翌日曜日。
一夜明けた今朝はスッキリ晴れた。
西町英梨:わたし西町さん いまあなたの家の前にいるの
朝っぱらからの怪談めいたメッセージに窓の外を見る。
路上に立っていた西町さんが、こちらに向けて手を振った。
今日は午前中から体育館でバドミントン、午後は図書館に行く予定となっている。
どちらも市営の施設で、お街に向かう途中、市役所のそばにある。
と、昨日フードコートで西町さんには場所の説明をしたけれど、彼女は頭の上に『?』を浮かべていた。
ということで今日はうちからいっしょに行くことになった。
「環くん、おはよう。今日の格好可愛いね」
玄関から出ると、西町さんは開口一番ご挨拶をかましてきた。
今日は自分の中で一番お気に入りの服を選んでいる。
白い麻のワイシャツに水色の薄いカーディガン、焦げ茶のチノパン。
精いっぱい大人ぶってみた。
「おはよ。西町さんこそ気合い入ってるね」
シティサイクルにまたがる西町さんのお召しものはブラウス(多分)にベスト。
リュックは昨日と同じ白くて小さいもの。
下は七分丈のチェック柄パンツ。
トラッドというかボーイッシュな格好。
お上品かつ動きやすそう、というバランス感覚はさすが。
「とはいってもこれがね」
と、西町さんは自転車のカゴに入れたビニール袋をパンパンと叩いた。
昨日買い物をしたスポーツ・ショップのロゴが入った紐付きのビニール袋。
ウェアやシューズを持ち運ぶとなったら、ある程度大きくて汚れてもいい袋が必要になる。
僕も肩から部活用のエナメルバッグを提げている。
どんなにがんばったファッションでも、結局カバンがこれなので締まらない。
苦笑いを交換してから、自転車を漕ぎだす。
片側二車線の秋葉街道に出てずっと南下。
途中、遠衛の校門前を素通りして更に進むと、右手側に巨大なダンゴムシみたいな古い建物が現れる。
浜松市営体育館だ。
駐輪場に自転車を停めると、体育館入り口のほうから声が聞こえてきた。
「英梨ちゃーん、環くーん!」
五月の青空よりも透きとおる美声。
聞き間違えるはずもない、くらら先輩の声だ。
声のするほうに顔を向けた瞬間、僕の目には衝撃的なものが映った。
くらら先輩と怜先輩は学校のジャージ姿だった。
上下ともに、白と黒の何の変哲もない長そで長ズボンの体操服ジャージ。
肩にかけているのは学校指定の革カバン。
「ですよね。運動するだけなら体操服でいいよね。あはは」
隣で、西町さんが乾いた笑いをこぼす。
僕と西町さんにとって、今日は先輩たちと距離を縮めるチャンス。
いや、もっと正直にいえばダブル・デートくらいに思っていた。
そりゃお気に入りの服だって着てくる。
でも先輩たちにとって今日は、後輩たちとスポーツを楽しむだけの休日。
特別でも何でもない、昨日の延長線上にある平穏な一日。
身につけた衣服が、僕たちの間にある溝を、目に見える形にして眼前に突きつけてくる。
「わたし、脱ぎたくなってきた」
「更衣室まではガマンして」
先輩たちの待つ入り口へ向かいながら、小声で言葉を交わす。
西町さんが露出狂に目覚めそうになる気持ちもわかる。
『明日は何を着ていこう』と考えに考え抜いた結果の服装。
それが、いまはとても気恥ずかしい。
更衣室で着替え、体育館のフロアに向かう。
フロアには、もう怜先輩とくらら先輩がいた。
二人は着替える必要がないのだから当然だ。
先輩たちは、バドミントンのネットを張ってくれていた。
そんな雑用僕たちがやるのにと言うと、くらら先輩は「やっぱり環くんは体育会系だね!」と笑って僕の肩をポンポンと叩いた。
「すみません、おまたせしました。……ぐぇ」
最後にフロアに出てきた西町さんは、僕の姿を見た瞬間、潰れたカエルのような声を出した。
いまその声出して大丈夫? 怜先輩もいるよ?
