翌日の放課後。
 コーイチと岩切くんとの対決が、いま始まろうとしている。

 勝負は三点先取の二対二+GKでつけると決まった。
 人数は各チーム二名。その他、中立のGKが一名。
 範囲はペナルティ・エリアの中だけ。
 各チームは攻撃側と守備側に分かれる。
 エリア外にボールが出たら攻守交代。

 部活では、練習メニューとしてやっていたものだ。
 本当なら五対五、せめて三対三で勝負をつけたかったけれど、現状サッカー部(仮)にそんな人数はいない。

 勝負の舞台は校庭のグラウンド。
 いつもの放課後であれば静かに眠っているグラウンドでサッカーなんてしているものだから、妙にギャラリーが多い。
 校門までの渡り廊下脇で屯していたり、校舎脇に座り込んでいたり、校舎の窓から見下ろしていたり。
 中学校の部活で、練習や試合を人に見られるのは慣れてはいる。
 でもこんな少人数だと、一人ひとりにフォーカスが当たりすぎる。

「よろしくね、環くん」

「僕でよろしければ……」

 ゲーム開始前、岩切くんと握手を交わす。
 僕は今回、岩切くんと組むことになった。

 なんでだ。
 岩切くんが僕を指名したからだ。

 本当なんでだ。
 僕はコーイチと一緒に岩切くんを部活に勧誘している側なのに。

 コーイチが勝ったら岩切くんはサッカー部にコーチとして入部。
 岩切くんが勝ったらコーイチは勧誘を諦める。

 僕、敵だよ?
 手を抜くよ?
 裏切るよ?

「蒲田くん。ぼくで本当によいのだろうか」

「村上先輩じゃなきゃだめなんです。頼りにしてます」

 対するコーイチサイドは、元サッカー部の二年生を連れてきた。
 コーイチはいつの間にやら岩切くん以外の経験者にも声をかけ、しかも勧誘に成功していたらしい。

 村上先輩は昨年までチームのキャプテンを務めていたらしい。
 身長は高く、手足にも筋肉が乗っていて、いかにもサッカー経験者という見た目をしている。

「蒲田くん。相手はあの岩切くんだよ。本当に、本当に相方がぼくでよいのだろうか」

「村上先輩、自分を信じてください。俺は先輩を信じています」

 会話の端々から、二人の間には何らかドラマがあったのが窺える。
 けれどもそれは別の物語。
 いつかまた別のときに話すことに……なるのかな。

「そいじゃ始めるよ。ぴー」

 やる気なさそうに口でそう言った満が、上空へ向けてボールを投げる。
 先にボールに触れたほうが先行だ。

 ボールは真上には飛ばず、微妙にズレた。
 競り合うこともなく、岩切くんが落下点に入る。

 次の瞬間、その場にいた全員が岩切くんを知った。

 膝を折り、足の外側でトラップ。
 浮かせたボールをそのまま右足でボレー・シュート。

 はい一点。

 見ている人は、勘違いしないでほしい。
 サッカーってそんなに簡単じゃないから。
 この人がおかしいだけだから。

「いぇーい。まず一点だね」

「……いぇーい」

 満面の笑みを浮かべ、両手でハイタッチに来る岩切くん。

 僕は立っているだけでいいんでしょうか?
 僕の生きている価値ってなんだろう。

「いやー、いまのシュートは厳しいね。流石だよ。あれはとれないね。無理無理」

 ゴールを守っていた満が悔しそうに首を振る。
 いや、悔しそう、でもない。
 何だか妙に嬉しそうな。

「はい、じゃあ次行くよー。ぴー」

 再びやる気のない口笛とともに、満がボールを投げる。
 ボールは真上どころではなく、もう明らかに岩切くんに向けて投げられた。

 今度は急いでコーイチがチェックに向かう。
 岩切くんは慌てず、胸でトラップしたボールを左のアウトサイドで僕へと寄越した。

 僕の方へは村上先輩が寄せてくる。
 先輩は、僕と同じく中盤の守備的なポジションだったという。
 流石に隙がない。
 しっかり、僕から岩切くんへのコースは切っている。

 コースを切った分だけゴールへのドリブル・コースは空いている。
 が、これはわざとだ。
 僕にはドリブルさせてもいいし、何ならシュートを打たせたっていい、ということだ。
 コーイチの入れ知恵だろう。
 お恥ずかしながら、事実、僕は身体能力に恵まれていないので、どちらも苦手。

 なので敢えて先輩を抜きにかかる。
 これだけ空いていれば、抜ききれなくてもゴールにはかなり近づける。

 やはり村上先輩はしっかりついてくる。
 とても抜けない。
 しかし、無理矢理にでも仕掛けたことで、岩切くんへのパスコースが……。

 いや。
 というか、待って。
 ゴール、がら空きなんだけど。

 満さん?
 なんで岩切くんのシュート・コースを塞いでるの?
 彼、ボール持ってないよ?

