「ねえ、環くん。今日イオン行かない?」
放課後。
HR終了直後の教室で、希恵ちゃんからそう誘われた。
これまではなるべく毎日文芸部に顔を出していた僕だけど、今週になってからは一度も顔を出していない。
毎日、カミチュー仲間と一緒にどこかへ寄り道している。
希恵ちゃんのお誘いは、そうした僕の動向を察してのことだろう。
部活に行かなくなった事情を聞くことなく、ただ寄り道に誘うだけ。
それが希恵ちゃんなりの気づかいなんだと思う。
「たまきち、最近文芸部行ってないじゃん? どうせ今日もサボりだら?」
そして遠慮なくズケズケものを言うのが麻利衣なりの気づかいだ。
多分。きっと。
そうだと思いたい。
「じゃあ寄り道して行こ、」
「環くん。部活に行きましょう」
誘いを受けようとした僕の言葉を遮ったのは、西町さんだった。
希恵ちゃんと麻利衣の間に割りこむようにして、西町さんは僕の席の横に立った。
「先輩たちが呼んでいます」
およそ三日ぶりに聞いた西町さんの声。
冷たく平板で、触れただけで指の皮を裂く裁ちバサミのような声だった。
西町さんはそれだけ言い残すと、返事も聞かずに踵を返し、教室を出ていった。
半笑いで「怖ー」と肩をすくめる麻利衣。
口を尖らせ「何なの」とつぶやく希恵ちゃん。
「……ごめんね。呼ばれてるみたいだから」
二人にそう伝え、カバンを手につかむ。
教室から出たくない。
この後、僕は西町さんに詰られる。
そう思えば足どりは重くなる。
でもいつまでもグズグズしている訳にもいかない。
どうせいつかは西町さんと話さなくちゃいけないし、文芸部にも顔を出さなくちゃいけない。
仮に、もしも仮にこのまま文芸部をやめるにしてもだ。
先輩たちは同じ学校にいるし、西町さんなんて同じ教室にいる。
何も言わずにスパッと関係を終わらせることなんてできない。
廊下に出ると、西町さんはすぐそばで腕を組んで立っていた。
「顔貸して」
低い声音で脅してくる西町さんに、僕は「はい」としか言えなかった。
そして、スタスタと大股で歩いていくその背中を追いかけることしかできなかった。
四階から三階へと向かう階段の踊り場で、西町さんは急に立ち止まった。
そして西町さんは僕を壁際に追いやり、右手でドンと壁を突く。
「環くん。わたしは寛容な人間なので、言い訳を聞いてあげます。はい、どうぞ」
「今週はずっとお腹が痛くて、」
「言い訳になってないよ」
右足を前に踏み出す西町さんに、やっぱり僕は「はい」としか言えなかった。
情けない。
でもしかたない。
美人の眼力は迫力が違う。
しかも、その眼力をすぐ近くから浴びせかけられている。
こんなの逆らえるわけがない。
「先輩たち、落ちこんでるよ。一見いつもどおりだけど、無理して取り繕ってる感じ。多分『あんな話するんじゃなかった』って思ってる」
『あんな話』。
くらら先輩のお母さんのこと。
過去。
事故。
覚悟。
そして未来。
夢の話。
「……正直、受け止めきれなくて。僕がこの部にいても、何もできない。それどころか調和を乱すだけだよ。後から出できて横恋慕なんてさ」
そう。
むしろ邪魔でしかない。
くらら先輩と怜先輩の物語に、僕の出番はない。
ない方がいい。
「環くんがそう思っていたとしても、他の皆は違うよ。先輩たちはわたしと環くんを巻きこもうとしてる。重い話をされたり弱音を吐かれたりするのは信頼されてる証拠。わかりますか?」
「……わかるけど」
「わたしもだよ。いまだって別のことを考えてる。調和なんて知らない。横恋慕上等。チャンスがあるなら諦めない」
「チャンスがあると思う?」
僕の弱音に被せるように、西町さんは「あるよ」と言い切った。
