どんな自分だって

せめて、死んだら喜ばれるくらいの真っ当な悪役になりたかった。

ある人が好きになって、ある時その人がにくくなる。
こんな思いするのなら、最初から憎いものであって欲しかった。
でも、きっとその人はとても素敵で、周りの人から愛されたから今を生きているんだ。
そんな素敵な人を好きになれない自分が嫌いになった。
なんで自分はこんなに人を恨むことしかできないのか。
なんで自分は素直に人を好きになれないのか。



「こんな自分を、消してしまいたい。」

その言葉が浮かんだ時、思い出したのは家族、友達の顔。
きっと、自分が死んだらみんな悲しむだろう。
どこかで聞いた。
自殺をする人は、家族や友達のことも考えたが、抱えきれなくなって死を選ぶそう。
きっとそんなことで思いとどまっている自分は、どこにも分類されない出来損ないだ。
どこへ行っても、中途半端。
もういやだ。

ある小説に登場する人物が自分は大好きだ。
生まれてからはずっと一人で、ある時全ての人を敵に回した。
そして、死んだ。
その時、多くの人が歓喜したそうだ。
誰も、悲しむ者なんていない。
自分も悲しむ人がいなかったら、楽になれたのかな。



ある時、好きな人ができた。
でも、どういう好きなのかがわからなかった。
友達としての「好き」なのか、恋愛対象としての「好き」なのかわからなかった。
その人は女性だった。
自分も一応女性だ。
なぜ「一応」なのかというと、自分には「女性」という性の認識も、「男性」という性の認識もないからだ。
「無性」という表現が近いのだろうか。
もし、告白をしたら、
その人には好きな人がいるのは知っていた。
だからきっと断られるだろう。
潔く何も言わず身を引くべきなのだろうが、取られるのが嫌だった。
自分はその人の幸せよりも自分の幸せを優先するのかと思い、少し自分に失望した。

もう消えてしまいたい。
誰も悲しむ人がいなかったら、悔いなく消えていけるのに。
なんで人間は繋がることしかできないんだ。
なのになんで皮を被ってまで演じないといけないんだ。
疲れたよ。

どんな自分だって受け入れて、愛してくれる人に会いたかった。
架空の世界ではなく、この世界で。