花負う君にお弁当どうぞ

 *


 昼休みになり、教室全体の空気がゆるんだ。

 飲み物を買いに行く結海と奏花を見送って、そのまま何気なく廊下を歩く人の流れをながめているとーー。

(あれ? あの人!)
 
 背丈の感じ。歩くはやさ。何よりあのうつむき加減。

 知ってる。
 ここのとの毎日見ていたから分かる。
 今朝、河川敷で目を凝らしてたときに思い描いていた通りの姿なんだから間違いない。

 思わず唐揚げ弁当の入った袋を持って追いかけた。



 その人が向かったのは屋上へ向かう階段だった。
 見上げると空には晴れ間が広がったようで、空気に舞う埃が窓からの光を受けて輝いている。

 しばらく様子をうかがえば、屋上の扉が開いて閉じる音がした。
 ゆっくりと、一段飛ばしで階段を上がる。
 手を振るたびにビニール袋がシャカシャカとなり、唐揚げの香ばしい香りがした。

 屋上へ続く塔屋にたどりつき、おそるおそる扉を開いた。
 いつもなら鍵がかかっているはずなのに、どうして開いてるんだろうという疑問がかすめるけど、それはおいておく。

 加原くんはどこだろう。

 先に来ているはずの学ラン姿をさがす。
 でもフェンス前のどこにもいなくて、まさか飛び降りた? と焦りはじめたときだった。

 (いた……!)

 なんと塔屋の上にいた。あぐらをかいて座り、空からそそぐ光を受けて輝いているように見える。

 この屋上で一番日当たりのいい場所にいるなんて、おばあちゃん家のマルみたい。
 マルはおばあちゃんにしかデレないツンツン猫で、ちゅーるがないと背中を撫でさせてもらうのも一苦労だ。
 窓際に置かれた座布団がいつもの場所で、目をしぱしぱ瞬かせたりあくびをするのを遠目に眺めると幸せな気分になる。

 おっと今は加原くんがどうやって上がったのか考えないと。
 まさかジャンプであの高さまで行けないだろうし。

 塔屋の周りをぐるりと見回り、固定された梯子があるのに気づいて上がる。
 上がりきった場所でその人と目が合った。

(うわー……美人……!)

 きっとこの人が加原くんだ。だって姫って表現に納得だもん。
 透けるような白くつるんとした肌にミルクティー色の髪、大きく見開いた瞳は緑がかっていて、ますます猫みを感じる。

 それから――なぜかこの寒空の下、学ランを脱いでいる。
 白いワイシャツ姿はいつもより体の線が見え、細くて薄い体つきがはっきりと分かった。やっぱり女子っぽい。

 上履きのつま先が同じ色だから、たしかに同じ二年生だ。
 でもこんなに顔が良くても私が知らなかったのは、私のアンテナが低いのもあるけど、本人があまり人と関わるタイプじゃないのかもしれない。
 突然あらわれた私にも、眉をしかめるくらいでほぼ無反応だ。

 なんて声をかけようか、きっかけの一言を探しながら近づくけど、結局出たのは「こんにちはー。シャツ一枚じゃ寒くない?」なんて、とりとめもない話題だった。

 もちろん、無視される。

 私に背を向けて前屈みになってしまった。
 そんなに拒否らなくても……あ、まずは自己紹介からしようかと考えていたら――白いシャツの間から黄緑の茎がのびて、白い花とつぼみがいくつものぞいた。
 まるでペシャンコの浮き輪がふくらんでいくみたいだった。さっきまで存在すら感じなかったものの出現に、目を見開き言葉をなくすしかない。

(背中に花が咲くって本当だったんだ……)


 ――花負い病。

 その名の通り、背中に花が咲いてしまう病気だ。
 何十……いや何百万人だっけ? ……ともかく珍しい病気で当事者には滅多に会わないけれど、顔のいい人が多いせいか、芸能人や配信者として認知されている人が少なくない。
 だから患者数の割に知名度は高いのだ。
 とはいえ画面の向こうにいるのと目の前にいるのとでは現実味がちがう。

 陽の光を受けて白い花とつぼみは発光するみたいにまぶしい。六枚の花びらがふわりとほころんでいて、手のひらをめいっぱい広げたよりも大きな花だ。
 種類までは分からないけれど、末広がりの形からユリの一種に見える。
 バニラみたいな……甘い香りがただよって、花自体も生きているんだと驚かされた。


「すごい」

 私の呟きが聞こえたんだろう。加原くんが振り返り、さっきよりも額に深いシワをよせた。

「いつまで見てんの?」

 小柄なせいか、初めて聞いた声も男子にしては高い。でもそれが繊細な外見にハマっている。

 色素のうすい髪が風になびくたび、毛先が光とまじって金色に輝くのがすごくキレイだ。
 瞳が薄い緑に見えるのは、たしか花負い病でみられる症状のひとつじゃなかったっけ。
 体つきが華奢で、女子っぽく見えてしまうのも多分そのせい。

 花が栄養を奪ってしまうから、成長しづらくなるんだったはず。

「突然ごめんね。ええと……ちょっと前に見かけてから気になってて」
「……ああ、そういうパターンね。悪いけど一人にしてくんない? 目障りだよ」
「な、初対面でそこまで言わなくてよくない?」

 鋭い言葉を向けられたのに驚いて、ムキになって強い口調になってしまった。
 加原くんははあ、と大袈裟に息をはいた。

「告白の時点で伝えないと後がめんどいだろ。これ以上ストーカーされるの嫌だし」
「こ、くはくぅ? しかもストーカーって!」
「……だってそうでしょ。その袋も何が入ってるんだか」
「これは! うちのお弁当!」
「うわ重。そういうのマジやめて」

 きれいな瞳なのに、蔑むような視線は居心地が悪い。
 というか告白ってなんだ。そんなつもり全然ないのに!

「ぜんぶ勘違いだよ! あとお弁当はうちのお店で売ってるやつだからね。変な添加物は使ってません! しかも一番人気の唐揚げ弁当!」
「……だから?」
「いつもしょんぼり歩いてるから、美味しいもの食べて元気だしてほしいと思っただけだよ!」
「はあ?」
「……毎日朝早くに川のとこ歩いてるでしょ。うち弁当屋で朝が早いから、店から見えるの。それがなんか疲れてそうで気になってたんだ」
「花が重たいだけ。それに俺、食事は基本的にしないから」
「え?」
「知らない? 今この花が光合成してんの。これで最低限の栄養は摂れるからいいんだよ」
「光合成……できるの?」

 人間が?
 疑問が次々わいてきて口を開きかけた私に、加原くんは「もう放っといて」と顔をそらしてしまった。
 背中の花と向き合う形になる。
 キレイだけど、加原くんのそっけない態度が相まって、今はとても冷たい印象を受ける。

「自分でいくらでも調べられるだろ。俺から話すことは何もない」

 とりつく島がないってこういうことだ。
 声をかける言葉が今度こそなくなって、私は黙って教室に戻った。