目的の本屋までタクシーまで移動しながら電子書籍を開く。先週発売された文芸誌には「ツシマアスカ」が書いた書評が載っていた。
先月、とある文藝賞を受賞した作品に対する書評は次のような書き出しで始まっていた。
『主人公や周囲の友人含め、全ての人物がどこかで会ったことのあるようなどこにでもいるような人物。そこで起こる出来事も誰もが高校生活で経験したような出来事。予想を裏切るような展開もなく、珍しい仕掛けもない』
「ははっ。相変わらず、手厳しいや」
高校を卒業してから十年弱。飛鳥は作家ではなく書評家として誌面を飾っていた。仮に人気作であっても忖度ない物言いでレビューする姿勢が好評だった。昨年末に同窓会で会った時には「私がなれなかったものになれた人たちに好き勝手言ってるだけよ」とあっさりしたものだったけど。
『人物もストーリーも平凡でありきたり。それなのに次へ次へと読ませるのは、誰もがその話に共感し、もう一度学生生活への憧れを抱いてしまうからだろう。それらは全て作者の作品に対する強い愛情が生んだ奇跡のような話であり、それだけの愛を貫き続けた作者には尊敬の念を禁じ得ない』
書評の締めくくりはツシマアスカらしくないものだった。愛とか尊敬とか、これまで飛鳥の書評は一通り目を通してきたつもりだけど、目にしたことがない。同じ作者の過去の作品に対してはもっと容赦ない言葉が並んでいた。
もう一度書評を読み直している間にタクシーは目的地に到着する。地元の中では大きい側の書店に入ると、担当してくれるスタッフが出迎えてくれた。
「先生! 今日はよろしくお願いします」
先生という響きには未だ慣れない。恐縮しながら会釈を返し、書店の一角に設けられた会場へと案内される。
かつてはサイン会で憧れの作家のサインをもらう側だった僕が、まさかサインをする側になるなんて未だに実感がわかなかった。
テーブルには「冴えない日々の磨き方」が数冊積まれている。それは高校時代にコンテストに書いたそのものではなく、兼業作家となった今の僕が改めて当時を振り返りながら書いたものだ。
楢崎さんと別れてからも、僕は小説を書き続けた。いつかイギリスにいる楢崎さんに僕が書いた本を届ける日が来ると信じて。
だけど、ついに僕が書籍化を果たした時、すでに楢崎さんとは連絡がつかなくなっていた。何かがあったわけではない。十年前、四月にふいっと図書館に現れたみたいに、初めからいなかったみたいに姿を消してしまった。
だから僕は「冴えない日々の磨き方」を一から書き直して、本にすることにした。そうすれば、いつか楢崎さんに届く日が来ると信じて。まさか、メリもハリも山も谷もない様な作品が受賞することになるとは夢にも思ってなかったけど。
サイン会が始まると、驚くべきことにずらりと列ができた。有名作家の端くれにも及ばない僕のサイン会なんて暇なばかりだろうと思っていたけど、甘かった。あるいは、あのツシマアスカが好意的な書評を寄せた作家の顔を一度見てみたいなんて人もいるのかもしれない。
あの頃よりマシになったとはいえ、人の視線にさらされると緊張してしまう。こんな時はかつての楢崎さんを演じるようにしていた。僕にとっては一番身近なお手本だ。
「ずっとずっとファンでした」
僕と同じくらいの年齢の女性の言葉に会釈をして、「冴えない日々の磨き方」にサインを書く。本を渡すと女性は肩から提げた鞄から何かを取り出した。
「こっちにも、サイン貰っていいですか」
女性が差し出したのは、古い感光紙に印刷された原稿だった。印刷は薄れているけど、見慣れた文字でメモがびっしり書き込まれている。その始まりは「冴えない日々の磨き方」。
僕が顔を上げると、女性は泣き笑いのような表情で僕を見ていた。明るい色の髪と、蒼い朝顔をあしらったワンピース。
「あたしたちだけのお話じゃなくなっちゃったのは少しだけ残念だけど、イキッチはちゃんと約束を守ってくれたね」
ドクリと心臓が大きく脈打つ。ずっと止まっていた時間が動き出したのがはっきりと分かった。
「十年前からずっとずっと、イキッチのファンでした」
「……えっと。僕も、です」
僕たちは顔を見合わせて、ぷっと吹き出して笑い合った。
もしこれが小説だとしたら、なんて陳腐でありきたりなハッピーエンドなんだろう。
