ぱんぱんっ。
「お願いします神様!私が死ぬ時に出会えてよかったって思える人に巡り会える様にどうか良い縁を宜しくお願いします!」
今日はお賽銭をいつもは五円だけだけど、五十円も出した。
色々あって、節約が大好きになった私にとっては五十円の出費でも少々心が苦しいところだが今日は特別。それに、これからは無駄にケチケチせずに欲しいものは買う、そう決めたのだ。
伊藤光、十六歳。高校2年生。
特技は絵を描くことで趣味は音楽を聴くこと。多分ここまでは普通の女の子と変わらないと思う。
でも、ここからが私の場合普通の女の子とは違う。
肝臓がん。それが中学三年生だった私に診断された病名だった。お腹に圧迫感のよう痛みを感じたり、特に食生活を変えていないのにお腹が張ったりしていた。そこで、念の為近くの病院の先生のところに行ったら、直ぐに大きな病院に行くように言われた。
肝臓がん、そう先生が口にした瞬間を今でも鮮明に覚えている。私が診断された病名は肝臓がんだった。
泣き叫ぶお母さん、魂が何処かに行ったかのような顔をしていたお父さん、そして驚きで声も出ずに固まる私。
なかなか、その場はカオスだったと思う。
当時の私には肝臓がんというものがよく分かっていなくて、ショックより驚きの方が大きかった。
飲酒や喫煙なんてもちろんしていないし、年だってまだまだ全然若い。
それに、今まで当たり前のようにみんなと同じ普通の生活を送ってきた。
『何で私が、肝臓がんに?』
それが私が診断されて始めて言ったことばだった。そしたら、先生が肝臓がんについていろいろと説明してくれた。
未成年が肝臓がんになる確率はかなり少ないけれど、なることもあるということ。
そして、初期症状がほとんどなく『沈黙の臓器』とも呼ばれている肝臓がんだが、幸いにも私の場合は比較的早く発見出来て治る確率が高いということ。
先生はとても丁寧に分かりやすく説明してくれたけれど、私の頭には全然入ってこなかった。
肝臓がん、その言葉が私の頭の中でぐるぐると回っていた。
程なくして、私の入院生活が始まった。
薬の副作用の影響か、原因はわからないけれど治療のせいで髪の毛が抜けたこともあった。
バサバサ抜けていくのが怖くてそこで始めて肝臓がんになってから泣いた。
肝臓がんの手術は無事成功した。
でも、私の病気は再発や転移なとで五年生存率が低い病気だった。
五年生存率はステージと呼ばれるがんの進み具合や年齢によって変わるけれど平均は約四十パーセント。
もし肝臓がんになった人が十人いたら四人は生きていられるけど六人は5年以上生きられない。
そう考えると凄く怖くなってきた。
もし私がその六人に入ったら5年以上生きられない。確率は三分の五だ。
だから私は決めた。もしその三分の五になっても後悔せずにいられる様に生きよう、そう決めた。
病気の影響で私の高校は通信制の高校だった。
でも、通信制の高校だと対面の授業が少なかったり、行事が少なかったりと高校生らしい体験が出来ない。それと正直に言って友達を作りにくくて話す相手がいなくて毎日暇だ。
だから、私は思いきって転校することにした。
楽しい高校の思い出を作るために。
私が死ぬ時にもう別に後悔はない、そう思いながら死ねるように。
リボン良し、スカート良し、髪良し、メイク良し。大丈夫、何もおかしいところは無いはず。
やはり初日だと思うとどうしても気合が入ってしまう。
スカート短すぎかな、最初からこんなに短くして来たら出しゃばりな転校生と思われてしまうかもしれない。
でも、スカートは折る回数を減らせば長くなるから良い。問題は髪の毛だ。
治療のせいで抜けた髪の毛はだいぶ生えてきたが、長さはかなり短くてまだまだベリーショートといったところだ。
鏡を見るたびに落ち込んでいた私を気遣ってか、両親がウィッグをプレゼントしてくれた。
でも、問題はウィッグの髪色がかなり明るかったことだ。
私の行く高校は校則が緩く髪を染めている人も稀に居るみたいだけれど、私が高校に見学に行ったときはほぼ全員が黒髪で染めている人は見かける限り数人しか居なかった。
このウィッグ大丈夫かな、不安に思って何度も鏡の前で微調整をする。
「もう、姉ちゃん!そんなカツラ触ってもなんも変わらないからはやくオレに代わってよ!」
「うるさいバカ弟!それにカツラじゃなくてウィッグ!分かった?!」
「ああ、もう分かったよ!うるっせえなあ」
私のウィッグをカツラと言ってからかってくる弟のせいで無性にイライラしてくる。
カツラと言われるかウィッグと言われるかではダメージが全然違う。
カツラと言われるとまるでお前はハゲている、と言はれている様な感覚になる。
中学一年になった弟の勇人は私が病気になる前となった後では随分態度が変わってしまった。
退院して始めて勇人と喋った日はとても驚いたことを覚えている。
まるで、勇人じゃなくて別人の人と喋っているみたいだった。
昔は可愛くて優しくて聞き分けの良い自慢の弟だった。
喧嘩だって全くした事が無く、しょっちゅう一緒に遊んでいた。
でも、久しぶりに話した勇人は口が悪くて、わざと私をイライラさせる様なことばかり言ってきて、態度も悪くなっていた。
正直、これが今の勇人って認めたく無かった。
でも、それより勇人の声が低くなっていて、背が私よりも高くなっていて筋肉も少しついていて、色白だった肌が少し焦げていたことの方がショックだった。
私が居ない間に勇人は変わっていて、私は勇人の成長を間近で見れなかった。
そして、勇人は私を置いてどんどん変わっていってしまった。私は何も変われなかった。ただ暇な一日が終わるのをただ待っているだけの生活だった。だからこそ、勇人を見て思った。
私変わりたい、もう取り残されたくない。
「いってきまーす!」
鞄を手にとって勢いよく玄関を開ける。
駅までの道に咲いている桜は美しく咲き誇っている。
もう、始業式には枯れているかも知れないと心配していたが無事桜が咲いていてホッとした。
電車に乗ると別の制服を着た女子高生二人組が楽しそうにお喋りしている光景が目に入った。
私もいずれあんな風に登校するのかな。
そんな期待に胸を膨らませながら電車に揺られていたらあっという間に最寄り駅に着く。
私の行く高校に近くなると同じ制服を着た生徒が増えてくる。
学校に着き、校門をくぐる。
迷いながらもなんとか職員室に着き私の担任の先生を探す。
「あのっ‥‥、田中先生っていますか?」
「ああー、田中先生ね。ちょっとまってて」
プリントを印刷していた先生が手を止めて田中先生を呼びに行ってくれる。
「待たせちゃってごめんね、伊藤さん。」
「いえいえっ、全然待ってないので大丈夫です」
田中先生は優しいみんなのママみたいな先生で私が肝臓がんだったことも知っている。
