入る。
「翠、起きてたの?聞いてよ、本当にこの人と来たら、文句ばっかり言ってくるの!」
「お前こそ、あれやれこれやれって、うるさいんだよ」
「私の方がやること多いんだから、ちょっとくらい聞いてくれてもいいじゃない!」
「二人の言い分は分かったから、落ち着いて」
「離婚しましょ、あなたと一緒になんて、やってらんないわ」
「それは、こっちのセリフだ!」
最終的に、この結論で片付けようとする両親に、飽き飽きする。
「私、上で支度してくるから、喧嘩しないでね」
「こいつと、同じ空気吸いたくないから、仕事行ってくる」
父はそう言うと、鞄を持ち足早に家を出た。
「翠、あなたも今日学校でしょ!何ボーッと突っ立ってんのよ!」
「ごめんなさい」
玄関の方から、思いっきり強く扉が閉まる音がして、体が大きく反応してしまう。幼い頃から、音に過敏な方で、その中でも大きい音が一番怖くて、苦手だ。
「じゃあ、私も行くから」
「うん、気を付けてね!」
朝から、気持ちが重くなり、一気に今日一日が不安でしかたなくなる。
「考えても仕方ない。私も、支度しよ!」
気合を入れ直し、学校に行く支度を始めていく。
全ての準備が終わり、家を出ようとした時、階段を下りる足音が聞こえてくる。
「はああ~、眠て」
「陽介、今起きたの?」
「姉ちゃん、もう行くん?」
「行くよ、陽介も早く準備して行くんだよ」
「真面目だね~。俺、そういうの無理だから」
弟の発言に、反発したくなる気持ちをグッと堪え、家を出た。
駅に着き、電車を待つ。何も考えずに、一点をただ見つめ、昨夜の記憶の中の男の子のことを思い返す。
今まで、忘れていたのに、何故このタイミングで思いだしてしまったんだろう。今更、遅いって分かってるのに。
待っていた電車が到着し、座っていた椅子から立ち上がり、電車に乗る。
朝という事もあり、電車内は沢山の人で満たされていた。色んな人に押され、それに耐えるが、徐々に苦痛が襲ってきて、顔が歪む。
扉横の隅の方に体を寄せ、身を極限まで縮めて、下に顔を向けた。
また、人の波がきてしまう。瞬間、目を思いっきり瞑った。
だけど、思いのほか人にぶつかられずに済み、そっと胸を撫でおろし、前を見ると、彼が私を庇う様にして立ってくれていた。
「えっ」
状況が理解できないまま、フリーズしてしまうが、やっぱり彼の表情は何の変化もないまま。
聞きたい事は沢山あったが、話せない彼に声をかけても迷惑なだけどろう。それにしても、他の乗客もいるので、非常に気まずい。
私の気持ちを察してくれたのか、近かった距離がゆっくりと離れ、彼は反対の扉の方に行ってしまった。
息をするのも忘れてしまう出来事で、頭の中がてんやわんやになる。
学校の最寄りに着くや否や、彼の方に駆けていく。
「あの、さっきはありがとう」
言いそびれたお礼を伝え、足早にその場を去った。
「って事があったの!愛花ちゃんは、今の話聞いてどう思う?」
昼休憩になり、今朝あった出来事を詳細に話した。
「う~ん、今の話だけ聞いたら脈ある様にも感じるけど、会って間もなくそれって遊ばれてる感じもするよね?」
「愛花ちゃんもそう思うよね。私も、遊びかなとか、気まぐれの人助けかなって。」
「でもさ!分からないよね?もしかしたら、本当に気になられてる可能性もあるかも?」
「だったとしても、知り合ったの昨日だよ?去年、同じクラスなら分かるけど。絶対に遊びだと思う」
「翠がそんなに、不安ならクラスの子たちに、そういう噂があったか、さりげなく聞いてみるよ」
