「皆さん、奇遇ですね」
フリーズした僕をよそに、西町さんはいつもどおりの声音で言葉を発した。
いつもどおり。そう、教室でのいつもどおりの声だ。
「今日は文芸部の先輩たちとお街の本屋に行ったんです。その後、環くんがサッカー部のお買いものに行くというので、無理を言って連れてきてもらいました。わたし、中学ではフットサルをやっていたんです。今日は来てよかったです。いいお店を知ることができました」
「へえ、フットサルやってたのか! ポジションは?」
脳みそがサッカーボール柄になっていると噂のコーイチが、西町さんの発した一言にさっそく食いつく。
「主にピヴォです。アラもやりましたが」
ピヴォというのはサッカーでいうCF、アラはサイドのポジションのはずだ。
サッカーとは微妙に用語が違ったりするのでややこしい。
「やー、西町がフットサルって意外だら。茶道とかお花やってそうじゃん。うちらも中学まではサッカーやってたに。な、希恵ち」
「え、うん」
コーイチ同様嬉しそうな麻利衣に、まだ困惑を拭いきれていない様子の希恵ちゃん。
「この後マック行かまいゆーてたんに。西町も行くけ?」
「いいな。どうせなら週末の大会でも出てくれんかな」
麻利衣は心の距離をつめるのが早いし、コーイチはそもそも距離とか測らないインファイターだ。
二人はあっという間に西町さんを仲間扱いし始めた。
「……わたしも、西町さんとお話ししてみたいかも。どうかな?」
おずおずとお誘いをかける希恵ちゃん。
プレー中は怒鳴るし叱るし正座させるしのパワー系だけど、普段は適切な距離感を保てる委員長キャラなのが希恵ちゃんのいいところだ。
「せっかくですが、この後用事があるので。じゃあ環くん、また明日」
そんなカミチュー仲間三人のアプローチを、西町さんは秒ではねのけた。
声のトーンは高いのに、その温度は氷点下。
異論をはさむ隙すら与えない、見事な断りっぷりだった。
そして西町さんは、小さく会釈を残し早足で立ち去っていった。
あ、と言う間もなかった。
声をかけるとか、一緒に帰るとか、そんなことを考える暇すらなかった。
「行っちまったな」
「どえらい速さだったに」
顎をかくコーイチと、目の上に手をかざす麻利衣。
「ね、もしかしてわたしたちお邪魔だった?」
希恵ちゃんが僕の顔を覗きこんでくる。申し訳なさや不安をにじませた声音。
そう、邪魔なんかじゃない。
本当に。
僕と西町さんはそういう関係じゃないのだから。
「たまきち、はよ行かまい。聞きたいことたっくーあるに!」
と、麻利衣が肩をポンポン叩いてくる。
「はいはい。おもしろい話はないけどね。ところで満は?」
「満くん、今日は壁新聞部の会議だって。後で合流するって言ってたよ」
落ち着きを取り戻してきた希恵ちゃんが教えてくれる。
「やー、危なかったら。満がいたら記事にされてたに」
「ちょっと、麻利衣。からかわないの」
悪ノリする麻利衣を、希恵ちゃんがたしなめる。
麻利衣は野次馬根性まる出しな恋バナ好きのノリで接してくるが、それは好奇心からじゃなく、ある意味僕のためにしていることだ。
麻利衣は僕の中学時代の黒歴史を知っている。
腫れものは触れれば痛いが、触れなければ薬はぬれない。
麻利衣は、冗談めかしてイジることでリハビリさせようとしている。
そう思う。
先日も似たようなことがあった。
教室での雑談。西町さんを見ながら恋バナ的なネタで僕をイジったあと『さっきはごめん』と謝ってきたときのこと。
麻利衣は他人と距離をつめるのが早いけれど、本当のところでは人との距離感に誰よりも気をつかっている。
僕が本気で否定すれば、きっと麻利衣はすぐ追及をやめる。
彼女は『聞きたいことがたくさんある』という言葉の裏でこう言っている。
『言いたいことがあるなら言ってみな』と。
ともかく。
いま僕がするべきは、仲間とマックに行って誤解をとくことだ。
