夜風の中で、君に伝えたいこと。

 ウチの学校のお昼休みは、結構長い。生徒の自主的な活動を促す、とか言っているからなのか、部活動をやるもよし、先生から勉強を教わるもよし、何か好きなことをやるもよしの時間として、昼休みが一時間ちょっとあるのだ。私はたいてい部室で時間を過ごすのだが、今日は天黎に連れられて、学校を散歩していた。
「本当に思いつかないんだよね。そろそろ大会の小説の締め切りでしょ? 今から俳句に切り替えることも考えてはみたんだけど、俳句は慣れないからなぁ」
 文芸部にも、一応県大会というものはある。大会というより、コンクールといったほうが正しいのだろうか。文芸部所属の高校生が小説、俳句、詩を書いて応募する。それを県の偉い人が審査して、一位になったら全国出場……という流れだ。一般の小説賞に応募するよりはハードルは低いのかもしれないが、スポーツと違って小説の判断基準は難しい。なかなか賞をとれない。
 私は今年こそ取りたい、と意気込んで、音恋ちゃんと一緒に書いてみた。今は先生に読んでもらって、アドバイスをもらう段階だ。今は七月。応募の締め切りは八月の中ごろなので、準備ばっちりな私と音恋ちゃんは余裕を持っている。しかし、今、応募段階にすら達せなくなりそうな人が、私の真横にいる。
 私はその人、天黎をじっとりとした視線で見つめた。
「私、言ったよね? 早めに書かなきゃまた痛い目見るよって」
「灯鞠と違って私は計画するのが苦手なんだよ。プロットとかも書かないし。大体、小説は気分が乗った時にしか書けないし」
 天黎がうなだれながら、ため息をついた。
「それはそうだけどさ。ある程度はスケジュール決めておかないと」
「勉強計画じゃあるまいし……って、こんなこと話しててもネタは降ってこないよ~」
 あああ、と呻きながら天黎は頭を抱えた。天黎は直感型だから、本当に気分が乗らないと書けないのだろう。私ははぁ、とため息をつくと、天黎の手を引っ張った。あたりを見渡して、もうそろそろ購買の場所にたどり着きそうなことを確認する。
「とりあえず、購買でご飯買いに行こう。腹が減っては戦もできぬ、だよ」
 天黎を引きずるようにして購買の場所に来て、今日のメニューを見る。

 オムライス、スパゲッティ、海藻サラダ、ブロッコリーサラダ、メロンパン、カレーパン、焼きそばパン、カットフルーツ……

 今日はオムライスがあるみたい。あとは……海藻サラダと、後で自販機で飲み物を買おう。ウチの学校の良いところその二は、購買のメニューが豊富なことだ。近くに学校はあまりないのに給食センターが一個あるから、そこから提供を受けているようだ。本当は食堂とかある学校に行ってみたかったけど、本来なら中学校までの給食の味を味わえるから、私は結構ここも好き。
「スパゲッティ……スパゲッティで何か書く……?」
 メニュー表をにらみながら、天黎はぶつぶつとつぶやいている。本当に追い詰められているらしい。私は購買のスタッフさんのところに行くと、オムライスとサラダを注文した。
「天黎、どんなの食べるの?」
「あー、なんでもいい!」
「じゃあ、スパゲッティとブロッコリーサラダも追加で」
「ちょっと待って、ブロッコリー!?」
 天黎が私の言葉を聞いて、血相を変えてこちらに駆け寄ってきた。そして、スタッフさんに言う。
「ごめんなさい、ブロッコリーサラダじゃなくて、海藻サラダで!」
「はいはい、じゃあ二人とも海藻サラダだね。ちょっと待っててね」
 スタッフさんは私たちの会話が面白かったのか、にこにこしながらそういうと、手早く用意してくれる。
「はい、オムライスとスパゲッティ、それから海藻サラダ二つね。ドレッシングは付属のやつをかけてね」
「「はい、ありがとうございます」」
 二人でお礼を言って受け取ると、私たちは屋上に向かうことにした。天黎は道すがら、はぁ、と深いため息をついた。そして、私をじろりと睨んでくる。私は思わず、首をすくめた。
「灯鞠、なんで意地悪したの? 私がブロッコリー苦手なこと、知ってるよね?」
「知ってるよ。でも、そうでもしないと、天黎、こっちの世界に戻ってきそうになかったし。一回賞のこと考えるのやめて、普通においしくご飯食べたほうがいいでしょ? 好きなスパゲッティもおいしくなくなっちゃうよ」
「そうだけどさぁ……」
 天黎の機嫌を悪くしてしまった。私は天黎に嫌われたらどうしよう、と一瞬思ってしまって、購買の袋を持つ手に力をこめる。でも……天黎をあの状態にしておくのは危険だった気がするのだ。天黎は追い詰められたら、きっと、また……そんなことを考えていると、天黎がそっと私の手に指を絡めてきた。
「大丈夫。灯鞠が私を心配してくれたのは、わかってる。疲れてて、ちょっとやつあたりしちゃっただけ。ごめんね」
 優しい声でそうささやくように言われる。天黎は私の不安をくみ取ってくれたようだ。いつも気遣いばかりしてもらってるのに、私は何も返せてない。
「私も、勝手なことして、ごめん」
「うん、お互い様だね。さ、屋上に……って、ん?」
 天黎は何かを昇降口のあたりで見かけたらしく、足を止めた。私はもう少しで階段につく、というところで止まり、天黎のほうを振り向く。私のほうからは昇降口は壁に隠れて見えない。だけど、天黎の顔つきがだんだん険しくなっていくことから、いやなものがあるのかもしれないと思った。でも、いやなものって何だろう。学校なんだから、そんなに危険なものとかはないはず……
「灯鞠、来ないほうがいいよ。早く行こう」
 私が考えにふけっていると、天黎がつかつかと私に歩み寄ってきて、そっと手を取った。なんだか、焦っているように見えた。天黎が見ないほうがいいというのだから、見ないほうがいいのだろう。わざわざそんなのを見るつもりもないから、私も天黎と一緒に階段に急いで足をかける。その時。

