誰もいない、路地裏のような場所。天黎は壁に寄りかかり、一条くんと涼風くんは腕を組みながら立ち、私は頭を壁に預けながら、ぼーっと空を見ていた。
「落ち着いたか、天黎」
「うん……」
天黎は一条くんが買ってきてくれたペットボトルの水を飲むと、うなだれた。私はあの咲妃莉の涙の跡と思しきものを見てから、咲妃莉の寂しそうな笑顔を見てから、胸に何かが突っかかっているような感触をずっと感じていて、気分が悪かった。
「夜見さんも、月守さんも。立水さんに会ったとき、様子がおかしかったよ。何かあったの?」
涼風くんに問われたが、天黎は黙ったままだ。聞きたくもないのか、着ていたパーカーのフードを被ると、ずるずると座り込む。私はそんな天黎の様子が少し心配だ。天黎はいつもこんな反応をするけど、彼女が具体的にどのようなことをされたのか、全く聞いたことがないのだ。でも、天黎が話さないなら、私が話すしかない。一条くんと涼風くん、二人の視線が私に集まる。
「これはあくまでも、私の主観なんだけど……」
私はそう前置きをしてから話し出す。涼風くんと一条くんは、耳を傾けた。
咲妃莉と出会ったのは小学三年生の時。そのころすでに、私と天黎は大親友だった。男勝りで活発な咲妃莉と、女の子らしく少しおとなしい私というように、私たちはどこまでも正反対だった。考えが衝突することも多く、何度も喧嘩をした。咲妃莉は意見を強く持っているから、よくクラスメイトと衝突して、みんなから避けられがちだった。
でも、私にとって、咲妃莉は好きなものが一緒だから、ある意味大切な友人だった。好きなアニメ、本、歌……そして、咲妃莉は私に優しく接することも多かった。もしかしたら、咲妃莉も私に何かを、見い出してくれていたのかもしれない。
だから、咲妃莉が好きだったから、私は咲妃莉に手を差し出したのだ。咲妃莉は私の手を取ってくれた。私は咲妃莉に天黎を紹介し、三人で少しずつ行動を共にするようになった。少し苦手な部分はあるけれど、それ以外で一緒にいるといいことが大きかったから。中学でも一緒になって、高校も一緒のところを受けて……三人で受かったときは、私は嬉しくて大喜びしたものだ。
……でも私は、咲妃莉と天黎の間に広がる深い溝に、高校に上がるまで、気づかなかった。気づこうともしなかったし、気づけなかった。
これは、いつか天黎から断片的に聞いたものだ。天黎にとって、私は一番大切な人らしい。天黎は私に救われて、だから咲妃莉と一緒にいたいという私の願いを受け入れた。でも、私と違って、咲妃莉の考え方は天黎には合わなかった。天黎はだんだん私を取られているような、そんな心地になった。天黎は我慢していたけれど、あるとき、咲妃莉がこぼした言葉があったそうだ。それをきっかけに、天黎の心の糸は切れ、二人は会話をしなくなった。
無知で自分勝手だった私は、三人で行動を共にしようとした。でも、だんだん天黎は私を放さなくなり、咲妃莉は私と天黎から離れ、別のグループで共に行動するようになった。私は困惑した。なぜ、一緒にいられないのだろう。なぜ、変わってしまうのだろう。私は変化が怖かった。だから、変わらないようにしたかった。
ある日、私は咲妃莉がほかのグループの子と話しているのを聞いた。
「咲妃莉は灯鞠ちゃんのことどう思ってるの? 仲良かったんでしょ? 親友とかじゃないの?」
「別に。あっちが来てくれたから、それに乗っかってただけ。ボクにとっては普通の友達だよ」
愕然とした。私と咲妃莉ではお互いの関係のとらえ方まで違ったの?
