*
そわそわと日々をすごずうちに日曜をむかえた。今日も雲ひとつないいい天気だ。
連絡先を交換していなかったから、当日ドタキャンされるかもと心配したけれど、ちゃんと時間通りに加原くんはきてくれた。
数日ぶりに顔を合わせたけど、やっぱり整ってるなあと感心してしまう。
美人は三日で飽きるっていうけど、加原くんには当てはまらないみたいだ。
しかも今日は――。
(制服じゃないの新鮮だ)
大人っぽいなと思った。
白のパーカーに黒のマウンテンパーカーを重ね着して、ストレートのズボンとスニーカーも黒のモノトーンコーデだ。
制服よりずっと似合っていてカッコいい。
あと、心なしか少し笑顔な気がする。ええと、そう、アルカニックスマイルってやつ。
しかも加原くんの方から「おはよう」って声をかけてきてくれた!
「おは、おはよう! あの……これって今渡した方がいい?」
「……世間知らずなの、無神経なのどっち」
お金の入った封筒を渡そうとしたら、思い切り眉をしかめたいつもの加原くんになった。
「だってマナーとかよく分かんないもん」
「いいよそんなん最後で」
加原くんがそういうならいいか、と封筒を引っ込める。
「じゃあ早速行くよ! 1時間って短いし」
「ここら辺なんもないけど、何する気」
「こっち来て!」
ゆるい坂道のてっぺんを目指して歩き出す。
すると加原くんが手を差し出してきてくれた。
前にもこんなことあったな……あ、そうだ。頼みがあるなら報酬を払えって言われたときだ。
「? お金やっぱり今払う?」
「ちがう」
首をかしげると右手が握られた。
「え?」
「こういうことするつもりだったんだろ」
「えー……」
そんなつもりない、って反論しようとした、けれど。
加原くんがイタズラっぽく口角を上げて微笑んだから、手を振り解くのがもったいなくなってしまった。
しかも思いのほか強い力で掴んでくる手は、見た目よりずっと硬くて、筋張っている。
姫って呼ばれるくらい華奢だけど、やっぱり男の子なんだなとドキドキしてしまう。
別に、彼氏のフリして欲しいわけじゃない。
好きな人ってわけでもない。
でも、近づいていいなら、近づきたい。
(我ながら都合がいい……)
『レンタル彼氏』のワードが頭をよぎり、罪悪感に似たモヤモヤも胸に浮かんできたけれど、無視することにする。
だってこの1時間が終わったら、こんな表情や手を繋ぐことは絶対できない。
「……下心はなかったけど、手をつないでくれるのはうれしい」
「ふーん? そういうのを下心って言うんだと思うけど」
「〜〜もう! 坂登りきったら左に曲がるからね!」
はいはいと肩をすくめる姿は、ほかの男子にされたらムカつくだけなのに、加原くんがやると見入ってしまう。
ちょっと悔しい。でも、少なくとも学校の人でこんな彼を知るのは私だけなんだろうなと思うだけで嬉しくなる。
なんかおかしい。
加原くんがいつもと違うせいだ。
(きっと、そうだ)
悟られないように深呼吸する。
今日の目的を忘れないように。
「ここは……?」
「うちのお弁当屋! 今日は休みだから」
案内したのは、私にとってはお馴染みの厨房。
いつもなら昼時はバタバタだけど、休日だととても静かだ。
「で? なにするの」
「ここで加原くんが食べられそうなものを作ります!」
固まってる。予想外だったみたい。
「あんたの……そういや名前なんていうの」
「私? 瀬川菜絆だよ」
「そう、菜絆ね。……前にも言ったけど俺は」
「そそそ……そっち?」
「……なにが」
「いきなり下の名前呼ぶんだーって」
「……本当になんの目的で俺に金払うわけ?」
私と同じくらい、加原くんも意味わかんないって表情してる。
そっか。私はとにかく加原くんと接点を作りたくて、それだけが目的だったけど他の人はそうじゃないのか。
やっぱりさっきの手繋ぎはお金を払った人に対する特典のひとつなんだ。
その事実を目の当たりにすると、ちょっとモヤる。
お金を払って一緒にいてもらうって、こういうことなんだ。
気落ちしそうになるのを堪えて頭を横に振った。
「言ったとおりだよ。加原くんに食べてもらいたいものがあるの」
「それに3万払うわけ?」
「そうだよ! 1時間しかないからさっさと進めるからね! はいそこ座って」
加原くんは何か言いたげだったけど、飲みこんで座ってくれた。
作業台の横に折りたたみの丸いすを置いただけ、即席テーブルなのは申し訳ないけど、我慢してもらうしかない。
なぜなら――。
「今から作るから。ここにあるのは明日からも使う調理器具や材料ばかりだよ」
「だから?」
「変なものは混ぜないよってこと。最初に会ったとき加原くん言ってたでしょ。『何入ってるか分かんない』って」
