消えたい私は、いつか消える君に恋をした。

夜は、私にとって安全な時間でもあり、危険な時間でもあった。
誰にも見られないという意味では安心できるのに、考えなくてもいいことまで浮かび上がってくる。

部屋の灯りを消し、スマートフォンの画面だけを頼りに時間をやり過ごす。
動画を見ても、音楽を聴いても、心はどこか別の場所に置き去りにされたままだった。

眠れない夜が続いていた。
理由はわかっている。
わかっているからこそ、どうにもならなかった。

私は自分という存在をうまく認められずにいた。
学校では笑っている。
家では「大丈夫」と答える。
それなのに、胸の奥だけがずっと空洞のままだ。

誰かに話したい。
でも、誰に?
何を?

言葉にする前に、全てがほどけてしまいそうで、私は黙ることを選び続けてきた。

その夜も、同じだった。
気づけば私は、家を出ていた。

理由はない。
強いていうなら、ここではないどこかに行きたかっただけだ。

夜の公園は、昼間とは別世界のようだった。
ブランコは静止したまま、滑り台は影だけを伸ばしている。
街灯の下に落ちる光は、現実と夢の境目のようで、輪郭が曖昧だった。

私はベントに腰を下ろした。
冷たい感触が、じんわりと伝わってくる。

「、、、やっぱり、意味ないな」

誰に向けたわけでもない言葉が、夜に溶ける。
返事があるはずもない。

ーはずだった。

「意味ないってことはないんじゃない?」

声がした。

すぐ隣から。

心臓が、一泊遅れて跳ねる。
私は勢いよく顔を上げた。

そこには、男の子が座っていた。
全く気づかなかった。
足音もしなかったと思う。

年は、私と同じくらいに見える。
制服でもなければ、私服という感じもしない、季節感のない服装。

「、、、だれ?」

声が掠れたのが、自分でもわかった。

「ひどいな。いきなりそんな聞き方」

男の子は肩をすくめて、軽く笑う。
怖さよりも先に、困惑が勝った。

「ここ、誰もいなかったはず」

「そう?じゃあ、俺が今ここにいるのはどう説明する?」

言葉選びみたいな口調。
からかっているようにも聞こえた。

「、、、ついてきた?」

「いや、最初からいた」

そんなはずはない。
私は確かに、一人でベンチに座った。

「嘘」

「まあ、そう言うよね」

男の子は否定しなかった。
それが余計に気味が悪かった。

立ちあがろうとすると、足が少し震えた。
怖い、というよりも状況が飲み込めない。

「帰る」

「それ、正解かも」

あっさり言われて、逆に足が止まる。

「、、、何、それ」

「だって俺、普通じゃないし」

その言葉に、私は彼を見た。
普通じゃないってどういうことだろう。

「普通じゃないって?」

「うーん、説明すると長いんだけど」

男の子は少し考える素振りをしてから、笑って言った。

「俺、幽霊なんだよ」

一瞬、何を言われたのかわからなかった。
次に浮かんだのは、呆れだった。

「、、、冗談、きつい」

「だよね。そう言われると思った」

否定されることを前提にした口調。
怒る様子も、慌てる様子もない。

「そういうの、全然面白くないから」

私はそう言って、今度こそ立ち去ろうとした。

「待って」

呼び止める声は、意外と穏やかだった。

「信じなくていい。でも、少しだけ話そう」

「話すことなんてない」

「あるでしょ」

男の子は私の顔を見て、静かに言った。

「ここに来た理由」

胸の奥を、指でなぞられたような感覚がした。

「、、、決めつけないで」

「決めつけてない。ほんとのことだよ。それは、自分が一番わかってるはずだ」

私はベンチに戻るでもなく、立ったまま彼を見る。
近くで見ると、彼の表情は柔らかかった。
どこか、懐かしい気もする。

「幽霊っていうなら、成仏すれば?」