……変わって、しまったの。
私は咲妃莉を呼び出した。そして問い詰めた。なぜ今まで一緒にいてくれたのに急に離れてしまったのか。咲妃莉は私のことをどう思っているのか。何か悪いことでもしたのか。質問を重ねる私を、咲妃莉は冷めた目で見る。
「ボクはそういうところが苦手だ。おせっかいで、何でもかんでも口を出してきて……正直に言う。うざい」
「……私は、咲妃莉のためを思って……!」
結局、私は傲慢だったというだけなのだ。すべてが私による押し付け。咲妃莉は正論を言ったに過ぎない。喧嘩別れをして、部室に行って、荷物を取って屋上に逃げて……
「灯鞠」
天黎が静かに私の名を呼んだ。屋上で私を待っていた天黎は、すべての話を聞いて、うつむいた。
「灯鞠。私は灯鞠の味方。ずっと一緒にいよう」
私は、天黎が抱きしめてくれた、その熱が心地よくて、身を預けた。
「だからね……全部、私が悪いの。私が天黎と咲妃莉を傷つけて……だから、本当は私が悲しむ資格なんてないの。こうして天黎を苦しめてるのは、全部私のせいなのに……」
そう言いながらも、私の顔はゆがむ。涙があふれそうになるのを、必死でこらえる。本当に……昔の私は、ばかだ。世間知らずで、自分勝手で、未熟で。自分のことばっかりで、相手の気持ちなんて考えているようで考えてなかった。
「灯鞠は、悪くないっていつも言ってるでしょ」
天黎がぼそっと呟く。私は首を振る。
「私のせいだよ。ごめんね、天黎」
「謝らないでよ……」
天黎もいつの間にか泣いていた。あたりに満ちる、重苦しい空気。それが苦しくて、なんだか息がしづらくて。だから、不意に突風が吹き抜けた時、本当に息ができなくなった。
「……夜見さん?」
私は口を押さえて、風が吹いてくるほうに背を向ける。すぐそばに涼風くんが来てくれて、そっと背中に手を当ててくれる。それだけで、少し呼吸が楽になる。
「……風、苦手?」
「……うん」
風も少しおさまって、呼吸も元に戻って、その時初めて、私は口元から手を放す。いろいろなことが重なって、くらくらする頭でぼーっと考える。なんで咲妃莉は寂しそうな、悲しそうな顔をしたんだろう。私のことを見るとそう思っちゃうのかな。私がやっぱり悪いのかな。
「つまり、立水が天黎と灯鞠ちゃんの苦しみの元凶なんだな?」
「……言い方は悪いけど。でも、灯鞠はまだ咲妃莉のこと気にしてるみたいだよ。……そうじゃなきゃ、あんなに苦しそうな顔しないでしょ」
一条くんの確認するような言葉に、天黎は苦笑しながら説明を加えた。
「灯鞠は優しいの。昔からずっと。確かに自分勝手なところはあったと思う。でも、それくらいなんてことない。灯鞠は私にもっと大きなものをくれる。だから、少しくらい勝手にしてもらわないといけないの」
天黎は謳うように言葉を紡ぐ。私はようやくはっきりしてきた頭で、改めて否定の言葉を言おうとして、思いとどまった。別に、否定しなきゃいけないほどじゃない。
「夜見さんは、立水さんに何かしてあげたいの?」
涼風くんが私に問うた。私は言っている意味が分からず、目を瞬かせる。一条くんと天黎も、不思議そうに涼風くんを見る。涼風くんは少し考えた後に、少し苦しそうな顔をしながら言った。
「だって、さっきからずっと……夜見さんの顔が、苦しそうなままなんだ。それは……僕を、助けようとしてくれている時の夜見さんに似てる」
私は、はっと目を見開いた。そんな顔してるなんてこと、私は知らなかった。気づいてなかったでしょ、と涼風くんは言った。
「夜見さんはいつも誰かのことで一生懸命だ……僕は、今日話してくれるまで、見るまで、夜見さんが抱える苦しみをわかってあげられなかった。僕の苦しみは夜見さんが和らげてくれる。でも、夜見さんの苦しみはだれも和らげてはくれない……」
「いいんだよ、それで」
私は笑う。仕方がないんだ。私は、苦しまなきゃいけない。そう……私の犯した、人生最大の過ちなのだから。和らげなくていい。私は……みんなを救わなきゃいけない。助けなきゃいけない。それが、私にできる唯一の償いで。でも、それですらエゴに過ぎなくて。いっそのこと、もう、消えたいと思ったこともある。
「消えたい……」