「……まさか、そのためにここへ?」
「うん! 慣れてるから早く作れるっていうのもあるんだけどね。いざ!」
冷蔵庫から卵と白だし、それから鶏肉やかまぼこ、椎茸に三つ葉を取り出す。
これから作るのは茶碗蒸しだ。
「花負いの人たちが栄養を摂るための食品について調べてみたんだ。ドリンクタイプと、ゼリータイプがあるんだね。でもどれも甘い味なんだなあって」
「どうせ味はわかんないけどな」
「匂いはわかるんでしょ? ずっと同じようなやつだと飽きない?」
「……まあ」
「茶碗蒸しは口当たり滑らかだけど出汁の匂いだから。違う味わいだと思うよ」
卵と白だし、それから水を混ぜて卵液をつくり、具材と一緒に蒸し椀へ入れる。
お鍋の底から数センチの高さまで水を張り、大きめのお椀を裏返しにしてそっと入れた。
その上に大きめの平皿を乗せれば、簡易蒸し器の完成だ。
蒸し椀を並べ、鍋の蓋をしてから火をつける。
ふう、とひと息ついたのを見計ったように、加原くんが尋ねてきた。
「口当たりを気にする割に肉とか固形物いれてる理由は?」
「具材からも出汁がでて匂いも味も複雑になるのと、見た目がいいからね」
「見た目……」
「卵液だけじゃ味気ないでしょ。たとえ食感が砂とかゴムでもさ、色鮮やかだったら食欲わくんじゃないかなって。食品ロスが気になるなら、残った具材は私が食べるよ!」
「……なんでそこまでこっちの事情に首つっこんでくるんだよ」
「食べるのが好きだから、かな。加原くんから砂とかゴムの食感って聞いた時すごくびっくりしたしショックだった。しかも背中の花が枯れたら光合成なしで栄養取らなきゃいけないんでしょ? 1つでも食べられるものを増やせたらいいなって。その手伝いをしたいと思ったんだ」
手洗いを済ませて加原くんの向かいに座る。
まだ理解し難いのか、腕を組みながらこっちを見ている。その眉間にはやっぱりシワ。
キレイな肌が台無しだよと気になってしまう。
話すか迷ったけれど、はやくシワを解消させたいのと、こっちの本気度が伝わるかもと考えて「あとね」と切り出した。
「私……栄養士になりたいと思ってて。お弁当を売ってるとね、いろんな人が来るの。食事制限があるとか、気が進まなくても食べなきゃいけない人とか。そういう注文になるべく応えるけど、完璧じゃない。知識もないし、時間だって足りない。でもいつかは達成させたいんだ」
「……俺は丁度いい実験台ってわけか」
「そういうつもりはないけど……そう思わせたならごめん。お節介なのも分かってるつもり。でも、こういう選択肢もあるのを知ってもらいたくて」
「ふーん……まあ、この茶碗蒸しの匂いは悪くないな」
「本当!?」
あれ、もしかして初めて肯定されたかも。
心がはずむ。うれしい。
「そうだ。もしこの匂いが好きなら……」
もう一度、卵を出してきて、醤油と砂糖を加えるとさっきとは違う卵液が完成する。
「加原くんは卵焼き食べたことある?」
「ないけど……」
「じゃあ匂いだけでも味わって! 私の得意料理なんだ!」
茶碗蒸しができるまで正直手持ちぶさただったからちょうどいいや。
卵焼き器で焼く間、焦げ目がつかないようになるまでの苦労や、販売するお弁当に入れる許可が出た日のことを語る。
意外にも、加原くんは適度に相槌を打って聞いてくれた。
うれしいなあと余計に心がほくほくとあたたかくなる。
けれどもうすぐ完成というところで、ふと気づいてしまった。
(これも……お金がからんでるから話聞いてくれてるのかな)
卵がいい匂いだっていうのもお世辞で、本音では卵料理なんてどうでもよくて、早く帰りたいと思われてるかもしれない。
(お金の関係って、難しいな)
割り切って浸れたら楽なんだろうけど、一度気になるとずっと頭をチラつく。
今日の反応はぜんぶ演技なのかなと考えてしまう。
(やめやめ。悩むのは加原くんと別れてからしよう)
そわそわと日々をすごずうちに日曜をむかえた。今日も雲ひとつないいい天気だ。
連絡先を交換していなかったから、当日ドタキャンされるかもと心配したけれど、ちゃんと時間通りに加原くんはきてくれた。
数日ぶりに顔を合わせたけど、やっぱり整ってるなあと感心してしまう。
美人は三日で飽きるっていうけど、加原くんには当てはまらないみたいだ。
しかも今日は――。
(制服じゃないの新鮮だ)
大人っぽいなと思った。
白のパーカーに黒のマウンテンパーカーを重ね着して、ストレートのズボンとスニーカーも黒のモノトーンコーデだ。
制服よりずっと似合っていてカッコいい。
あと、心なしか少し笑顔な気がする。ええと、そう、アルカニックスマイルってやつ。
しかも加原くんの方から「おはよう」って声をかけてきてくれた!