「じゃあ、伊藤さんがクラスに行くのは始業式が終わった後だから来賓様のあそこの椅子に座って待っててくれるかしら?」
「はい。分かりました」
「それと、伊藤さん。体調は大丈夫?悪くなったら直ぐに先生たちに言ってね」
「気遣ってもらってありがとうございます。体調は今のところ大丈夫です!」
にこりと微笑んで返事をする。
私の高校生活のモットーはとにかく笑顔でだ。
この前久しぶりに病院の先生に会いに行った時、とにかく笑顔でいれば自然と人が寄ってくる、そして自分も明るくなれる。そう看護師さんに教えてもらった。
椅子に座って職員室に飾られていた去年の学校祭の写真を見る。
みんな、楽しそうにピースして写っている。
「‥‥‥有志企画のバンドだ」
ちょうど写真に写っているバンドは私が観た動画の人たちとは違うけれどバンドのメンバーみんな楽しそうな表情をして写っている。
私がこの高校を選んだ理由はある一本の動画からだった。
その動画は当時学校に通っていた生徒が客席から有志企画に出演したバンドを撮ったのをあげた動画で画質は悪いし、手ぶれもひどいけどそれ以上にバンドの迫力に惹きつけられた。
あの動画を観た時の衝撃は今でも覚えている。
コメント欄にこんな青春してみたかったとか、憧れすぎるなどとかかれていて、その時入院していた私は学校生活が懐かしくなってみた時には必ず見ていた動画だ。とは言え病気になる前もぱっとしないつまらない生活を送っていたのでこんな輝かしい学校生活では無かったが。
当時、ボーカルとしてバンドを引っ張っていた生徒はその後デビューした。私もそのバンドを熱烈に推している。
湧き上がる会場、やまないコール、響き渡るボーカル。画面から目が離せなくなった。
この動画を見た後、私は決意した。
高校でバンド組んで絶対有志企画に出るんだ。
そう決意したから、私はこの高校に転校してまで入った。多分バンドをやらないと絶対後悔したまま死んじゃう、不思議と強くそう思った。
職員室の入り口から心地よい低音の声が聞こえてきて思わず振り返った。
「失礼します。山本先生っていますか?」
何故かその声に前も聞いたような懐かしさを感じ振り向く。
そこにいたのは、髪の毛を茶髪に染めたかなり美形の男子生徒だった。目は吸い込まれそうなほどに澄んでいて、少し色素の薄い瞳の色が特徴的だった。まさに私の好きなタイプだった。
この学校はネクタイとリボンの色が学年ごとに違う。彼は緑色のネクタイをしているので1年生だろう。ちなみに私は赤色のリボンだ。
私の視線に気づいたのか男子生徒が山本先生の机向かう最中、怪訝な顔でこちらを見てくる。しまった、さすがにじっと見過ぎて変に思われちゃったな。
山本先生と数分話した後、職員室から出て行った。なんとなく彼のことが気になり、近くに居た先生にお手洗いに行くと言って職員室を飛び出す。男子生徒の後を気付かれないように気をつけながら急いで追いかける。
すると、突然彼が振り返り目が合う。私の存在を確認した途端急に彼が走り出した。しかし、走っている途中で彼のポケットからハンカチが落ちてしまった。慌てて拾い上げる。
「あっ‥‥、待って!」
呼び止めてもこちらを見向きもせずにどんどん遠くへ走っていってしまい、彼の背中も見えなくなってしまった。
「このハンカチどうしよう?」
拾ったけれど、彼の名前も分からないし本人に届けられるか分からない。
それに、私は彼に警戒されてしまったようだ。
高校生活の目標として誰からも嫌われずに過ごすという目標があったけれどもう、無理そうだ。
「はあ‥‥」力なく肩を下ろしぼんやりと床を見つめる。
「あれっ?このハンカチってスカッシュの限定グッズ?」
彼が落としたハンカチには端っこに小さくスカッシュという文字があり、グッズ商品としてストアで見たことがある気がする。
スカッシュは今若者に人気のバンドのことだ。
私も入院中つらいことがあるたびにスカッシュの曲を口ずさんで、元気を出していた。今でも熱烈に推している。
実はスカッシュのボーカルのヒロトはこの学校の卒業生で、私が観た動画でボーカルを担当していたのもヒロトだ。
私がスカッシュにハマったのはあの動画の、ヒロトのおかげだ。
でも、彼がスカッシュを好きなのは意外だった。
喋ったことは無いので全く彼の性格は分からないのだがなぜだかそんな気になった。
スカッシュは割と真っ直ぐに、頑張れなどという応援ソングを作るバンドだ。彼はなぜだか、こういう真っ直ぐな応援ソングが好きではないイメージがした。
「今日中にこのハンカチが届けに行こう」
私と同じバンドが好きだなんて、何だか彼のことが気になって仕方が無い。
もう彼には嫌われていると思うが無視されても必死に食らいつこう。
彼にとっては非常に迷惑だと思うが、私は心のなかでそう決心した。
その後、体育館での長い始業式が終わりいよいよ私がこれから過ごすクラスに行くことになった。
「伊藤さんはどこか部活に入るつもりなの?」
「部活ですか?うーん、どうだろう」
私の担任の田中先生は今クラスのみんなを引率して私と一緒に教室に行くことができないので代わりの名前の知らない先生と一緒に私のクラスへと他愛もない話をしながら歩いていく。
「でも、部活に入っても毎日行けるか分からないので中途半端になっちゃいそうなので、部活は今のところ入る予定はないですかねえ」
「そっかあ、でも活動日数が少なくてゆるい部活もあるからそういうところに入るのも良いかもね」
「なるほどー」
名前も知らない先生と話しながら学校の廊下を歩いているだなんて、変な感じ。
病気になってからは病院の先生もかわることが無くてずっと一緒だったし、通信学校の時もいつも同じ先生の授業を受けていたので名前も知らない人と話すのはとても久しぶりだ。
これからまだ名前の分からないたくさんの人と仲良く慣れたら良いなあ。
そんなことを考えながら歩いていたらあっという間にクラスに着いた。
「田中先生!」こちらに手招きしながら名前の知らない先生が田中先生のことを呼ぶ。
「伊藤さん。先生が入ってきてって合図したら教卓のところまで真っ直ぐに歩いてきて自己紹介してね!」
小走りでこちらにやってきた先生が一気に説明した後、頑張ってねと小さくガッツポーズをしてまた直ぐに教室へと戻っていく。
「今日は転校生の子がやってきます。さあ、入ってきて!」
田中先生がみんなの前でそう言うとクラスは一気に盛り上がる。
この学校はクラス替えが無い。なので新学期特有の静かさというものは無くてもうみんな打ち解けているのだ。
「男子かな?女子かな?」
「どんな奴だろー?」
転校生の話題でどんどん盛り上がる教室に入りづらくなって思わず扉の前で足が立ち止まる。
田中先生が笑顔でこっちを見てくるけれど、今は怖くて入れそうに無い。
