消えたい私は、いつか消える君に恋をした。

最初に違和感を覚えたのは、朝の教室だった。

チャイムが鳴り、席に着く直前、私は教室の後ろの窓際に視線を向けた。理由は分からない。ただ、そこに誰かが立っているような気がした。

チャイムが鳴り、席に着く直前、私は教室の後ろの窓際に視線を向けた。
理由は分からない。
ただ、そこに誰かが立っているような気がした。

半分だけ開いている窓の奥に、曇った空が広がっている。
それだけだった。

ーー気のせい。
そう思おうとしたが、胸の奥に小さな引っかかりが残る。

公園で蒼と話すようになってから、私は時々、こうして「いないはずの気配」を感じるようになっていた。
怖いわけじゃない。
ただ、現実とそうでないものの境目が、少しだけ曖昧になったような感覚。


「凪、聞いてる?」

私の席に来て話していた紗季が私の顔を覗き込んだ。

「あ、ごめん」

「最近ほんと上の空だね」

責める口調ではない。
それが余計に申し訳なかった。

「大丈夫?」

「、、、うん」

本当は「うん」なんて言える状態ではないのかもしれないけれど。

授業中、先生の声は耳に入ってくる。
でも、内容が頭に定着しない。
ノートは取っているのに、文字がどこか他人のものみたいに見える。

私はちゃんと、ここにいるはずなのに。

昼休み、教室のざわめきの中で、私は一人、窓の外を見ていた。
校庭では、男子生徒たちがサッカーをしている。
笑い声も聞こえる。

ーーみんな、現実を生きてる。

そんな当たり前のはずの事実に、急に距離を感じたのはなぜだろう。

「篠原」

背後から声をかけられ、肩が跳ねる。

三浦健太だった。

「これ、プリント」

「あ、ありがとう」

「顔色悪くない?」

「そう?」

「うん。なんとなく、そんな気がした」

「大丈夫だよ、私は」

「それなら、いいんだけど」

健太はそう言って自分の席に戻っていった。

顔色が本当に悪いのかはわからないけれど、表情が暗いのは確かだろう。

放課後、私は迷った末、公園へ向かった。
行かない選択肢もあった。
でも、足は自然とそちらに向いていた。

蒼がいるかどうかは、わからない。
それでも、なぜかいるような気がした。

街灯が灯り始めた頃、公園に着く。
ベンチに近づいた瞬間、私は立ち止まった。

「、、、やっぱり」

蒼はそこにいた。

昨日と同じ場所。
同じように、ベンチに腰を下ろしている。

「来ると思ってた」

蒼が言う。

「、、、どうして?」

「幽霊の勘だ」

「なにそれ」

私は苦笑した。

「便利そうだね、それ」

「便利って言われると微妙」

蒼は立ち上がり、私の前に立つ。

その瞬間、私ははっきりと気づいてしまった。

ーー影が、ない。

街灯の光を受けているはずなのに、蒼の足元には影が落ちていなかった。

「、、、蒼」

「なに?」    

私は地面を指さす。

「影が、、、」

蒼は一瞬視線を下げ、それから小さく息を吐いた。

「気づいた?」

「、、、うん」

今まで私は、蒼の存在を「信じきらない」ことで、自分を守っていた。
冗談かもしれない。
錯覚かもしれない。
そう、逃げ道を用意していた。

でも、この光景は。

「俺の体に、手を伸ばしてみて」

蒼が、静かに言った。

「、、、手?」

「うん」

私は恐る恐る、手を伸ばす。
指先が、蒼の腕に触れるーーはずだった。

けれど、何にも触れることなく、蒼の体を通り抜けた。

空気を掴んだだけなのに。
不思議と、確かにそこに「形」があるように感じる。
冷たいわけでも、温かいわけでもない。
ただ、蒼という存在がこの空間にいる。そう感じた。

