「……あれ?」
戻ってみると、SFコーナーには怜先輩の姿がなかった。
あたりを見回す。
誰もいない。
急激な羞恥のうずが巻き起こる。
夢中になって、はしゃいで駆けて、気がついたら迷子。
おこちゃまか?
上島からお越しの環くん十五歳、迷子センターで店内放送デビューか?
「あ、環くん。いたいた!」
と、背中から声。
天使の歌声か、はたまた迷子を見つけたお母さんか。
もちろんそんな喩えが似あう声の持ち主なんてこの街には一人しかいない。
先輩はベンチに座り、大きく手を振っていた。先輩のもとへ駆けよる。
「皆どこへ行ったのかと思いました。てっきり迷子になったかと」
「へ? スマホで連絡とればよくない?」
「あ」
僕のマヌケな声に、怪訝な顔をしていたくらら先輩が「あはは!」と笑いだす。
僕はといえば、記憶消去装置の出てくるSF小説はないかなと考えていた。
使う相手はもちろん自分。
くらら先輩にそんなもの使って、脳に異常が起こったらどうする。
「ほら、環くんも座って!」
と、くらら先輩は自分の隣の座面をポンポンたたく。
恐れ多くはあるけれど、ここで遠慮なんてしたら却って失礼だと自分に言い聞かせ、くらら先輩の隣に座る。
「いま怜ちゃんと英梨ちゃんは飲み物買いに行ってるよ。わたしはちょっと疲れたから休憩」
「だったら僕行ったのに。怜先輩に申し訳ないですね」
「環くん、たまに体育会系が顔覗かせるよね。礼儀正しいっていうか、先輩のいうことちゃんと聞くっていうか」
「そうですか? 自分ではよくわかんないです」
「そうだよ。いい後輩ができて嬉しいな」
「あはは……」
『いい後輩』。
喜んでいいのか。
その言葉は、アレに似ている。
西町さんにフラれたときのあの言葉。
『いいお友だち』というアレ。
いや、フラれてはいないけど。
もちろん、くらら先輩は好意で僕をそう評しているとわかっている。
でも『いい後輩』とか『いいお友だち』とかいうのは、相手を現状の関係性に押しこめる言葉でもある。
「怜ちゃん、部活とか委員会とかほとんどやったことなくて、人間関係狭いんだ。先輩も後輩もいたことなくて。環くんが『いい後輩』になってくれてよかった」
「……怜先輩、いい先輩ですから」
これはちょっとキツい。
くらら先輩にとっての『いい後輩』ですらなく、怜先輩にとっての『いい後輩』だったとは。
くらら先輩にとって僕は、直接の関係者ですらなかった。
無理もない。
自分でもわかっている。
さっきからまともに話せていない。
これじゃ関係も何もあったもんじゃない。
だって仕方ない。
くらら先輩と二人きりなんてこと、滅多にないんだから。
いまさら気づいたけれど、このシチュエーションは西町さんがつくってくれたのかもしれない。
飲み物を買いに行くという話になったとき、西町さんが怜先輩を連れ出してくれたのかも。
そのときの光景を思い浮かべると、背筋に冷たいものが走る。
きっとまたくらら先輩は鋭い視線で西町さんを射貫いて……。
ありがとう、西町さん。
勇者に乾杯。
「今日お出かけできたのもよかったなー。怜ちゃんって学校以外で家から出ること、ほとんどないんだよね。言い出してくれた英梨ちゃんにも感謝だよ」
素直な言葉。
屈託のない笑顔。
やっぱり先輩は天使。
西町さんは自業自得だから悔い改めて。
「怜先輩って、出不精なんですか?」
「放課後も週末もずっと小説書いてるよ。放っといたら際限なく机に向かってるの」
「ああ、何となくわかります。部室でもいつも書いてますもんね」
「昨年小説の新人賞で最終候補に残ったんだけど落選しちゃって。選評には『もっと人間を知るべし』ってあったんだよね。それなのに怜ちゃん、ずっと机にかじりついて書いてるばっかでさ! それじゃダメでしょ? だから外に連れ出すようにしてるんだよ」
ちょっと待って。
アクセル踏まないでください。
小説を書いているというのもビックリだけど、新人賞の最終候補ってスゴいのでは?
