そっと私の体の下に手が入れられて、体を起こされる。わき腹が強く痛んで、思わず呻く。涙にぬれてぼやけた視界の中、すぐ近くに見えたのは、涼風くんの顔。左手で涙をぬぐう。ちゃんと見えた涼風くんの顔は、ひどく苦しそうで。
「ごめん……そんなことするつもりじゃ……けがをさせるつもりは、なかった」
そっと、耳に触れられる。ピリッとした痛みとともに、ずきん、とも痛んで。呻くとまた心配をかけるから、ぎゅっと目をつぶって歯を食いしばり、痛みに耐える。痛みがある程度治まって目を開ける。
「僕も……ごめん」
「涼風くんの、せいじゃ……」
「こうしてけがをさせて、泣かせてるのは、僕のせいだ。いや……全部、僕のせいだ」
涼風くんは私をちゃんと地面に座っているような体制へもっていってくれた。そして、左半身のほうに回って、そこへ座る。私の背中へ手をまわし、私を涼風くんのほうへ寄り添わせるようにしてくれる。そのおかげで、私の右半身は少し楽になる。いつのまにか、涙はおさまっていた。
「夜見さんの言うとおりだ。僕は……自分を押し込めた。何も考えないようにした」
ぽつ、ぽつ、と話してくれる。地面を見つめながら涼風くんが紡ぐ言葉に、静かに耳を傾ける。
「辛いことがあったとき……いつも、押し込めてきた。父さんと母さんは味方してくれない。兄貴は自分のことで手一杯。直莉は僕に甘えるほうだ。誰も吐き出す人がいない。一人で何とかするしかない。だから、いつも飲み込んできた。そのほうが楽だから。誰かに思いをぶつけて、互いに傷つくのも嫌だった。それに……どうせ誰も、わかってくれない。それは、父さんと母さんのおかげでよくわかってる」
涼風くんの足かせとなるのは、やっぱり両親だ。肯定されず、否定されて、話を聞いてもらえない。そういう環境に置かれたら、どうしようもない。幼いころの支えとなるのは、やっぱり年長の家族だ。その年長の家族がそんな風に接したら……つぶれるだろう。
「でも……そんな僕の扉をこじ開けたのが、夜見さんだよ。するっと僕の心に入り込んでさ……夜見さんの言葉には、縋ってもいいかなって思う何かがあった。だから、僕は聞いたんだ。いいのって。そしたら、すごいやさしい言葉が返ってきて……この人だったらいいかもしれないって、思った」
私の言葉は、何とか支えになれていたみたいだった。よかった、と呟いてため息を漏らすと、うん、と涼風くんは相槌を打ってくれる。しかし、その表情は、先ほどより暗い。
「でも……あの日、なぜか夜見さんに頼れなかった」
私はそっと、目を閉じた。目の前で変わっていく涼風くんの表情が、ありありと思い出された。自分を閉じ込めて、大丈夫だとほほ笑んで。そして、そんな涼風くんに私は、手を伸ばすことができなかった。
「僕が閉じこもってからの夜見さん、少しおかしかった。だからこそ、かな……余計に頼っちゃダメだって、おもった。……ああ、そうか。夜見さんにもうこれ以上負担かけたくないって思ってて……」
目を開けて、涼風くんの横顔をそっと見た。彼もこちらを見つめていて、視線がかち合う。苦しそうな表情だった。多分私も……同じような表情をしてしまっていたと思う。私たちはしばらく無言で見つめあって、やがてどちらからともなく目をそらした。私は左手で、背中に回してくれている涼風くんの手を掴んだ。それをぎゅっと握る。ため息に見えないように、静かに、そっと、息を吐く。
「私は……大丈夫だって、気にしないでっていつも言ってたけど……それが逆に、心配させちゃってた?」
「かもね」
涼風くんが相槌を打ち、力なく笑う。私も笑みを浮かべてみようとしたけれど、あまりうまくいかなかった。でも、と涼風くんは続けた。
「聞いてくれて、本当に助かったんだ……すごく、楽になれてた。だからこそ……失ってからの日々が、辛くて」
涼風くんも息を吐いた。苦しさを胸から追い出そうとするような、そんなため息だった。私もそれを聞いて、ため息が漏れそうになる。あまりにもため息をつきすぎているので、こらえたけれど。
「どんどんもやもやして、なんだか周りの音が遠くなって……気づけば、皆との距離が開いてたんだ。自分で体を動かしているはずなのに、まるで違う人がしゃべってるみたいに感じて。だから僕は、がむしゃらに動き続けた。どれだけ体が悲鳴を上げようと、動かないと僕が僕でいられなくなりそうだったから」