「、、、幽霊って嘘じゃないんだね」

声が震えた。

「最初から言ったでしょ」

蒼は困ったように笑う。

「信じてなかった」

「うん。知ってる」

私は手を下ろし、深呼吸をした。

逃げ場が、一つ消えてしまった。

「私にしか、見えないの?」

「今のところはそうだと思う」

「なんで私なの」

蒼はすぐに答えなかった。

「理由が欲しい?」

「、、、わからないのが、一番怖い」

「たぶん、君が境目にいたから」

「境目?」

「現実とここじゃない世界との間」

「ここじゃない世界?」

「まあ、簡単に言えば、あの世だね。凪、この世界からいなくなってしまえたら、、、とか考えなかったか?」

「あ、、、」

死にたいわけではない。
でも、消えてなくなれたらどんなに楽だろうかと、考えたことは何度もあった。

「だから、私が選ばれた?」

「選んだつもりはないよ」

「じゃあ、偶然?」

「それもなんか違う。偶然でもあり、必然でもある」

「どういうこと?」

「凪自身が、誰かに話を聞いて欲しいって、そう思ってたから」

胸の奥が、強く締め付けられた。

「蒼は、ここから動けないの?」

「基本はね」

「じゃあ、ずっと一人だった?」

蒼は少しだけ目を伏せた。

「時間の感覚が曖昧だから、どれくらいかはわからない」

私は、その言葉の重さを想像しようとして、やめた。
簡単に理解できるものじゃない。

「、、、私が来なかったら?」

「それでも、ここにいる」

それは、当たり前の事実なのに、胸が痛んだ。

「でも、、、」

蒼は続ける。、

「凪は来てくれた」

その言い方が、あまりにも自然で。
私は目を逸らした。
今まで閉ざされていた感情の扉が、開いてしまそうで。

蒼が幽霊であるという事実を否定することは、もうできない。
でも、蒼は確かにここにいる。
そして私は、確かに蒼と話している。

現実が、少しだけ形を変えた夜だった。

帰り際、私は振り返った。

「蒼」

「なに?」

「、、、明日も、来るかもしれない」

本当は分かりきっている。
私はきっと、明日もここに来る。

「"かもしれない"ね」

蒼は、そう言いながら笑った。

でも、その笑顔がどこか柔らかかったのを、私は見逃さなかった。

家に向かう道で、私は何度も足元を見た。
自分の影を確かめるように。
夜だから、見えにくいけれど。

私は、まだここにいる。
現実の側に、ちゃんと立っている。

家に着いても、すぐには玄関に入れなかった。
鍵を握ったまま、扉の前で立ち尽くす。

蒼が幽霊だという事実は、頭では理解している。
影が無かったこと。
触れられなかったこと。
あれは、錯覚でも夢でもなかった。

それなのに、蒼と別れ一人になると、急に心細くなった。

ーー私、今なにを信じてるんだろう。

玄関を開けると、いつもと同じ匂いがした。
変わらない日常が、そこにはある。

「おかえり」

母の声がリビングから聞こえた。

「ただいま」

いつも通りのやりとり。
それができる自分に、少し安心する。

部屋に戻り、制服を脱いでベッドに腰を下ろす。
スマートフォンを手に取るが、画面を見る気になれず、すぐに伏せた。

天井を見つめる。
今日一日の出来事が、映像として頭の中で何度も再生される。

影の無い足元。
すり抜けた指。

心臓が、遅れて強く脈打った。

ーー怖い。

今になって、やっとそう思った。
蒼が怖いわけじゃない。
現実が、今まで信じてきた形じゃなくなったことが怖い。

もし、幽霊である蒼が本当にここにいるなら。
もし、私にしか見えていないのなら。

私は今、いったいどこに立っているのだろう。

眠ろうとしても、目は冴えたままだった。
布団を被っても、安心できない。

私は起き上がり、机に向かう。
引き出しからノートを取り出し、ページを開いた。

白い紙を前にすると、少しだけ呼吸が整う。

蒼の足元に影が見られなかったこと。
蒼に触れようとして触れられなかったこと。
今日あった出来事を書いた。

ノートを閉じ、深く息を吐く。
私はまだ、整理ができていない。

ーーそれでも。

蒼の声を思い出すと、胸の奥が静かになる。
否定も肯定もせず、ただ私の話を聞いてくれた時間。

それは確かに、私を救っていた。

次の日の朝、目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
それももう、日常的になってしまった。
寝不足のはずなのに、頭は妙に冴えている。、