だけど、僕はそれで構わない。ありきたりなハッピーエンドも悪くないと──君が教えてくれたから。
先月、とある文藝賞を受賞した作品に対する書評は次のような書き出しで始まっていた。
『主人公や周囲の友人含め、全ての人物がどこかで会ったことのあるようなどこにでもいるような人物。そこで起こる出来事も誰もが高校生活で経験したような出来事。予想を裏切るような展開もなく、珍しい仕掛けもない』
「ははっ。相変わらず、手厳しいや」
高校を卒業してから十年弱。飛鳥は作家ではなく書評家として誌面を飾っていた。仮に人気作であっても忖度ない物言いでレビューする姿勢が好評だった。昨年末に同窓会で会った時には「私がなれなかったものになれた人たちに好き勝手言ってるだけよ」とあっさりしたものだったけど。
『人物もストーリーも平凡でありきたり。それなのに次へ次へと読ませるのは、誰もがその話に共感し、もう一度学生生活への憧れを抱いてしまうからだろう。それらは全て作者の作品に対する強い愛情が生んだ奇跡のような話であり、それだけの愛を貫き続けた作者には尊敬の念を禁じ得ない』
書評の締めくくりはツシマアスカらしくないものだった。愛とか尊敬とか、これまで飛鳥の書評は一通り目を通してきたつもりだけど、目にしたことがない。同じ作者の過去の作品に対してはもっと容赦ない言葉が並んでいた。
もう一度書評を読み直している間にタクシーは目的地に到着する。地元の中では大きい側の書店に入ると、担当してくれるスタッフが出迎えてくれた。
「先生! 今日はよろしくお願いします」
先生という響きには未だ慣れない。恐縮しながら会釈を返し、書店の一角に設けられた会場へと案内される。
かつてはサイン会で憧れの作家のサインをもらう側だった僕が、まさかサインをする側になるなんて未だに実感がわかなかった。
テーブルには「冴えない日々の磨き方」が数冊積まれている。それは高校時代にコンテストに書いたそのものではなく、兼業作家となった今の僕が改めて当時を振り返りながら書いたものだ。
楢崎さんと別れてからも、僕は小説を書き続けた。いつかイギリスにいる楢崎さんに僕が書いた本を届ける日が来ると信じて。
だけど、ついに僕が書籍化を果たした時、すでに楢崎さんとは連絡がつかなくなっていた。何かがあったわけではない。十年前、四月にふいっと図書館に現れたみたいに、初めからいなかったみたいに姿を消してしまった。
だから僕は「冴えない日々の磨き方」を一から書き直して、本にすることにした。そうすれば、いつか楢崎さんに届く日が来ると信じて。まさか、メリもハリも山も谷もない様な作品が受賞することになるとは夢にも思ってなかったけど。
サイン会が始まると、驚くべきことにずらりと列ができた。有名作家の端くれにも及ばない僕のサイン会なんて暇なばかりだろうと思っていたけど、甘かった。あるいは、あのツシマアスカが好意的な書評を寄せた作家の顔を一度見てみたいなんて人もいるのかもしれない。
あの頃よりマシになったとはいえ、人の視線にさらされると緊張してしまう。こんな時はかつての楢崎さんを演じるようにしていた。僕にとっては一番身近なお手本だ。
「ずっとずっとファンでした」
僕と同じくらいの年齢の女性の言葉に会釈をして、「冴えない日々の磨き方」にサインを書く。本を渡すと女性は肩から提げた鞄から何かを取り出した。
「こっちにも、サイン貰っていいですか」
女性が差し出したのは、古い感光紙に印刷された原稿だった。印刷は薄れているけど、見慣れた文字でメモがびっしり書き込まれている。その始まりは「冴えない日々の磨き方」。
僕が顔を上げると、女性は泣き笑いのような表情で僕を見ていた。明るい色の髪と、蒼い朝顔をあしらったワンピース。
「あたしたちだけのお話じゃなくなっちゃったのは少しだけ残念だけど、イキッチはちゃんと約束を守ってくれたね」
ドクリと心臓が大きく脈打つ。ずっと止まっていた時間が動き出したのがはっきりと分かった。
「十年前からずっとずっと、イキッチのファンでした」
「……えっと。僕も、です」
僕たちは顔を見合わせて、ぷっと吹き出して笑い合った。
もしこれが小説だとしたら、なんて陳腐でありきたりなハッピーエンドなんだろう。
だけど、僕はそれで構わない。ありきたりなハッピーエンドも悪くないと──君が教えてくれたから。