プロの一歩手前くらい?
高校生で作家デビュー目前って。
もうそれ趣味のレベルじゃない。
「怜ちゃんもね、自分でわかってるみたい。人生経験とか人間観察とかが足りてないってこと。だから部活にも毎日出るし、誘えばお出かけにもくるし、後輩たちともコミュニケーションとるし。あとメモもとってるね。今日もスマホいじってたでしょ? あれずっとメモとってるんだよ。環くんや英梨ちゃんが何考えてるのか、普段どんな生活してるのか、ずっと観察してるの。部室ではいつもパソコンでメモしてるけど、外じゃそうはいかないからね」
「……スゴいっすね」
もうダメだ。
ついていけない。
何も言えない。
怜先輩が主人公すぎる。
目標をこれと決めて、たゆまず努力して。
そして、くらら先輩は怜先輩のことしか考えていない。話しだしたら止まらない。
せっかく二人きりになったというのに、話題は怜先輩のことだけだ。
「あ、帰ってきたね。二人とも、お買いものありがと!」
くらら先輩が大きく手を振るのを見て、情けないことに安心してしまった。
このまま二人きりでいるのが、正直辛かった。
通路の向こうからやってきた怜先輩と西町さんは、両手にテイクアウトのプラカップを持っていた。
怜先輩は朗らかな笑顔で、そして西町さんは硬い笑顔で。
どうやら向こうも状況は似たりよったりだったらしい。
「環くん」
と、そのとき。
不意に、耳許であたたかい空気が震えた。
くらら先輩のささやきが耳朶をくすぐる。
「さっきの話、怜ちゃんには内緒ね。恥ずかしがっちゃうから」
そして顔を離したくらら先輩は、立ちあがり、怜先輩にかけ寄っていった。
「幸せで死にそうな顔してるね」
西町さんが言う。
ベンチで腰砕けになっている僕を、疲れた顔で見下ろして。
「知ってた? 天国と地獄って同じものなんだよ」
僕が世界の真理を教えると、西町さんは「知ってるよ」とカフェのプラカップをさしだした。
戻ってみると、SFコーナーには怜先輩の姿がなかった。
あたりを見回す。
誰もいない。
急激な羞恥のうずが巻き起こる。
夢中になって、はしゃいで駆けて、気がついたら迷子。
おこちゃまか?
上島からお越しの環くん十五歳、迷子センターで店内放送デビューか?
「あ、環くん。いたいた!」
と、背中から声。
天使の歌声か、はたまた迷子を見つけたお母さんか。
もちろんそんな喩えが似あう声の持ち主なんてこの街には一人しかいない。
先輩はベンチに座り、大きく手を振っていた。先輩のもとへ駆けよる。
「皆どこへ行ったのかと思いました。てっきり迷子になったかと」
「へ? スマホで連絡とればよくない?」
「あ」
僕のマヌケな声に、怪訝な顔をしていたくらら先輩が「あはは!」と笑いだす。
僕はといえば、記憶消去装置の出てくるSF小説はないかなと考えていた。
使う相手はもちろん自分。
くらら先輩にそんなもの使って、脳に異常が起こったらどうする。
「ほら、環くんも座って!」
と、くらら先輩は自分の隣の座面をポンポンたたく。
恐れ多くはあるけれど、ここで遠慮なんてしたら却って失礼だと自分に言い聞かせ、くらら先輩の隣に座る。
「いま怜ちゃんと英梨ちゃんは飲み物買いに行ってるよ。わたしはちょっと疲れたから休憩」
「だったら僕行ったのに。怜先輩に申し訳ないですね」
「環くん、たまに体育会系が顔覗かせるよね。礼儀正しいっていうか、先輩のいうことちゃんと聞くっていうか」
「そうですか? 自分ではよくわかんないです」
「そうだよ。いい後輩ができて嬉しいな」
「あはは……」
『いい後輩』。
喜んでいいのか。
その言葉は、アレに似ている。
西町さんにフラれたときのあの言葉。
『いいお友だち』というアレ。
いや、フラれてはいないけど。
もちろん、くらら先輩は好意で僕をそう評しているとわかっている。
でも『いい後輩』とか『いいお友だち』とかいうのは、相手を現状の関係性に押しこめる言葉でもある。