ぶるっ、と涼風くんの体が震えた。それは恐れからくるものか、十一月の夜の寒さからくるものかはわからない。
「だけど……夜見さんが話しかけてきてくれて、初めて取り戻せそうだった。だけど……なんでだろう、すごい否定的なことばかり話していく。僕は僕を止められなかった。僕じゃない僕が、何とか夜見さんたちから逃げようとして……」
僕じゃない、僕。それは、いったいどういうことだろう。小説でいつしか読んだ、多重人格っていうこと……? それともただ……涼風くんが置かれていた状況が想像しづらくて、私は目をつむって考えようとする。しかしすぐにあきらめた。体験したことのないことは想像しづらいし、今涼風くんが話してくれていることをちゃんと聞いたほうがいいと思ったから。涼風くんは続ける。
「夜見さんと話そうとしたんだけど、全然話すことができなかった。そのうち夜見さんが話してくれたんだけど……夜見さんの言葉がなんだか、がんがん胸に打ち付けられる感じがして……だんだん手を伸ばせそうになったんだけど、夜見さんの最後の叫びで、僕じゃない僕がまた暴れちゃって」
「……あれは、その……ごめん、なんかすごく口調もキツかったし」
「いや、それぐらいがちょうどよかったんだよ」
私の謝罪を、涼風くんは笑って受け流す。彼の表情を見て、驚いた。先ほどのような疲れていそうな表情が、苦しそうな表情が、だいぶ薄れているように見えたのだ。
「僕じゃない僕に、夜見さんはしがみついてくれた。その……夜見さんを傷つけたことで、僕じゃない僕の意思が薄れたんだ。僕は自分を取り戻すことができた。……最低だけどね」
自嘲するような笑みを浮かべて、でも表情は昔のように穏やかで。涼風くんは背中に回している手で、私を自分のほうに抱き寄せた。ふぅ、と涼風くんは息を吐き、コンクリートの上に寝転がった。抱き寄せられていた私の体は、涼風くんに重なるように倒れこむ。涼風くんは、しっかりと私を受け止めてくれて。
至近距離で、彼と目が合う。人とこんなに近いところに来たのは、いつぶりだろう。しかも、異性の友人と。でも、なぜか恥ずかしさは出てこなかった。人とふれあっている……その行為が、私の体から力を抜けさせる。
「ありがとう、夜見さん。僕……もう夜見さんがいないと、ちゃんと生きていけないみたいだ」
涼風くんの瞳から、涙がこぼれた。でも、口元にはすごく優しい笑みが浮かんでいる。そしてそれは、ちゃんと私に向けられていて。それを見て、私の目からも涙があふれだす。
「また泣くの?」
「泣き虫なのは自覚してるもん……」
涼風くんのからかうような言葉に、私はそう言い返した。ふふっ、と泣いているのに、笑みがこぼれた。そして、涼風くんの瞳をしっかりとみた。感情が揺らめく、瞳の奥を。
ふわっと、いつの日かと同じように、夜風が私の頬を撫でて。
「私も……一緒にいたいよ」
囁くように願う。すると、涼風くんは静かに笑って応えてくれる。その笑顔を、肯定の意を受け取って、私は久しぶりに安心を覚えた。それはだんだんと眠気に変わっていく。瞼が重くなって、まどろんでいると、
「夜見さん、寝ちゃダメだって。ここ、コンクリートの上だよ?」
涼風くんが私の体を少し揺さぶって、心配そうに言った。私は微笑む。
「もう少しだけ」
そう、もう少し。もう少し、このまま……
ううん。もう少し、じゃなくて、ずっと。
この一緒にいる時間が……続くと、いいな。
「ごめん……そんなことするつもりじゃ……けがをさせるつもりは、なかった」
そっと、耳に触れられる。ピリッとした痛みとともに、ずきん、とも痛んで。呻くとまた心配をかけるから、ぎゅっと目をつぶって歯を食いしばり、痛みに耐える。痛みがある程度治まって目を開ける。
「僕も……ごめん」
「涼風くんの、せいじゃ……」
「こうしてけがをさせて、泣かせてるのは、僕のせいだ。いや……全部、僕のせいだ」
涼風くんは私をちゃんと地面に座っているような体制へもっていってくれた。そして、左半身のほうに回って、そこへ座る。私の背中へ手をまわし、私を涼風くんのほうへ寄り添わせるようにしてくれる。そのおかげで、私の右半身は少し楽になる。いつのまにか、涙はおさまっていた。
