――瀬川菜絆に対する評価が変わったのはいつだっけ。
加原光輝は考える。
最初は、よくある外見目的に近づく迷惑女がまた出た、とうんざりしたはずだ。
そしてこれもよくあることなのだが、その後女に対する好感度が上がることはない。
けれど菜絆に対する次の評価は、根性あるなコイツ、だった。内心面白がっていた。
三度目からは、純粋な好意だけをのせた瞳が、いつ自分以外に向かうのだろうと考えて身震いした。
(俺が執着してどうする)
だから拒絶し遠ざけることで、自分を納得させようとしたのだ。
けれど金を渡してまで会いたいと迫られて、光輝はおちた。
真っ直ぐ届く視線がむず痒くも心地よくて仕方なかったのだ。
これまで光輝に向けられる視線は、光輝を見ているようでその背にある花ばかり見ていたから。
喜んで金を出す大人たちは特にその傾向が強かった。
会うたびに花の成長を確認し、感心しては花開く姿に思いを馳せるのだった。
その熱が一番加熱していたのは、最初のつぼみがふくらみ始めた頃だっただろう。
中学二年生の時だった。
つぼみはさらに膨らんだか、綻びそうか、いつごろ咲きそうか。
何人もの愛好家が開花にわいた。
光輝のことなんて、花壇か花瓶としかみなされなかった。
愛好家の一人に聞いてみたのだから間違いない。
「君は花の管理者だ。美しく花開けるよう努力したまえ。それにしても、花瓶である君の容姿も群を抜いて美しいのは喜ばしいことだね」
味覚障害。
栄養障害。
生育不全。
思春期遅発症。
大雑把に分けても、光輝は花のせいでこれだけを抱え、しんどい思いをしているというのに。
金さえ払えば何をしてもいいという、大人たちの傲慢さに吐き気がした。
かといって学校に居場所があるわけでもなかった。
良くも悪くも目立つ外見は好奇の視線に晒される。
まるで花の蜜へ誘われるように近寄ってくる同級生や教師たちも、それはそれで煩わしかった。
けれど光合成をするには、学校の屋上がちょうど良く、不登校になることもできない。
だから他人を拒絶し、屋上で一人風と太陽に当たるのが、皮肉にも一番心安らいだ。
まるで本当に草か花にでもなったようで、自分は本当に人間なのかと疑うことも少なくなかった。
花に寄生され、制限されている自分は、人の皮を被った花なのではないのかと。
歩いて自由に動けるようでいて、全く自由はないと嘆いた。
だから花負い病患者は自殺率が高いのだ。
光輝も、いつそちら側に足を踏み外してもおかしくないなと考えていた。
屋上のフェンスを超えて、足がすくまないようになったらその時なのだろうと、どこかで受け入れていた。
そこに現れた菜絆は、予定外で予想外だった。
*
(どうしてあんな嘘ついたんだ)
菜絆と別れて帰り道を歩きながら、光輝は自問自答を繰り返す。
さきほど彼女に対してとった言動が、自分自身でさっぱり分からなかったからだ。
種と、それを植えた場合の効果について。
種の存在は本当だ。
けれど味覚を奪うなんてファンタジーな効果はない。
どこにも芽吹かない、あわれな残骸でしかない。
花負いの状態は花にとっても中途半端な進化形態なのか、次世代を残せないのだ。
だから宿主に寄生して、搾取できるだけする。
それに不公平感を抱いていたのは事実だ。
けれどあんな、八つ当たりのような感情を菜絆へ向けるつもりはなかった。
むしろ直前まで感謝すらしていたのだ。
素直に言葉にできなかっただけで、塩対応しかしなかった自分に対して色々気遣ってくれる菜絆の姿勢に。
卵焼きも茶碗蒸しも”おいしかった”。
もちろん味は分からない。食感も苦痛ではないが好ましいかと聞かれたら閉口する。
けれど視覚や嗅覚といった他の感覚で満足感を得るというアイディアは今までになかった。
いつも食べるような、香料だけを変えてなんとか味に変化を持たせた栄養ゼリーやドリンクとは違い、温かくて優しい卵の香りも物珍しかった。
それ以上にこっちが一口食べるたびに目をまんまるにして、頬を赤らめて笑うのをもっとみていたいと思ったのだ。