「先輩たちはお互いを大事にしてる。でも大事にしすぎてる。宝石箱にしまいっぱなしの指輪だよ。一方のわたしたちは、いままさに先輩たちと関係を築いてるところ。このまま勢いつければ、膠着状態の先輩を追い越せると思わない?」
と、勢いよく壁を拳で叩く西町さん。
「……一理ある、かも」
先輩たちはお互いを大事にしすぎている。
そのとおりだ。
多分、いま現在あの二人は恋人関係ではない。
宝石箱にしまいっぱなしの指輪か。
おもしろいことを言う。
傷つかないように、汚れないように。
そうして大事にしまった指輪は身につけることができない。
「そしてここからは義理の話。体育会系の環くんに問題です。先輩たちは、引かれるリスクを背負ってまで超絶プライバシーな話を聞かせてくれました。それはわたしたちを信頼してくれているからです。ではわたしたち後輩はどうするべきでしょうか? はい、環くん」
「信頼に応えるべき、ですかね」
「具体的には?」
「これまでどおり部活動をする。聞いたことを忘れはしないけど、変に気を遣ったり穿鑿したりしないで、自然にすごす」
「わかってるじゃない」
うなずいた西町さんは、ようやく壁から手を離してくれた。
「ところで環くん」
と思ったら、西町さんはもう一度壁に手をついた。
しかも今度は両手で。
「もう一つ、わたしにごめんなさいすることがあるよね?」
顔が近い。
すぐ目の前で、西町さんが威圧的な表情を浮かべている。
西町さんが何のことを言っているのかは、すぐにわかった。
ここ最近、ずっと頭の中にそれはあった。
「……みずべで、僕と西町さんは違うって言ったことだよね。突きはなすような言いかたで、悪いことしたと思ってる。でも事実なんだよ! 僕と西町さんは違う。僕は一般人代表、量産型の高校生だよ。その事実は、ごまかせない」
西町さんは俯き、大きく息をし吐いた。
僕の胸に温かい息がかかる。
「あのね、わたしも環くんと同じフツーの女子高生なの。たしかに境遇はちょっとヒロインっぽいけね。でも前にも言ったよね
。怜先輩にとってわたしは草だって。最近やっと草は卒業したけどさ。こないだのうちあけ話で舞台に乗せてもらえたから。もちろんまだまだ脇役だけどね。で、ですよ。この状況、誰かさんとまるで同じじゃないですか?」
「……そうだね、僕も西町さんも同じかも」
「みんな多かれ少なかれ違うし、少なかれ多かれ同じでしょ。先輩たちだってそう。客観的に見れば、みんなフツーに学校通ってる高校生だよ。ましてやわたしと環くんなんて、目的も利害も一致した、同じ立場の恋愛弱者なんだから。……だから」
そこで西町さんは顔を上げ、まっすぐに僕を見据えた。
「だから、違うなんて二度と言わないで」
その声には怒りが浮かんでいた。
でもそれは浮かんでいるだけで、薄皮一枚の下には目いっぱいの寂しさと悲しさとが詰まっているように聞こえた。
「わかった」
「なら、よろしい。じゃあ部活行こっか」
ようやく壁から手を離す西町さん。
思わずため息をつく。
息のつまる尋問だった。
「それにしても、こないだのはビックリしたよ。みずべの公園で聞いた環くんの言葉は」
「だから悪かったって」
「西町さんは『カワイイ』というより『美人』だっけ?」
階段を降りていた西町さんが振り向き、嫌な笑みを浮かべる。
「え。僕そんなこと言って、」
いや。
言った気がする。
どさくさ紛れのやけくそ、捨てゼリフのつもりで、思っていることを理性のフィルタなしに口から吐き出したような……。
「そっかー。環くんから見たら、わたし『カワイイ』というより『美人』なんだ」
「ちょっと、西町さん!」
無邪気な笑い声を響かせながら階段を飛び降りる西町さんを、僕は必死に追いかけた。