教室に戻るの、しんどいな。今朝の出来事のせいで、露骨に避けてしまっているし。
席に着き、お弁当箱を鞄に詰め用事のないトイレへ行く。
意識するな、意識するな。心に強く訴えかける。
「マジさ、あいつ誰だっけ?」
「誰って?」
誰かの悪口を言いながら、トイレへ入ってきたのは同じクラスの女子たちだった。
「あのキモい奴の隣に座ってる女」
「あ~、たか、たか」
「高橋だ!そうだ思い出したわ!うちが、親切に忠告してやってんのに、空気読めって感じ」
そっか、私の悪口だったんだ。頭は冷静なはずなのに、心臓がうるさい。
「それ、めっちゃ分かる!」
「がちさ、うざいし、目障りなんだけど。」
「くっそ、分かる!てか、こっちが親切に教えてやってんだから、従えって感じだよね!」
「それはそう!正直さ、昨日のあの態度、うざすぎて手でそうだったもん!」
楽しく会話してる彼女たちに、ゾッとする。
「でも、正直あいつの噂とか死ぬほどどうでもいいんだよね」
「あいつって、成瀬だっけ?」
「そうそう、去年とか皆であいつの事ハブにしてやってさ、それが超面白かったんだよね」
「何それひっど!」
「あいつさ、今では無表情じゃん、最初の頃とか半泣き状態で抵抗してきてたの!」
耳に入れたくもない汚い言葉が、鼓膜に直接響く。彼は、こんなのに耐えていたの。
「あいつ、早く死ねば良いのに」
自分の事じゃないのに、はっきり聞こえた「死ね」の二文字に、耐えていた心の蓋が外れてしまい、自然と涙が目から零れる。
嗚咽しそうになる声を、押し殺す。
その後、彼女たちは言いたい事を言い終えると、トイレから去っていき、静寂に包まれる。
ゆっくりと、個室の鍵を開けてから鏡に映る自分の顔を見る。
目は赤く充血し、誰が見てもさっきまで泣いてたと分かってしまうほどだ。
どうしよう、もうそろそろ授業始まるのに。
どっちの意味でも焦り過ぎて、頭が上手く働いてくれない。
目をとりあえず冷やそう。
蛇口を捻り、水を目に当ててみる。何度か繰り返し試してみるが、効果なし。
諦めて、蛇口を占めた。誰の何の為にこんな事してるんだか。
戻りたくもない教室に、戻らなきゃ行けない。
陽介だったら、どうするんだろう。都合が悪くなると、自分じゃない誰かになりたくなる。
もう、覚悟を決めるしかないか。
逃げたい気持ちをグッと我慢し、憂鬱な気持ちのまま教室へ戻る廊下を歩く。
彼にはこの世界が、どう映ってるんだろう。
扉を開けるのが怖くて、渋る。意を決して、扉に手をかけようとした時、横から伸びてきた手に邪魔をされた。
「っ!?」
その正体は彼だった。私の手を取り、手のひらに文字を書き始める。
『に・げ・た・い・?』
互いの目がバッチっと合い、私は大きく頷く。彼は、優しく微笑むと私の手を握り、一緒に学校から飛び出した。
ただ、ひたすらに二人で走った。目的とかは何もなく、ただひたすらに。
学校から、大分離れたところで彼の足は止まり、握られてた手も離れる。
上がった息を整え、傍にあったベンチに二人そろって腰をかけた。
あれから、十分くらいが経っただろうか。二人の間には沈黙しかない。周囲の静けさも相まって、世界には私たちしか居ないんじゃないかって勘違いしてしまうほど。
優しい暖かさに包まれ、心地の良い眠気さがやってきて、そっと瞼を閉じる。
今何時だろう。起きて直ぐで、目が霞んでいてよく見えない。目を擦ろうと、手を上げようとした時膝から何かが落ちた。
「ん?何だろう」