そして、菜絆の作る全ての食事を食べられたらよかったと残念に思った。
屋上で弁当箱を見せられた時は浮かびもしなかった願望が頭をもたげた。
決して叶わないのに。
味覚障害は一生の付き合いなのだから。
今日が終わりこのまま別れてしまったら、菜絆との縁は薄れ途切れていくんだろう。
そうしたら、菜絆は将来別の誰かにもこうして料理をふるまうのだ。
宝物を抱えるような丁寧さで作ったものを、別の――男に。
未来の誰かが恨めしい。そいつはなんだっておいしく食べられるんだろう。
彼女をわずらわすことも気をつかわせることもなく、思いのままに作られたものを味わい尽くせてしまうのだ。
なんて不公平だ。
(俺には一生できないのに)
まだ存在してもいない誰かに嫉妬する自分自身があまりにも馬鹿馬鹿しくて呆れてしまう。
しかしそのタイミングで菜絆の「作ったものを食べてもらうのも好き」発言は、光輝の焦燥感を煽るだけだった。
きっと今は家族や友人にふるまうくらいなんだろう。あとは店の客。
けれどそう遠くない未来に、光輝の案じた予想が現実になるのは簡単に想像できた。
(――嫌だ。そんなの認めない)
(なんで、俺は花負い病なんだ)
(せめて少しでも味覚があれば)
(固形物が食べられたら)
(菜絆と一緒にいたいって自信を持って言えるのに)
けれどこうして今、菜絆と向かい合えているのは、光輝が花負い病であるせいなのも事実で、それが余計に心模様をややこしくする。
花負い病で味覚障害があり、十分な栄養が摂れないから――菜絆は光輝を気遣い世話を焼こうとする。
花負い病でない自分だったら、相手にされなかったという事実が嫌だ。
なのに種の話を持ち出して嘘までついて。
揺さぶりをかけるようなことをする自分はひどく身勝手だと思う。
(仕方ないじゃないか。こんな馬鹿げた提案に乗る奴なんていない。味覚を差し出せと言われて従うわけない)
そうしたら、ドン引きされて離れられても、花のせいにできるのだ。
自分のどうしようもない言動のせいじゃないと開き直り、仕方なかったのだとあきらめられるから。
加原光輝は考える。
最初は、よくある外見目的に近づく迷惑女がまた出た、とうんざりしたはずだ。
そしてこれもよくあることなのだが、その後女に対する好感度が上がることはない。
けれど菜絆に対する次の評価は、根性あるなコイツ、だった。内心面白がっていた。
三度目からは、純粋な好意だけをのせた瞳が、いつ自分以外に向かうのだろうと考えて身震いした。
(俺が執着してどうする)
だから拒絶し遠ざけることで、自分を納得させようとしたのだ。
けれど金を渡してまで会いたいと迫られて、光輝はおちた。
真っ直ぐ届く視線がむず痒くも心地よくて仕方なかったのだ。
これまで光輝に向けられる視線は、光輝を見ているようでその背にある花ばかり見ていたから。
喜んで金を出す大人たちは特にその傾向が強かった。
会うたびに花の成長を確認し、感心しては花開く姿に思いを馳せるのだった。
その熱が一番加熱していたのは、最初のつぼみがふくらみ始めた頃だっただろう。
中学二年生の時だった。
つぼみはさらに膨らんだか、綻びそうか、いつごろ咲きそうか。
何人もの愛好家が開花にわいた。
光輝のことなんて、花壇か花瓶としかみなされなかった。
愛好家の一人に聞いてみたのだから間違いない。
「君は花の管理者だ。美しく花開けるよう努力したまえ。それにしても、花瓶である君の容姿も群を抜いて美しいのは喜ばしいことだね」
味覚障害。
栄養障害。
生育不全。
思春期遅発症。
大雑把に分けても、光輝は花のせいでこれだけを抱え、しんどい思いをしているというのに。
金さえ払えば何をしてもいいという、大人たちの傲慢さに吐き気がした。
かといって学校に居場所があるわけでもなかった。
良くも悪くも目立つ外見は好奇の視線に晒される。
まるで花の蜜へ誘われるように近寄ってくる同級生や教師たちも、それはそれで煩わしかった。
けれど光合成をするには、学校の屋上がちょうど良く、不登校になることもできない。