「さあ行っておいで」
名前の知らない先生にぽん、と肩を押され教室の中に体が入る。
みんなの視線が怖くなってうつむきながら教卓までの距離を進む。
「はいっ!じゃあ、自己紹介お願いしますー」
「‥‥‥いっ、伊藤光です。えっと、これから宜しくお願いします」
上手く言葉が出てこなくて予定していた自己紹介よりもかなり短くなってしまった。
「おしまい?」田中先生に小声で聞かれて首を縦に振る。
私の自己紹介から若干の間が空いた後にちらほらと拍手が聞こえてきた。
「じゃあ伊藤さんの席はあそこね!」
先生の指定した席の方へと足を動かす。
周りの席の人たちに小さくお辞儀しながら自分の席に座る。
まさかこんなにも緊張するだなんておもってもいなかった。看護師の先生に言われたとにかく明るく笑顔でという教えも実行できなかった。
そんな自分に落ち込みながら先生の話をぼんやりと聞く。
二時間目が終わり休み時間になる。するとクラスの女子はグループで固まり始める。
この学校はクラス替えが無いのでやはりもうグループが完全に出来ているみたいだった。
一人で居る子は誰も居ないし、どうしよう。
誰も私に話しかけてくれる子はいなくて自分の席で俯いてはやく授業時間になるのを待った。
何故か前を向くことが出来なかった。
頭では誰も私のことをヒソヒソ噂してなんかいないと分かっているのにみんなの視線、会話が気になってしまい落ち着かない。
音楽なんか聴いていないのにイヤホンを耳に突っ込む。周りの音がモヤがかかったような音になりみんなの会話が聞こえなくなって少し安心する。鼓膜と外の音にイヤホンという一つの壁が出来る。それだけで無性に安全圏に居る気分になった。
今日の授業が終わり帰宅時間になった。
頑張って誰かに声をかけてから帰ろうかな。
そう思ったけれど声を掛ける勇気が無くて結局逃げるように教室を出て行った。
早足で歩きまだ同じ学校の生徒が少ない電車に飛び乗る。
暇なので音楽を聴こうと思い鞄の中を探す。
「‥‥あ、ハンカチそのまま持ち帰っちゃった」
鞄の中には彼に返そうとしていたハンカチが入っていた。どうしよう、もう電車に乗ってしまったので今から引き返すことは出来ない。
それに、あの男子生徒の名前を聞いておくべきだった。探すのにかなりの手間がかかってしまう。
明日はまだ一緒に男子生徒の捜索を手伝ってくれる友達もいないのでこの身一つで1年生のフロアに行って探すしか無い。
はあ、それよりも友達が出来そうに無い。
もうみんなグループで固まっていて私が入れそうにないし、きっと私が入ったら相手に迷惑だと思われるだろう。
まずこの学校が1年生からずっとクラス替えをしないという時点から転校生には不利だ。
友達なんか作れる訳がない。
今朝あんなにも意気込んでいた私が馬鹿みたいだ。友達が作れなかったらバンドを結成だなんて夢のまた夢だ。
しかも、楽器ができる人はかなり限られてくる。もう私に勝ち目は無いかもしれない。
私の降りる駅につきとぼとぼと家までの道をゆっくりと歩く。お母さんが今家に居るからきっと、学校どうだったと聞いてくるだろう。
なんて私は答えればいいんだろう。沢山お金を使わせてもらって私立高校に行った。
そこで私が高校生活を楽しんでいないとしったらさぞかし悲しむだろう。
どれだけゆっくり歩いても結成いつかは着いてしまう。
「‥‥‥ただいまー」
聞こえるか聞こえないかのギリギリのラインの声量で帰りの挨拶をする。
そのまま自分の部屋に直行しよう。
「あら、帰ってきたの?おかえり」
「あ、うん。ただいま」
階段まであとちょっとのところで運悪くお母さんに捕まってしまった。
「学校初日だったけど体は大丈夫?お友達出来たかしら?」
「まあまあかなあー?」
お母さんの質問を適当に流し、もう疲れて寝たいから二階行くねと言い階段を駆け上った。
ベッドめがけて思い切りダイブする。
「はあ、疲れたー!」
昔から何かに飲み込まれそうになった時私以外誰もいない場所では無意識に声が出ている。
明日も頑張って学校に行かなきゃいけない。
一回休んだらその後もずるずると休んでしまう。
沢山お金と手間をかけてもらったんだから私に休む権利はない。
高校生活先行きは暗そうだ。
転校してから一週間がたった。
友達も今だ出来ていないし、ハンカチの彼にも会えていない。
四時間目の授業が終わりお弁当を出そうと鞄の中をがさごそと探していたら急に声をかけられた。
「伊藤さん、数学のノート集めるから教卓に出しておいてね!」
「あっ、うん。分かりました!」
この後何か話すべきだろうか。だけど、話題が全く思いつかない。
踵を返し少しずつ離れていく背中に声を掛ける。
「えっと、教えてくれてありがとう」
「え?えっと、なにがかな?」
あははと気まずそうに苦笑いしながら彼女が質問してくる。
しまった、今のは私の思いつきで言ったお礼が良くなかった。
「あ、あの。ノート提出を教えてくれたことについて‥‥」
「ああ、なるほど!別に全然いいよ」
彼女は人当たりの良さそうな笑顔でグッドサインをつくった。
「じゃあね」そういって私の席から完全に離れて、仲の良い子のいる方へと走っていった。
はあ、何でこんなに上手くいかないんだろう。
もっと簡単に友達が出来るものだと勘違いしていた。のんきに転校してきた一週間前の私を殴ってやりたい。
教室を見渡すと誰も一人で食べている子がいなかった。私だけ一人で食べるのが恥ずかしく思えてお弁当を持って廊下へと出る。
まだ転校してきたばかりなのでどこに何の教室があるのか全く分からない。
私の気分で足をどんどん進めていく。
「‥‥図書準備室?」
ふらふらと彷徨っていたら図書室の隣にひっそりとある図書準備室というところについた。私の通っていた中学校には図書準備室なんて部屋は存在しなかった。
鍵はかかっていなくてドアを引くと、直ぐに開いた。恐る恐る足を踏み入れる。
図書準備室は図鑑や資料などが多く、日光も当たりづらい場所にあるので薄暗かった。
図書準備室には私以外誰もいなかった。
奥に置いてあったパイプ椅子を出して組み立てる。ここでお弁当を食べることにしよう。パイプ椅子に腰をかけお弁当箱を開く。
お弁当箱の中身は私の好きなもので埋め尽くされていた。
「あっ、春巻きが入ってる」
大好物の春巻きを見つけてテンションが上がる。
一人での食事はかなり寂しい。
気を紛らわすためにスマホからラジオを流す。
入院中にも寂しいときはよくラジオを流していた。人の声が聞こえると少し寂しさがまぎれる。
適当に選局してラジオを流す。
「みなさん!春は出会いと別れの季節。あなたの出会いと別れのエピソードをお待ちしております!番組ホームページにじゃんじゃん送ってくださーい。続いてのコーナーです‥‥‥」