よく見たら、カーディガンだった。落としたカーディガンを拾い上げ、隣に座っている彼に目を移すと、無防備な姿で寝ていた。
その顔が、あまりにも無邪気だったから、思わずクスッと笑う。目線を持っていたカーディガンに落とす。
彼の優しさに触れれば触れるほど、心が幸せになっていく。不安から安心へと変わる。
あなたの事が、もっと知りたいって言ったら、困りますか。
空が茜色一色に染まり、今日一日の終わりを告げる。
建物の隙間から覗かせる、夕日があまりにも綺麗で、心に染みる。
ありふれた日常生活に、隠れた感動を見つけるのが、幼い頃から好きで、高校生になった今でも探してしまう。
いわゆる、プチハッピーというやつだ。
だけど、今は彼のことが頭から離れなかった。何を考えているのか分からない目に、感情が読めない表情なのに、何処か寂しそうにも見える彼の事が、ほっとけないだけなのかもしれない。ただ、それだけなのかも。
「ただいま」
家の中は静まり返り、返事はなく、誰も家に帰って来てない事を教えてくれる。
私の家族構成は、父と母、一つ下の弟がいる。
両親は共働きで、いつも帰りが遅く、家の家事全般は、私の仕事だ。
弟は、いつも自由人で自分の為にしか行動しない人間だ。だから、時々そんな弟を見ていて、羨ましいと思う時もある。
「はあ、疲れた~」
ぽつりと独り言を零し、肩にかけていた鞄を床に落とす。
一人でいられるこの少しの時間が、何よりの幸せだ。さっきまでのうるさい教室、両親のうるさい喧嘩がないこの時間だけが、唯一の居場所。
それでも、悩みが消える事はなく、大きい溜息が出る。
すると、玄関の方から、ガチャッという音が聞こえ、扉が開き「ただいま」という母の声が聞えた。
「おかえりなさい」
仕事疲れで、脱力状態のまま家へ入ってくる母に対し、労いの言葉をかける。
「今日も一日お疲れ様!」
「うん、ありがとう。」
「疲れたでしょ、今お風呂沸かしてくるから入っといでよ!」
「翠は、いいわね。毎日楽しそうで」
この言葉で、表情が少し歪んだ気がして、笑顔を作る。
「そうかな~」
そのまま、軽く母の言葉を流しながら、自分のやるべきことに集中する。
「そうよ、誰が見ても羨ましいほどに、幸せそうで、頭の中がお花畑そう」
嫌味の言葉にも何とか持ちこたえ、笑顔のまま耐える。
「そう言えば、今日進級したのよね」
「うん」
「クラスはどう?友達出来そう?」
「まあ、ぼちぼちかな~」
「そう、翠のその明るい性格ならどうにかなるんじゃない?」
「そうかもね、アハハハ...」
母は、話を終えると、自分の部屋に行ってしまった。
そして、再び静けさを取り戻した部屋に自分だけが、ポツンと取り残される。さっきとは、打って変わり幸せの気持ちはなく、虚しさだけが残された。
それでも、自分の役目はこれだからと、何度も何度も言い聞かせた。
私は、明るくて、家族の事が大好き。大好きって、違和感しかないこの言葉を、一体誰が生み出したのか。
この生活に、ストレスが溜まらないと言えば嘘になる。けど、この家に生まれてきてしまった以上、抗う事は出来ない。
「仕方がない」
小さい声で吐いた言葉は、誰に届くでもなく、消えてしまう。
晩御飯の時間になり、食卓へ向かうと、既に父の姿はあり、弟だけが見当たらなかった。
「あれ、陽介は?」
「まだ、帰ってきてないみたい」
不満そうに言う母に対し、父は携帯に目を向け、無関心といったところだ。
「そうなんだ、また遊びに出かけっちゃったのかな?」
「知らない!」
「まま、仕方ないよ。陽介だって、高校生だしさ遊びたい時期なんじゃない?」