少し意地悪な言い方になったのは、動揺を隠すためだった。

「それができたら、苦労しない」

男の子は苦笑した。

「名前は?」

「聞くんだ」
彼は意外そうに言った。

「、、、一応」

「柏木蒼」

普通の名前なんだ。

「君の名前は?」

「篠原、凪」

気づけば自然と答えていた。

蒼は、私の名前を一度、口の中で転がす。

「凪か。綺麗な名前だな」

その言葉に、なぜか胸がざわついた。

夜風が吹き、木々が揺れる。
現実なのか、夢なのか、判断がつかない。

「ねえ、凪」

蒼はベンチの背もたれに身を預けながら言った。

「ここに来た理由は、言わなくてもいい。でもさ、」

視線が、真っ直ぐに私に向けられる。

「一人で抱え込むの、向いてないよ」

その一言で、私は何も言えなくなった。

信じられない存在。
あり得ない設定。
それなのに、その場を離れられなかった。

私はまだ知らなかった。

この夜が、私の日常を静かに壊し始めていることを。
信じるか、信じないか。
その選択すら、もう意味を持たなくなりつつあることを。

ただ一つ確かなことは、私はこの夜、一人ではなかったということだった。


「まあ、今日はもう遅いから帰りなよ」


蒼と別れたあと、私はしばらく公園の入り口に立ち尽くしていた。
足を一歩踏み出せば、家に帰れる。
それなのに、体が言うことを聞かなかった。

夜の空気は湿っていて、肌にまとわりつく。
ついさっきまで誰かと話していたとは思えないほど、世界は静まり返っていた。

ー幽霊。

口に出して見ると、やっぱり現実味がない。
信じられる理由なんて、どこにもなかった。

それでも、完全に否定しきれなかったのはなぜだろう。

家に着くと、家の灯りがついていた。
母はもう帰っているらしい。
私はなるべく音を立てないように靴を脱ぎ、自分の部屋へ向かった。

「おかえり」

廊下の途中で声をかけられ、心臓が跳ねる。

「、、、ただいま」

母はキッチンから顔を出し、私を一瞥した。

「遅かったね。どこ行ってたの?」

「ちょっと、散歩」

「夜に?」

一瞬、蒼の顔が浮かぶ。
私はそれを振り払うように言った。

「外の空気吸いたくなって」

「そう」

それ以上、母は何も聞かなかった。
その距離感に、少しだけ救われる。

部屋に戻り、ベッドに腰を下ろす。
天井を見上げると、白いシミがぼんやり浮かんでいた。

私は、自分の手のひらを見る。
さっき、蒼が座っていた場所の空気を思い出す。
何も触れていないのに、確かにそこに“誰か“がいた感覚。

「、、、バカみたい」

独り言は、誰にも届かない。

シャワーを浴び、髪を乾かしても、頭の中は静まらなかった。
ベッドに横になっても、眠気は来ない。

私はスマートフォンを手に取り、画面を眺める。
メッセージアプリには、クラスのグループ通知が溜まっていた。

『明日、提出あるから忘れないでー』
『体育、雨でもやるらしいよ』

どうでもいい会話。
それなのに、そこに自分の居場所があることを少しだけ確認できる。

画面を閉じた瞬間、胸の奥がひやりとした。

ーもし、明日も蒼がいたら?

そんな考えが浮かび、私は慌てて目を閉じた。

期待している自分が、なんだか少し怖かった。

次の日。
目覚ましの音で引き戻される。

鏡の前に立つと、顔色は思ったより悪くなかった。
ただ、目の奥に薄く疲れが溜まっている。

学校へ向かう道はいつもと同じ。
自転車の音、信号待ちの人混み。コンビニの前を通り過ぎる感覚。

それなのに、世界が違って見えた。

教室に入ると、朝のざわめきが私を包む。
机のカバンを置いた瞬間、声がかかった。

「凪、おはよ」

振り向くと、三浦健太が座っていた。
短く整えられた髪に、眠そうな目。

「おはよう」

「昨日、帰るの遅くなった。

「、、、見てたの?」

「たまたま