明るいラジオパーソナリティーの声が静かな図書準備室に響き渡る。
「出会いと別れかぁ。今のところ全然無いな」
ラジオパーソナリティーの声しか聞こえないこの部屋が嫌でわざと声に出して言ってみる。
でもやっぱり図書準備室は依然寂しいままだ。
「それではみなさん!また来週お会いしましょう。さようならー!!」
ラジオを流し始めたばかりなのにあっという間に番組が終わってしまう。次のラジオ番組が好きではなかったのでラジオを止め好きなバンドの曲を流す。ぼんやり曲を聞きながら黙々と箸を動かし食べ物を体内へと摂取していく。
音量を少し上げる。寂しすぎて怖かった。
「先輩、その曲もうちょっと音量下げてもらえませんか?」
「えっ、‥‥‥」
後ろから急に声が聞こえてきて驚いて振り返る。
するとそこには不機嫌そうな顔をした男子生徒がいた。そう、転校初日に会ったハンカチを落としていった彼が。
「あの、はやく音下げてもらえませんか。うるさすぎけて昼寝が出来ないんですけど」
「あっ、そうだね。ごめん」
慌てて音量を下げる。
びっくりした、まさか図書準備室で探していた彼と会うだなんて。
「それより、公共の場での行動改めた方が良いですよ」
「‥‥‥え?」
「ラジオ流してひとり言大きい声で言ったり、曲流したりするの迷惑ですよ」
まったく、と言い彼が呆れたような表情をする。
「ごめん。てっきり私以外に誰もいないと思ってたから‥‥」
「そうですか、それより何で始業式の日オレのこと追いかけてきたんですか?」
心底不思議そうな顔で彼が訪ねてくる。
あっ、やばい。どうやって言い訳しよう。
バカ正直にあなたのことが気になったので追いかけましただなんて絶対に言えない。
「あっ、それはその。‥‥職員室を出る時にハンカチを君が落としたからだよ。ほら、スカッシュのグッズの」
本当は職員室じゃなくて廊下で落としていたけど職員室で落としたということにさせてもらう。
「えっ、スカッシュのハンカチですか!今持ってたりします?」
「ううん。今、鞄の中にハンカチ入ってるけど‥‥」
「ハンカチ早めに渡してもらえますか」
食い気味に彼がそう言ってきた。
ちょうどそこで授業開始の五分前を知らせる音楽が鳴る。
「やばい、もう行かなきゃ次の授業遅れる。すみません先輩、放課後学校の近くある神社の所に来てくれませんか?」
「あっ、うん。分かった」
じゃあ、そう言って走り出していく。
どんどん遠のいていく背中に思わず声をかけてしまった。
「まって!君の名前なに?」
少しだけ立ち止まり「宮野健です」そう振り向いて言いまた、駆け出していった。
慌ててお弁当箱を片付けて図書準備室を飛び出る。宮野健君、走りながら心のなかでそう呟いてみた。
放課後神社にやってきた。
でも、肝心の健君がかれこれ十五分以上待っているけれど全然姿を現さない。
遅いなあ、腕にはめている時計を何度もちらちらと見てしまう。
「すみませんっ!待たせました」
鳥居の方から、走って健君がやってきた。
よほど急いでいたのか、額にはうっすらと汗が出来ている。
「大丈夫だよ。そんな急いで来なくても良かったのに」
「いえ‥‥あの、ハンカチ渡して貰えますか?」
「あ、うん。どうぞ」
ハンカチを鞄から出して彼の方へと差し出す。
「ありがとうございます」
彼はほっとした表情でハンカチを受け取る。
そんなにもスカッシュのことが好きなのだろうか。もし好きだったら私と一緒だな。
「健君もスカッシュ好きなの?」
「オレですか?別に普通ですよ」
「えっ、そうなの!てっきり好きなんだと思ってたよ」
「健君もってことは、先輩スカッシュ好きなんですか?」
「うん、だから健君と好きなバンド一緒だって思ってたんだけど」
残念ながら違います、と苦笑いしながら健君が言う。
「そう言えば、何で先輩始業式の日に職員室にいたんですか?」
「この春からここに転校してきたんだ」
「引っ越したんですか?」
「ううん、違うよ」
健君の顔にはどうしてという疑問が出ていた。
そして急にハッとした顔になり、「ごめんなさい。無神経なこと聞いてすみません」と言っていた。
もしかして、私がいじめや退学などでこの高校に来たと思ったのだろうか。
思わずクスクス笑ってしまう。そんな私をさらに不思議そうな顔で健君が見てくる。
「元々通信制の高校に通ってて、全日制に通いたくなったから転校してきたの。やっぱり一度きりのJK生活楽しみたくなって」
「そうなんですか、それよりオレまだ先輩と出会って数日しか経ってないのに失礼なことたくさんしてごめんなさい」
「えっ?なにが?」
「始業式の日にハンカチを届けるために追いかけてくれた先輩のこと睨んだじゃないですか。」
それは、ただ健君のことが気になって追いかただけなのでそんなにしょんぼりとした顔で言われると、とても申し訳なくなってくる。
「それに、今日だって別にそこまでうるさく無かったのに寝起きで機嫌悪くて先輩に当たっちゃってすみません」
綺麗に九十度のお辞儀をしてくる、健君を慌てて止める。
「いやいや、それは私がどう考えても悪いから」
図書準備室に誰も居ないと思っいてたとはいえ、ラジオを流したり、音楽をかけたりする行為は私に非がある。
「話は変わりますけど、先輩バンド好きなんですか?」
「え、なんで?」
「だって、図書準備室でバンドの曲流してたし、健君もスカッシュ好きなのって言ってたじゃないですか。も、ってことは自分も好きって意味ですよね?」
「あー、なるほど。健君まるで探偵みたいだね。健君の言った通り私はバンド好きだよ」
「もしかして、先輩がこの高校選んだのってスカッシュのボーカルが卒業生だならですか?」
やはりこの高校の生徒はスカッシュのボーカルが卒業生ということをみんな知っているのだろう。
「うーん、半分正解で半分不正解かな。私がこの高校を選んだのは有志企画に自分でつくったバンドに出たかったからなんだ」
「バンドってことは先輩もなにか楽器出来るんですか?」
健君が驚いた顔で尋ねてくる。そんなにも驚かれるようなことだろか。
「ギター弾けるよでも、メインはボーカルかな」
「ボーカルってことは歌上手なんですね」
「いや、上手って訳じゃなくて暇だったからずっと歌ってただけだよ。ギターもね」
ふっと、自虐的に笑った。
入院中の私は時間に持て余していた。
「もしかして、健君も楽器出来たりする?」
もし健君が楽器が出来るのであれば、バンド結成の道へ一歩近づく。どきどきしながら健君の口が開くのを待つ。
「‥‥‥‥‥‥‥楽器は一応全部出来ますよ」
「本当!!じゃあ、」
「バンドには入りませんよ。ハンカチを拾ってもらったことには感謝してますけど」
私の言葉を遮るように健君が冷たい声で言い放った。健君の表情はびっくりするほど声と同じように冷たくて思わず怖くなって目を逸らした。
