花負う君にお弁当どうぞ

 *


 弁当屋の朝は早い。

 お正月から一週間たってものんびり気分が抜けきらない体に、つき刺すような寒さが染みいる。
 肩をすくめエプロンのポケットに両手をもぐらせていた私は、お店の厨房に入ってやっと息をついた。
 数時間前からお母さんが仕込みをしている厨房内のガスコンロは3口ともフル稼働で、側によれば暖房なしでもあったかい。
 3つの鍋にはひじきの煮物、がんもどき、あとマカロニが茹でられていた。

「もうすぐマカロニできるから!」

 唐揚げにかかりきりで余裕がないお母さんの代わりにタイマーを見れば、のこりの数字はあと15秒だった。
 あわててザルを用意して、アラームを合図にマカロニの湯切りをする。
 粗熱をとる間にマヨネーズや塩胡椒、コーン缶なんかを出しつつ全部を混ぜるボウルも取り出した。



 もともとおばあちゃんがやっていた弁当屋をお母さんが引き継いだのは、ちょうど4年くらい前のこと。私が中学に入学して少し経ったころのだった。

 バイトでもしようかなというぼやきを聞き逃さなかったお母さんに言われるまま、手伝い始めてからは数ヶ月がたつ。
 私の担当はマカロニサラダと卵焼き。あと盛り付け。
 早起きに苦戦していた最初に比べたら、すごい進歩だと思う。

菜絆(なずな)は気づいた?」

 フライヤーの前でトンカツを揚げはじめたお母さんが、私をチラリと振り返った。
 ニヤニヤと何かを含んだ笑い方に心当たりはなく「何が?」と首をかしげる。

「河原をランニングする人、だんだん減ってきたでしょ」
「え? そう?」

 この弁当屋は、家からは川を挟んだ場所にある。
 いつも橋を渡って河川敷を歩いて来るけれど、通りがかる人のことなんて気にしたことなかった。
 だってそもそも夜明け前でよく見えないし、寒いと体を縮めていたら周りを気にする余裕なんかない。
 仕込みをしながら外の様子まで把握してるなんて、やっぱりお母さんはすごい。私とは年季が違う。

「そうよぉ。仕事初めから成人式の間に半分くらい減ったけど、今はさらに少ないのよ。みんな年明けにやるぞって決心するけれど、続かないんだろうね。毎年見てると面白いのよ」
「へえ」
「三日坊主ってよくできた言葉よね。意志を強く持つ難しさは昔から変わらないのねぇ」
「ふーん……明日は見てみるよ」
「とりあえず今見て来たら。今日の様子がわかるでしょ」
「えー……外出たくないんだけど」

 正直、あんまり興味がない。
 やだなあと思いつつ、お母さんが強く勧めるからその通りにした。

 ついでにゴミ捨ても大きなゴミ袋を持って外に出れば、ちょうど日の出が空を焼こうとするところだった。
 紺色に黄色の光がまじる空とは反対を向き、河川敷の方を見る。
 この店は坂の上にあるから、川や河川敷は少し上から覗くかたちになのだ。

 川の周囲は住宅街で目立った建物がないから、星の残る空へ浮かぶように並んだ、遠くの電波塔がよく見えた。
 水面や河川敷の芝生、コンクリートの道もほぼ同じ色で、影の濃淡と街灯の位置で川の流れが分かる。
 そんな、これから目覚めていく道をポツポツと走ったり歩く人がいる。

 この寒さと暗さを思えば、案外人通りはあるように感じた。
 お母さんは半分以上減ったと言うけれど、残っている方なんじゃないかと思う。
 だって必要に迫らないと、冬の夜明け前に起きようなんて絶対に思わない。
 私だってお母さんの手伝いがあるからここにいるけれど、そうじゃなきゃまだまだ布団の住人でいたいんだから。

「あれ?」

 大人にまじる華奢な背丈が目を引いた。一瞬、小学生が歩いているのかと思う。
 まっすぐ前を見据える人たちのなかで足元から目線を外さないし、重い足取りでゆっくり歩いているからか余計に目立った。

(もしかして、うちの制服?)