何がどうしたのかと最初はわからなかったけれど、数秒後には僕も気づいた。
西町さんの足許がオレンジに輝いている。
そのデザインはよく知っている。
見紛うはずもない。
昨日イオンで買った僕のサルシュと全く同じなのだから。
「おや、環と西町さんはお揃いの靴なのか」
「いつの間にか仲よくなっちゃって! もしかして一緒に買いに行ったの?」
微笑ましいものを見た、といった風情の先輩がた。
「いえ、これは偶然でして、わたしはこのシューズを前から使っていて、環くんもフットサル・シューズを買いたいと言うので昨日見に行ったんですけど、何で環くんはわたしのシューズとお揃いのものを買ったんでしょうねえ?」
一気呵成に言い切る西町さん。
一瞬のうちに言い訳から墓穴を掘って、最後には僕のせいにしてきた。
「本当、偶然だよ。僕がシューズを選ぼうってとき、西町さんは西町さんで自分のトレシュを買いに行っちゃったでしょ」
「え、わたしのせい?」
恥ずかしがっていたのが、怒りに変わり、そしてまた後悔に変わり。
西町さんの声音と表情はコロコロとよく変わる。
「何にしても、買いものは二人で行ったんだな」
「いやー、後輩が仲よくしてくれて先輩は嬉しいよ!」
嬉しそうに笑いながら、先輩たちは壁際に置いた器具類を取りにいった。
「……環くん。後でお話があります」
「僕にはないよ。もう手遅れだもん」
隣に立った西町さんは「もう嫌」と深くため息をついた。
準備運動のあと、まずは点数とか勝敗は気にせず四人で打ってみることになった。
四人のうち少しでもバドミントンの経験があるのは西町さんだけだった。
中学の体育でやったことがあるらしい。
フットサルで鍛えたであろう後ろや横へのステップはもちろん、ラケット・ワークも様になっている。
フットサル・ウェアから伸びる手足はスラリと長く、とにかく格好いい。
くらら先輩は「や!」とか「ひゃ!」とか大騒ぎしながらではあるけれど、ラケット捌きはなかなかで、運動神経のよさを感じさせた。
しかし、どうにも足許が怪しい。
しょっちゅうフラついている。
それでも楽しそうではあるし、何より可愛い。
上着を脱ぎ、半袖体操服を更に袖まくりして気合いだけは十分。
問題は、上着がなくなったことで、とある一部のスタイルのよさが露わになったこと。
おかげで目のやり場に困る。
怜先輩はバド未経験だというのに、妙にフォームがキレイだった。
訊けば、本と動画でしっかり予習をしてきたとのこと。
そして珍しくメガネをしていない。
今日はソフトのコンタクト・レンズを入れているらしい。
怜先輩は背も高いし、実は体格もけっこういい。
コーイチほどではないけれど、肩幅がある。
ジャージの上着とメガネを脱ぎ捨てた怜先輩は、ただの文学青年ではなく、イケメンの文学青年になった。
「……もう、ダメ、だ」
しかし体力はからきしだった。
さすが放っておけばずっと机にかじりついているというだけのことはある。
怜先輩は開始五分でもうヘトヘトになった。
怜先輩にあわせて、四人揃って休憩をとることにした。
立ち上がりは無理しないほうがケガ防止にもつながるということもある。
「あの、くらら先輩。もしかして、足ケガしてます?」
スポーツ・ドリンクのボトルを手にした西町さんが、おずおずと先輩に尋ねる。
「僕も気になってました、先輩、右足かばってません?」
「……わかっちゃう? ちょっと前のケガだからもう動いても平気なんだけど、どうしてもかばっちゃうんだよね」
と、くらら先輩は右の足首をポンポンと叩いた。
「心配ありがとうね。大丈夫。ケガしないように動きをセーブするのには慣れてるから! ……というか怜ちゃん、休むなら休むでメモもお休みしなよ」
あからさまに話題をそらそうとする、くらら先輩
「……せっかく、外に、出てきたんだ。何か、持ち帰らない、ともったい、ないだろう」
怜先輩は壁に背中を預け、肩で息をし続けていた。
にも関わらず、ずっとスマホから手を離さず、何かを書き続けている。
「わざわざメモとらなくても、写真撮ればよくない?」
「写真は具体的すぎるんだよ。絵を描くならディティールの資料にいいかもしれないが、文章はもっと抽象的だ。僕が見たもの感じたもの、つまり認識をそのまま記録したいんだ。って、もうこれ何度も説明しただろ」
「何度聞いても何言ってるかわかんない!」
くらら先輩は底抜けに明るい声音と眩いばかりの笑顔でそう一蹴した。