「お願いします神様!私が死ぬ時に出会えてよかったって思える人に巡り会える様にどうか良い縁を宜しくお願いします!」
今日はお賽銭をいつもは五円だけだけど、五十円も出した。
色々あって、節約が大好きになった私にとっては五十円の出費でも少々心が苦しいところだが今日は特別。それに、これからは無駄にケチケチせずに欲しいものは買う、そう決めたのだ。
伊藤光、十六歳。高校2年生。
特技は絵を描くことで趣味は音楽を聴くこと。多分ここまでは普通の女の子と変わらないと思う。
でも、ここからが私の場合普通の女の子とは違う。
肝臓がん。それが中学三年生だった私に診断された病名だった。お腹に圧迫感のよう痛みを感じたり、特に食生活を変えていないのにお腹が張ったりしていた。そこで、念の為近くの病院の先生のところに行ったら、直ぐに大きな病院に行くように言われた。
肝臓がん、そう先生が口にした瞬間を今でも鮮明に覚えている。私が診断された病名は肝臓がんだった。
泣き叫ぶお母さん、魂が何処かに行ったかのような顔をしていたお父さん、そして驚きで声も出ずに固まる私。
なかなか、その場はカオスだったと思う。
当時の私には肝臓がんというものがよく分かっていなくて、ショックより驚きの方が大きかった。
飲酒や喫煙なんてもちろんしていないし、年だってまだまだ全然若い。
それに、今まで当たり前のようにみんなと同じ普通の生活を送ってきた。
『何で私が、肝臓がんに?』
それが私が診断されて始めて言ったことばだった。そしたら、先生が肝臓がんについていろいろと説明してくれた。
未成年が肝臓がんになる確率はかなり少ないけれど、なることもあるということ。
そして、初期症状がほとんどなく『沈黙の臓器』とも呼ばれている肝臓がんだが、幸いにも私の場合は比較的早く発見出来て治る確率が高いということ。
先生はとても丁寧に分かりやすく説明してくれたけれど、私の頭には全然入ってこなかった。
肝臓がん、その言葉が私の頭の中でぐるぐると回っていた。
程なくして、私の入院生活が始まった。
薬の副作用の影響か、原因はわからないけれど治療のせいで髪の毛が抜けたこともあった。
バサバサ抜けていくのが怖くてそこで始めて肝臓がんになってから泣いた。
肝臓がんの手術は無事成功した。
でも、私の病気は再発や転移なとで五年生存率が低い病気だった。
五年生存率はステージと呼ばれるがんの進み具合や年齢によって変わるけれど平均は約四十パーセント。
もし肝臓がんになった人が十人いたら四人は生きていられるけど六人は5年以上生きられない。
そう考えると凄く怖くなってきた。
もし私がその六人に入ったら5年以上生きられない。確率は三分の五だ。
だから私は決めた。もしその三分の五になっても後悔せずにいられる様に生きよう、そう決めた。
病気の影響で私の高校は通信制の高校だった。
でも、通信制の高校だと対面の授業が少なかったり、行事が少なかったりと高校生らしい体験が出来ない。それと正直に言って友達を作りにくくて話す相手がいなくて毎日暇だ。
だから、私は思いきって転校することにした。
楽しい高校の思い出を作るために。
私が死ぬ時にもう別に後悔はない、そう思いながら死ねるように。
リボン良し、スカート良し、髪良し、メイク良し。大丈夫、何もおかしいところは無いはず。
やはり初日だと思うとどうしても気合が入ってしまう。
スカート短すぎかな、最初からこんなに短くして来たら出しゃばりな転校生と思われてしまうかもしれない。
でも、スカートは折る回数を減らせば長くなるから良い。問題は髪の毛だ。
治療のせいで抜けた髪の毛はだいぶ生えてきたが、長さはかなり短くてまだまだベリーショートといったところだ。
鏡を見るたびに落ち込んでいた私を気遣ってか、両親がウィッグをプレゼントしてくれた。
でも、問題はウィッグの髪色がかなり明るかったことだ。
私の行く高校は校則が緩く髪を染めている人も稀に居るみたいだけれど、私が高校に見学に行ったときはほぼ全員が黒髪で染めている人は見かける限り数人しか居なかった。
このウィッグ大丈夫かな、不安に思って何度も鏡の前で微調整をする。
「もう、姉ちゃん!そんなカツラ触ってもなんも変わらないからはやくオレに代わってよ!」
「うるさいバカ弟!それにカツラじゃなくてウィッグ!分かった?!」
「ああ、もう分かったよ!うるっせえなあ」
私のウィッグをカツラと言ってからかってくる弟のせいで無性にイライラしてくる。
カツラと言われるかウィッグと言われるかではダメージが全然違う。
カツラと言われるとまるでお前はハゲている、と言はれている様な感覚になる。
中学一年になった弟の勇人は私が病気になる前となった後では随分態度が変わってしまった。
退院して始めて勇人と喋った日はとても驚いたことを覚えている。
まるで、勇人じゃなくて別人の人と喋っているみたいだった。
昔は可愛くて優しくて聞き分けの良い自慢の弟だった。
喧嘩だって全くした事が無く、しょっちゅう一緒に遊んでいた。
でも、久しぶりに話した勇人は口が悪くて、わざと私をイライラさせる様なことばかり言ってきて、態度も悪くなっていた。
正直、これが今の勇人って認めたく無かった。
でも、それより勇人の声が低くなっていて、背が私よりも高くなっていて筋肉も少しついていて、色白だった肌が少し焦げていたことの方がショックだった。
私が居ない間に勇人は変わっていて、私は勇人の成長を間近で見れなかった。
そして、勇人は私を置いてどんどん変わっていってしまった。私は何も変われなかった。ただ暇な一日が終わるのをただ待っているだけの生活だった。だからこそ、勇人を見て思った。
私変わりたい、もう取り残されたくない。
「いってきまーす!」
鞄を手にとって勢いよく玄関を開ける。
駅までの道に咲いている桜は美しく咲き誇っている。
もう、始業式には枯れているかも知れないと心配していたが無事桜が咲いていてホッとした。
電車に乗ると別の制服を着た女子高生二人組が楽しそうにお喋りしている光景が目に入った。
私もいずれあんな風に登校するのかな。
そんな期待に胸を膨らませながら電車に揺られていたらあっという間に最寄り駅に着く。
私の行く高校に近くなると同じ制服を着た生徒が増えてくる。
学校に着き、校門をくぐる。
迷いながらもなんとか職員室に着き私の担任の先生を探す。
「あのっ‥‥、田中先生っていますか?」
「ああー、田中先生ね。ちょっとまってて」
プリントを印刷していた先生が手を止めて田中先生を呼びに行ってくれる。
「待たせちゃってごめんね、伊藤さん。」
「いえいえっ、全然待ってないので大丈夫です」
田中先生は優しいみんなのママみたいな先生で私が肝臓がんだったことも知っている。
