翌月曜日の放課後。

「おっと、環くん」

 文芸部の部室のドアに手をかけようとしたその瞬間、中から西町さんが姿を現した。

「残念。今日は先輩たちお休みだって。だからわたしももう帰ろうかなって」

 と、西町さんは部室の鍵を掲げて見せた。

「環くんも帰るよね」

 と、西町さんは僕の返事も聞かず施錠する。
 その声音は先週までのものと変わらない。
 トーン低めだけど遠慮のない、親しみのこもった声だった。

「ちょうどよかった。今日は西町さんに話があってさ」

「わたしに?」

 振り返った西町さんは、手にした鍵で自分の顔を指し示した。

「ごめんね、環くんのことはいいお友だちだと思ってます」

「僕もそう思ってるよ」

 僕がマジメに言い返すと、西町さんは「おっと」と少し驚いたようだった。

「真っ正面から言われると面食らうね。とにかく鍵返して帰りましょうか。ちょうどわたしも話したいことあったんだ」

 西町さんは部室の鍵をブラブラと回し、廊下を歩き出した。

「わたし、いま怒ってるんですよ」



 自転車通学を始めた西町さんと、今日はいっしょに並んで帰る。

「環くん。話って何?」

 隣を走る西町さんが、張りあげた声でそう訊いてきた。
 いま走っているのは片側二車線の秋葉街道だ。
 浜松市内を南北に縦断する大動脈。
 幾重にも連なる車の走行音が会話を難しくしている。

「それより西町さんが怒ってるって話のほうが気になるんだけど」

「わたし? じゃあ環くん、問題です。わたしは何で怒っているでしょう!」

「金曜日、僕が追いかけなかったから」

「ブブー、不正解です。というかどういうこと?」

「ほら、西町さん『用があるから』って帰っちゃったでしょ。あのとき一人で帰らせちゃって、悪かったなって」

「もしかして今日話したかったのってそれ?」

 僕が「うん」とうなずくと、西町さんは「あはは」と屈託なく笑った。

「気にしてないよ。あそこは別れて正解でしょう。友だちを置いてわたしを追っかけてたら、ますます変な誤解されちゃうもの」

 やっぱり。
 西町さんの思考回路は、僕のそれと似ている。
 思考の飛躍度や速度は違うけれど、考えた末の結論が似ている。

 だけど。

「確かに正解だったとは僕も思う。それでもごめん。友だちをひとりで帰らせるのは、正解だったとしても正解じゃないと思うから」

 赤信号。
 自転車を止める。
 西町さんも、僕のすぐ隣で片足を地面につける。

「ふーん。そっか」

 西町さんはニヤニヤと笑みを浮かべ、それからわざとらしくため息をついた。

「しょうがない。わたしが何で怒ってるか、正解を教えてあげようかな。わたしたち、友だちだから」

 西町さんに促され、歩道の隅に自転車を寄せる。

「答えは環くんのスマホにあります。ほら、金曜日の写真見せて」

「僕の? 僕が金曜に撮ったのなんて、ボールの写真くらいだけど」

「これだよ、これ! だめでしょ、こんな写真他人に見せたら」

「だめなの? ただのボールだよ?」

「他にはない? ……あ、これもアウト!」

 僕のスマホを勝手にスワイプした西町さんは、一葉の写真で指を止めた。
 西町さんと初めてみずべの公園に行ったときに撮った写真。
 馬込川を写した風景写真で、僕と西町さんの影が写りこんでいる。

「何が悪いの? 西町さんの影が写ってるから? 手とか影にも肖像権ってあるの?」

 僕の質問に、西町さんは「あのね」と呆れた表情を見せた。

「環くん、匂わせって知ってる?」

 僕が表情だけで『何それ?』と尋ねると、西町さんは自分のスマホをサッサッと操作し、ウェブの検索結果画面を見せてきた。

「こういうの。休日の写真にさりげなく料理を二皿写して『相手がいるんだな』って思わせたり、テーブルにさりげなく男物の時計とかライターとか写して『相手は彼氏なんだな』って思わせたりするの。直接書いたり写したりはしないで、間接的にアピールするのが匂わせ」

「何でわざわざそんなことするの?」

「だってほら、『休日は彼氏とオシャレなレストランで食事するわたしイケてるでしょ!』って直接アピールしたら鬱陶しがられるでしょ。だからさりげなくアピールするの。……というかやってる本人はさりげなくしてるつもりなんだよ。実際は却って鬱陶しいんだけど」

「なるほど。アレか、SNSで承認欲求満たすみたいな話」

「そうなんだけど……。何でそんな週刊誌の記事で最近の若者についてちょっと知ったおじさんみたいな反応なの? 環くん、本当に現代人?」

「田舎者でごめんね」

「田舎に謝ったほうがいいよ。住んでる場所のせいじゃなくて、環くん自身のリテラシーの問題だから。で、さっきの写真もう一度見て。まず昨日撮ったほう。これ、この手。どう見ても環くんの手じゃないでしょ。目立たない色にしてるけど、ジェルも塗ってるし」

「そういえば麻利衣は気づいてたっけ。ネイルがきれいすぎるって。あの後マックでも訊かれた、というかイジられたよ」

「何て答えたの?」

「ありのまま。西町さんがちょうどいたから持ってもらっただけだって。マズかった?」

「ううん。それで正解。疑問には答えを与えるのが一番。人間って好奇心の塊でしょ? 謎があったら解きたくなるし、ヒントがあれば想像しちゃう。真っ正直に答えを見せられるより、問題とヒントだけ見せられたほうが人間の脳って興味を持っちゃうんだよ。あと大事なのはヒント選び。今回のネイルもそうだけど、わかる人にしかわからないヒントのほうが効果的。マウントとりも人間の社会的動物としての本能でしょ。『自分はこのヒントがわかる人間だ』っていう優越感を持たせることで、匂わせ写真は真っ正直な写真以上の訴求力を発揮するのです」

「西町さんは匂わせのプロなの? コンサルタントなの?」

「そういう環くんは匂わせの天才? 意図せずこんな高レベルの匂わせするとか、俳優と隠れてつきあってるアイドルも真っ青だよ」

「もっと他の才能持をって生まれたかったな」

「こっちのみずべの写真もね。パッと見ノスタルジックなだけの風景写真だけど、よく見れば男女だってわかる影を写りこませるとか、もう芸術ですよ。○○○○に写真教えに行ったほうがいいレベル」

「その人誰か知らないけど、とりあえず謝ったほうがいいよ」

「この写真、消せとは言わないけど他人に見せちゃダメだからね?」

「うん。変な勘違いされると困るもんね」

「……にしても、本当いい写真かも、これ」

 と、西町さんはみずべの公園を撮った写真をしみじみと見つめた。

「環くん、この後まだ時間ある?」

「大丈夫だよ。今日はまだ早いしね。みずべ、寄ってく?」

「うん! そうだ。環くんの家、サッカーボールってある?」