「おは、おはよう! あの……これって今渡した方がいい?」
「……世間知らずなの、無神経なのどっち」
お金の入った封筒を渡そうとしたら、思い切り眉をしかめたいつもの加原くんになった。
「だってマナーとかよく分かんないもん」
「いいよそんなん最後で」
加原くんがそういうならいいか、と封筒を引っ込める。
「じゃあ早速行くよ! 1時間って短いし」
「ここら辺なんもないけど、何する気」
「こっち来て!」
ゆるい坂道のてっぺんを目指して歩き出す。
すると加原くんが手を差し出してきてくれた。
前にもこんなことあったな……あ、そうだ。頼みがあるなら報酬を払えって言われたときだ。
「? お金やっぱり今払う?」
「ちがう」
首をかしげると右手が握られた。
「え?」
「こういうことするつもりだったんだろ」
「えー……」
そんなつもりない、って反論しようとした、けれど。
加原くんがイタズラっぽく口角を上げて微笑んだから、手を振り解くのがもったいなくなってしまった。
しかも思いのほか強い力で掴んでくる手は、見た目よりずっと硬くて、筋張っている。
姫って呼ばれるくらい華奢だけど、やっぱり男の子なんだなとドキドキしてしまう。
別に、彼氏のフリして欲しいわけじゃない。
好きな人ってわけでもない。
でも、近づいていいなら、近づきたい。
(我ながら都合がいい……)
『レンタル彼氏』のワードが頭をよぎり、罪悪感に似たモヤモヤも胸に浮かんできたけれど、無視することにする。
だってこの1時間が終わったら、こんな表情や手を繋ぐことは絶対できない。
「……下心はなかったけど、手をつないでくれるのはうれしい」
「ふーん? そういうのを下心って言うんだと思うけど」
「〜〜もう! 坂登りきったら左に曲がるからね!」
はいはいと肩をすくめる姿は、ほかの男子にされたらムカつくだけなのに、加原くんがやると見入ってしまう。
ちょっと悔しい。でも、少なくとも学校の人でこんな彼を知るのは私だけなんだろうなと思うだけで嬉しくなる。
なんかおかしい。
加原くんがいつもと違うせいだ。
(きっと、そうだ)
悟られないように深呼吸する。
今日の目的を忘れないように。
「ここは……?」
「うちのお弁当屋! 今日は休みだから」
案内したのは、私にとってはお馴染みの厨房。
いつもなら昼時はバタバタだけど、休日だととても静かだ。
「で? なにするの」
「ここで加原くんが食べられそうなものを作ります!」
固まってる。予想外だったみたい。
「あんたの……そういや名前なんていうの」
「私? 瀬川菜絆だよ」
「そう、菜絆ね。……前にも言ったけど俺は」
「そそそ……そっち?」
「……なにが」
「いきなり下の名前呼ぶんだーって」
「……本当になんの目的で俺に金払うわけ?」
私と同じくらい、加原くんも意味わかんないって表情してる。
そっか。私はとにかく加原くんと接点を作りたくて、それだけが目的だったけど他の人はそうじゃないのか。
やっぱりさっきの手繋ぎはお金を払った人に対する特典のひとつなんだ。
その事実を目の当たりにすると、ちょっとモヤる。
お金を払って一緒にいてもらうって、こういうことなんだ。
気落ちしそうになるのを堪えて頭を横に振った。
「言ったとおりだよ。加原くんに食べてもらいたいものがあるの」
「それに3万払うわけ?」
「そうだよ! 1時間しかないからさっさと進めるからね! はいそこ座って」
加原くんは何か言いたげだったけど、飲みこんで座ってくれた。
作業台の横に折りたたみの丸いすを置いただけ、即席テーブルなのは申し訳ないけど、我慢してもらうしかない。
なぜなら――。
「今から作るから。ここにあるのは明日からも使う調理器具や材料ばかりだよ」
「だから?」
「変なものは混ぜないよってこと。最初に会ったとき加原くん言ってたでしょ。『何入ってるか分かんない』って」