怒りをなだめてみるが、効果はイマイチ。
「ねえ、ちょっと!」
父に狙いを定め始める母を、阻止しようとしたが、手遅れだった。
「聞いてんの?携帯ばっか見てないでさ、こっちの話も聞いてくんない?」
「だから、聞いてるって。本当うるさいな」
「はあ?うるさいって何?あんたが呼ばれても返事しないからでしょ!何の為に耳があるのよ!」
恐れていたことが、始まってしまった。一度火が付くと、誰も手が付けられない為、見守るしかない。
父が、しつこいと声を荒げ、私の方を睨む。
「大体、お前が陽介の事なんて聞かなければ、こんなことにはならなかった。全部、お前のせいだ」
「私は、ただー」
「うるさい!喋るな!」
「ごめんなさい」
私たちには、家族という形があるだけで、絆とかそういう物自体は、とうの昔に死んでいる。
だから、家族愛とか絆って単語に冷めてしまっている。だって、それを信じるだけ逆に辛くなるから。どうせ、報われないなら、始めから信用するだけ無駄じゃん。
それに、深追いして、今が崩れてしまう方がもっと嫌だから。
「ご馳走様。」
行き場のない気気持ちのまま、食器を片付け、リビングを後にする。
そして、自室へ着き、ベットへ体を預けた。
勝手に、涙が次から次溢れて止まることを知らない。
その時、昔のある事を思い出した。小学二年生だった頃、公園で泣いていた私に、男の子が優しく声をかけてくれた。
「ねえ、何で泣いてるの?」
「お母さんたちが、お家で喧嘩してて、私も怒られたの」
その男の子は何も言わずに、頭を優しく撫でて、泣き止むまで、ずっと傍にいてくれてー。
「涙が出るってことは、助けてが言える素直な子。僕、凄く泣き虫だから、お母さんがいつもこう言ってくれるんだ。」
「君のお母さんは、優しいんだね。私のお母さんは、ほとんど怒ってるよ」
「じゃあ、これをあげる」
「これ何?」
「ダンゴムシだよ」
「虫やだ!」
「アハハ!」
楽しそうに笑う男の子を見て、つられて一緒になって笑う。
「やっと笑顔になった」
「えっ」
「じゃあ僕が、秘密にしてる事、特別に教えてあげる」
耳を貸してと言われ、男の子の口元に耳を近づける。
「僕はね、ちょっとした幸せも見逃さない。今、こうやって話せてる事も幸せ!」
一点の曇りもない無邪気な笑顔が、あまりにも眩しくて、直視できない程だった。
それから、しばらくの間は、二人でよく遊んでいたが、突然公園に来なくなり、その子とはそれっきりだ。
ずっと一緒にいられると思ってた。だから、お互いの名前すら知らない。
あっちは、私のことなんて忘れてしまっているだろうけど。
そっと目を閉じ、意識を手放す。
カーテンの隙間から覗く、眩しい光で目が覚める。
横に置いていたスマホに手を伸ばし、今の時刻を確認をする。
そして、朝の支度をする為、寝起きで重たい体を無理やり起こし、下へと向かう。
「だから、朝からやめてよ!」
「うるさいな、甲高い声で叫ぶな!」
また、朝から喧嘩してるし、朝からやめて欲しいのは、こっちのセリフだ。
「また、何が原因なの?」
仕方がなく、いつも通り喧嘩に割って入る。
「翠、起きてたの?聞いてよ、本当にこの人と来たら、文句ばっかり言ってくるの!」
「お前こそ、あれやれこれやれって、うるさいんだよ」
「私の方がやること多いんだから、ちょっとくらい聞いてくれてもいいじゃない!」
「二人の言い分は分かったから、落ち着いて」
「離婚しましょ、あなたと一緒になんて、やってらんないわ」
「それは、こっちのセリフだ!」