鏡の前に立つと、いつもと変わらない自分が映っていた。
幽霊を見た人間の顔には見えない。

学校へ向かう道で、私は何度も周囲を見回した。
蒼の姿を探しているわけじゃない。
ただ、世界が昨日と同じか確かめたかった。
なんて、何考えてるんだろう。
やっぱり、寝不足で疲れが溜まってるのかもしれない。

教室に入ると、朝の喧騒が迎えてくる。
机に座り、深く息を吸う。

ーー私は、ここにいる。

授業が始まり、ノートを取る。
昨日よりは、少しだけ集中できた。

昼休み、紗季が隣に座る。

「ねえ、凪」

「なに?」

「最近さ」

紗季は少し言い淀んでから続けた。

「雰囲気、変わったよね」

心臓が跳ねる。

「、、、そうかな」

「うん。あ、でも、悪い意味で言ってるんじゃないよ」

「じゃあ、どんな意味?」

「なんていうか」

紗季は顎に指を当てて考える。

「遠くを見てる感じ」

図星だった。

「心ここにあらず、みたいな?」

「それに近いね」

私は苦笑する。

「凪、大丈夫?」

「、、、たぶん」

本当は、わからない。
でも、今はそれ以上話せなかった。

放課後に近づくにつれて、胸がざわついてくる。
理由は、考えなくてもわかっていた。

私は今日も、公園へ向かうのだろうか。

自分に問いかけるまでもなく、答えは決まっている。

夕方、公園に着く。
昨日より少し早い時間。

蒼はいなかった。
もしかしたら、見えないだけなのかもしれないけれど。

だけど、それになぜかほっとしている自分がいる。
同時に、少しだけ寂しい。

ベンチに座り、空を見上げる。
薄い雲が流れている。

「、、、来ないなら、来ないでいいのに」

「それ、本心?」

背後から声がして、息が止まる。

振り返ると、蒼が立っていた。

「、、、いつから」

「さあ、いつでしょう」

相変わらず、曖昧な答え。

「今日は、いないかと思った」

「それは、少しだけ寂しかった?」

「、、、」

私は答えなかった。
否定もしなかった。

「、、、昨日のこと考えてた」

私がそう言うと、蒼は隣に座った。

「そりゃそうだ。普通じゃないもんな」

「うん。普通じゃない」

「公園に来たこと、後悔してる?」

私は首を横に振る。

「、、、怖いけど」

「うん」

「それでも、来てよかったって思ってる」

蒼は何も言わず、ただ頷いた。
それだけで、十分だった。

「凪」

「なに?」

蒼は前を見たまま言う。

「全部を受け入れなくてもいい」

私は、その言葉に救われた。

「逃げてもいい?」

「いいよ」

「疑っても?」

「もちろん」

蒼は、少し笑う。

「それでも話したくなったら、ここに来ればいい」

期限も、約束もない言い方。
それが、今の私にはちょうど良かった。

私は、蒼の横顔を見る。
確かに、そこに存在している。

でも、触れられない。
影も落ちない。

矛盾だらけなのに、嘘じゃない。

私はまだ、答えを出せない。
でも、出さなくていいのかもしれない。

ただ一つわかっているのは、この場所で、この時間だけは、私が「一人じゃない」ということ。

それが、現実でも、そうでなくても。

夜は、また静かに更けていく。

夜風が少しだけ冷たくなってきた。

私は両手を膝の上に置き、指先をぎゅっと組む。

「ねえ、蒼」

「なに?」

「私がさ、誰かに言ったらどうなると思う?」

蒼は少しだけ首を傾げる。

「俺のこと?」

「うん」

「信じてもらえない可能性が高いね」

「だよね」

苦笑が漏れる。

「心配されるかも」

「それは優しい人たちだ」

蒼はあっさり言った。

「でも、きっとうまく説明できない」

「しなくてもいい。凪がしたくないんだったら、しなくてもいいんだよ」

説明できないものを、どう扱えばいいのかわからない。
でも、説明しなきゃいけないとも限らない。

その事実が、少しだけ気持ちを軽くした。

「凪はさ」

蒼がゆっくり言う。

「俺がいることで、現実が壊れそうって思ってる?」

私は考える。

