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【花負い病】
難病指定されている慢性疾患で、数十万人に一人の割合で患者が存在する原因不明の先天性疾患でもある。
出生時より数ヶ月以内に背中より発芽し、本人の成長とともに花も大きくなる。
花の種類は人により様々だが、ユリ科のものが多い。
通常の花と比較し成長速度は非常に遅い。目安は一次成長期までに双葉、二次性徴期までに蕾、その後成人までに開花し枯れる。
枯れた後は再び花が育つことはない。
特徴として両親の髪や瞳の色に関係なく、栗色の髪に緑の瞳を持つ。
摂りいれた栄養は花と共有するため健常者よりも発育不良となる例がほとんどである。
体力不足から運動不足に陥りやすいものの、発達や知能指数には影響を及ぼすことはない。
五感のうち味覚に障害をきたすケースが多く、乏しいか全くないため食事を苦痛と感じる例が多い。
花が光合成を行い食事しなくても最低限の栄養を得るのは可能で、飲料タイプの栄養補助食品で補うのが望ましいとされる。
ただし花が枯れた後も味覚は鈍麻したままのため、食生活の改善ができない場合は生命に関わることもある。
栄養バランスからホルモンバランスも著しく変化するせいか、花が枯れる成人前後は希死念慮の高まりが見られ、同年代の健常者に比べても数倍とする研究もある。
(『花負い病について』より)
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呆然としたまま教室に戻った私を、結海と奏花が心配してくれた。
一緒にご飯を食べるうちに気分が回復して、頭もスッキリしてくる。
スマホで花負い病について検索すると、思ったよりもずっと厄介な病気だとわかった。
そりゃそうか。難病指定されるくらいだもんね。
でもテレビとか動画配信する人は、ちょっとこ小柄な綺麗で明るいお姉さんやお兄さんのイメージだったから、加原くんの対応には正直驚いた。
(あんなに拒絶されると思わなかった)
でも、芸能人でないなら愛想良くする必要はないし、そんなものなのかな。
うちのお弁当は世界一だ。
小さな頃から毎日のように食べてそう思っていたし、今もわりと本気で信じてる。
いろんな人を笑顔にしてきた実績もある。
おいしいものはそれだけで尊い。
でも、まさか花負いの人は味覚に不自由しているなんて――。
加原くんも食事に興味がなさそうだったから、味覚が乏しいか、全く感じないのかもしれない。
(味覚がないって、どんな感じだろう)
それでも匂いや食感を楽しむとか……できないだろうか。
光合成で栄養が摂れるらしいとはいえ、成長期が来る前みたいな体つきを思うに十分とはいえない。
加原くんについてもっと知りたい。
なにが好きで惹かれるのか。
私に協力できることはないだろうか。
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「……また来た」
次の日は雲ひとつない晴れ空で、予想通り屋上では加原くんが光合成をしていた。
そして予想通り、梯子を上がってきた私と目が合った瞬間、しかめっつらになる。
「お願い。一口でいいから食べてみない? 今日はハンバーグ弁当持ってきたんだ。1日10食の限定だよ?」
「味が分からないんだからいらない。栄養剤飲んでるし」
「それでも、食感とか楽しめるかなって」
「何食べても、砂かゴム噛んでるのと一緒だよ」
「砂かゴム……で、でもこのハンバーグ、煮込みだから柔らかいよ。どの年齢層にもウケるってやつ」
大きなため息を吐いて、加原くんは頭を抱えた。
「……何かしてほしいなら、対価を払うべきじゃない?」
「対価?」
「ん」
右手のひらを差し出された。意図がわからない。
「ニブいなあ。金だよ、金」
「え? お金?」
「人の時間と手間を取らせるなら、それが誠意でしょ」
「いくらくらい……千円とか?」
「じゃあそれでいいよ」
なけなしの千円札を渡すと、加原くんはハンバーグを一口だけかじった。
お箸の持ち方がちょっと拙い。……食事をする機会が少ないせいかもしれない。
綺麗な外見からは想像できなかったギャップを感じる。
「はい、終わり」
「…………これだけ?」
「千円ならこんなもんでしょ」
「一口じゃん!」
「アンタはゴムを何口も食べられんの」
「ゴム?」
「自慢の弁当だかなんだか知らないけど、ほかと同じだよ。おいしくない」
おいしくない。
頭をガーンと殴られたみたいだ。
それにしてもゴムなんて、そんな悲惨な食感だなんて。
私は食べることが好きだから、そんなことになったら悲劇だ。
でも、それでも。
「納得いかない。千円は1時間くらい働かないと貰えない額だよ?」
「それはお前の1時間が千円なだけだろ。俺の1時間は3万円だよ」
当然のようにスラスラと出てくる値段に面食らう。
信じられなくてじっと見つめてしまうけど、加原くんの眼差しは全くゆるがない。
それが真実だと告げているみたいだ。
「3万円……もらってるの?」
「さあね」
売春、の2文字が頭の中にドーンと現れる。
花負い病について調べた時も見た。
容姿端麗な人が多く、また物珍しさから売春につながったり、事件にまきこまれやすいって。
そんなこともあるのかとぼんやり見た字面が、加原くんと結びついて仄暗い現実を見せようとする。
無性に、否定したくなった。彼の当たり前から遠ざけたくなる。
「どうして自分を売るの? それっていつか無理が出るよ。やめた方がいいよ」
お弁当ひとつ、利益を出すのは大変なのに。
難病指定されている病気だから治療費は負担されるらしいし、普通に生活するなら自分を切り売りしなくていいはずなのに。
楽しいとも思えない。孤独感が紛れる? ……でも自分を売って癒えるとも思えない。
そんな心配する気持ちと……あとはじわじわと嫉妬がわきあがってくる。
加原くんにその気はないんだろうけど、毎日朝から晩まで働いてるお母さんや私に対するマウントに感じてしまったから。
1時間で3万円をポンと貰えてしまうなんて、事情はあるんだろうけど……ずるい。
私が同じことをしたってそんなに稼げないのは分かっている。
それくらい加原くんが綺麗で一緒にいたいと思う魅力があるんだろうけど、そっかぁと受け入れるのは難しかった。
「昨日からなに? 勝手に近寄って勝手に説教して。騒ぐだけなら出てけよ」
「加原くんこそ。屋上に出るのは禁止のはずじゃ……」
「俺は特別。光合成するためって言えば鍵貸してもらえんの」
さあ戻れと背中を押される。私の腕と同じくらいの太さのはずなのに、信じられないくらい腕の力が強い。
容赦無く塔屋から落とされそうになり、観念して梯子をおりた。
それでも加原くんは気が収まらないのか、私を扉から追い出すと外から鍵をかけられてしまった。
階段下からは、屋上では聞こえなかった昼休みの喧騒が聞こえてくる。
花と一緒に光をまとう加原くんや花の香りといった幻想的な空間から、一気に現実へと戻ってきた。
扉一枚隔てただけで世界が違う。
もしかして、彼にお金を出す人は、そういうところに魅力を感じるのかも――。
(いやいや、売春を肯定するようなこと考えてどうする)
逆に、このままだと加原くんがこの騒がしい世界からいなくなってしまいそうな気がしてくる。
先生はなんで気軽に鍵を渡すんだろう。
あんな一人で、フェンスなんてちょっと頑張れば越えられる高さで。
落ちようと思えばすぐにでも――。
(だから考えすぎだって)
でも何か引っ掛かる。この世界に何の思い残しもなさそうに見えてしまうから。