放課後。
HR終了直後の教室で、希恵ちゃんからそう誘われた。
これまではなるべく毎日文芸部に顔を出していた僕だけど、今週になってからは一度も顔を出していない。
毎日、カミチュー仲間と一緒にどこかへ寄り道している。
希恵ちゃんのお誘いは、そうした僕の動向を察してのことだろう。
部活に行かなくなった事情を聞くことなく、ただ寄り道に誘うだけ。
それが希恵ちゃんなりの気づかいなんだと思う。
「たまきち、最近文芸部行ってないじゃん? どうせ今日もサボりだら?」
そして遠慮なくズケズケものを言うのが麻利衣なりの気づかいだ。
多分。きっと。
そうだと思いたい。
「じゃあ寄り道して行こ、」
「環くん。部活に行きましょう」
誘いを受けようとした僕の言葉を遮ったのは、西町さんだった。
希恵ちゃんと麻利衣の間に割りこむようにして、西町さんは僕の席の横に立った。
「先輩たちが呼んでいます」
およそ三日ぶりに聞いた西町さんの声。
冷たく平板で、触れただけで指の皮を裂く裁ちバサミのような声だった。
西町さんはそれだけ言い残すと、返事も聞かずに踵を返し、教室を出ていった。
半笑いで「怖ー」と肩をすくめる麻利衣。
口を尖らせ「何なの」とつぶやく希恵ちゃん。
「……ごめんね。呼ばれてるみたいだから」
二人にそう伝え、カバンを手につかむ。
教室から出たくない。
この後、僕は西町さんに詰られる。
そう思えば足どりは重くなる。
でもいつまでもグズグズしている訳にもいかない。
どうせいつかは西町さんと話さなくちゃいけないし、文芸部にも顔を出さなくちゃいけない。
仮に、もしも仮にこのまま文芸部をやめるにしてもだ。
先輩たちは同じ学校にいるし、西町さんなんて同じ教室にいる。
何も言わずにスパッと関係を終わらせることなんてできない。
廊下に出ると、西町さんはすぐそばで腕を組んで立っていた。
「顔貸して」
低い声音で脅してくる西町さんに、僕は「はい」としか言えなかった。
そして、スタスタと大股で歩いていくその背中を追いかけることしかできなかった。
四階から三階へと向かう階段の踊り場で、西町さんは急に立ち止まった。
そして西町さんは僕を壁際に追いやり、右手でドンと壁を突く。
「環くん。わたしは寛容な人間なので、言い訳を聞いてあげます。はい、どうぞ」
「今週はずっとお腹が痛くて、」
「言い訳になってないよ」
右足を前に踏み出す西町さんに、やっぱり僕は「はい」としか言えなかった。
情けない。
でもしかたない。
美人の眼力は迫力が違う。
しかも、その眼力をすぐ近くから浴びせかけられている。
こんなの逆らえるわけがない。
「先輩たち、落ちこんでるよ。一見いつもどおりだけど、無理して取り繕ってる感じ。多分『あんな話するんじゃなかった』って思ってる」
『あんな話』。
くらら先輩のお母さんのこと。
過去。
事故。
覚悟。
そして未来。
夢の話。
「……正直、受け止めきれなくて。僕がこの部にいても、何もできない。それどころか調和を乱すだけだよ。後から出できて横恋慕なんてさ」
そう。
むしろ邪魔でしかない。
くらら先輩と怜先輩の物語に、僕の出番はない。
ない方がいい。
「環くんがそう思っていたとしても、他の皆は違うよ。先輩たちはわたしと環くんを巻きこもうとしてる。重い話をされたり弱音を吐かれたりするのは信頼されてる証拠。わかりますか?」
「……わかるけど」
「わたしもだよ。いまだって別のことを考えてる。調和なんて知らない。横恋慕上等。チャンスがあるなら諦めない」
「チャンスがあると思う?」
僕の弱音に被せるように、西町さんは「あるよ」と言い切った。