壊れそう、というより。
ずれている。

「なんだろう。少しだけ、傾いている感じ。」

「倒れそう?」

「、、、まだ、立ってるけどね」

「なら大丈夫」

蒼は即答する。

「倒れそうになったら、離れればいい」

「そんな簡単にできるかな」

「できるよ」

迷いのない声。

「凪は、ちゃんと現実側の人間だから」

その言葉に、胸がひりつく。

「、、、蒼は?」

「俺は幽霊だから。ただ、ここにいるだけ」

淡々とした言い方。

その距離が、急に寂しく感じた。

「蒼は、寂しくないの?」

「寂しいって感覚、もうあんまりわからない」

私は息をのむ。

「長く一人だとね」

蒼は、空を見上げる。

「慣れる」

慣れる、という言葉が重かった。

私は、慣れたくないと思った。

孤独に。
諦めに。
何も感じない状態に。

「私は、慣れたくない」

気づけば、口にしていた。

「なにに?」

「、、、一人に」

蒼は少しだけ目を細めた。

「だから、ここに来た?」

「うん」

それは、もう否定できない。

私は、蒼に会うためにここへ来ている。
怖さもあるのに、それでも。

「凪」

蒼の声が、いつもより静かだった。

「俺は、ずっといるわけじゃない」

心臓が強く跳ねる。

「、、、どういう意味?」

「時間は、現実とは違ってこっち側では曖昧だけど、、、」

蒼は言葉を選ぶ。

「変わらないものはない」

はっきりとは言わない。
でも、その含みだけで十分だった。

私は視線を落とす。

「それ、今言う?」

「今だから言う」

蒼は真剣な表情だった。

「凪がここにくる理由が、俺だけになったら困る」

その言葉に、胸が締めつけられる。

「なってないよ」

即座に否定する。

けれど、少しだけ嘘だった。

「ならいいんだけど」

蒼はそれ以上追及しない。

私は、自分の心の中を覗き込む。
蒼と話す時間は、確かに楽だ。
誰にも言えなかったことを言える。

でも、それだけにしておかなければいけない。

「私、ちゃんと学校行ってるし」

「うん」

「友達もいる」

「知ってる」

「だから、大丈夫」

自分に言い聞かせるみたいに言うと、蒼は少しだけ優しく笑った。

「そうやって確認できるなら大丈夫だ」

風が吹き、木々が揺れる。

公園の時計を見ると、思ったより時間が経っていた。

「そろそろ帰ろうかな」

「うん」

私は立ち上がる。

蒼も、同じように立つ。
でも、やっぱり音はしない。

「凪」

「なに?」

「明日も来る?」

少しだけ、いたずらっぽい声。

「、、、気分次第」

「そっか」

蒼はそう言って、小さく笑った。

その笑顔を見て、胸が少しだけ痛む。

ーー変わらないものはない。

さっきの言葉が、頭から離れない。

帰り道、私は空を見上げた。
月はまだ細い。

世界は一見変わっていないように見える。
信号も、街灯も、家の明かりも。
すべて昨日までと同じ。

変わったのは、私だ。

誰にも見えない存在を、私は知ってしまった。

家に近づくにつれ、現実の輪郭がはっきりしていく感覚がした。

私は、日常の中に戻れる。
戻らなければいけない。

でも。

心のどこかに、公園の静かさが残っている。

蒼の声が、まだ耳の奥にある。

私はまだ、どちらかを選んでいないということなのだろうか。
現実の世界と、蒼たちの世界。

ただ、両方の間に立っている。

でも今は、それでいいと思えた。

完全に理解しなくてもいい。
全部を信じなくてもいい。

それでも、あの時間が嘘じゃないことだけは、わかっている。

夜は静かに続いていく。

私はまだ、境目に立ったまま。

けれど、もう目を逸らしてはいなかった。

夜の空気は、昼間よりもずっと正直だ。

隠していた感情を、静かに浮かび上がらせる。

家に入ると、テレビの音がリビングから流れてきた。

「おかえり、遅かったね」

母の何気ない言葉に、少しだけ心が揺れる。

「ちょっと公園でぼーっとしてた」

完全に嘘ではない。
けれど、本当のことも言っていない。