「……まさか、そのためにここへ?」
「うん! 慣れてるから早く作れるっていうのもあるんだけどね。いざ!」
冷蔵庫から卵と白だし、それから鶏肉やかまぼこ、椎茸に三つ葉を取り出す。
これから作るのは茶碗蒸しだ。
「花負いの人たちが栄養を摂るための食品について調べてみたんだ。ドリンクタイプと、ゼリータイプがあるんだね。でもどれも甘い味なんだなあって」
「どうせ味はわかんないけどな」
「匂いはわかるんでしょ? ずっと同じようなやつだと飽きない?」
「……まあ」
「茶碗蒸しは口当たり滑らかだけど出汁の匂いだから。違う味わいだと思うよ」
卵と白だし、それから水を混ぜて卵液をつくり、具材と一緒に蒸し椀へ入れる。
お鍋の底から数センチの高さまで水を張り、大きめのお椀を裏返しにしてそっと入れた。
その上に大きめの平皿を乗せれば、簡易蒸し器の完成だ。
蒸し椀を並べ、鍋の蓋をしてから火をつける。
ふう、とひと息ついたのを見計ったように、加原くんが尋ねてきた。
「口当たりを気にする割に肉とか固形物いれてる理由は?」
「具材からも出汁がでて匂いも味も複雑になるのと、見た目がいいからね」
「見た目……」
「卵液だけじゃ味気ないでしょ。たとえ食感が砂とかゴムでもさ、色鮮やかだったら食欲わくんじゃないかなって。食品ロスが気になるなら、残った具材は私が食べるよ!」
「……なんでそこまでこっちの事情に首つっこんでくるんだよ」
「食べるのが好きだから、かな。加原くんから砂とかゴムの食感って聞いた時すごくびっくりしたしショックだった。しかも背中の花が枯れたら光合成なしで栄養取らなきゃいけないんでしょ? 1つでも食べられるものを増やせたらいいなって。その手伝いをしたいと思ったんだ」
手洗いを済ませて加原くんの向かいに座る。
まだ理解し難いのか、腕を組みながらこっちを見ている。その眉間にはやっぱりシワ。
キレイな肌が台無しだよと気になってしまう。
話すか迷ったけれど、はやくシワを解消させたいのと、こっちの本気度が伝わるかもと考えて「あとね」と切り出した。
「私……栄養士になりたいと思ってて。お弁当を売ってるとね、いろんな人が来るの。食事制限があるとか、気が進まなくても食べなきゃいけない人とか。そういう注文になるべく応えるけど、完璧じゃない。知識もないし、時間だって足りない。でもいつかは達成させたいんだ」
「……俺は丁度いい実験台ってわけか」
「そういうつもりはないけど……そう思わせたならごめん。お節介なのも分かってるつもり。でも、こういう選択肢もあるのを知ってもらいたくて」
「ふーん……まあ、この茶碗蒸しの匂いは悪くないな」
「本当!?」
あれ、もしかして初めて肯定されたかも。
心がはずむ。うれしい。
「そうだ。もしこの匂いが好きなら……」
もう一度、卵を出してきて、醤油と砂糖を加えるとさっきとは違う卵液が完成する。
「加原くんは卵焼き食べたことある?」
「ないけど……」
「じゃあ匂いだけでも味わって! 私の得意料理なんだ!」
茶碗蒸しができるまで正直手持ちぶさただったからちょうどいいや。
卵焼き器で焼く間、焦げ目がつかないようになるまでの苦労や、販売するお弁当に入れる許可が出た日のことを語る。
意外にも、加原くんは適度に相槌を打って聞いてくれた。
うれしいなあと余計に心がほくほくとあたたかくなる。
けれどもうすぐ完成というところで、ふと気づいてしまった。
(これも……お金がからんでるから話聞いてくれてるのかな)
卵がいい匂いだっていうのもお世辞で、本音では卵料理なんてどうでもよくて、早く帰りたいと思われてるかもしれない。
(お金の関係って、難しいな)
割り切って浸れたら楽なんだろうけど、一度気になるとずっと頭をチラつく。
今日の反応はぜんぶ演技なのかなと考えてしまう。
(やめやめ。悩むのは加原くんと別れてからしよう)


