うちに少しだけ寄ってサッカーボールを回収し、みずべの公園へ向かう。
 ボールはかごに入れて、自転車を押して歩く。

「先週ショップに行って色々グッズ見たでしょ。あれ以来蹴りたい欲がすごくって。昨日なんて近くのフットサル・コートにまで行っちゃったくらい」

「あ、それも聞こうと思ってたんだ。西町さん、昨日岩切くんと一緒に大会見に来てたよね」

「イワキリクン……?」

 ご機嫌だった西町さんが首を傾げる。

「誰それ? わたし、近くにフットサル・コートがあるっていうから見に行っただけだよ。個サルやってないかなーと思ってさ」

「なんだ。知り合いじゃなかったんだ」

 確かに、西町さんと岩切くんの間には距離があった。
 並んで立っているというよりは、ただ間に誰もいないだけ、というくらいの距離感。

 そうか。知り合いじゃなかったんだ。

「昨日はちょうど大会のせいで個サルはやってなくて。おかげでますますボール蹴りたくなっちゃった」

 個サル、というのは個人参加のフットサルのことだ。
 大会はチーム単位でエントリーするけど、個サルは文字通り個人単位で参加する。
 集まった参加者で適当にチームを組んで試合を回す形式だ。

「それより環くん。昨日はボロボロだったね」

 西町さんが嫌らしく笑う。

「最初の試合はよかったよ。ポジショニングもパスも正確。うまい具合にゲーム・メイクできてたよ。でも途中からはバテバテだったね。三試合目とか足止まってたよ。というかですね、五人で参加は無茶だよ」

「ごもっとも。仕方ないよ。本当は麻利衣も来るはずだったのに、寝坊で欠席だったから」

「もう一人いたとしてもキツいよ。最低でも八人はいないと」

「西町さんが入ってくれればよかったのに」

 僕の言葉に、彼女は目を丸くした。

「……まあ、いずれ、どこかで機会があれば考えても、いいけど」

 珍しい。
 こんなに歯切れ悪く言葉を紡ぐ西町さんは初めてかもしれない。

「じゃあ、いずれね」

 ちょうどみずべの公園に到着したので、話はそこで打ち切ることにした。
 あまり深追いするのもよくないし。



「行くよー」

 インサイドでパスを出す。
 西町さんがどの程度サッカーに慣れているのかわからないので、優しく丁寧に、弱いボールで。

 真っ直ぐ蹴ったつもりだったけれど、ボールは少し横にズレた。
 ローファーはテカテカで、ボールが滑る。

 僕からのミス・パスを、西町さんは足の裏で押さえこみ、ピタリとその場に止めてみせた。

 心配することはなかった。
 西町さん、相当うまい。
 制服にローファーでそんな芸当ができるなんて。

 足裏でのトラップはフットサルでよく使われるテクニックだ。
 フットサルは狭いコートで行われる。
 サッカーのように足で跳ねさせて勢いを殺すトラップをしているスペースの余裕はない。
 昨日の僕たちは、足裏なんて使えていなかったけれど。

 南米やラテン系のサッカー選手は、フットサルの経験を持っていることが多い。
 そうした選手たちは、サッカーであってもフットサルの技術を活用する。
 広いコートで行うサッカーであっても、狭いスペースでボールを扱うテクニックは十二分な武器になる。

「返すよー」
 と、西町さんは一歩の助走から左足を高く振りあげた。

「え、ちょっと待っ、」

 そして西町さんは思いっきり左足の甲でボールをぶっ叩いた。

 とてもキレイなインステップ・キックだった。
 インステップは主にシュートで使われる。
 足の側面は平面的でボールに接する面積が広いが、足の甲は曲面なので接する面積が狭い。
 そのため、インサイドに比べインステップでは強いボールを蹴ることができるが、コントロールは難しい。

 西町さんの蹴ったボールはほぼ無回転、地を這うような弾道で僕の足許に飛びこんできた。
 とっさに右足を引き、全身でボールの勢いを殺す。

 いきなりとんでもないパスを出してくる。
 西町さん、もしかして超上級者で僕を試しているのか。
 そんなことを考えながら視線を上げると、芝生の向こうで西町さんは「わ、わ、わ」と慌てた様子を見せていた。