「怜ちゃん、写真撮ったことないでしょ? メモのほうが有用かどうかは比較しないとわからなくない?」
くらら先輩の指摘に、怜先輩は「まあ、たしかに」と頷いた。
「何でも試してみるのが大事だよ。ほらほら、かわいい後輩たちをたくさん撮ってあげて。後でみんなにシェアしてね!」
「僕を撮影係にしようとしてないか」
言葉では渋々といった様子だったが、怜先輩は「ほらもっと寄って。いや、そっちだと逆光になる」とカメラマン役にノリノリだった。
いや、カメラマンというより、運動会で子ども以上にはしゃいでいるお父さんといったほうが多分正解。
「文句言いつつ写真に夢中な怜先輩かわいい」
隣で清楚な笑みを浮かべた西町さんは、小声でそんなつぶやきをもらしていた。
一夜明けた今朝はスッキリ晴れた。
西町英梨:わたし西町さん いまあなたの家の前にいるの
朝っぱらからの怪談めいたメッセージに窓の外を見る。
路上に立っていた西町さんが、こちらに向けて手を振った。
今日は午前中から体育館でバドミントン、午後は図書館に行く予定となっている。
どちらも市営の施設で、お街に向かう途中、市役所のそばにある。
と、昨日フードコートで西町さんには場所の説明をしたけれど、彼女は頭の上に『?』を浮かべていた。
ということで今日はうちからいっしょに行くことになった。
「環くん、おはよう。今日の格好可愛いね」
玄関から出ると、西町さんは開口一番ご挨拶をかましてきた。
今日は自分の中で一番お気に入りの服を選んでいる。
白い麻のワイシャツに水色の薄いカーディガン、焦げ茶のチノパン。
精いっぱい大人ぶってみた。
「おはよ。西町さんこそ気合い入ってるね」
シティサイクルにまたがる西町さんのお召しものはブラウス(多分)にベスト。
リュックは昨日と同じ白くて小さいもの。
下は七分丈のチェック柄パンツ。
トラッドというかボーイッシュな格好。
お上品かつ動きやすそう、というバランス感覚はさすが。
「とはいってもこれがね」
と、西町さんは自転車のカゴに入れたビニール袋をパンパンと叩いた。
昨日買い物をしたスポーツ・ショップのロゴが入った紐付きのビニール袋。
ウェアやシューズを持ち運ぶとなったら、ある程度大きくて汚れてもいい袋が必要になる。
僕も肩から部活用のエナメルバッグを提げている。
どんなにがんばったファッションでも、結局カバンがこれなので締まらない。
苦笑いを交換してから、自転車を漕ぎだす。
片側二車線の秋葉街道に出てずっと南下。
途中、遠衛の校門前を素通りして更に進むと、右手側に巨大なダンゴムシみたいな古い建物が現れる。
浜松市営体育館だ。
駐輪場に自転車を停めると、体育館入り口のほうから声が聞こえてきた。
「英梨ちゃーん、環くーん!」
五月の青空よりも透きとおる美声。
聞き間違えるはずもない、くらら先輩の声だ。
声のするほうに顔を向けた瞬間、僕の目には衝撃的なものが映った。
くらら先輩と怜先輩は学校のジャージ姿だった。
上下ともに、白と黒の何の変哲もない長そで長ズボンの体操服ジャージ。
肩にかけているのは学校指定の革カバン。
「ですよね。運動するだけなら体操服でいいよね。あはは」
隣で、西町さんが乾いた笑いをこぼす。
僕と西町さんにとって、今日は先輩たちと距離を縮めるチャンス。
いや、もっと正直にいえばダブル・デートくらいに思っていた。
そりゃお気に入りの服だって着てくる。
でも先輩たちにとって今日は、後輩たちとスポーツを楽しむだけの休日。
特別でも何でもない、昨日の延長線上にある平穏な一日。
身につけた衣服が、僕たちの間にある溝を、目に見える形にして眼前に突きつけてくる。
「わたし、脱ぎたくなってきた」
「更衣室まではガマンして」
先輩たちの待つ入り口へ向かいながら、小声で言葉を交わす。
西町さんが露出狂に目覚めそうになる気持ちもわかる。
『明日は何を着ていこう』と考えに考え抜いた結果の服装。
それが、いまはとても気恥ずかしい。
更衣室で着替え、体育館のフロアに向かう。
フロアには、もう怜先輩とくらら先輩がいた。
二人は着替える必要がないのだから当然だ。
先輩たちは、バドミントンのネットを張ってくれていた。
そんな雑用僕たちがやるのにと言うと、くらら先輩は「やっぱり環くんは体育会系だね!」と笑って僕の肩をポンポンと叩いた。
「すみません、おまたせしました。……ぐぇ」
最後にフロアに出てきた西町さんは、僕の姿を見た瞬間、潰れたカエルのような声を出した。
いまその声出して大丈夫? 怜先輩もいるよ?