だから他人を拒絶し、屋上で一人風と太陽に当たるのが、皮肉にも一番心安らいだ。
まるで本当に草か花にでもなったようで、自分は本当に人間なのかと疑うことも少なくなかった。
花に寄生され、制限されている自分は、人の皮を被った花なのではないのかと。
歩いて自由に動けるようでいて、全く自由はないと嘆いた。
だから花負い病患者は自殺率が高いのだ。
光輝も、いつそちら側に足を踏み外してもおかしくないなと考えていた。
屋上のフェンスを超えて、足がすくまないようになったらその時なのだろうと、どこかで受け入れていた。
そこに現れた菜絆は、予定外で予想外だった。
*
(どうしてあんな嘘ついたんだ)
菜絆と別れて帰り道を歩きながら、光輝は自問自答を繰り返す。
さきほど彼女に対してとった言動が、自分自身でさっぱり分からなかったからだ。
種と、それを植えた場合の効果について。
種の存在は本当だ。
けれど味覚を奪うなんてファンタジーな効果はない。
どこにも芽吹かない、あわれな残骸でしかない。
花負いの状態は花にとっても中途半端な進化形態なのか、次世代を残せないのだ。
だから宿主に寄生して、搾取できるだけする。
それに不公平感を抱いていたのは事実だ。
けれどあんな、八つ当たりのような感情を菜絆へ向けるつもりはなかった。
むしろ直前まで感謝すらしていたのだ。
素直に言葉にできなかっただけで、塩対応しかしなかった自分に対して色々気遣ってくれる菜絆の姿勢に。
卵焼きも茶碗蒸しも”おいしかった”。
もちろん味は分からない。食感も苦痛ではないが好ましいかと聞かれたら閉口する。
けれど視覚や嗅覚といった他の感覚で満足感を得るというアイディアは今までになかった。
いつも食べるような、香料だけを変えてなんとか味に変化を持たせた栄養ゼリーやドリンクとは違い、温かくて優しい卵の香りも物珍しかった。
それ以上にこっちが一口食べるたびに目をまんまるにして、頬を赤らめて笑うのをもっとみていたいと思ったのだ。
そして、菜絆の作る全ての食事を食べられたらよかったと残念に思った。
屋上で弁当箱を見せられた時は浮かびもしなかった願望が頭をもたげた。
決して叶わないのに。
味覚障害は一生の付き合いなのだから。
今日が終わりこのまま別れてしまったら、菜絆との縁は薄れ途切れていくんだろう。
そうしたら、菜絆は将来別の誰かにもこうして料理をふるまうのだ。
宝物を抱えるような丁寧さで作ったものを、別の――男に。
未来の誰かが恨めしい。そいつはなんだっておいしく食べられるんだろう。
彼女をわずらわすことも気をつかわせることもなく、思いのままに作られたものを味わい尽くせてしまうのだ。
なんて不公平だ。
(俺には一生できないのに)
まだ存在してもいない誰かに嫉妬する自分自身があまりにも馬鹿馬鹿しくて呆れてしまう。
しかしそのタイミングで菜絆の「作ったものを食べてもらうのも好き」発言は、光輝の焦燥感を煽るだけだった。
きっと今は家族や友人にふるまうくらいなんだろう。あとは店の客。
けれどそう遠くない未来に、光輝の案じた予想が現実になるのは簡単に想像できた。
(――嫌だ。そんなの認めない)
(なんで、俺は花負い病なんだ)
(せめて少しでも味覚があれば)
(固形物が食べられたら)
(菜絆と一緒にいたいって自信を持って言えるのに)
けれどこうして今、菜絆と向かい合えているのは、光輝が花負い病であるせいなのも事実で、それが余計に心模様をややこしくする。
花負い病で味覚障害があり、十分な栄養が摂れないから――菜絆は光輝を気遣い世話を焼こうとする。
花負い病でない自分だったら、相手にされなかったという事実が嫌だ。
なのに種の話を持ち出して嘘までついて。
揺さぶりをかけるようなことをする自分はひどく身勝手だと思う。
(仕方ないじゃないか。こんな馬鹿げた提案に乗る奴なんていない。味覚を差し出せと言われて従うわけない)
そうしたら、ドン引きされて離れられても、花のせいにできるのだ。
自分のどうしようもない言動のせいじゃないと開き直り、仕方なかったのだとあきらめられるから。


