アオハルダスト



 「ミサ、まだ体調悪いの?そろそろ学校行った方がいいんじゃない?」

 あれから私は1週間学校を休んだ。お腹が痛いのは本当だけれど、もう学校にいくことが怖くなってしまったのだ。

 毎日SNSを見て、モモカやリコ、ユウナが楽しそうにしている投稿を見ては苦しくなって、それでもSNSを見るのをやめられなかった。最初は普通に学校を休ませてくれていたお母さんも、心配と呆れが混ざったような表情になった。


 「まだ頭痛い」
 「でも熱もないんでしょう。何か学校で嫌なことでもあったの?」
 「……ないよ、別に」
 「もう……明日はちゃんと学校行くのよ」

 お母さんは困った用に眉を下げて、ベッドで横になっている私を一瞥して部屋を出て行った。はあ、と思わずため息が漏れる。ベッドの横の窓からは陽が差し込んで、少し開いた窓からは涼しい風が吹き込む。

 平日の昼間に自分の部屋で寝ていると、世界から切り離されたような気持ちになる。楽しそうに笑う子供の声が外から聞こえて、それだけで小さな罪悪感が生まれる。みんなは今頃、日本史の授業を受けている頃だろうか。15時。もうすぐ学校が終わる時間だ。

 私はやることもないので、スマホを取り出してSNSアプリを立ち上げる。なんとなく検索バーに「幽霊ちゃん」」と打ち込み、出てきたアイコンをタップする。これが、ユウナのアカウント。ぼーっとその画面を眺めながら、過去の投稿を遡るように画面をスクロールする。


 『今日も体育のグループ分けで余っちゃって悲しかったな』
 『私は仲良しだと思ってたけど、違ったのかな』
 『私がダサいせいで友達が嫌な思いしてるのかな、申し訳ない』
 『学校行こうとするたびにお腹痛くなる』
 『高校で本当の友達なんて、できるのかな』


 その全ての言葉が自分のせいなのではないかと思うと同時に、涙が浮かぶくらい共感した。こんなにも同じことを思っていたのかと驚く。心がヒリヒリするこの気持ちを、私はよく知っている。そして彼女を追い詰めた一因に自分がいるのだろうと思うと、この世界から消えてしまいたくなった。

 しばらく没頭するように「幽霊ちゃん」のSNSを見ていて、気がついたら外は夕焼けで赤く染まっていた。もう学校は終わっただろう。今日もリコとモモカとユウナは、放課後遊びに行っているのだろうか。


 と、「幽霊ちゃん」の投稿が更新され、新しいイラストがアップされた。何気なく目を向けて、思わずベッドから体を起こす。それは、見覚えのある公園の絵だった。

 今日と同じ夕日に照らされた、滑り台とブランコとベンチくらいしかない小さな公園。そのベンチに座っている、セーラー服の女の子の後ろ姿。

 私たちの中学校の制服と同じだ。今みたいに髪を巻いたりせずに、ただ後ろで結んだだけの、あの頃の私とユウナ。ベンチに置いてあるのは水筒。学校帰りの買い食いが禁止だったから、家から持って行った麦茶ばかり飲んでいたっけ。

 イラストと共に投稿された文章は、『戻りたい放課後がある』。

 あの日の風の匂いすら感じられるそれに、私は思わず立ち上がった。部屋を出ようとして、鏡に映った自分の姿に立ち止まる。すっぴんだし、髪もボサボサなのを後ろに束ねただけだし、着ているのは色褪せた中学のジャージ。

 ……でも、いいか。この方が。

 「お母さん、ちょっとコンビニ行ってくる!」
 「体調悪いんじゃなかったの?」
 「うん、治った!」

 スマホだけ持ってバタバタと部屋を出ていく私に、お母さんは「なんなのよ……」とため息をついている。薄汚れたスニーカーを履いて、家を出て、懐かしい中学校の通学路を走る。緑の屋根の家を曲がって、ここのアパートを通り過ぎて、それで。角を曲がると、さっきイラストで見た通りの公園がそこにあった。夕焼けの具合すらイラストのままで、あの日のままだった。


