好きな人の好きな人を好きな人

 戸締まりはしていくという先輩方のお言葉に甘え、僕と西町さんは先に部室を出た。

 先輩に戸締まりをさせて先に帰るなんて。
 そう訴えたが、くらら先輩は「環くんは本当にいい子だね」と取り合ってくれなかった。

 子供扱いされているな。
 まずそう思った。

 それから、環くん『は』という部分が気にかかった。
 先輩は、妙にそこを強調していた。
 まるでいい子じゃない子がいる、とでも言いたげに。

 いやいや、くらら先輩はそんな嫌味を言う人じゃない。
 先輩は天使。
 僕は信じている。
 信じたい。
 恋よ、僕を盲目にしてください。

「環くん、今日は自転車?」

 昇降口を出るところで、西町さんがそう訊いてきた。

「そうだよ。天気もいいし」

「わたし、電車なんだよね。現地集合でいい?」

 なんとも唐突な言葉だった。

「うん。……うん?」

「じゃあ後でね」

 首を傾げる僕を置いて、と西町さんは昇降口を出ていった。

 一呼吸をおいてからローファーに履き替え、外に出る。
 交わした言葉は最低限ギリギリだったが、それでも言いたいことはわかった。

 先ほど部室で西町さんは積極攻勢に出た。
 怜先輩に、本屋に連れて行ってもらうようお願いするなんて。
 そのアグレッシブな動きが、くらら先輩の裡に巣食う鬼を呼び起こしてしまった。

 いやだから違うって。
 先輩は天使。
 般若じゃない。

 とまれ、西町さんのアグレッシブな動きが、文芸部の調和を乱すものだったのは間違いない。
 そう感じた僕は、咄嗟に申し出た。
 僕も一緒に行っていいですか、と。
 そこから四人でのお出かけに水を向けることで、調和はギリギリ保たれた。

 しかし西町さんからしてみれば、僕の申し出は妨害でしかない。
 ということで、さっき西町さんが口にした『後でね』という言葉の真意はこうだ。

 『後でみずべの公園に来い。ヤキを入れてやるから首を洗ってな』。



 馬込川みずべの公園は、今日も夕陽に紅く染まっていた。

 駐車場の隅に自転車を停める。
 あたりを見回しても西町さんの姿は見当たらない。

 と数分スマホをいじっているうちに、土手の向こうからスカート姿の人影が現れた。
 僕に気づいたようで、彼女は小さく挙げた手を振り、こちらへ歩いてきた。

「おまたせ」

「ごめんなさい」

 先手をとって頭を下げると、西町さんは「はい?」と怪訝そうな声をだした。

「環くん、何かした?」

「西町さん怒ってないの?」

「待って。何の話?」

「ほら、さっき西町さんがせっかく怜先輩を誘ったのに、僕が割り込んだせいで四人のお出かけになっちゃったから」

 顔中に『?』を浮かべていた西町さんが「ああ」と大きくうなずく。

「そういうこと。気にしないでよ。むしろ助かったと思ってるんだから」

 苦笑いを浮かべ、肩をすくめる西町さん。

「わたし、くらら先輩のこと誤解してたみたい。悪鬼羅刹の類だね、アレは」

「は? 失礼にもほどがあるよね。先輩は天使だよ」

「環くん、自分に嘘をつくのはやめましょう?」

 西町さんは僕の肩に手を置いて首を振った。

「ところで、ここに来るまでに思ったんだけど」

 振り返った西町さんが、僕の自転車の前でしゃがみこむ。

「やっぱり移動は自転車のほうが早いよね」

「場所にもよるけど、そうだね。電車は待ち時間があるし、駅までと駅からの徒歩も長いから」

「先輩たちも通学は自転車だよね。明日お街行くとき、後ろ乗せてもらってもいい?」

 少し考えこんだあと、西町さんはそう尋ねてきた。

「最近、二人乗りしてるとうるさいんだよね。特にお街のほうだとお巡りさんも多いし。昔は僕も2ケツ棒つけてたんだけど、あれよく盗まれるし、この頃はつけてるだけで注意されたりするから」

「2ケツ棒?」

「ハブとかハブステップとか呼ばれる鉄の棒だよ。十センチくらいの、後輪の軸につける棒。本当は転倒したときに部品を守るものらしいけど、まあ実際は二人乗り用の足場になるやつ」

「へえ。ま、二人乗りはやめとこっか。先輩たちに迷惑かけるわけにもいかないし」

「西町さん、自転車持ってないの?」

「あるよ。ただ、道に自信がなくて」

「そこの橋の上の大通り、あれまっすぐ走ると遠衛の前に着くよ」

「そうなんだ。学校前の通りってここにつながってたんだね」

 立ち上がった西町さんが、僕の指差す方を見て「へえ」とつぶやく。

 子どもの頃からこの町で暮らしてきた僕らが当たり前に持っている土地勘。
 それがない生活は、結構なストレスになるのかもしれない。