「先輩たちはお互いを大事にしてる。でも大事にしすぎてる。宝石箱にしまいっぱなしの指輪だよ。一方のわたしたちは、いままさに先輩たちと関係を築いてるところ。このまま勢いつければ、膠着状態の先輩を追い越せると思わない?」
と、勢いよく壁を拳で叩く西町さん。
「……一理ある、かも」
先輩たちはお互いを大事にしすぎている。
そのとおりだ。
多分、いま現在あの二人は恋人関係ではない。
宝石箱にしまいっぱなしの指輪か。
おもしろいことを言う。
傷つかないように、汚れないように。
そうして大事にしまった指輪は身につけることができない。
「そしてここからは義理の話。体育会系の環くんに問題です。先輩たちは、引かれるリスクを背負ってまで超絶プライバシーな話を聞かせてくれました。それはわたしたちを信頼してくれているからです。ではわたしたち後輩はどうするべきでしょうか? はい、環くん」
「信頼に応えるべき、ですかね」
「具体的には?」
「これまでどおり部活動をする。聞いたことを忘れはしないけど、変に気を遣ったり穿鑿したりしないで、自然にすごす」
「わかってるじゃない」
うなずいた西町さんは、ようやく壁から手を離してくれた。
「ところで環くん」
と思ったら、西町さんはもう一度壁に手をついた。
しかも今度は両手で。
「もう一つ、わたしにごめんなさいすることがあるよね?」
顔が近い。
すぐ目の前で、西町さんが威圧的な表情を浮かべている。
西町さんが何のことを言っているのかは、すぐにわかった。
ここ最近、ずっと頭の中にそれはあった。
「……みずべで、僕と西町さんは違うって言ったことだよね。突きはなすような言いかたで、悪いことしたと思ってる。でも事実なんだよ! 僕と西町さんは違う。僕は一般人代表、量産型の高校生だよ。その事実は、ごまかせない」
西町さんは俯き、大きく息をし吐いた。
僕の胸に温かい息がかかる。
「あのね、わたしも環くんと同じフツーの女子高生なの。たしかに境遇はちょっとヒロインっぽいけね。でも前にも言ったよね
。怜先輩にとってわたしは草だって。最近やっと草は卒業したけどさ。こないだのうちあけ話で舞台に乗せてもらえたから。もちろんまだまだ脇役だけどね。で、ですよ。この状況、誰かさんとまるで同じじゃないですか?」
「……そうだね、僕も西町さんも同じかも」
「みんな多かれ少なかれ違うし、少なかれ多かれ同じでしょ。先輩たちだってそう。客観的に見れば、みんなフツーに学校通ってる高校生だよ。ましてやわたしと環くんなんて、目的も利害も一致した、同じ立場の恋愛弱者なんだから。……だから」
そこで西町さんは顔を上げ、まっすぐに僕を見据えた。
「だから、違うなんて二度と言わないで」
その声には怒りが浮かんでいた。
でもそれは浮かんでいるだけで、薄皮一枚の下には目いっぱいの寂しさと悲しさとが詰まっているように聞こえた。
「わかった」
「なら、よろしい。じゃあ部活行こっか」
ようやく壁から手を離す西町さん。
思わずため息をつく。
息のつまる尋問だった。
「それにしても、こないだのはビックリしたよ。みずべの公園で聞いた環くんの言葉は」
「だから悪かったって」
「西町さんは『カワイイ』というより『美人』だっけ?」
階段を降りていた西町さんが振り向き、嫌な笑みを浮かべる。
「え。僕そんなこと言って、」
いや。
言った気がする。
どさくさ紛れのやけくそ、捨てゼリフのつもりで、思っていることを理性のフィルタなしに口から吐き出したような……。
「そっかー。環くんから見たら、わたし『カワイイ』というより『美人』なんだ」
「ちょっと、西町さん!」
無邪気な笑い声を響かせながら階段を飛び降りる西町さんを、僕は必死に追いかけた。


