夜風の中で、君に伝えたいこと。

『今日……公園で話せない?』
 そう涼風くんから連絡がきたのは、二月の最初のころだった。あの日以来、私は咲妃莉を見る機会が増えた。涼風くんが、いろいろ咲妃莉と話をしているらしいからだ。天黎は少し嫌そうで、昼休みも放課後も部室に籠り続けている。だから、涼風くんと話す機会もめっきり減っていた。
 私は特に咲妃莉に対してできることはない。咲妃莉の友達にも話しかけづらいし、咲妃莉は私のRUINをブロックしているらしいので、メッセージを送ってもどうしようもないことはずいぶん前に確認済みだ。だから、すべて水面下で調整をしてくれていると思しき涼風くんに、任せるしかなくて。それがすごく歯がゆかった。だから、涼風くんの久しぶりのお誘いに飛びついた。
 私は部活が終わってすぐ、いつもの公園に向かった。そこで涼風くんが来るのを待ちながら、空を見上げる。いつも私たちを包む空。もうあたりは真っ暗で、空の色も暗い。そこにちりばめられた星は、とてもきれいだ。私はそっと、ポケットに入っているハンカチをポケットの中で握る。涼風くんがくれたハンカチは、私のお守りだ。
「お待たせ」
 息を弾ませながら、涼風くんは来てくれた。私は微笑んで、ベンチを指し示す。二人でベンチに腰掛けながら、夜の冷たい空気を感じた。どんな話をするんだろう。咲妃莉関連かな。それとも、いつもの何気ない話? 少し緊張しながら、涼風くんが話すのを待った。
「創立記念の日」
 ぽつり、と呟かれる。え? と私は問いかける。
「学校に、来てほしい」
 何も言われない。詳しいことも、理由も。ただ静かに、涼風くんが私を見つめる。どうやら、用件はこれだけのようだった。私は少し考える。涼風くんは、何を想ってこういうことを提案しているのだろう。恐らく、咲妃莉関連だとは思うけど。でも、もう少し詳しく教えてもらってもいいんじゃ……でも、もう一人の私が反論する。涼風くんを信じようよ。きっと、うまく調整してくれたんだよ。
「わかった。……詳しいことは?」
「……話したほうがいいかな」
「できれば」
 私はそう願った。涼風くんは少し迷うように、地面に視線を落とす。やがて緩く首を振ると、頷く。そして、計画を話してくれた。それは、単純なものだった。ただ、想いを伝えるだけ。ただ、それだけ。でも、その場に行くまでが、だいぶ大変そうだった。
「結構難しいことだとは思うよ。でも、立水さんは、やっぱり夜見さんたちをすごく悪く思ってるわけじゃないみたいだ」
 涼風くんは独り言のようにつぶやく。咲妃莉のあの笑顔と、わざわざ話しかけてくる態度。もし本当に嫌いなら、避ける行動を選ぶだろう。だから、少し気があるのでは……と、期待している自分も少なからずいた。
「話してみようよ。そうすれば、きっと夜見さんは……もっと、笑ってくれるかな」
 え? と私は涼風くんを見た。涼風くんは優しく微笑んで、私の手をそっと握る。その手が、思ったより暖かかった。昔手を握ったときの冷たさとは、真逆だ。
「夜見さんは、最近なんだかずっとそわそわしてて……月守さんもああなっちゃってるから仕方がないとは思うけど、そのせいか、ずっと表情が暗いんだ」
 私は、表情を自分で作るのが苦手だ。だから……最近笑顔を浮かべられていないだろうっていうこともわかってはいた。だけど……涼風くんに心配させちゃっていたのは、なんだか悪い気がするな。私がそう思って俯いていると、ほら、と涼風くんは苦笑する。
「ずっと思ってたんだよ……夜見さんは、どこか無理をしてる感じがしてたから」
 さらりと、涼風くんは初めて私への印象を話してくれる。私はびっくりして顔を上げた。言えなくてごめんね、と涼風くんは謝って、私じゃない、どこか遠くのほうを見る。
「僕のことを一生懸命考えてくれて……時々苦しそうな表情を見せたり、明るい表情を見せたり。照れたり、泣いたり、怒ったり、困ったり。喜怒哀楽がはっきりしてて、見ていてなぜか心が軽くなって……でも、いつも、何かに怯えているように見えた」
 涼風くんの言葉に、私は頷いた。怖さというのは、常に私のそばにある。失敗するのが怖い、嫌われるのが怖い、傷つけるのが怖い、助けるのが怖い、怖い、怖い、怖い……その中には、咲妃莉のことや、風のことも入っているだろう。
 臆病者で、自分勝手で、自分を過大評価していた私は、どんどんどんどん失敗を積み重ねていっては、それを勝手に怖さへと変えていった。乗り越えるべき壁を、自分でどんどん作って、それが苦しくて……
「そういうところを、僕は守りたかった」
 涼風くんが私のほうに手を伸ばして、ぎゅっと抱きしめてくれた。それでいつの間にか、私が震えていたことに気が付いた。
「怖い……咲妃莉と話すのは、怖いよ」
言葉が、勝手にこぼれる。
「でも、踏み出さなきゃ始まらないじゃないか」
 涼風くんの囁き声が、それにこたえる。
「踏み出すのは怖いよ」
 私は声が震えるのを抑えきれずに、そう呟く。
「誰だって怖いさ」
 おどけるように、涼風くんは答える。
「じゃあ、人より怖がりな私は無理だよ」
 弱気になった心のまま、そう弱音を吐く。
「大丈夫。きっとできるよ」
 根拠がわからない励ましは、どうしても信じられなくて。
「できない」
 吐き捨てるように言う。
「できる」
 すぐに言葉が返ってくる。
「できないって」
 私は再び言う。
「できるよ、だって……」
 涼風くんは私の言葉なんか意にも介さずに言った。私は、次の言葉を待つ。
「だって、僕も一緒だったから」
「……え?」
 思いがけない言葉に、私は問い返す。涼風くんが少し抱く力を緩める。私は涼風くんの胸の中で、涼風くんを見上げる。涼風くんの煌めく光を宿した瞳は、私を静かに見下ろしている。
「僕も怖かった。でも、夜見さんが励ましてくれたでしょ」
「……いつのこと?」
「ここでもみ合った時のこと」
 涼風くんがおかしそうに笑う。
「その時だけじゃない。出会った時からずっと、夜見さんは約束を守ってくれた。ずっと、僕の味方でいてくれた」
 その笑みは、段々と柔らかな、優しい笑顔に変わっていって。私は、それを見て、なぜかすごく安心してしまって。
「だから今度は、僕が味方になるから」
 涼風くんの確固たる意志を持った、力がこもった声が、私の胸の中にすっと納まる。
「今なら言える。僕は……ずっと、夜見さんの味方だ」
 だから、と笑う。
「一緒に頑張ってみようよ」