何がどうしたのかと最初はわからなかったけれど、数秒後には僕も気づいた。
西町さんの足許がオレンジに輝いている。
そのデザインはよく知っている。
見紛うはずもない。
昨日イオンで買った僕のサルシュと全く同じなのだから。
「おや、環と西町さんはお揃いの靴なのか」
「いつの間にか仲よくなっちゃって! もしかして一緒に買いに行ったの?」
微笑ましいものを見た、といった風情の先輩がた。
「いえ、これは偶然でして、わたしはこのシューズを前から使っていて、環くんもフットサル・シューズを買いたいと言うので昨日見に行ったんですけど、何で環くんはわたしのシューズとお揃いのものを買ったんでしょうねえ?」
一気呵成に言い切る西町さん。
一瞬のうちに言い訳から墓穴を掘って、最後には僕のせいにしてきた。
「本当、偶然だよ。僕がシューズを選ぼうってとき、西町さんは西町さんで自分のトレシュを買いに行っちゃったでしょ」
「え、わたしのせい?」
恥ずかしがっていたのが、怒りに変わり、そしてまた後悔に変わり。
西町さんの声音と表情はコロコロとよく変わる。
「何にしても、買いものは二人で行ったんだな」
「いやー、後輩が仲よくしてくれて先輩は嬉しいよ!」
嬉しそうに笑いながら、先輩たちは壁際に置いた器具類を取りにいった。
「……環くん。後でお話があります」
「僕にはないよ。もう手遅れだもん」
隣に立った西町さんは「もう嫌」と深くため息をついた。
準備運動のあと、まずは点数とか勝敗は気にせず四人で打ってみることになった。
四人のうち少しでもバドミントンの経験があるのは西町さんだけだった。
中学の体育でやったことがあるらしい。
フットサルで鍛えたであろう後ろや横へのステップはもちろん、ラケット・ワークも様になっている。
フットサル・ウェアから伸びる手足はスラリと長く、とにかく格好いい。
くらら先輩は「や!」とか「ひゃ!」とか大騒ぎしながらではあるけれど、ラケット捌きはなかなかで、運動神経のよさを感じさせた。
しかし、どうにも足許が怪しい。
しょっちゅうフラついている。
それでも楽しそうではあるし、何より可愛い。
上着を脱ぎ、半袖体操服を更に袖まくりして気合いだけは十分。
問題は、上着がなくなったことで、とある一部のスタイルのよさが露わになったこと。
おかげで目のやり場に困る。
怜先輩はバド未経験だというのに、妙にフォームがキレイだった。
訊けば、本と動画でしっかり予習をしてきたとのこと。
そして珍しくメガネをしていない。
今日はソフトのコンタクト・レンズを入れているらしい。
怜先輩は背も高いし、実は体格もけっこういい。
コーイチほどではないけれど、肩幅がある。
ジャージの上着とメガネを脱ぎ捨てた怜先輩は、ただの文学青年ではなく、イケメンの文学青年になった。
「……もう、ダメ、だ」
しかし体力はからきしだった。
さすが放っておけばずっと机にかじりついているというだけのことはある。
怜先輩は開始五分でもうヘトヘトになった。
怜先輩にあわせて、四人揃って休憩をとることにした。
立ち上がりは無理しないほうがケガ防止にもつながるということもある。
「あの、くらら先輩。もしかして、足ケガしてます?」
スポーツ・ドリンクのボトルを手にした西町さんが、おずおずと先輩に尋ねる。
「僕も気になってました、先輩、右足かばってません?」
「……わかっちゃう? ちょっと前のケガだからもう動いても平気なんだけど、どうしてもかばっちゃうんだよね」
と、くらら先輩は右の足首をポンポンと叩いた。
「心配ありがとうね。大丈夫。ケガしないように動きをセーブするのには慣れてるから! ……というか怜ちゃん、休むなら休むでメモもお休みしなよ」
あからさまに話題をそらそうとする、くらら先輩
「……せっかく、外に、出てきたんだ。何か、持ち帰らない、ともったい、ないだろう」
怜先輩は壁に背中を預け、肩で息をし続けていた。
にも関わらず、ずっとスマホから手を離さず、何かを書き続けている。
「わざわざメモとらなくても、写真撮ればよくない?」
「写真は具体的すぎるんだよ。絵を描くならディティールの資料にいいかもしれないが、文章はもっと抽象的だ。僕が見たもの感じたもの、つまり認識をそのまま記録したいんだ。って、もうこれ何度も説明しただろ」
「何度聞いても何言ってるかわかんない!」
くらら先輩は底抜けに明るい声音と眩いばかりの笑顔でそう一蹴した。
「怜ちゃん、写真撮ったことないでしょ? メモのほうが有用かどうかは比較しないとわからなくない?」
くらら先輩の指摘に、怜先輩は「まあ、たしかに」と頷いた。
「何でも試してみるのが大事だよ。ほらほら、かわいい後輩たちをたくさん撮ってあげて。後でみんなにシェアしてね!」
「僕を撮影係にしようとしてないか」
言葉では渋々といった様子だったが、怜先輩は「ほらもっと寄って。いや、そっちだと逆光になる」とカメラマン役にノリノリだった。
いや、カメラマンというより、運動会で子ども以上にはしゃいでいるお父さんといったほうが多分正解。
「文句言いつつ写真に夢中な怜先輩かわいい」
隣で清楚な笑みを浮かべた西町さんは、小声でそんなつぶやきをもらしていた。


