午後六時、部活終わり。私は天黎と音恋ちゃんに見送られ、また裏庭に来ていた。緊張のせいで、心臓の音が大きく聞こえる。何を話そうか。どこから話そうか。ぐるぐると思考が頭の中を回る。空を見上げながら、でもどこか別のところをにらみながら。立っていた私に、誰かが近づいてくる。私はそれに、気づかなかった。
「お待たせ」
だから、息を切らせながら裏庭に入ってきた涼風くんの声に驚いて、「ひゃっ」と悲鳴じみた声をあげてしまった。悲鳴を向けられた涼風くんは、一歩後ずさった後、息を整えながら、困ったように頭をかいて、苦笑を浮かべた。
「ごめん、驚かせちゃった?」
「あ、ううん……考え事してた、私も悪いから」
なんとか笑顔のようなものを浮かべてみるけれど、彼と違ってうまく笑顔を浮かべることができなかった。涼風くんは手近にあった壁に寄りかかって、私の方を見て首を傾げる。
「それで、話したいことって?」
「あ、えっと……昨日のこと、なんだけど」
促されて、私が口にすると、涼風くんは表情を強張らせた。ゆっくりと、困ったように眉が下げられた。でも、その口元には、笑顔が浮かんだまま。
「そのことが、どうしたの?」
涼風くんが、静かな声で尋ねた。
胸のあたりが、やけに苦しく感じる。やっぱり、こうして話すことは間違いだったんじゃないか。ただ、涼風くんを傷つけるだけじゃないか。でも、誰にも言わないで、って言っていたから、触れちゃダメっていうわけではなかったよね……
再び自分の中で、勝手に考えを巡らせながら、昨日のことを思い返す。必死に自分の逃げ出したいと感じる気持ちを抑える。ここまで来てしまったんだから、引き返すわけにはいかない。
「その……」
口が乾いて、うまく舌が動いてくれない。じりじりと肌を刺すように焼いてくる日差しが、やけに目障りに感じられる。左手を右手首のほうにあてながら、じゃり、と後ずさりする。
「もし、よければ、なんだけど……」
涼風くんの顔が直視できなくて、俯いた。私に踏みつけられた雑草と、近くに転がる石ころだけが、私を見返す。
「その……」
ああ、なんで言えないんだろう。涼風くんの時間を使わせてもらっているのに、こうもうじうじ悩んでしまう怖がりな私が嫌だ。目の前に人がいるのに、いつもみたいに自己嫌悪に陥ってしまっていると、私の耳が涼風くんがこちらに歩いてくる音をとらえた。そして、視界に入る、見知らぬ誰かの靴。
「夜見さん」
続いて、優しい声。思わず顔を上げてしまう。優しく微笑んで、涼風くんは私を見つめていた。その顔が綺麗で、私はぐっと息をつめた。
「言いたいことがあるなら、言っちゃって。僕も気になっちゃうからさ」
その言葉選びは、どこまでも丁寧で。決して私を追い詰めないように、配慮されている言葉だと、なんとなくわかった。ふわっと、夜風が私の頬を撫でる。夜風の中で、風と涼風くんに促されるように、私の口は動いた。
「力になりたいんだ」
涼風くんの瞳が見開かれた。瞳の奥の光が、かすかに揺らいで。
「涼風くん……なんだか、大変そうだったから」
私が気まずくなって視線を横に逸らしながらそう言うと、涼風くんもそっと私から視線を外した。しばらく私たちは、近い距離で、お互いにそっぽを向きながら黙っていた。
「どんな風に力になってくれるの?」
長い沈黙を破って、涼風くんが私に尋ねた言葉は、とても不安に満ちた声で紡がれた。ハッとして涼風くんの顔を見る。
キュッと引き結ばれた薄い唇。じっと私を見つめてくる、光を写して煌めく焦げ茶の瞳。眉根を寄せて、だけどどこか悲しげに、下げられている眉。
幼い子供に見えた。なぜそう見えたかはわからないけど。今私の前に立っている涼風くんは、いつも教室で見る涼風くんではないように思えた。そして、私の中にある、助けたいという思いが、掻き立てられるように強くなった。
「……大したことは、できないと思うんだ」
私は何も話そうとしない喉を無理やり押し開くようにして、声を絞り出した。涼風くんを見つめながら、心に少しでも届くようにと、必死で言葉を紡ぐ。