 「ユウナ」

 そしてベンチに座っている、ブレザーを着た後ろ姿。あの頃とは髪の長さが違う彼女は少し驚いたように振り返って、私の顔を見て、眉を下げて笑った。イラストの中では水筒が置いてあったベンチの上には、自販機で買ったらしいサイダーの缶が置いてあった。

 「ミサ」

 私も何を言ったらいいか分からず、黙ってユウナの隣に座る。あの日と同じ匂いの風が、私たちの頬を撫でた。夕焼けに照らされたブランコの影が、地面に長く伸びる。

 「……来てくれると、思わなかった」
 「来て、って意味じゃなかった?」
 「ううん、来てって意味だったよ」

 それからしばらくの間、私たちは何も言わずに、沈む夕日を眺めていた。地面に落ちていく太陽はひどく綺麗で、なんだか泣きそうになった。

 「ごめん、ユウナ」
 「え……」
 「たくさん、傷つけてごめん」

 ユウナのこと、下に見ていてごめん。こんなダサい子と仲がいいって思われたくないって、そっけない態度取ってごめん。自分よりもユウナの方が下だって、決めつけてごめん。そのくせ自分より下のユウナがいることに安心してごめん。グループ分けで1人になったユウナを見て、優越感を感じててごめん。みんなの中のユウナの評価が上がるのが怖くて、傷つけてごめん。


 「ごめん……許して、もらえないかもしれないけど」


 下を向いて謝る私に、ユウナはどんな表情をしているのだろうか。怖くて顔を上げることができない。

 「……私も学校行くの嫌だったし、ミサがどんどん遠くに行っちゃって、私のこと嫌なんだろうなって、悲しかったりもしたけど」

 ユウナの声が震えていて、自分がどれだけ彼女を苦しめたのか思い知らされる。


 「でも、ミサが私の絵を褒めてくれたんだよ。SNSとかに載せなよ、世界中に見てもらわないと勿体無いよって、背中押してくれたんだよ。
 ……それが忘れられないから、救われたから、ミサのこと嫌いになれなかったの」

 ああ、どうして忘れていたんだろうか。あの頃が楽しかったってこと。ユウナと公園でくだらないことを話している時間が、幸せだったこと。

 ユウナのことが大好きだったし、ユウナの夢を応援したいって、心から思っていたこと。自分の立ち位置ばかり、周りの目ばかり気にしているうちに、全部忘れてしまっていたのだ。

 「……別に、クラスで1番になんてならなくていいんだよね。放課後寄り道するのはお洒落なカフェじゃなくて、何もない公園でもいいんだよね」

 私の言葉に、ユウナは目を細めて、優しく笑う。

 「うん……でもあの教室の中にいると、1番上にいることが正義みたいに感じちゃうよね」

 どうしてだろうね、不思議だ。たった30人の同い年の高校生が1年間だけ同じ教室で過ごすという、ただそれだけのことなのに。

 それでも教室は私たちの世界の全てで、クラスで1番目立つあの子は女王様で、教室の中で居場所がなかったら、この広い世界で自分はひとりぼっちみたいな気がしてしまう。

 きっと、離れてみたらどうってことないのだろう。卒業して数年経ったら、このヒリヒリする痛みも息苦しさも忘れて、「あの頃は若かったなぁ」なんて思い出すのかもしれない。それでも今の私たちにはこの小さな教室が世界のすべてだった。


 「……この絵、ロック画面にしていい?」
 「え……もちろん!」

 ユウナの投稿したこの公園のイラストをカメラロールに保存して、スマホのロック画面に設定する。時刻の表示の下には、並んだ私たちの背中。ふっと頬が緩む。これで本当に大切なものを忘れそうになった時、すぐに思い出せるといいな。


 「暗くなってきちゃったね、行こうか」

 ユウナが立ち上がって、飲み終わったサイダーの空き缶を、公園のゴミ箱に捨てた。ガシャ、とゴミ箱の金網と空き缶がぶつかる音がして、ふと目を向けると、白と水色のパッケージの缶が、ゴミ箱の中で横たわっていた。ばいばい、と心の中でつぶやく。

 ばいばい、大嫌いだった私。