「最近よく行くわね」

「うん。静かだから」

それ以上、会話は広がらなかった。

部屋に戻りドアを閉める。
ドアの閉まる音がやけに大きく響いた。

私はベッドに腰を下ろし、今日の蒼の言葉を反芻する。

ーー変わらないものはない。

当たり前のことだ。
季節だって、気持ちだって、少しずつ形を変える。

それなのに、どうしてあんなに胸がざわついたんだろう。

私はカーテンを少しだけ開ける。
窓の外には、街灯に照らされた道が見える。

私は机に向かい、ノートを開いた。

昨日書いたページの隣に、今日のことを綴る。

蒼が「ずっといるわけじゃない」と言ったこと。
私が少しだけ動揺したこと。
それを隠そうと、平気なふりをしたこと。

文字にすると、自分の弱さがはっきりする。

私はペンを止め、しばらく考える。

私は何を怖がっているのだろう。

蒼が消えること?
それとも、蒼に依存してしまう自分?

答えは、まだ出ない。

ただ一つ言えるのは、蒼と話す時間が、確かに私を軽くしているということ。
それは逃げなのか、救いなのか。
境界は曖昧だ。

翌日、教室の窓から入る光がやけに眩しく感じた。

紗季と他愛ない会話をしながらも、私は心のどこかで時間を気にしている。
放課後が近づくにつれ、意識がそわそわする。

でも今日は、すぐには公園へ向かわなかった。

一度、家に帰った。

制服のままベッドに寝転び、天井を見上げる。

——凪がここにくる理由が、俺だけになったら困る。

蒼の声が蘇る。

私は目を閉じる。

公園に行くのは、私の意思だ。

蒼に会うためでもあるけれど、それだけじゃない。
あの場所で、私は自分の本音を認められる。
誰にも見せていない部分を、そっと外に出せる。
それは、蒼がいるからこそできることかもしれない。
でも、蒼のためだけじゃない。

私は起き上がり、鞄を置いて部屋を出る。

「ちょっとまた出てくるね」

母は少し驚いた顔をしたが、何も言わなかった。

公園へ向かう道は、昨日と同じはずなのに、少しだけ違って見える。

私は歩きながら考える。

蒼が消える日が来るとしたら。
私はどうするのだろう。

想像するだけで、胸が締めつけられる。
でも同時に、思う。
それでも、会わなかったことにはしたくない。

公園に着くと、ベンチには誰もいなかった。
少しだけ深呼吸をする。

「今日は遅かったね」
声がして、私は振り向く。

蒼が、木のそばに立っていた。

「別に、毎日来るって決めたわけじゃないし」

「そりゃそうだ」

蒼は肩をすくめる。

私はベンチに座り、隣を軽く叩いた。
蒼は少し驚いた顔をしてから、そこに腰を下ろす。

触れられない距離。
でも、確かに並んでいる。

「私ね」

言葉を探しながら、続ける。

「蒼がいなくなるの、嫌だよ」

蒼は何も言わない。

「でも、それでここに来なくなるのも、嫌」

自分でもうまく説明できない。
蒼は静かに空を見上げる。

「凪は、ちゃんと考えてるね」

「考えないと、怖いから」

「怖いままでいいよ」

その言葉に、少しだけ目を見開く。

「無理に強くならなくていい」

蒼の声は、夜風よりも柔らかい。
私は膝の上で指を握る。

「蒼はさ」

「うん?」

「消えるの、怖くないの?」

しばらく沈黙が流れた。

やがて蒼は、静かに言う。

「怖いかどうかも、よくわからない」

正直な答えだった。

「でも、凪が前を向けるなら、それでもいい」

胸の奥がじんわりと熱くなる。

私は、まだ前を向けていない。

それでも、蒼はそう言う。

夜空には、昨日より少し丸い月が浮かんでいた。ら

私は、ゆっくりと息を吸う。

今はまだ、結論なんていらない。

消えるかもしれない未来も。
揺らいでいる現実も。

全部抱えたまま、ここにいる。

それでいい。

蒼の隣で、私は静かに目を閉じた。

風が頬を撫でる。

世界は少しずつ動いている。

私もその中にちゃんと立っている。

境目の上で揺れながら。

それでももう、一人ではなかった。