「でも、話を聞くくらいなら、できる。困っていることでもいいし、日常のなんともない会話でもいい……でも、これは本当に、要らないことかもしれない。根本的な解決にはならないし、すごいお節介だってこともわかってる。……だから、涼風くんが迷惑だって思うなら、要らないって言ってくれていい。私に遠慮しなくていいから」
早口にまくし立てた。そうじゃないと、言葉が出てきてくれる気がしなかった。言い終えてから、深いため息を吐きたい衝動に駆られる。
なんで私はいつもうまく振る舞えないんだろう。他の友達と話す時だってそう。頭の中でシュミレーションした時は、RUINで話す時はうまくいくのに、現実世界になるとうまくいかない。
「ごめん、早口になっちゃって……」
自己嫌悪の中謝って、ぎゅっと手を握りしめた。理想通りではなかったけれど、言いたかったことは、言えた。あとは、涼風くんが本当にそれを望んでくれるかどうかだ。
そんなお節介しなくていいから、と言うかもしれない。余計なお世話だ、って言うかもしれない。夜見さんが考えてくれたなら、って言うかもしれない。色々な想像が、私の頭の中を駆け巡る。でも、涼風くんが本当に発したのは……
「……いいの?」
心細そうに瞳を揺らしながら、不安に満ちた声で、涼風くんは私に問いかけた。
不意に、私の頭の中に鮮明なイメージが描き出された。小さな男の子だった。焦げ茶の瞳いっぱいに涙を溜めて、小さくか細い声で、何かを叫んでいる。迷子のような、男の子。その男の子が、目の前の涼風くんと重なった。
だから、私は自然と手を伸ばして、涼風くんの手を取っていた。最近は、お父さんの手すらも触れていなかった。久しぶりに触れた男の手は、大きくて、骨が感じられて、安心感がある手で。心がふわっと、温かくなる。
「いいよ」
思い通りの優しい声が、私の口から出てくれる。精一杯、優しいほほえみを浮かべてみる。涼風くんに一歩、近づく。
「ここで話をしよう。涼風くんが、それで楽になるのなら」
自分でも恥ずかしいくらいのセリフだ。どこかの歌や小説で聞いたような言葉。普通の人が聞いたら、なんだよそれ、と冷めてしまいそうな言葉。
でも、涼風くんは、嬉しそうに目を細めてくれるのだ。
「じゃあ、頼んじゃうね。夜見さん」
その声が、しばらく頭から離れなかった。
「お待たせ」
だから、息を切らせながら裏庭に入ってきた涼風くんの声に驚いて、「ひゃっ」と悲鳴じみた声をあげてしまった。悲鳴を向けられた涼風くんは、一歩後ずさった後、息を整えながら、困ったように頭をかいて、苦笑を浮かべた。
「ごめん、驚かせちゃった?」
「あ、ううん……考え事してた、私も悪いから」
なんとか笑顔のようなものを浮かべてみるけれど、彼と違ってうまく笑顔を浮かべることができなかった。涼風くんは手近にあった壁に寄りかかって、私の方を見て首を傾げる。
「それで、話したいことって?」
「あ、えっと……昨日のこと、なんだけど」
促されて、私が口にすると、涼風くんは表情を強張らせた。ゆっくりと、困ったように眉が下げられた。でも、その口元には、笑顔が浮かんだまま。
「そのことが、どうしたの?」
涼風くんが、静かな声で尋ねた。
胸のあたりが、やけに苦しく感じる。やっぱり、こうして話すことは間違いだったんじゃないか。ただ、涼風くんを傷つけるだけじゃないか。でも、誰にも言わないで、って言っていたから、触れちゃダメっていうわけではなかったよね……
再び自分の中で、勝手に考えを巡らせながら、昨日のことを思い返す。必死に自分の逃げ出したいと感じる気持ちを抑える。ここまで来てしまったんだから、引き返すわけにはいかない。
「その……」
口が乾いて、うまく舌が動いてくれない。じりじりと肌を刺すように焼いてくる日差しが、やけに目障りに感じられる。左手を右手首のほうにあてながら、じゃり、と後ずさりする。
「もし、よければ、なんだけど……」
涼風くんの顔が直視できなくて、俯いた。私に踏みつけられた雑草と、近くに転がる石ころだけが、私を見返す。
「その……」
