昼休み、購買で買ってきたパンを食べ終えて鞄から本を取り出す。先週末から例の短編集を借りて読んでいた。
ありきたりなハッピーエンド。
作者の意思とか小説としてのセオリーとかを無視するなら、僕は別れの続きをどう描くだろう。自由に描いていいと思うと、途端に指針がなくなってしまう。僕はあくまで読み手であって、書き手じゃない。考察することはできても、創造することがいかに難しいかをひしひしと感じる。
楢崎さんは一体どんな話を読みたいんだろう。本から顔を上げて教室を見渡すと、男女が集まっている輪の中心に楢崎さんがいた。図書館で話していると勘違いしそうになるけど、教室の隅で本を読む僕とクラスの中心に立つ楢崎さんは立ち位置が全然違う。
不意にこちらを見た楢崎さんと目が合う。楢崎さんは僕の手元を見たようで、ふわりと笑うとヒラヒラと軽く手を振ってきた。思わず手を振り返しそうになって、周りの生徒の視線が僕の方を向くのを感じて慌てて視線を本に戻す。
「急に手なんて振ってどうしたの、ルカ?」
「向こうにいるの壱岐くんだよね。絡みあるの?」
楢崎さんの輪の方からそんな声が飛んできて、思わず首をすくめてしまう。開いていたページに意識を集中するけど、文字が全然頭に入ってこない。
「あー、ううん。窓の外に知り合いが見えた気がして」
「窓の外って、ここ二階だよ。見えたらやばいってー」
「だよね。ちょっと寝ぼけてんのかも」
「あ、もしかしてルカ。さっきの国語寝てたんじゃない?」
「わっ、バレてた? 英語は得意なんだけど、国語は苦手なんだよねー」
他愛もない会話と笑い声のなかで僕への意識は消えたようでほっと息が漏れる。ただ視線が集まったというだけで、心臓がバクバクとして気持ち悪かった。
ギュッと目を閉じる。自分以外の存在を感じないように意識しながら、深呼吸。それをしばらく繰り返す。
「瑛士、起きてる?」
聞き慣れた声にそっと目を開けると、隣のクラスのはずの飛鳥が僕を覗き込んでいた。学校の中でも見慣れた存在に強張っていた肩の力が抜けた気がした。
「飛鳥、どうしたの?」
「今度応募しようとしてる原稿、最初の方が書き上がって。今回も瑛士の感想聞いときたいなって」
そう言って差し出された紙の束はそこそこの厚みだった。本を貸してからここまで書いたなら結構なスピードだと思う。伊達に一年の間に何本も公募やコンテストに応募してるだけはある。
特に長編の公募を出すときには、こんな風に下読みを頼まれることがあった。僕なんかの下読みに効果があるのかはわからないけど、それで飛鳥が自信を持てるなら意味はあるんだろうと思う。それに、新しい物語を差し出されたことでさっきまでの動悸が嘘みたいにワクワクに変わっていた。僕はとことん本の虫らしい。
「あ、懐かしいの読んでる。これ好きだったなあ」
目的を果たした飛鳥が今度は僕の読んでいた本を指さした。そういえば、この短編集が発売された頃に飛鳥にもオススメしたんだっけ。
「この表題作の話、覚えてる?」
「もちろん! まさか別れたところで終わると思ってなくて、ヒロインに感情移入して大泣きしちゃったし」
初めて読んだのは中学生の時だったけど、真っ赤に目をはらして家に乗り込んできた飛鳥のことを思い出す。それにつられるように瞳に涙を湛えた楢崎さんが思い浮かんだ。もしかしたら、二人のツボは似てるのかもしれない。
「飛鳥が続きを書いていいって言われたら、どんな展開にする?」
んー、と少しの間顎に指を当てた飛鳥は、家主不在の僕の前の席に腰掛けると、机に肘をつくようにして顔を寄せてきた。
「主人公は結局夢破れて地元に帰ってくるんだけど、そこにヒロインはいなくて。待ちに出かけた主人公がふと見上げた広告ビジョンにヒロインが映るの。ヒロインは主人公が頑張ってると思って夢を叶えて、誰もが知るような俳優になってた」