最終的に、この結論で片付けようとする両親に、飽き飽きする。
「私、上で支度してくるから、喧嘩しないでね」
「こいつと、同じ空気吸いたくないから、仕事行ってくる」
父はそう言うと、鞄を持ち足早に家を出た。
「翠、あなたも今日学校でしょ!何ボーッと突っ立ってんのよ!」
「ごめんなさい」
玄関の方から、思いっきり強く扉が閉まる音がして、体が大きく反応してしまう。幼い頃から、音に過敏な方で、その中でも大きい音が一番怖くて、苦手だ。
「じゃあ、私も行くから」
「うん、気を付けてね!」
朝から、気持ちが重くなり、一気に今日一日が不安でしかたなくなる。
「考えても仕方ない。私も、支度しよ!」
気合を入れ直し、学校に行く支度を始めていく。
全ての準備が終わり、家を出ようとした時、階段を下りる足音が聞こえてくる。
「はああ~、眠て」
「陽介、今起きたの?」
「姉ちゃん、もう行くん?」
「行くよ、陽介も早く準備して行くんだよ」
「真面目だね~。俺、そういうの無理だから」
弟の発言に、反発したくなる気持ちをグッと堪え、家を出た。
駅に着き、電車を待つ。何も考えずに、一点をただ見つめ、昨夜の記憶の中の男の子のことを思い返す。
今まで、忘れていたのに、何故このタイミングで思いだしてしまったんだろう。今更、遅いって分かってるのに。
待っていた電車が到着し、座っていた椅子から立ち上がり、電車に乗る。
朝という事もあり、電車内は沢山の人で満たされていた。色んな人に押され、それに耐えるが、徐々に苦痛が襲ってきて、顔が歪む。
扉横の隅の方に体を寄せ、身を極限まで縮めて、下に顔を向けた。
また、人の波がきてしまう。瞬間、目を思いっきり瞑った。
だけど、思いのほか人にぶつかられずに済み、そっと胸を撫でおろし、前を見ると、彼が私を庇う様にして立ってくれていた。
「えっ」
状況が理解できないまま、フリーズしてしまうが、やっぱり彼の表情は何の変化もないまま。
聞きたい事は沢山あったが、話せない彼に声をかけても迷惑なだけどろう。それにしても、他の乗客もいるので、非常に気まずい。
私の気持ちを察してくれたのか、近かった距離がゆっくりと離れ、彼は反対の扉の方に行ってしまった。
息をするのも忘れてしまう出来事で、頭の中がてんやわんやになる。
学校の最寄りに着くや否や、彼の方に駆けていく。
「あの、さっきはありがとう」
言いそびれたお礼を伝え、足早にその場を去った。
「って事があったの!愛花ちゃんは、今の話聞いてどう思う?」
昼休憩になり、今朝あった出来事を詳細に話した。
「う~ん、今の話だけ聞いたら脈ある様にも感じるけど、会って間もなくそれって遊ばれてる感じもするよね?」
「愛花ちゃんもそう思うよね。私も、遊びかなとか、気まぐれの人助けかなって。」
「でもさ!分からないよね?もしかしたら、本当に気になられてる可能性もあるかも?」
「だったとしても、知り合ったの昨日だよ?去年、同じクラスなら分かるけど。絶対に遊びだと思う」
「翠がそんなに、不安ならクラスの子たちに、そういう噂があったか、さりげなく聞いてみるよ」
教室に戻るの、しんどいな。今朝の出来事のせいで、露骨に避けてしまっているし。
席に着き、お弁当箱を鞄に詰め用事のないトイレへ行く。
意識するな、意識するな。心に強く訴えかける。
「マジさ、あいつ誰だっけ?」
「誰って?」
誰かの悪口を言いながら、トイレへ入ってきたのは同じクラスの女子たちだった。
「あのキモい奴の隣に座ってる女」
「あ~、たか、たか」