「怜ちゃん、部活とか委員会とかほとんどやったことなくて、人間関係狭いんだ。先輩も後輩もいたことなくて。環くんが『いい後輩』になってくれてよかった」
「……怜先輩、いい先輩ですから」
これはちょっとキツい。
くらら先輩にとっての『いい後輩』ですらなく、怜先輩にとっての『いい後輩』だったとは。
くらら先輩にとって僕は、直接の関係者ですらなかった。
無理もない。
自分でもわかっている。
さっきからまともに話せていない。
これじゃ関係も何もあったもんじゃない。
だって仕方ない。
くらら先輩と二人きりなんてこと、滅多にないんだから。
いまさら気づいたけれど、このシチュエーションは西町さんがつくってくれたのかもしれない。
飲み物を買いに行くという話になったとき、西町さんが怜先輩を連れ出してくれたのかも。
そのときの光景を思い浮かべると、背筋に冷たいものが走る。
きっとまたくらら先輩は鋭い視線で西町さんを射貫いて……。
ありがとう、西町さん。
勇者に乾杯。
「今日お出かけできたのもよかったなー。怜ちゃんって学校以外で家から出ること、ほとんどないんだよね。言い出してくれた英梨ちゃんにも感謝だよ」
素直な言葉。
屈託のない笑顔。
やっぱり先輩は天使。
西町さんは自業自得だから悔い改めて。
「怜先輩って、出不精なんですか?」
「放課後も週末もずっと小説書いてるよ。放っといたら際限なく机に向かってるの」
「ああ、何となくわかります。部室でもいつも書いてますもんね」
「昨年小説の新人賞で最終候補に残ったんだけど落選しちゃって。選評には『もっと人間を知るべし』ってあったんだよね。それなのに怜ちゃん、ずっと机にかじりついて書いてるばっかでさ! それじゃダメでしょ? だから外に連れ出すようにしてるんだよ」
ちょっと待って。
アクセル踏まないでください。
小説を書いているというのもビックリだけど、新人賞の最終候補ってスゴいのでは?
プロの一歩手前くらい?
高校生で作家デビュー目前って。
もうそれ趣味のレベルじゃない。
「怜ちゃんもね、自分でわかってるみたい。人生経験とか人間観察とかが足りてないってこと。だから部活にも毎日出るし、誘えばお出かけにもくるし、後輩たちともコミュニケーションとるし。あとメモもとってるね。今日もスマホいじってたでしょ? あれずっとメモとってるんだよ。環くんや英梨ちゃんが何考えてるのか、普段どんな生活してるのか、ずっと観察してるの。部室ではいつもパソコンでメモしてるけど、外じゃそうはいかないからね」
「……スゴいっすね」
もうダメだ。
ついていけない。
何も言えない。
怜先輩が主人公すぎる。
目標をこれと決めて、たゆまず努力して。
そして、くらら先輩は怜先輩のことしか考えていない。話しだしたら止まらない。
せっかく二人きりになったというのに、話題は怜先輩のことだけだ。
「あ、帰ってきたね。二人とも、お買いものありがと!」
くらら先輩が大きく手を振るのを見て、情けないことに安心してしまった。
このまま二人きりでいるのが、正直辛かった。
通路の向こうからやってきた怜先輩と西町さんは、両手にテイクアウトのプラカップを持っていた。
怜先輩は朗らかな笑顔で、そして西町さんは硬い笑顔で。
どうやら向こうも状況は似たりよったりだったらしい。
「環くん」
と、そのとき。
不意に、耳許であたたかい空気が震えた。
くらら先輩のささやきが耳朶をくすぐる。
「さっきの話、怜ちゃんには内緒ね。恥ずかしがっちゃうから」
そして顔を離したくらら先輩は、立ちあがり、怜先輩にかけ寄っていった。
「幸せで死にそうな顔してるね」
西町さんが言う。
ベンチで腰砕けになっている僕を、疲れた顔で見下ろして。
「知ってた? 天国と地獄って同じものなんだよ」
僕が世界の真理を教えると、西町さんは「知ってるよ」とカフェのプラカップをさしだした。