「それはなんか、主人公が不憫なような……」
「だって、明らかにニブチンでヒロインからの好意に気づかなかったくせに、やっと付き合ったと思ったら自分の夢追いかけて別れちゃうんだよ! 今思い出しても何様だてめーって思うもん!」
本来は感動のストーリーなはずなのだけど、要素だけを抜き出したら身もふたもなかった。もちろん、作品ではそこに至るまでの事情や葛藤が描かれてるから感情移入できるし、それが作家の腕の見せ所ってことかもしれないけど。
「でも、どうしたの、急に。いつもはそんなこと聞いてこないじゃん」
「えっと。この結末がありきたりなハッピーエンドってあるのかな、って……」
「夢を叶えた主人公とヒロインが、同じ舞台に立つことになって再会する的な?」
「多分……」
それが楢崎さんの望むハッピーエンドかはわからないけど、別れの結末からの大団円なら飛鳥の言ったような展開になるんだろう。
飛鳥は少し視線を天井の方に彷徨わせてから苦笑を浮かべた。
「ありかなしかはさておき、私は書かないかなあ」
「どうして?」
「だって、誰が書いたって同じ感じになりそうだし。せっかく書くなら、私の想いを乗せた私だけの話を書きたいじゃん!」
「自分だけの、話……」
飛鳥の言葉はストンと落ちてくる感じがした。ありきたりなハッピーエンドがピンとこないのは、それがいいとか悪いってことじゃなくて、僕の話じゃないからなのかもしれない。流石は書く側の飛鳥の言葉だった。もう少し話を聞けば、楢崎さんの言葉への答えが見つかりそうな気がする。
だけど、そこでちょうど予鈴が鳴り、飛鳥が席を立つ。
「じゃあ、原稿の下読みよろしくね!」
「あっ、飛鳥──」
呼び止めるより前に飛鳥はバタバタと教室を後にする。その視界の端に、こちらをじっと見る楢崎さんの姿がチラリと見えた。
ありきたりなハッピーエンド。
作者の意思とか小説としてのセオリーとかを無視するなら、僕は別れの続きをどう描くだろう。自由に描いていいと思うと、途端に指針がなくなってしまう。僕はあくまで読み手であって、書き手じゃない。考察することはできても、創造することがいかに難しいかをひしひしと感じる。
楢崎さんは一体どんな話を読みたいんだろう。本から顔を上げて教室を見渡すと、男女が集まっている輪の中心に楢崎さんがいた。図書館で話していると勘違いしそうになるけど、教室の隅で本を読む僕とクラスの中心に立つ楢崎さんは立ち位置が全然違う。
不意にこちらを見た楢崎さんと目が合う。楢崎さんは僕の手元を見たようで、ふわりと笑うとヒラヒラと軽く手を振ってきた。思わず手を振り返しそうになって、周りの生徒の視線が僕の方を向くのを感じて慌てて視線を本に戻す。
「急に手なんて振ってどうしたの、ルカ?」
「向こうにいるの壱岐くんだよね。絡みあるの?」
楢崎さんの輪の方からそんな声が飛んできて、思わず首をすくめてしまう。開いていたページに意識を集中するけど、文字が全然頭に入ってこない。
「あー、ううん。窓の外に知り合いが見えた気がして」
「窓の外って、ここ二階だよ。見えたらやばいってー」
「だよね。ちょっと寝ぼけてんのかも」
「あ、もしかしてルカ。さっきの国語寝てたんじゃない?」
「わっ、バレてた? 英語は得意なんだけど、国語は苦手なんだよねー」
他愛もない会話と笑い声のなかで僕への意識は消えたようでほっと息が漏れる。ただ視線が集まったというだけで、心臓がバクバクとして気持ち悪かった。
ギュッと目を閉じる。自分以外の存在を感じないように意識しながら、深呼吸。それをしばらく繰り返す。
「瑛士、起きてる?」
