ここから先がいよいよ、城塞都市本番だ。
 公爵邸からは、都市の四方にそれぞれ一本ずつ、大きな道が伸びている。道の両側に窮屈そうに並ぶ建物はどれも古びた石造りで、歴史を感じる佇まいだ。
 背の高い建物は公爵邸の他には数軒くらいのもので、城塞都市の外壁がしっかり見える。
 人通りはそれなりに多いけど、がやがやした感じがするのはお店の多い南側だけだ。
 確か西側は主産業の鍛冶とか工芸の工房、北側は騎士たちの詰め所や訓練所、右側は城塞都市内で暮らす人たちの家があるはずだ。
 南側以外にお店がないわけではないし、南側に住んでいる人もいるからざっくりしたエリア分けだけどね。
 四本の大きな道は、そこかしこで横道に入れるようになっていて、大小さまざまな細い道が入り組んで張り巡らされている。
 ソニアと一緒でも、基本的には横道には入らないようにと言われているから、場所によっては治安に不安があるのかもしれない。
 城塞都市の外には広大な草原と畑が広がっていて、民家が点在している。
 草原をある程度歩けば川がある。ただし、川の水は畑や生活用水には使いにくいらしくて、全体的に水は貴重だ。
 川の向こうや、反対側に草原を抜けた先は、どの方角も山道だ。王都のパーティーから帰ってくる時も、馬車で山道を越えてきた。
「クリスお嬢様、お父様ですよ。ご挨拶されていかれますか?」
 ソニアに言われた方に目を向けると、野菜を売っているらしいお店の中に、シャツの袖をまくったお父様の姿があった。
 お父様と、数人の大人たちの前には、いくつかの木箱が置かれている。
 わたしたちに気付いたお父様が、手を止めてこちらにやってきてくれた。
「やあクリス、お散歩かい?」
「うん! お父様はお仕事中?」
「そうだよ。近くでとれた作物の品質を、実際に見ておきたくてね」
 木箱の中には、城塞都市の近くでとれた作物が入っているらしい。
 よく見ると、土のついた手で汗をぬぐったのか、お父様の鼻の頭に少し土がついている。
「何がとれたの?」
「まあ、色々かな。さて、それじゃあ戻るとするよ」
「お父様、頑張ってね!」
「クリスに応援してもらったからには、いつもの十倍は頑張れそうだ!」
 袖をまくりなおして戻っていったお父様に手を振って、また歩き始める。
 公爵邸を出てすぐの時より人通りが無秩序になって、だんだんと活気が増してきた。
 ガレージショップのような、開放的なお店が多くなってくる。
 外壁に近づくにつれて、城塞都市の外から来る人たちのための、賑やかなお店が増えていくイメージなのかもしれない。
「クリスお嬢様、お疲れではありませんか?」
「大丈夫だよ。あ、ソニアが疲れたなら少し休む?」
「いいえ、私は大丈夫です。このソニア、クリスお嬢様の健脚ぶりに感服いたしました……いつの間にか、こんなにも成長なされていたんですね!」
 ソニアに言われて、自分でも首を傾げる。わたしの身体は、確かに四歳児のはずだ。
 あまり気にせず屋敷から歩いてきたけど、普通の四歳児はどれくらい歩けるものなのか。
 前世の記憶を思い出してからというもの、なんだか身体が軽くなったような気はしていた。
 気のせいではなく、体力がついているなら喜んでいいのもしれない。ただ、あまり四歳児の常識から外れた目立ち方はしたくない。
「言われてみたら、ちょっと疲れたかな?」
「そうですよね! 少し休憩しましょう!」
 なんとなく、取り繕ってしまった。
 ソニアのホッとしたような表情を見るに、わたしがテンション任せに無理をしているように見えたのかもしれない。つまりはそれが、ソニアから見た四歳児の常識的な範囲なのだろう。
 個人的にはまだまだ大丈夫そうだけど、少し気を付けよう。
 ソニアが選んでくれた、カフェのようなお店でお茶を飲みながら、わたしはこの間のパーティーを思い出していた。
 ――領民は肩を落とし、畑は痩せ、公爵家のある都市ですら、埃と泥にまみれているとか。
 サディアスが陛下に向けていた、棘のある言葉だ。
 自分の属性をよく見せて、他の属性を蹴落とすようなやり方はどうかと思ったし、あれは言葉だけの、マウントの取り合いだと思っていた。
 しかし、残念ながらそこには、いくらかの真実が含まれているようだった。
 領民が肩を落としているわけではない。活気だってある。
 問題なのは街並みとか、並んでいる品物の質とか、そちらの方だ。
 公爵邸を出てからここまで、ずっと大きな道を歩いてきた。
 道の両側に並んでいたのは、よくいえば歴史のありそうな建物ばかりだった。正直に言えば、できるだけ早い内に補修をした方がよさそうに見えた。
 石畳で出来ている道路だって、そこかしこが欠けて、土がむき出しになっている。
 店先に並ぶ野菜や果物も、あまり新鮮そうには見えない。
 反対に、外からやってきたであろう商人たちの品物はつやつやとしていて、それをどうにか値切れないかと、頭を下げる人たちの姿も多く見かけた。
「寄ってみたのは失敗だったか。値切れ値切れとうるさいったら。貧乏公爵ってのは本当だぜ、さっさと他所に行くか」
「残念魔法の貧乏公爵サマには、ご挨拶もいらねえか。やはり、魔法の質は領地の質だな」
 こんなやり取りが、外からやってきた商人たちから聞こえてくる始末だ。
 考えてみれば、お父様とお母様を見かけたタイミングも気になった。
 この世界の常識が違う可能性はあるし、わたしのイメージだけではあるけど、公爵やその妻が、領民に混じって土だらけの作物を検分したり、メイドに混じって洗濯物を干したりはしない気がする。
「ソニア、お家に帰ろう」
「もうよろしいのですか? まだまだ、お店を回る時間はありますよ」
 この世界の魔法を、もっと知りたい。
 貴族の集まるパーティーでも、商人たちの会話でも、この世界で鍵を握るのは魔法だ。
 今のわたしが、クレイマスターのためにできることはほとんどない。
 そもそもこの世界の常識とか、社会が回る仕組みをまだ知らないし、もし知っていたとしても、四歳児がそれを語りだしたところで、きっとちゃんと聞いてはもらえない。
 しかしそれが、魔法ならどうだろう。
 四歳のわたしがすごい魔法を使えたら、家族の役に立てるのではないだろうか。
 せっかく生まれ変わって素敵な家族にも恵まれたのに、地味だとか貧乏だとか、あれこれ言われたままじゃ嫌だもの。
 前世では、わたしってこうだよね、と少し諦めているところがあった。
 しかし今回は、まだ四歳だ。四歳で諦めてしまうのは早すぎる。
 なんたって、仕上がりはともかく、魔法自体は使えたのだ。
 仕組みがプログラミングに近いものなら、教本みたいなものもあるだろう。
 それを読んで学んでいけば、ちゃんとした魔法だって使えるはずだ。
「ソニア。わたし、勉強したい。だから帰ろう」
「四歳にしてみずからお勉強を!? ご立派です、クリスお嬢様……お供いたします!」
 直感的にわたしのノリにまるっと乗ってくれるソニアは、とてもありがたい存在だ。
 わたしたちはカフェを出ると、足早に帰路についた。