「じゃあ、伊藤さんがクラスに行くのは始業式が終わった後だから来賓様のあそこの椅子に座って待っててくれるかしら?」
「はい。分かりました」
「それと、伊藤さん。体調は大丈夫?悪くなったら直ぐに先生たちに言ってね」
「気遣ってもらってありがとうございます。体調は今のところ大丈夫です!」
にこりと微笑んで返事をする。
私の高校生活のモットーはとにかく笑顔でだ。
この前久しぶりに病院の先生に会いに行った時、とにかく笑顔でいれば自然と人が寄ってくる、そして自分も明るくなれる。そう看護師さんに教えてもらった。
椅子に座って職員室に飾られていた去年の学校祭の写真を見る。
みんな、楽しそうにピースして写っている。
「‥‥‥有志企画のバンドだ」
ちょうど写真に写っているバンドは私が観た動画の人たちとは違うけれどバンドのメンバーみんな楽しそうな表情をして写っている。
私がこの高校を選んだ理由はある一本の動画からだった。
その動画は当時学校に通っていた生徒が客席から有志企画に出演したバンドを撮ったのをあげた動画で画質は悪いし、手ぶれもひどいけどそれ以上にバンドの迫力に惹きつけられた。
あの動画を観た時の衝撃は今でも覚えている。
コメント欄にこんな青春してみたかったとか、憧れすぎるなどとかかれていて、その時入院していた私は学校生活が懐かしくなってみた時には必ず見ていた動画だ。とは言え病気になる前もぱっとしないつまらない生活を送っていたのでこんな輝かしい学校生活では無かったが。
当時、ボーカルとしてバンドを引っ張っていた生徒はその後デビューした。私もそのバンドを熱烈に推している。
湧き上がる会場、やまないコール、響き渡るボーカル。画面から目が離せなくなった。
この動画を見た後、私は決意した。
高校でバンド組んで絶対有志企画に出るんだ。
そう決意したから、私はこの高校に転校してまで入った。多分バンドをやらないと絶対後悔したまま死んじゃう、不思議と強くそう思った。
職員室の入り口から心地よい低音の声が聞こえてきて思わず振り返った。
「失礼します。山本先生っていますか?」
何故かその声に前も聞いたような懐かしさを感じ振り向く。
そこにいたのは、髪の毛を茶髪に染めたかなり美形の男子生徒だった。目は吸い込まれそうなほどに澄んでいて、少し色素の薄い瞳の色が特徴的だった。まさに私の好きなタイプだった。
この学校はネクタイとリボンの色が学年ごとに違う。彼は緑色のネクタイをしているので1年生だろう。ちなみに私は赤色のリボンだ。
私の視線に気づいたのか男子生徒が山本先生の机向かう最中、怪訝な顔でこちらを見てくる。しまった、さすがにじっと見過ぎて変に思われちゃったな。
山本先生と数分話した後、職員室から出て行った。なんとなく彼のことが気になり、近くに居た先生にお手洗いに行くと言って職員室を飛び出す。男子生徒の後を気付かれないように気をつけながら急いで追いかける。
すると、突然彼が振り返り目が合う。私の存在を確認した途端急に彼が走り出した。しかし、走っている途中で彼のポケットからハンカチが落ちてしまった。慌てて拾い上げる。
「あっ‥‥、待って!」
呼び止めてもこちらを見向きもせずにどんどん遠くへ走っていってしまい、彼の背中も見えなくなってしまった。
「このハンカチどうしよう?」
拾ったけれど、彼の名前も分からないし本人に届けられるか分からない。
それに、私は彼に警戒されてしまったようだ。
高校生活の目標として誰からも嫌われずに過ごすという目標があったけれどもう、無理そうだ。
「はあ‥‥」力なく肩を下ろしぼんやりと床を見つめる。
「あれっ?このハンカチってスカッシュの限定グッズ?」
彼が落としたハンカチには端っこに小さくスカッシュという文字があり、グッズ商品としてストアで見たことがある気がする。
スカッシュは今若者に人気のバンドのことだ。
私も入院中つらいことがあるたびにスカッシュの曲を口ずさんで、元気を出していた。今でも熱烈に推している。
実はスカッシュのボーカルのヒロトはこの学校の卒業生で、私が観た動画でボーカルを担当していたのもヒロトだ。
私がスカッシュにハマったのはあの動画の、ヒロトのおかげだ。
でも、彼がスカッシュを好きなのは意外だった。
喋ったことは無いので全く彼の性格は分からないのだがなぜだかそんな気になった。
スカッシュは割と真っ直ぐに、頑張れなどという応援ソングを作るバンドだ。彼はなぜだか、こういう真っ直ぐな応援ソングが好きではないイメージがした。
「今日中にこのハンカチが届けに行こう」
私と同じバンドが好きだなんて、何だか彼のことが気になって仕方が無い。
もう彼には嫌われていると思うが無視されても必死に食らいつこう。
彼にとっては非常に迷惑だと思うが、私は心のなかでそう決心した。
その後、体育館での長い始業式が終わりいよいよ私がこれから過ごすクラスに行くことになった。
「伊藤さんはどこか部活に入るつもりなの?」
「部活ですか?うーん、どうだろう」
私の担任の田中先生は今クラスのみんなを引率して私と一緒に教室に行くことができないので代わりの名前の知らない先生と一緒に私のクラスへと他愛もない話をしながら歩いていく。
「でも、部活に入っても毎日行けるか分からないので中途半端になっちゃいそうなので、部活は今のところ入る予定はないですかねえ」
「そっかあ、でも活動日数が少なくてゆるい部活もあるからそういうところに入るのも良いかもね」
「なるほどー」
名前も知らない先生と話しながら学校の廊下を歩いているだなんて、変な感じ。
病気になってからは病院の先生もかわることが無くてずっと一緒だったし、通信学校の時もいつも同じ先生の授業を受けていたので名前も知らない人と話すのはとても久しぶりだ。
これからまだ名前の分からないたくさんの人と仲良く慣れたら良いなあ。
そんなことを考えながら歩いていたらあっという間にクラスに着いた。
「田中先生!」こちらに手招きしながら名前の知らない先生が田中先生のことを呼ぶ。
「伊藤さん。先生が入ってきてって合図したら教卓のところまで真っ直ぐに歩いてきて自己紹介してね!」
小走りでこちらにやってきた先生が一気に説明した後、頑張ってねと小さくガッツポーズをしてまた直ぐに教室へと戻っていく。
「今日は転校生の子がやってきます。さあ、入ってきて!」
田中先生がみんなの前でそう言うとクラスは一気に盛り上がる。
この学校はクラス替えが無い。なので新学期特有の静かさというものは無くてもうみんな打ち解けているのだ。
「男子かな?女子かな?」
「どんな奴だろー?」
転校生の話題でどんどん盛り上がる教室に入りづらくなって思わず扉の前で足が立ち止まる。
田中先生が笑顔でこっちを見てくるけれど、今は怖くて入れそうに無い。
「さあ行っておいで」