つぶやく。消えるという表現が、私は好きだ。すべてを消して、やり直して……ああでも、まっさらな状態なら、私はまた、過ちを繰り返すんだろう。それなら、やり直すくらいなら、すべてなくなったほうが楽だ。
「灯鞠、だめだよ、そういうこと言っちゃ」
天黎が顔を上げて、私の言を咎めた。私はもう何も言わない。こう暗い気持ちになるのは、何度目だろう。そしてこの後はいつも……何かがあって、この気持ちが薄れてしまう。そしたらもうしばらく……その思いは、掴みに行けない。
後悔。そう、後悔だ。私が咲妃莉を見るたびに抱く感情は、後悔。身を焼き焦がし、脳が茹で上がるほどの。
「灯鞠ちゃん……」
一条くんの呟きも風に流される。また、沈黙。
「変えよう」
涼風くんがつぶやいた。そして、ぼんやりとしている私を見る。
「変えるんだ。今、この状況を。夜見さんが、苦しまずに済むように」
「落ち着いたか、天黎」
「うん……」
天黎は一条くんが買ってきてくれたペットボトルの水を飲むと、うなだれた。私はあの咲妃莉の涙の跡と思しきものを見てから、咲妃莉の寂しそうな笑顔を見てから、胸に何かが突っかかっているような感触をずっと感じていて、気分が悪かった。
「夜見さんも、月守さんも。立水さんに会ったとき、様子がおかしかったよ。何かあったの?」
涼風くんに問われたが、天黎は黙ったままだ。聞きたくもないのか、着ていたパーカーのフードを被ると、ずるずると座り込む。私はそんな天黎の様子が少し心配だ。天黎はいつもこんな反応をするけど、彼女が具体的にどのようなことをされたのか、全く聞いたことがないのだ。でも、天黎が話さないなら、私が話すしかない。一条くんと涼風くん、二人の視線が私に集まる。
「これはあくまでも、私の主観なんだけど……」
私はそう前置きをしてから話し出す。涼風くんと一条くんは、耳を傾けた。
咲妃莉と出会ったのは小学三年生の時。そのころすでに、私と天黎は大親友だった。男勝りで活発な咲妃莉と、女の子らしく少しおとなしい私というように、私たちはどこまでも正反対だった。考えが衝突することも多く、何度も喧嘩をした。咲妃莉は意見を強く持っているから、よくクラスメイトと衝突して、みんなから避けられがちだった。
でも、私にとって、咲妃莉は好きなものが一緒だから、ある意味大切な友人だった。好きなアニメ、本、歌……そして、咲妃莉は私に優しく接することも多かった。もしかしたら、咲妃莉も私に何かを、見い出してくれていたのかもしれない。
だから、咲妃莉が好きだったから、私は咲妃莉に手を差し出したのだ。咲妃莉は私の手を取ってくれた。私は咲妃莉に天黎を紹介し、三人で少しずつ行動を共にするようになった。少し苦手な部分はあるけれど、それ以外で一緒にいるといいことが大きかったから。中学でも一緒になって、高校も一緒のところを受けて……三人で受かったときは、私は嬉しくて大喜びしたものだ。
……でも私は、咲妃莉と天黎の間に広がる深い溝に、高校に上がるまで、気づかなかった。気づこうともしなかったし、気づけなかった。
これは、いつか天黎から断片的に聞いたものだ。天黎にとって、私は一番大切な人らしい。天黎は私に救われて、だから咲妃莉と一緒にいたいという私の願いを受け入れた。でも、私と違って、咲妃莉の考え方は天黎には合わなかった。天黎はだんだん私を取られているような、そんな心地になった。天黎は我慢していたけれど、あるとき、咲妃莉がこぼした言葉があったそうだ。それをきっかけに、天黎の心の糸は切れ、二人は会話をしなくなった。
無知で自分勝手だった私は、三人で行動を共にしようとした。でも、だんだん天黎は私を放さなくなり、咲妃莉は私と天黎から離れ、別のグループで共に行動するようになった。私は困惑した。なぜ、一緒にいられないのだろう。なぜ、変わってしまうのだろう。私は変化が怖かった。だから、変わらないようにしたかった。
ある日、私は咲妃莉がほかのグループの子と話しているのを聞いた。
「咲妃莉は灯鞠ちゃんのことどう思ってるの? 仲良かったんでしょ? 親友とかじゃないの?」
「別に。あっちが来てくれたから、それに乗っかってただけ。ボクにとっては普通の友達だよ」
愕然とした。私と咲妃莉ではお互いの関係のとらえ方まで違ったの?