 まだ光が足りなくて自信が持てないけど、この辺で学ランなのはうちの高校くらいだ。
 まだ夜明けをむかえたばかりなのに、いくらなんでも通学には早すぎる。一番朝練が早い野球部だって、わたしの起床時間には敵わないはずなのに。

 知り合いかなと河川敷を歩く後ろ姿をじっと見つめるても、よく分からなかった。
 そのうち私を呼び「トンカツあふれそうだからバット移動させて〜」という切羽詰まったお母さんの悲鳴が聞こえてきた。

 芸術的なまでに積み上がったトンカツを作業台へ移動させるのに集中するうち、学ランの誰かは頭の隅に追いやられてしまった。


 *


 次の日もその次の日も、夜明け直後の河川敷を学ラン姿の人が歩いているのを見つけた。毎日目にするたびに気になってくる。

(今日こそは何年何組の誰なのかつきとめてみせる!)

 なんであの時間に河川敷を歩いてるのか聞いてみたい。
 そう決意を固め、いつもより早くからお母さんの手伝いをして、空き時間をつくった。

 厚い雲の合間をのぼっていく太陽をながめつつ、いつもより寒い河川敷で待っていたけれど――。




「今日に限って通らなかったの? お疲れー」

 登校してすぐにグチった私の頭を結海(ゆうみ)が撫でてくれた。隣にいた奏花(かなは)は「あげる」とハート型のグミを口の中に放りこんできた。甘酸っぱいブドウ味がしみる。

「2人ともありがと〜……」

 結海と奏花は2年のクラス替えを機に仲良くなった子たちで、休み時間はたいてい3人で過ごしている。

「私が見てたの勘づかれたかなぁ」
「さすがにないでしょ。あ、今日は曇ってたからとか」

 平安貴族か、と奏花が笑った。そういえば昔は天気が悪いと仕事を休んだりしてたんだっけ。古典の授業で聞いた話を思い返していると、結海がぽんと机をたたいた。

「貴族はいないけど、姫はいるじゃん」
「あーお花の?」
「……誰のこと?」
「菜絆は知らない? 6組の加原くん。去年クラス一緒だったんだけど、めちゃ顔がいいの。で、背中に花生える病気あるじゃん。あれで成長遅くて女子並みに華奢なんだよね。だから姫」
「あ、噂は聞いたことあるかも」

 結海の話にうなずいていると、奏花が声をひそめた。

「本人は姫呼び嫌がってるから、言っちゃだめだよ」
「それは……そうだろうね」

 当然だと思う。うちの弟も10歳過ぎたら可愛いって言われるの嫌がったし。
 それでも男子なのに姫と呼ばれるくらい可愛いって、どんな顔なんだろう。単純に興味がある。

「もしかして、その姫が菜絆の待ってた人なんじゃない? 学ランなのに華奢な見た目なんでしょ?」

 結海に指摘されてなるほどと思う。たしかに男子にしては細身な後ろ姿だったから、可能性はあるかもしれない。

「なんか当たってる気がする。その姫……加原くんに会えたらいいな」

 思わぬ手がかりにテンションが上がっていく。
 さっきまで教室の窓から見える曇り空みたいに、気分もどんよりなグレーだったから。

「お弁当も無駄にならないかもしれないし」
「無駄って?」
「今日は2つ持ってきたんだ。1つその人にあげようと思ってさ」
「……なんで??」
「会えるかどうかも分かんないのに?」

 結海と奏花からかわりばんこに聞かれると、私おかしいのかなと一瞬不安になる。だけどヤケになって胸を張った。

「うちのお弁当食べたら元気になるからね!」

 2人が顔を見合わせて爆笑した。
 失礼なと頬をふくらませたら、2人はすぐに謝ったけど、笑いが堪えきれてない。

「ピュアだねー。菜絆んとこのお弁当がおいしいのは知ってるけど、元気がでるは予想外で」
「そう? ご飯おいしいと嬉しいし元気でるでしょ」
「うーん、言われてみたらそうかも! もし余ったらそのお弁当ちょうだい!」
「調子いいなあ。ま、卵焼きくらいならいいでしょう」
「わーい。菜絆の卵焼き好き」

 姿勢を正しながらかしこまって奏花にこたえれば、結海も背筋を伸ばしてから頭を垂れた。

「磯辺揚げもどうかお恵みを〜」
「んー……いいでしょう」

 今度は3人揃って笑い合う。

「加原くんには会ってみたいけど、今日は移動教室多いから6組のぞきにいく余裕ないもんね。お弁当余りそうだから2人で食べていいよ」
「やった! 今日購買のつもりだったからラッキー。……あ、じゃあ戻るね」

 担任の先生が挨拶しながら教室に入ってきたのを合図に、それぞれ席に戻る。

 ふと窓の外を見れば、雲の合間から太陽の光がさしていた。