名前の知らない先生にぽん、と肩を押され教室の中に体が入る。
みんなの視線が怖くなってうつむきながら教卓までの距離を進む。
「はいっ!じゃあ、自己紹介お願いしますー」
「‥‥‥いっ、伊藤光です。えっと、これから宜しくお願いします」
上手く言葉が出てこなくて予定していた自己紹介よりもかなり短くなってしまった。
「おしまい?」田中先生に小声で聞かれて首を縦に振る。
私の自己紹介から若干の間が空いた後にちらほらと拍手が聞こえてきた。
「じゃあ伊藤さんの席はあそこね!」
先生の指定した席の方へと足を動かす。
周りの席の人たちに小さくお辞儀しながら自分の席に座る。
まさかこんなにも緊張するだなんておもってもいなかった。看護師の先生に言われたとにかく明るく笑顔でという教えも実行できなかった。
そんな自分に落ち込みながら先生の話をぼんやりと聞く。
二時間目が終わり休み時間になる。するとクラスの女子はグループで固まり始める。
この学校はクラス替えが無いのでやはりもうグループが完全に出来ているみたいだった。
一人で居る子は誰も居ないし、どうしよう。
誰も私に話しかけてくれる子はいなくて自分の席で俯いてはやく授業時間になるのを待った。
何故か前を向くことが出来なかった。
頭では誰も私のことをヒソヒソ噂してなんかいないと分かっているのにみんなの視線、会話が気になってしまい落ち着かない。
音楽なんか聴いていないのにイヤホンを耳に突っ込む。周りの音がモヤがかかったような音になりみんなの会話が聞こえなくなって少し安心する。鼓膜と外の音にイヤホンという一つの壁が出来る。それだけで無性に安全圏に居る気分になった。
今日の授業が終わり帰宅時間になった。
頑張って誰かに声をかけてから帰ろうかな。
そう思ったけれど声を掛ける勇気が無くて結局逃げるように教室を出て行った。
早足で歩きまだ同じ学校の生徒が少ない電車に飛び乗る。
暇なので音楽を聴こうと思い鞄の中を探す。
「‥‥あ、ハンカチそのまま持ち帰っちゃった」
鞄の中には彼に返そうとしていたハンカチが入っていた。どうしよう、もう電車に乗ってしまったので今から引き返すことは出来ない。
それに、あの男子生徒の名前を聞いておくべきだった。探すのにかなりの手間がかかってしまう。
明日はまだ一緒に男子生徒の捜索を手伝ってくれる友達もいないのでこの身一つで1年生のフロアに行って探すしか無い。
はあ、それよりも友達が出来そうに無い。
もうみんなグループで固まっていて私が入れそうにないし、きっと私が入ったら相手に迷惑だと思われるだろう。
まずこの学校が1年生からずっとクラス替えをしないという時点から転校生には不利だ。
友達なんか作れる訳がない。
今朝あんなにも意気込んでいた私が馬鹿みたいだ。友達が作れなかったらバンドを結成だなんて夢のまた夢だ。
しかも、楽器ができる人はかなり限られてくる。もう私に勝ち目は無いかもしれない。
私の降りる駅につきとぼとぼと家までの道をゆっくりと歩く。お母さんが今家に居るからきっと、学校どうだったと聞いてくるだろう。
なんて私は答えればいいんだろう。沢山お金を使わせてもらって私立高校に行った。
そこで私が高校生活を楽しんでいないとしったらさぞかし悲しむだろう。
どれだけゆっくり歩いても結成いつかは着いてしまう。
「‥‥‥ただいまー」
聞こえるか聞こえないかのギリギリのラインの声量で帰りの挨拶をする。
そのまま自分の部屋に直行しよう。
「あら、帰ってきたの?おかえり」
「あ、うん。ただいま」
階段まであとちょっとのところで運悪くお母さんに捕まってしまった。
「学校初日だったけど体は大丈夫?お友達出来たかしら?」
「まあまあかなあー?」
お母さんの質問を適当に流し、もう疲れて寝たいから二階行くねと言い階段を駆け上った。
ベッドめがけて思い切りダイブする。
「はあ、疲れたー!」
昔から何かに飲み込まれそうになった時私以外誰もいない場所では無意識に声が出ている。
明日も頑張って学校に行かなきゃいけない。
一回休んだらその後もずるずると休んでしまう。
沢山お金と手間をかけてもらったんだから私に休む権利はない。
高校生活先行きは暗そうだ。
転校してから一週間がたった。
友達も今だ出来ていないし、ハンカチの彼にも会えていない。
四時間目の授業が終わりお弁当を出そうと鞄の中をがさごそと探していたら急に声をかけられた。
「伊藤さん、数学のノート集めるから教卓に出しておいてね!」
「あっ、うん。分かりました!」
この後何か話すべきだろうか。だけど、話題が全く思いつかない。
踵を返し少しずつ離れていく背中に声を掛ける。
「えっと、教えてくれてありがとう」
「え?えっと、なにがかな?」
あははと気まずそうに苦笑いしながら彼女が質問してくる。
しまった、今のは私の思いつきで言ったお礼が良くなかった。
「あ、あの。ノート提出を教えてくれたことについて‥‥」
「ああ、なるほど!別に全然いいよ」
彼女は人当たりの良さそうな笑顔でグッドサインをつくった。
「じゃあね」そういって私の席から完全に離れて、仲の良い子のいる方へと走っていった。
はあ、何でこんなに上手くいかないんだろう。
もっと簡単に友達が出来るものだと勘違いしていた。のんきに転校してきた一週間前の私を殴ってやりたい。
教室を見渡すと誰も一人で食べている子がいなかった。私だけ一人で食べるのが恥ずかしく思えてお弁当を持って廊下へと出る。
まだ転校してきたばかりなのでどこに何の教室があるのか全く分からない。
私の気分で足をどんどん進めていく。
「‥‥図書準備室?」
ふらふらと彷徨っていたら図書室の隣にひっそりとある図書準備室というところについた。私の通っていた中学校には図書準備室なんて部屋は存在しなかった。
鍵はかかっていなくてドアを引くと、直ぐに開いた。恐る恐る足を踏み入れる。
図書準備室は図鑑や資料などが多く、日光も当たりづらい場所にあるので薄暗かった。
図書準備室には私以外誰もいなかった。
奥に置いてあったパイプ椅子を出して組み立てる。ここでお弁当を食べることにしよう。パイプ椅子に腰をかけお弁当箱を開く。
お弁当箱の中身は私の好きなもので埋め尽くされていた。
「あっ、春巻きが入ってる」
大好物の春巻きを見つけてテンションが上がる。
一人での食事はかなり寂しい。
気を紛らわすためにスマホからラジオを流す。
入院中にも寂しいときはよくラジオを流していた。人の声が聞こえると少し寂しさがまぎれる。
適当に選局してラジオを流す。
「みなさん!春は出会いと別れの季節。あなたの出会いと別れのエピソードをお待ちしております!番組ホームページにじゃんじゃん送ってくださーい。続いてのコーナーです‥‥‥」