「ごめん! こんな飛ぶと思ってなくて。サッカーボールって軽いね」

 どうやらフットサルのボールを蹴るときの感覚で蹴ってしまっていたらしい。

「気をつけてね。飛んでくと川ポチャしちゃうから」

 インサイドで丁寧に返す。
 先ほどよりは少し強めに。

「はーい。わたしも大人しくインサイドにしとくね」

 西町さんは右の足裏でボールを収め、そのまま撫でるように転がして左足の前にボールを置いた。
 そして左インサイドでキック。

 以前、コーイチが『インサイドでその人のレベルはわかる』と言っていたのを思い出す。
 インサイド・キックは最も基本的な技術の一つだ。
 それを疎かにしているか、丁寧に磨いているかでプレーヤとしてのレベルがわかるという。

 その理屈からすると、西町さんはかなりのプレーヤといえそうだった。
 インサイド・キックでは、キックする足を真横に向けたまま真っ直ぐボールにインパクトさせるのが理想。
 イメージとしてはパター・ゴルフ。
 そうして真っ直ぐに蹴ると、ボールには横回転がかからない。
 最初は地面を滑るように無回転で、次第に摩擦で縦回転だけがかかり、最後までバウンドせず相手に届くのが理想のインサイド・パスだ。

 西町さんの出したボールは、その理想に近かった。
 速くはあるがとても扱いやすい。

「西町さん、フットサルはかなりやってた?」

 僕もインサイドのパスを返す。
 さっきは右足めがけてだったので、今度は左足に向けて。

「幼稚園のころからおじいちゃんとボール蹴ってて、小学校のときはサッカー少年団。フットサルは中学からだよ」

 西町さんは左足裏でボールを止め、軽く前に出した。
 そして、そのまま左足でインサイド・キック。

 その身のこなしは、明らかに左利きの人のそれだった。
 西町さんはペンを左手で持つから、手が左利きだとは知っていた。
 どうやら足のほうも左利きらしい。

「中学でフットサルに転向したのは、やっぱりサッカー部がなかったから?」

 パスは僕の右足に来た。
 西町さんを真似て足裏でトラップ。
 左足インサイドでパス。

「そう。女子部がなかったの。あの、環くんと同じ中学の子たちはサッカー部だったんだっけ?」

「希恵ちゃんと麻利衣は、部活じゃなくてクラブのジュニア・ユースだよ。でもそのクラブには高校年代のチームがなくて」

「女子部がある高校もけっこうあるけど、部活のために学校選ぶのはハードル高いよね」

「西町さんさ、せっかくだしもっと二人と話してみればいいのに。希恵ちゃんも麻利衣もいい子だよ」

 僕の出したパスに、西町さんは少しだけ戸惑いを見せた。
 コントロール・ミスで足許から離れたボールを拾いに行く西町さん。

「どうせこっちにいるのは三年間だけだし。友だちになってもね」

「二人とも西町さんに興味あるみたいだったよ。ほら、こないだも話がしたいって」

「あれはむしろ環くんへの興味だよ。興味というか執着? 環くんに近づく悪い虫の取り調べと牽制が目的。特にあの……『希恵ちゃん?』のほうは如実だったよ」

 西町さんの呼称に違和感を覚える。
 『希恵ちゃん』と口にするときの間。
 そして疑問符をつけるように少しだけ語尾を上げたイントネーション。

 もしかして。

「西町さん。ひょっとして希恵ちゃんや麻利衣の名字、覚えてない?」

「まさかそんな。クラスメイトの名前をですね。あはははは」

「涸沢希恵と鍋平麻利衣だよ。……まさかとは思うけど、僕の名字は知ってるよね? いや、流石に今更か」

「……」

 西町さんからのインサイド・パスはヘロヘロで、ボールには妙な横回転がかかっていた。

「西町さん?」

「前田くん」

「前島です」

「だって誰も環くんのこと名字で呼ばないじゃん!」

 西町さんからの逆ギレパスは、殺人的な威力で僕の心を傷つけた。

 そして全力で足を振り上げたがために、西町さんのスカートは大きくまくれあがった。
 慌ててスカートを押さえつける西町さん。

「……見えた?」

「まさか。もう暗いし、逆光だったし」

 目をそらし弁解する僕に、西町さんは半オクターブ高いよそ行きの声で言った。

「やっぱり制服でボールを蹴るのは無理がありますね、前島くん」

 それは、心の距離が開いた音だった。
 おかしいな。さっきまでは友だちだったのに。