西町さんとは特別な関係ではない。
ただの部活仲間だ。
そう伝える必要がある。
それは、嘘ではない。
真実すべてを語ってはいないけれど、決して嘘ではない。
例えば、一人帰っていく西町さんの背中を思い出すと胸の奥が小さく痛むだとか、そうした事実を黙っていても仲間を裏切っていることにはならない。
「僕もお腹空いたな。満と合流しようか」
と歩き始めた瞬間、聞いたことのある声がした。
「店長、あの話、どうなりました?」
思わず振り向く。
声は、棚の向こうから聞こえてきた。
姿は見えない。
希恵ちゃんと目が合う。
頷きあう。
やはり僕たちは声の主を知っている。
よく通る、落ち着いた声。
岩切夏くんだ。
「やっぱり難しいな。うちもお子さんを預かってるわけで、親御さんへの説明がな」
もうひとりの声。
こちらはしゃがれた男性の声。
ついさっき聞いた記憶がある。
そうだ。カウンターの中にいる店長さん声だ。
「……わかります。面倒な話を持ってきて、すみませんでした」
「いや、こちらこそ力になれなくて申し訳ない。なあ、本当にもうプレーはしないのか?」
「はい。決めたことですので」
岩切くんも店長さんも、口調は真剣そのもの。
口にしている単語も、重みのあるものばかり。
何だか、聞いてはならない話を聞いてしまっている気がする。
サッカーを止めたはずの岩切くんが何故専門店に来ているのか。
店長さんと何を離しているのか。
気になることは確かに多い。
でも、この場は気づかないふりをして立ち去るのがいいだろう。
希恵ちゃんと麻利衣にアイコンタクトをとる。
……あれ。コーイチは?
「岩切、こんなところで何をしてるんだ?」
棚の向こうから、コーイチの声。
ああ。手遅れだった。
だってコーイチだ。
止めなかったらこうなるに決まっている。
棚を回りこみ、コーイチの隣へ。
カウンター前に立った岩切くんは、驚きより諦めを顔に浮かべこちらを見ていた。
フリーズした僕をよそに、西町さんはいつもどおりの声音で言葉を発した。
いつもどおり。そう、教室でのいつもどおりの声だ。
「今日は文芸部の先輩たちとお街の本屋に行ったんです。その後、環くんがサッカー部のお買いものに行くというので、無理を言って連れてきてもらいました。わたし、中学ではフットサルをやっていたんです。今日は来てよかったです。いいお店を知ることができました」
「へえ、フットサルやってたのか! ポジションは?」
脳みそがサッカーボール柄になっていると噂のコーイチが、西町さんの発した一言にさっそく食いつく。
「主にピヴォです。アラもやりましたが」
ピヴォというのはサッカーでいうCF、アラはサイドのポジションのはずだ。
サッカーとは微妙に用語が違ったりするのでややこしい。
「やー、西町がフットサルって意外だら。茶道とかお花やってそうじゃん。うちらも中学まではサッカーやってたに。な、希恵ち」
「え、うん」
コーイチ同様嬉しそうな麻利衣に、まだ困惑を拭いきれていない様子の希恵ちゃん。
「この後マック行かまいゆーてたんに。西町も行くけ?」
「いいな。どうせなら週末の大会でも出てくれんかな」
麻利衣は心の距離をつめるのが早いし、コーイチはそもそも距離とか測らないインファイターだ。
二人はあっという間に西町さんを仲間扱いし始めた。
「……わたしも、西町さんとお話ししてみたいかも。どうかな?」
おずおずとお誘いをかける希恵ちゃん。
プレー中は怒鳴るし叱るし正座させるしのパワー系だけど、普段は適切な距離感を保てる委員長キャラなのが希恵ちゃんのいいところだ。
「せっかくですが、この後用事があるので。じゃあ環くん、また明日」
そんなカミチュー仲間三人のアプローチを、西町さんは秒ではねのけた。
声のトーンは高いのに、その温度は氷点下。
異論をはさむ隙すら与えない、見事な断りっぷりだった。