明るいラジオパーソナリティーの声が静かな図書準備室に響き渡る。
「出会いと別れかぁ。今のところ全然無いな」
ラジオパーソナリティーの声しか聞こえないこの部屋が嫌でわざと声に出して言ってみる。
でもやっぱり図書準備室は依然寂しいままだ。
「それではみなさん!また来週お会いしましょう。さようならー!!」
ラジオを流し始めたばかりなのにあっという間に番組が終わってしまう。次のラジオ番組が好きではなかったのでラジオを止め好きなバンドの曲を流す。ぼんやり曲を聞きながら黙々と箸を動かし食べ物を体内へと摂取していく。
音量を少し上げる。寂しすぎて怖かった。
「先輩、その曲もうちょっと音量下げてもらえませんか?」
「えっ、‥‥‥」
後ろから急に声が聞こえてきて驚いて振り返る。
するとそこには不機嫌そうな顔をした男子生徒がいた。そう、転校初日に会ったハンカチを落としていった彼が。
「あの、はやく音下げてもらえませんか。うるさすぎけて昼寝が出来ないんですけど」
「あっ、そうだね。ごめん」
慌てて音量を下げる。
びっくりした、まさか図書準備室で探していた彼と会うだなんて。
「それより、公共の場での行動改めた方が良いですよ」
「‥‥‥え?」
「ラジオ流してひとり言大きい声で言ったり、曲流したりするの迷惑ですよ」
まったく、と言い彼が呆れたような表情をする。
「ごめん。てっきり私以外に誰もいないと思ってたから‥‥」
「そうですか、それより何で始業式の日オレのこと追いかけてきたんですか?」
心底不思議そうな顔で彼が訪ねてくる。
あっ、やばい。どうやって言い訳しよう。
バカ正直にあなたのことが気になったので追いかけましただなんて絶対に言えない。
「あっ、それはその。‥‥職員室を出る時にハンカチを君が落としたからだよ。ほら、スカッシュのグッズの」
本当は職員室じゃなくて廊下で落としていたけど職員室で落としたということにさせてもらう。
「えっ、スカッシュのハンカチですか!今持ってたりします?」
「ううん。今、鞄の中にハンカチ入ってるけど‥‥」
「ハンカチ早めに渡してもらえますか」
食い気味に彼がそう言ってきた。
ちょうどそこで授業開始の五分前を知らせる音楽が鳴る。
「やばい、もう行かなきゃ次の授業遅れる。すみません先輩、放課後学校の近くある神社の所に来てくれませんか?」
「あっ、うん。分かった」
じゃあ、そう言って走り出していく。
どんどん遠のいていく背中に思わず声をかけてしまった。
「まって!君の名前なに?」
少しだけ立ち止まり「宮野健です」そう振り向いて言いまた、駆け出していった。
慌ててお弁当箱を片付けて図書準備室を飛び出る。宮野健君、走りながら心のなかでそう呟いてみた。
放課後神社にやってきた。
でも、肝心の健君がかれこれ十五分以上待っているけれど全然姿を現さない。
遅いなあ、腕にはめている時計を何度もちらちらと見てしまう。
「すみませんっ!待たせました」
鳥居の方から、走って健君がやってきた。
よほど急いでいたのか、額にはうっすらと汗が出来ている。
「大丈夫だよ。そんな急いで来なくても良かったのに」
「いえ‥‥あの、ハンカチ渡して貰えますか?」
「あ、うん。どうぞ」
ハンカチを鞄から出して彼の方へと差し出す。
「ありがとうございます」
彼はほっとした表情でハンカチを受け取る。
そんなにもスカッシュのことが好きなのだろうか。もし好きだったら私と一緒だな。
「健君もスカッシュ好きなの?」
「オレですか?別に普通ですよ」
「えっ、そうなの!てっきり好きなんだと思ってたよ」
「健君もってことは、先輩スカッシュ好きなんですか?」
「うん、だから健君と好きなバンド一緒だって思ってたんだけど」
残念ながら違います、と苦笑いしながら健君が言う。
「そう言えば、何で先輩始業式の日に職員室にいたんですか?」
「この春からここに転校してきたんだ」
「引っ越したんですか?」
「ううん、違うよ」
健君の顔にはどうしてという疑問が出ていた。
そして急にハッとした顔になり、「ごめんなさい。無神経なこと聞いてすみません」と言っていた。
もしかして、私がいじめや退学などでこの高校に来たと思ったのだろうか。
思わずクスクス笑ってしまう。そんな私をさらに不思議そうな顔で健君が見てくる。
「元々通信制の高校に通ってて、全日制に通いたくなったから転校してきたの。やっぱり一度きりのJK生活楽しみたくなって」
「そうなんですか、それよりオレまだ先輩と出会って数日しか経ってないのに失礼なことたくさんしてごめんなさい」
「えっ?なにが?」
「始業式の日にハンカチを届けるために追いかけてくれた先輩のこと睨んだじゃないですか。」
それは、ただ健君のことが気になって追いかただけなのでそんなにしょんぼりとした顔で言われると、とても申し訳なくなってくる。
「それに、今日だって別にそこまでうるさく無かったのに寝起きで機嫌悪くて先輩に当たっちゃってすみません」
綺麗に九十度のお辞儀をしてくる、健君を慌てて止める。
「いやいや、それは私がどう考えても悪いから」
図書準備室に誰も居ないと思っいてたとはいえ、ラジオを流したり、音楽をかけたりする行為は私に非がある。
「話は変わりますけど、先輩バンド好きなんですか?」
「え、なんで?」
「だって、図書準備室でバンドの曲流してたし、健君もスカッシュ好きなのって言ってたじゃないですか。も、ってことは自分も好きって意味ですよね?」
「あー、なるほど。健君まるで探偵みたいだね。健君の言った通り私はバンド好きだよ」
「もしかして、先輩がこの高校選んだのってスカッシュのボーカルが卒業生だならですか?」
やはりこの高校の生徒はスカッシュのボーカルが卒業生ということをみんな知っているのだろう。
「うーん、半分正解で半分不正解かな。私がこの高校を選んだのは有志企画に自分でつくったバンドに出たかったからなんだ」
「バンドってことは先輩もなにか楽器出来るんですか?」
健君が驚いた顔で尋ねてくる。そんなにも驚かれるようなことだろか。
「ギター弾けるよでも、メインはボーカルかな」
「ボーカルってことは歌上手なんですね」
「いや、上手って訳じゃなくて暇だったからずっと歌ってただけだよ。ギターもね」
ふっと、自虐的に笑った。
入院中の私は時間に持て余していた。
「もしかして、健君も楽器出来たりする?」
もし健君が楽器が出来るのであれば、バンド結成の道へ一歩近づく。どきどきしながら健君の口が開くのを待つ。
「‥‥‥‥‥‥‥楽器は一応全部出来ますよ」
「本当!!じゃあ、」
「バンドには入りませんよ。ハンカチを拾ってもらったことには感謝してますけど」
私の言葉を遮るように健君が冷たい声で言い放った。健君の表情はびっくりするほど声と同じように冷たくて思わず怖くなって目を逸らした。

