たばこの火はもう消えかけている。
全ての手紙を読み終えたら、机の奥にしまった。
***
外に出ると空が酷く透き通っていて、粉雪がはらはらと降り注いでいる。ここはあんまり積もらない地域だけど、今年は一段と冷え込んで少し積もっていた。
普段よりも清潔感を意識して選んだ服は、何だかぎこちない。日常であんまり人と遊ばないのに、ネットの人と始めて会うから緊張感と不安でお腹が痛い。
確か、待ち合わせはバス停の前だったはず。
木漏れ日を眺めながらゆっくり歩いて近くの駅へ向かう。歩いている人は老人と犬しかいない。老人が犬を散歩しているのか、犬が老人を散歩してるのかもはや分からない。
バス停に着いた時にはもう彼女がいた。
「始めまして。私のことはつゆって呼んで」
「わかった。偽名だよね?」
「うん。じゃあ、君のことはそらって呼ぶね。」
想像とだいぶギャップがあった。手紙では敬語だったから、もっと大人しい人だろうと思ってたけど案外明るい子だ。
ひとまず、会話が続かない感じにならなくて良かった。
「さっそくだけど、海へ行こう。もうバス出発する」
「何しに行くの?」
「海を見ながら、二人で詩や小説のことを話すの。どう?」
「めっちゃ楽しそう」
僕たちはバスに乗り込んで海へと向かった。
古いバスだからか、上手く暖房がついていなくてバスの中はとにかく寒かった。
小さく身を震わせて窓の外へ目を向けた。
「あ、飛行機雲」
「どこ?」
隣に座っていた彼女が少し身を乗り出して探している。
「ほら、あそこ」
「ほんとだ。今の私達にぴったりだね」
*
「 淡い青色をしていて鏡のように照らしている、
その上には真っ白な雲が浮かんでいた。 」
後ろにある海が光を反射して君を照らしてる。
「懐かしい、つゆの歌だ。」
「寒いけど来て良かった」
「思えば遠く来たもんだ。十二の冬のあの夕べ」
「港の空に鳴り響いた。」
「大人になって子供の時の過去を思い出して
まだ変わってないなと呟いてる詩だ。いい歌」
「私も、あの頃の自分から変われてない」
そらに聞こえないようにぼそっと呟いた。
〔torn side〕
ほんと、自分はあの時からずっと同じだ。
私は小さい時から人の心がわからなかった。この文だけだと、病気みたいだけど。言い換えると、私の心には穴が空いている。もしかしたら太宰治や萩原朔太郎に似ているのかもしれない。
みんなが笑っている時に私だけ笑えない。
道端に猫が死んでいてもなんとも思えない。
そういう些細なことだけど、私は学校生活で苦しめられてきた。愛想笑いをすればいいけど、どうしても乾いた冷たい笑いになってしまう。
この違和感には小五くらいにその事に気づいた。
思い出したくなくても過去が蘇ってくる。
中1の時、勇気出して話しかけたの。でも皆の話の流れが速いのについていけなくていつの間にか聞いてるだけになっていたの。そして次の日、その子達が話してるところから偶然こんな声が聞こえてきた。
「あの子、話さないなら笑うぐらいすれば良いのに」
ちらちら見ながら言われて、苦しかった。普段気にしない自分だけど、流石にこの言葉は刺さった。本当に自分、周りが笑っててもぼーとしながら「何が面白くて笑ってるんだろう」と思うの。自分でも、思春期じみた悩みだなと思ってる。
だから、陰口を言われた時から人と関わるのが怖くなった。
あの時すごい勇気だして話したのにな。
普段、あんまり人と関わらないから。
きっと陰口を言った側はもうこの事なんか忘れてる。
このことを人に言うと、悩みが重すぎて『メンヘラ』というステッカーが貼られる。何で人はこんな言葉をつくったんだろう。もっと美しい物をつくれば良いのに。
私は小五の時から、少しも変われてない。
*
つゆが急に話さなくなったから君の顔を見たら、泣きそうになっていた。僕は必死にかける言葉を探す。
「今日はもう帰ろっか」
「うん」
「海でまた会おうね。意外と家近かったから。」
「私この海に冬休み行くから、その時に。じゃあまたね」
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真冬の海は雲から覗く樺色の夕日に反射していて綺麗だった。その変わりに冷たい空気が肌にあたっていて寒い。半ズボンで来るんじゃなかったな。
はあ、と吐く息が白い。
12月半ばから、つゆを探して海を来ているけれど予定が合わないからかなかなか会えなかった。こういう時は、紙とペンを取り出す。
スマホで書き留めていた文字を手帳に書き移していく。
『ながいこと考えこんだ。きれいにこの事は諦あきらめて、外へ出た。見上げると夕方ちかい樺色かばいろの空が、雲の間あいだに見えて嬉しかった 』
「久しぶり。なに書いてるの?」
「詩を手帳に書き移してる」
「待っててくれて、ありがと」
頬が朝日に照らされて茜色に見えた。
「いいよ」
「寒いから、今日は近くにある図書館行こ」
*