そして西町さんは、小さく会釈を残し早足で立ち去っていった。
あ、と言う間もなかった。
声をかけるとか、一緒に帰るとか、そんなことを考える暇すらなかった。
「行っちまったな」
「どえらい速さだったに」
顎をかくコーイチと、目の上に手をかざす麻利衣。
「ね、もしかしてわたしたちお邪魔だった?」
希恵ちゃんが僕の顔を覗きこんでくる。申し訳なさや不安をにじませた声音。
そう、邪魔なんかじゃない。
本当に。
僕と西町さんはそういう関係じゃないのだから。
「たまきち、はよ行かまい。聞きたいことたっくーあるに!」
と、麻利衣が肩をポンポン叩いてくる。
「はいはい。おもしろい話はないけどね。ところで満は?」
「満くん、今日は壁新聞部の会議だって。後で合流するって言ってたよ」
落ち着きを取り戻してきた希恵ちゃんが教えてくれる。
「やー、危なかったら。満がいたら記事にされてたに」
「ちょっと、麻利衣。からかわないの」
悪ノリする麻利衣を、希恵ちゃんがたしなめる。
麻利衣は野次馬根性まる出しな恋バナ好きのノリで接してくるが、それは好奇心からじゃなく、ある意味僕のためにしていることだ。
麻利衣は僕の中学時代の黒歴史を知っている。
腫れものは触れれば痛いが、触れなければ薬はぬれない。
麻利衣は、冗談めかしてイジることでリハビリさせようとしている。
そう思う。
先日も似たようなことがあった。
教室での雑談。西町さんを見ながら恋バナ的なネタで僕をイジったあと『さっきはごめん』と謝ってきたときのこと。
麻利衣は他人と距離をつめるのが早いけれど、本当のところでは人との距離感に誰よりも気をつかっている。
僕が本気で否定すれば、きっと麻利衣はすぐ追及をやめる。
彼女は『聞きたいことがたくさんある』という言葉の裏でこう言っている。
『言いたいことがあるなら言ってみな』と。
ともかく。
いま僕がするべきは、仲間とマックに行って誤解をとくことだ。
西町さんとは特別な関係ではない。
ただの部活仲間だ。
そう伝える必要がある。
それは、嘘ではない。
真実すべてを語ってはいないけれど、決して嘘ではない。
例えば、一人帰っていく西町さんの背中を思い出すと胸の奥が小さく痛むだとか、そうした事実を黙っていても仲間を裏切っていることにはならない。
「僕もお腹空いたな。満と合流しようか」
と歩き始めた瞬間、聞いたことのある声がした。
「店長、あの話、どうなりました?」
思わず振り向く。
声は、棚の向こうから聞こえてきた。
姿は見えない。
希恵ちゃんと目が合う。
頷きあう。
やはり僕たちは声の主を知っている。
よく通る、落ち着いた声。
岩切夏くんだ。
「やっぱり難しいな。うちもお子さんを預かってるわけで、親御さんへの説明がな」
もうひとりの声。
こちらはしゃがれた男性の声。
ついさっき聞いた記憶がある。
そうだ。カウンターの中にいる店長さん声だ。
「……わかります。面倒な話を持ってきて、すみませんでした」
「いや、こちらこそ力になれなくて申し訳ない。なあ、本当にもうプレーはしないのか?」
「はい。決めたことですので」
岩切くんも店長さんも、口調は真剣そのもの。
口にしている単語も、重みのあるものばかり。
何だか、聞いてはならない話を聞いてしまっている気がする。
サッカーを止めたはずの岩切くんが何故専門店に来ているのか。
店長さんと何を離しているのか。
気になることは確かに多い。
でも、この場は気づかないふりをして立ち去るのがいいだろう。
希恵ちゃんと麻利衣にアイコンタクトをとる。
……あれ。コーイチは?
「岩切、こんなところで何をしてるんだ?」
棚の向こうから、コーイチの声。
ああ。手遅れだった。
だってコーイチだ。
止めなかったらこうなるに決まっている。
棚を回りこみ、コーイチの隣へ。
カウンター前に立った岩切くんは、驚きより諦めを顔に浮かべこちらを見ていた。