……変わって、しまったの。
私は咲妃莉を呼び出した。そして問い詰めた。なぜ今まで一緒にいてくれたのに急に離れてしまったのか。咲妃莉は私のことをどう思っているのか。何か悪いことでもしたのか。質問を重ねる私を、咲妃莉は冷めた目で見る。
「ボクはそういうところが苦手だ。おせっかいで、何でもかんでも口を出してきて……正直に言う。うざい」
「……私は、咲妃莉のためを思って……!」
結局、私は傲慢だったというだけなのだ。すべてが私による押し付け。咲妃莉は正論を言ったに過ぎない。喧嘩別れをして、部室に行って、荷物を取って屋上に逃げて……
「灯鞠」
天黎が静かに私の名を呼んだ。屋上で私を待っていた天黎は、すべての話を聞いて、うつむいた。
「灯鞠。私は灯鞠の味方。ずっと一緒にいよう」
私は、天黎が抱きしめてくれた、その熱が心地よくて、身を預けた。
「だからね……全部、私が悪いの。私が天黎と咲妃莉を傷つけて……だから、本当は私が悲しむ資格なんてないの。こうして天黎を苦しめてるのは、全部私のせいなのに……」
そう言いながらも、私の顔はゆがむ。涙があふれそうになるのを、必死でこらえる。本当に……昔の私は、ばかだ。世間知らずで、自分勝手で、未熟で。自分のことばっかりで、相手の気持ちなんて考えているようで考えてなかった。
「灯鞠は、悪くないっていつも言ってるでしょ」
天黎がぼそっと呟く。私は首を振る。
「私のせいだよ。ごめんね、天黎」
「謝らないでよ……」
天黎もいつの間にか泣いていた。あたりに満ちる、重苦しい空気。それが苦しくて、なんだか息がしづらくて。だから、不意に突風が吹き抜けた時、本当に息ができなくなった。
「……夜見さん?」
私は口を押さえて、風が吹いてくるほうに背を向ける。すぐそばに涼風くんが来てくれて、そっと背中に手を当ててくれる。それだけで、少し呼吸が楽になる。
「……風、苦手?」
「……うん」
風も少しおさまって、呼吸も元に戻って、その時初めて、私は口元から手を放す。いろいろなことが重なって、くらくらする頭でぼーっと考える。なんで咲妃莉は寂しそうな、悲しそうな顔をしたんだろう。私のことを見るとそう思っちゃうのかな。私がやっぱり悪いのかな。
「つまり、立水が天黎と灯鞠ちゃんの苦しみの元凶なんだな?」
「……言い方は悪いけど。でも、灯鞠はまだ咲妃莉のこと気にしてるみたいだよ。……そうじゃなきゃ、あんなに苦しそうな顔しないでしょ」
一条くんの確認するような言葉に、天黎は苦笑しながら説明を加えた。
「灯鞠は優しいの。昔からずっと。確かに自分勝手なところはあったと思う。でも、それくらいなんてことない。灯鞠は私にもっと大きなものをくれる。だから、少しくらい勝手にしてもらわないといけないの」
天黎は謳うように言葉を紡ぐ。私はようやくはっきりしてきた頭で、改めて否定の言葉を言おうとして、思いとどまった。別に、否定しなきゃいけないほどじゃない。
「夜見さんは、立水さんに何かしてあげたいの?」
涼風くんが私に問うた。私は言っている意味が分からず、目を瞬かせる。一条くんと天黎も、不思議そうに涼風くんを見る。涼風くんは少し考えた後に、少し苦しそうな顔をしながら言った。
「だって、さっきからずっと……夜見さんの顔が、苦しそうなままなんだ。それは……僕を、助けようとしてくれている時の夜見さんに似てる」
私は、はっと目を見開いた。そんな顔してるなんてこと、私は知らなかった。気づいてなかったでしょ、と涼風くんは言った。
「夜見さんはいつも誰かのことで一生懸命だ……僕は、今日話してくれるまで、見るまで、夜見さんが抱える苦しみをわかってあげられなかった。僕の苦しみは夜見さんが和らげてくれる。でも、夜見さんの苦しみはだれも和らげてはくれない……」
「いいんだよ、それで」
私は笑う。仕方がないんだ。私は、苦しまなきゃいけない。そう……私の犯した、人生最大の過ちなのだから。和らげなくていい。私は……みんなを救わなきゃいけない。助けなきゃいけない。それが、私にできる唯一の償いで。でも、それですらエゴに過ぎなくて。いっそのこと、もう、消えたいと思ったこともある。
「消えたい……」
つぶやく。消えるという表現が、私は好きだ。すべてを消して、やり直して……ああでも、まっさらな状態なら、私はまた、過ちを繰り返すんだろう。それなら、やり直すくらいなら、すべてなくなったほうが楽だ。
「灯鞠、だめだよ、そういうこと言っちゃ」
天黎が顔を上げて、私の言を咎めた。私はもう何も言わない。こう暗い気持ちになるのは、何度目だろう。そしてこの後はいつも……何かがあって、この気持ちが薄れてしまう。そしたらもうしばらく……その思いは、掴みに行けない。
後悔。そう、後悔だ。私が咲妃莉を見るたびに抱く感情は、後悔。身を焼き焦がし、脳が茹で上がるほどの。
「灯鞠ちゃん……」
一条くんの呟きも風に流される。また、沈黙。
「変えよう」
涼風くんがつぶやいた。そして、ぼんやりとしている私を見る。
「変えるんだ。今、この状況を。夜見さんが、苦しまずに済むように」