聞き慣れた声にそっと目を開けると、隣のクラスのはずの飛鳥が僕を覗き込んでいた。学校の中でも見慣れた存在に強張っていた肩の力が抜けた気がした。
「飛鳥、どうしたの?」
「今度応募しようとしてる原稿、最初の方が書き上がって。今回も瑛士の感想聞いときたいなって」
そう言って差し出された紙の束はそこそこの厚みだった。本を貸してからここまで書いたなら結構なスピードだと思う。伊達に一年の間に何本も公募やコンテストに応募してるだけはある。
特に長編の公募を出すときには、こんな風に下読みを頼まれることがあった。僕なんかの下読みに効果があるのかはわからないけど、それで飛鳥が自信を持てるなら意味はあるんだろうと思う。それに、新しい物語を差し出されたことでさっきまでの動悸が嘘みたいにワクワクに変わっていた。僕はとことん本の虫らしい。
「あ、懐かしいの読んでる。これ好きだったなあ」
目的を果たした飛鳥が今度は僕の読んでいた本を指さした。そういえば、この短編集が発売された頃に飛鳥にもオススメしたんだっけ。
「この表題作の話、覚えてる?」
「もちろん! まさか別れたところで終わると思ってなくて、ヒロインに感情移入して大泣きしちゃったし」
初めて読んだのは中学生の時だったけど、真っ赤に目をはらして家に乗り込んできた飛鳥のことを思い出す。それにつられるように瞳に涙を湛えた楢崎さんが思い浮かんだ。もしかしたら、二人のツボは似てるのかもしれない。
「飛鳥が続きを書いていいって言われたら、どんな展開にする?」
んー、と少しの間顎に指を当てた飛鳥は、家主不在の僕の前の席に腰掛けると、机に肘をつくようにして顔を寄せてきた。
「主人公は結局夢破れて地元に帰ってくるんだけど、そこにヒロインはいなくて。待ちに出かけた主人公がふと見上げた広告ビジョンにヒロインが映るの。ヒロインは主人公が頑張ってると思って夢を叶えて、誰もが知るような俳優になってた」
「それはなんか、主人公が不憫なような……」
「だって、明らかにニブチンでヒロインからの好意に気づかなかったくせに、やっと付き合ったと思ったら自分の夢追いかけて別れちゃうんだよ! 今思い出しても何様だてめーって思うもん!」
本来は感動のストーリーなはずなのだけど、要素だけを抜き出したら身もふたもなかった。もちろん、作品ではそこに至るまでの事情や葛藤が描かれてるから感情移入できるし、それが作家の腕の見せ所ってことかもしれないけど。
「でも、どうしたの、急に。いつもはそんなこと聞いてこないじゃん」
「えっと。この結末がありきたりなハッピーエンドってあるのかな、って……」
「夢を叶えた主人公とヒロインが、同じ舞台に立つことになって再会する的な?」
「多分……」
それが楢崎さんの望むハッピーエンドかはわからないけど、別れの結末からの大団円なら飛鳥の言ったような展開になるんだろう。
飛鳥は少し視線を天井の方に彷徨わせてから苦笑を浮かべた。
「ありかなしかはさておき、私は書かないかなあ」
「どうして?」
「だって、誰が書いたって同じ感じになりそうだし。せっかく書くなら、私の想いを乗せた私だけの話を書きたいじゃん!」
「自分だけの、話……」
飛鳥の言葉はストンと落ちてくる感じがした。ありきたりなハッピーエンドがピンとこないのは、それがいいとか悪いってことじゃなくて、僕の話じゃないからなのかもしれない。流石は書く側の飛鳥の言葉だった。もう少し話を聞けば、楢崎さんの言葉への答えが見つかりそうな気がする。
だけど、そこでちょうど予鈴が鳴り、飛鳥が席を立つ。
「じゃあ、原稿の下読みよろしくね!」
「あっ、飛鳥──」
呼び止めるより前に飛鳥はバタバタと教室を後にする。その視界の端に、こちらをじっと見る楢崎さんの姿がチラリと見えた。