「高橋だ!そうだ思い出したわ!うちが、親切に忠告してやってんのに、空気読めって感じ」
そっか、私の悪口だったんだ。頭は冷静なはずなのに、心臓がうるさい。
「それ、めっちゃ分かる!」
「がちさ、うざいし、目障りなんだけど。」
「くっそ、分かる!てか、こっちが親切に教えてやってんだから、従えって感じだよね!」
「それはそう!正直さ、昨日のあの態度、うざすぎて手でそうだったもん!」
楽しく会話してる彼女たちに、ゾッとする。
「でも、正直あいつの噂とか死ぬほどどうでもいいんだよね」
「あいつって、成瀬だっけ?」
「そうそう、去年とか皆であいつの事ハブにしてやってさ、それが超面白かったんだよね」
「何それひっど!」
「あいつさ、今では無表情じゃん、最初の頃とか半泣き状態で抵抗してきてたの!」
耳に入れたくもない汚い言葉が、鼓膜に直接響く。彼は、こんなのに耐えていたの。
「あいつ、早く死ねば良いのに」
自分の事じゃないのに、はっきり聞こえた「死ね」の二文字に、耐えていた心の蓋が外れてしまい、自然と涙が目から零れる。
嗚咽しそうになる声を、押し殺す。
その後、彼女たちは言いたい事を言い終えると、トイレから去っていき、静寂に包まれる。
ゆっくりと、個室の鍵を開けてから鏡に映る自分の顔を見る。
目は赤く充血し、誰が見てもさっきまで泣いてたと分かってしまうほどだ。
どうしよう、もうそろそろ授業始まるのに。
どっちの意味でも焦り過ぎて、頭が上手く働いてくれない。
目をとりあえず冷やそう。
蛇口を捻り、水を目に当ててみる。何度か繰り返し試してみるが、効果なし。
諦めて、蛇口を占めた。誰の何の為にこんな事してるんだか。
戻りたくもない教室に、戻らなきゃ行けない。
陽介だったら、どうするんだろう。都合が悪くなると、自分じゃない誰かになりたくなる。
もう、覚悟を決めるしかないか。
逃げたい気持ちをグッと我慢し、憂鬱な気持ちのまま教室へ戻る廊下を歩く。
彼にはこの世界が、どう映ってるんだろう。
扉を開けるのが怖くて、渋る。意を決して、扉に手をかけようとした時、横から伸びてきた手に邪魔をされた。
「っ!?」
その正体は彼だった。私の手を取り、手のひらに文字を書き始める。
『に・げ・た・い・?』
互いの目がバッチっと合い、私は大きく頷く。彼は、優しく微笑むと私の手を握り、一緒に学校から飛び出した。
ただ、ひたすらに二人で走った。目的とかは何もなく、ただひたすらに。
学校から、大分離れたところで彼の足は止まり、握られてた手も離れる。
上がった息を整え、傍にあったベンチに二人そろって腰をかけた。
あれから、十分くらいが経っただろうか。二人の間には沈黙しかない。周囲の静けさも相まって、世界には私たちしか居ないんじゃないかって勘違いしてしまうほど。
優しい暖かさに包まれ、心地の良い眠気さがやってきて、そっと瞼を閉じる。
今何時だろう。起きて直ぐで、目が霞んでいてよく見えない。目を擦ろうと、手を上げようとした時膝から何かが落ちた。
「ん?何だろう」
よく見たら、カーディガンだった。落としたカーディガンを拾い上げ、隣に座っている彼に目を移すと、無防備な姿で寝ていた。
その顔が、あまりにも無邪気だったから、思わずクスッと笑う。目線を持っていたカーディガンに落とす。
彼の優しさに触れれば触れるほど、心が幸せになっていく。不安から安心へと変わる。
あなたの事が、もっと知りたいって言ったら、困りますか。
空が茜色一色に染まり、今日一日の終わりを告げる。