「……ねぇ」

 後ろから声をかけられ、足が反射的に止まった。びくっ、と大げさなほどに体が震える。天黎も私につられるようにして止まると、後ろを振り向いた。天黎は唇を嚙み締めて、話しかけてきた相手のほうをじっと見つめる。
「なに?」
「ボクは、灯鞠のほうに用があるんだけど」
 その声が私の名を呼んだ。胸がギュっ、と締め付けられるみたいに苦しくなった。心臓の脈の音が耳を穿つ。どっ、どっ、どっ。その音を聞きながら、私も振り返った。私たちを呼び止めた人。その人は予想した通りの人で———私たちが、一番会いたくない人。会ったら、いけない人。

 立水咲妃莉(たてみずえみり)。私たちが昔一緒に時間を過ごした少女。今はもう、一緒にはいれない人。

 細い毛をウルフカットにセットしている、亜麻色の髪。くりっとしている黒い瞳。不遜な笑みを浮かべている薄い桃色の唇。第一ボタンをはずし、ゆるく締めているネクタイ。ズボンを選択しており、なおかつボクという一人称を用いるからか、活発でボーイッシュな雰囲気を持つ。人懐っこい性格で、先輩後輩ともに多くの知り合いがいる。
「灯鞠、聞いたよ。透海と話してるって」
 私ののどは、何かでふさがれたように声を出そうとしなかった。私が黙っていると、咲妃莉は肩をすくめる。
「ご苦労様。人のために時間を使えること、尊敬する」
 冷たい。彼女の言葉には、冷気が宿っているように私は思う。
 なんで、いつからそんな口を利かれるようになったんだろうか。どうして、こんなにも心の距離が開いてしまったのだろうか。それを苦しいと感じるのは、私だけ? それとも、咲妃莉も、心の中では同じように感じてる……?
「ねえ、一つ忠告しておくけどさ」
 とん、とん、と踊るような足取りで、咲妃莉がこちらに近づく。天黎は壁際に寄りつつも、私の手を放そうとしなかった。むしろ、ぎゅっと強く握られる。
「またあんなに泣け叫ばないようにね。ボク、ああいうのが嫌いだし、苦手だ。話を聞くだけでもムカつくから、やめて。灯鞠のことだとどうしても気になっちゃうし」
 私の隣に立って、咲妃莉はそう言った。淡々と、何事もないかのように。
ああ、なんで咲妃莉は、こんな酷いことが言えるんだろう。

……なんで咲妃莉のほうが、皆から好かれるんだろう。

「じゃあね、灯鞠、天黎」
 咲妃莉は階段を上っていった。しばらく私と天黎は、階段の中ほどで立ち尽くしていた。私はしばらくしてから、天黎の手を引っ張って、歩き出そうとした。でも、天黎は動かない。固まってしまったまま。
 天黎は私以上に、咲妃莉のことが苦手だ。昔から、少しそりが合わなくて……そして何か、傷つけられたことがあるようだった。最初は気丈に接していても、そのあとはいつも落ち込んでいるように見えるのだ。
「行こう」
「……屋上には、あいつがいるかもしれない」
 天黎はそう呟いた。手が震えているように感じるのは、私の錯覚だろうか。天黎の手は、いつの間にかかなり強く私の手を握っている。私はそっと、その手にもう片方の、袋を下げたほうの手で触れた。
「大丈夫だよ、天黎。少なくとも咲妃莉は、私たちをいじめる気はない。ただ、冷たい物言いをしてるだけ」
「でも、それが」
「天黎」
 私は少し階段を上って、ぎゅっと天黎の体を抱きしめた。無理な体制だからか、足がプルプルと震えた。天黎の吐息が、耳にかかる。
「……部室がいい」
「……わかった。じゃあ、行こう」
 私が天黎を放そうとすると、天黎のほうからぎゅっとしがみついてきた。幸い、周りには人がいない。私はこのままでいることにした。天黎が落ち着くまで。