ああ、なんで言えないんだろう。涼風くんの時間を使わせてもらっているのに、こうもうじうじ悩んでしまう怖がりな私が嫌だ。目の前に人がいるのに、いつもみたいに自己嫌悪に陥ってしまっていると、私の耳が涼風くんがこちらに歩いてくる音をとらえた。そして、視界に入る、見知らぬ誰かの靴。
「夜見さん」
続いて、優しい声。思わず顔を上げてしまう。優しく微笑んで、涼風くんは私を見つめていた。その顔が綺麗で、私はぐっと息をつめた。
「言いたいことがあるなら、言っちゃって。僕も気になっちゃうからさ」
その言葉選びは、どこまでも丁寧で。決して私を追い詰めないように、配慮されている言葉だと、なんとなくわかった。ふわっと、夜風が私の頬を撫でる。夜風の中で、風と涼風くんに促されるように、私の口は動いた。
「力になりたいんだ」
涼風くんの瞳が見開かれた。瞳の奥の光が、かすかに揺らいで。
「涼風くん……なんだか、大変そうだったから」
私が気まずくなって視線を横に逸らしながらそう言うと、涼風くんもそっと私から視線を外した。しばらく私たちは、近い距離で、お互いにそっぽを向きながら黙っていた。
「どんな風に力になってくれるの?」
長い沈黙を破って、涼風くんが私に尋ねた言葉は、とても不安に満ちた声で紡がれた。ハッとして涼風くんの顔を見る。
キュッと引き結ばれた薄い唇。じっと私を見つめてくる、光を写して煌めく焦げ茶の瞳。眉根を寄せて、だけどどこか悲しげに、下げられている眉。
幼い子供に見えた。なぜそう見えたかはわからないけど。今私の前に立っている涼風くんは、いつも教室で見る涼風くんではないように思えた。そして、私の中にある、助けたいという思いが、掻き立てられるように強くなった。
「……大したことは、できないと思うんだ」
私は何も話そうとしない喉を無理やり押し開くようにして、声を絞り出した。涼風くんを見つめながら、心に少しでも届くようにと、必死で言葉を紡ぐ。
「でも、話を聞くくらいなら、できる。困っていることでもいいし、日常のなんともない会話でもいい……でも、これは本当に、要らないことかもしれない。根本的な解決にはならないし、すごいお節介だってこともわかってる。……だから、涼風くんが迷惑だって思うなら、要らないって言ってくれていい。私に遠慮しなくていいから」
早口にまくし立てた。そうじゃないと、言葉が出てきてくれる気がしなかった。言い終えてから、深いため息を吐きたい衝動に駆られる。
なんで私はいつもうまく振る舞えないんだろう。他の友達と話す時だってそう。頭の中でシュミレーションした時は、RUINで話す時はうまくいくのに、現実世界になるとうまくいかない。
「ごめん、早口になっちゃって……」
自己嫌悪の中謝って、ぎゅっと手を握りしめた。理想通りではなかったけれど、言いたかったことは、言えた。あとは、涼風くんが本当にそれを望んでくれるかどうかだ。
そんなお節介しなくていいから、と言うかもしれない。余計なお世話だ、って言うかもしれない。夜見さんが考えてくれたなら、って言うかもしれない。色々な想像が、私の頭の中を駆け巡る。でも、涼風くんが本当に発したのは……
「……いいの?」
心細そうに瞳を揺らしながら、不安に満ちた声で、涼風くんは私に問いかけた。
不意に、私の頭の中に鮮明なイメージが描き出された。小さな男の子だった。焦げ茶の瞳いっぱいに涙を溜めて、小さくか細い声で、何かを叫んでいる。迷子のような、男の子。その男の子が、目の前の涼風くんと重なった。
だから、私は自然と手を伸ばして、涼風くんの手を取っていた。最近は、お父さんの手すらも触れていなかった。久しぶりに触れた男の手は、大きくて、骨が感じられて、安心感がある手で。心がふわっと、温かくなる。
「いいよ」
思い通りの優しい声が、私の口から出てくれる。精一杯、優しいほほえみを浮かべてみる。涼風くんに一歩、近づく。
「ここで話をしよう。涼風くんが、それで楽になるのなら」
自分でも恥ずかしいくらいのセリフだ。どこかの歌や小説で聞いたような言葉。普通の人が聞いたら、なんだよそれ、と冷めてしまいそうな言葉。
でも、涼風くんは、嬉しそうに目を細めてくれるのだ。
「じゃあ、頼んじゃうね。夜見さん」
その声が、しばらく頭から離れなかった。