 これだけ空いていたら、打たないと失礼なレベル。
 先輩が寄せてくる前に、トー・キックでとりあえず蹴ってみる。

 はい、二点。

「ナイッシュー! いぇーい!」

 ゴール・マウスの前で満が大きくガッツ・ポーズ。

 いまわかった。
 本当の裏切り者は僕じゃない。満だ。

 満のヤツ、岩切くんを勝たせる気でいる。
 いまだって、シュートに反応すら示さなかった。

「おい、満!」

 これには流石のコーイチもブチ切れである。
 詰め寄り、胸ぐらを掴む。

「ごめん、コーイチ。ブランクがありすぎてミスっちゃった。てへっ」

「ミスってレベルじゃないだろ! どう見ても八百長だろうが!」

 岩切くんが僕のそばに寄ってくる。

「白石くんは、どういうつもりなんだろう?」

 岩切くんがミディアムの髪をかきあげ、ヘッドバンドをつけ直すと、遠くからたくさんの黄色い声があがってくる。
 その中には、聞き慣れた声も混じっている。
 見れば、校舎前に陣どった麻利衣が『岩切夏くん、ファンサして』と書かれたうちわを振っている。

 そういうことだよ、岩切くん。
 満は僕らに勝たせる気だ。
 そうすればキミがサッカー部に入ってこないから。

「任せて、コーイチ。あと一点、死ぬ気で守るから!」

 嘘だ。
 満が守るのは自分の心の安寧だけだ。

「もういい、お前はクビだ。俺がGKをやる!」

 満に着せていたビブスとキーグロをもぎ取り、コーイチが自らゴールマウスに立つ。

「何言ってるのさ。そうしたら今度はコーイチが村上先輩のシュートをわざと入れるだけでしょ」

 そうすればコーイチは勝負に勝ち、岩切くんの入部が決まるのだから。

 僕の指摘に、コーイチは「心配いらん」と力強く首を振った。

「誰が相手でも俺は手を抜かない。さあ、来い!」

「蒲田くん、キミがGKをするとなると、ぼくが一人きりになるんだが」

 ぽつねんと立ち尽くし、自分を指差す村上先輩。

 先輩、ごめんなさい。
 こんな茶番に突き合わせてしまい、申し訳ない限りです。

「じゃあ、あたし参加するに!」

 はいはい、と元気に手を挙げ飛び入ってくる麻利衣。

「いやいや、麻利衣、制服じゃ無理でしょ!」

 退場させられ、正座中の満が叫ぶが、麻利衣は平気な顔でスカートをめくって見せた。

「平気平気。下はスパッツだに」

「そういう問題じゃないって! ほら、靴だってローファー、」

 満の抗議を黙殺し、麻利衣は劇場の幕を開けた。

 転がっていたボールに左足で乗り、軸足で蹴り出し、そばにいた僕を置き去りに。
 右足だけでアウト、インサイドとダブル・タッチ。いわゆるエラシコで岩切くんを抜き去り。
 おまけにヒール・リフトで村上先輩(味方)の頭上を通し。
 最後は左、右と足を宙に回し、バイシクル・シュートでGKコーイチの股を抜いた。

 真円を描いたスカートは、大輪の花のようだった。

「いぇーい」

「いぇーい、じゃないでしょ!」

 呑気にゴール・パフォーマンスをしていた麻利衣を、駆けつけた希恵ちゃんがひっぱたく。

「スカートで何やってるの!」

「でも、ほら、スパッツ履いてるから」

「でも?」

「ごめんなさい」

 鬼の形相を浮かべた希恵ちゃんに連れ去られ、麻利衣は退場していった。

「……彼女、なでしこのU‐17に呼ばれてたりする?」

「ううん。あれは、ただの野生の天才」

 呆然と二人を見送る岩切くんに、僕は、僕の知る限りの事実を教えた。