本の香りが鼻をかすめる。いつもここに来ると落ち着く。電子書籍ができたりして、デジタル化が進んでいるからか本を求めて図書館に来る人は全然いない。
「すいてる」
君の目が心なしかキラキラしている。前は暗い顔をしていたから心配だったけど、良かった。
「まず、日本文学とか和訳のとこ見に行こ」
「何の本さがしに行くの?」
「そらが手紙で、読んでるって教えてくれたあれ」
よく覚えてるな。五カ月前に書いたやつ。
「アルジャーノンか」
心臓の音がうるさくなったのはきっと気のせい。僕の前を歩きながら小説を探す君は、遠くへ連れていってくれているように見えた。
「あった!次は月に吠える探そ」
「どんな物語?」
「孤独の深い叫びを描いた物語、面白いよ」
「僕もそういう物語書こっかな」
「いつか書けたら読ませてね」
「分かった」
「そうだ、本の聖地巡礼しない?」
*
今日はいつもより服選びに時間をかけた。どうやら日帰りで何回かに分けて聖地巡礼するらしい。まだ1月だからか、薄い霜を渡る風が吹いている。思わず手をポケットに入れた。時計を見ると、時間がギリギリだ。早足で駅へ向かう。
着いた時にはもうつゆが到着していて、手を振っていた。
「そら、早くしないと電車出発する。」
「ごめん遅れて」
「お金は払うから、新幹線で青森行くよ」
***
トンネルに入ると耳に違和感を感じた。
「耳が痛いっ」
「はい。水」
「スマホでなに書いてるの?」
手元をさっと隠す。
まだアマチュアな僕の小説を見られたら恥ずかしい。
「スマホで小説書いてるんだよ。
けど、なかなか人気の順位が上がらなくて」
「小説の価値はね、順位じゃないんだよ。」
「何で」
「芸術の神様が決めるんだよ。
ほら、流行りって水が流れるように変わるでしょ?」
「確かに。でも、何でいちいち人気を確認しちゃうのかな」
「それは承認欲求か孤独からくるのだと思う」
なるほどな。と思って僕は手帳にメモをした。
「あ、Googleの地図見るともう少ししたら青森着くって」
外をみると木の葉が風に揺られている。
あの景色を僕は忘れないように、目の奥に焼き付けた。
*
目の前には大きな建物がある。
「到着。ここが太宰治のゆかりの地です」
「もしかして、この建物が斜陽館?」
「うん。学生の時に過ごした場所らしい」
「なんか…すごい。やばい語彙力下がってる」
つゆと目が合うと、おかしくて二人で笑いあった。
「言葉で表せない感動があるよね」
古い建物だけど、ちゃんと整備されているからか床を踏んでも軋まなかった。
「和って良いよね。和食とか和服とかなんでも」
「洋も良いけど、やっぱり和の方が趣がある」
「やっぱり遠くへ行くのは楽しい」
「私も」
「次はどこ行く?」
「群馬の前橋」
*
帰り道、新幹線から見る景色は茜色に染まっていて綺麗だった。持ってきたカメラを寝ている君を内緒で写した。
家に着く頃には辺りは真っ暗で、今日の出来事をこうして手帳を開いて、書き留めていく。色褪せないように。
『今日はつゆと斜陽堂に行った。建物が綺麗で色んな作品などが展示されていて楽しかった。こういう、楽しい日々は僕を不安にさせる。いつかこの幸せの終わりがきた時を想像してしまう。どうか、この瞬間が終わらないでほしい。』
〔torn side 〕
君と遊べて本当に幸せだった。
こんなに楽しめたのはいつぶりだろう。そらといると心が自然に軽くなる。身近にこういう人がいれば良かったな、と改めて思った。こういう楽しい日々が小さい頃からあれば、少しは「普通」に近づけただろうに。何も考えないで、流行りに流されて生きていけたのに。
布団にくるまって、息を殺して心の中で叫ぶ。
ー何で、私は
*
空は酷く快晴で、それとは裏腹に風が冷たかった。
到着するのが今日も遅れてしまった。
「ごめん。朝立つとふらついて起きれないんだ」
「大丈夫、多分それ起立性調節障害だから」
「なにそれ」
「朝起きると足まで血がいってなくて頭痛がする病気」
「すごい。当たってる」
「今日はどこ」
「前橋文学館」
*
斜陽堂は和のつくりだったけれど、ここは美術館に似ていた。建物の造りが綺麗で、中に入ると本やメモが沢山あった。
「萩原朔太郎ってどんな人?」
「孤独で独特な世界観」
「哀しい人なんだ」
「けど、誰よりも詩を理解していて美しい歌を描くの」
「月に吠えるが有名作だっけ」
「確か、この本だっけ」
展示されている本を指差した。
『良い詩には、
美感が宿る。それを匂いと言う』
「聞いたことある」
「匂いってどんなのだろうね。こっちも月に吠えるのやつだ」
『詩は神秘でも象徴でも何でも無い。
詩はただ病める魂の所有者と孤独者との寂しい慰めである』
「詩の部分小説にも置き換えれそう」
「それ私も思った」
「まるで僕みたいだ」
「萩原朔太郎と同じ時代に住んでみたかったな」
*
空は夕日に包まれていて、あたりは暗くなり始めている。
「今日めっちゃ楽しかった」
「僕も楽しかったな、また行こう」
「うん、またね」
この言葉を最後に二週間会えてない。