「夜見さんの言うとおりだ。僕は……自分を押し込めた。何も考えないようにした」
ぽつ、ぽつ、と話してくれる。地面を見つめながら涼風くんが紡ぐ言葉に、静かに耳を傾ける。
「辛いことがあったとき……いつも、押し込めてきた。父さんと母さんは味方してくれない。兄貴は自分のことで手一杯。直莉は僕に甘えるほうだ。誰も吐き出す人がいない。一人で何とかするしかない。だから、いつも飲み込んできた。そのほうが楽だから。誰かに思いをぶつけて、互いに傷つくのも嫌だった。それに……どうせ誰も、わかってくれない。それは、父さんと母さんのおかげでよくわかってる」
涼風くんの足かせとなるのは、やっぱり両親だ。肯定されず、否定されて、話を聞いてもらえない。そういう環境に置かれたら、どうしようもない。幼いころの支えとなるのは、やっぱり年長の家族だ。その年長の家族がそんな風に接したら……つぶれるだろう。
「でも……そんな僕の扉をこじ開けたのが、夜見さんだよ。するっと僕の心に入り込んでさ……夜見さんの言葉には、縋ってもいいかなって思う何かがあった。だから、僕は聞いたんだ。いいのって。そしたら、すごいやさしい言葉が返ってきて……この人だったらいいかもしれないって、思った」
私の言葉は、何とか支えになれていたみたいだった。よかった、と呟いてため息を漏らすと、うん、と涼風くんは相槌を打ってくれる。しかし、その表情は、先ほどより暗い。
「でも……あの日、なぜか夜見さんに頼れなかった」
私はそっと、目を閉じた。目の前で変わっていく涼風くんの表情が、ありありと思い出された。自分を閉じ込めて、大丈夫だとほほ笑んで。そして、そんな涼風くんに私は、手を伸ばすことができなかった。
「僕が閉じこもってからの夜見さん、少しおかしかった。だからこそ、かな……余計に頼っちゃダメだって、おもった。……ああ、そうか。夜見さんにもうこれ以上負担かけたくないって思ってて……」
目を開けて、涼風くんの横顔をそっと見た。彼もこちらを見つめていて、視線がかち合う。苦しそうな表情だった。多分私も……同じような表情をしてしまっていたと思う。私たちはしばらく無言で見つめあって、やがてどちらからともなく目をそらした。私は左手で、背中に回してくれている涼風くんの手を掴んだ。それをぎゅっと握る。ため息に見えないように、静かに、そっと、息を吐く。
「私は……大丈夫だって、気にしないでっていつも言ってたけど……それが逆に、心配させちゃってた?」
「かもね」
涼風くんが相槌を打ち、力なく笑う。私も笑みを浮かべてみようとしたけれど、あまりうまくいかなかった。でも、と涼風くんは続けた。
「聞いてくれて、本当に助かったんだ……すごく、楽になれてた。だからこそ……失ってからの日々が、辛くて」
涼風くんも息を吐いた。苦しさを胸から追い出そうとするような、そんなため息だった。私もそれを聞いて、ため息が漏れそうになる。あまりにもため息をつきすぎているので、こらえたけれど。
「どんどんもやもやして、なんだか周りの音が遠くなって……気づけば、皆との距離が開いてたんだ。自分で体を動かしているはずなのに、まるで違う人がしゃべってるみたいに感じて。だから僕は、がむしゃらに動き続けた。どれだけ体が悲鳴を上げようと、動かないと僕が僕でいられなくなりそうだったから」
ぶるっ、と涼風くんの体が震えた。それは恐れからくるものか、十一月の夜の寒さからくるものかはわからない。
「だけど……夜見さんが話しかけてきてくれて、初めて取り戻せそうだった。だけど……なんでだろう、すごい否定的なことばかり話していく。僕は僕を止められなかった。僕じゃない僕が、何とか夜見さんたちから逃げようとして……」
僕じゃない、僕。それは、いったいどういうことだろう。小説でいつしか読んだ、多重人格っていうこと……? それともただ……涼風くんが置かれていた状況が想像しづらくて、私は目をつむって考えようとする。しかしすぐにあきらめた。体験したことのないことは想像しづらいし、今涼風くんが話してくれていることをちゃんと聞いたほうがいいと思ったから。涼風くんは続ける。
「夜見さんと話そうとしたんだけど、全然話すことができなかった。そのうち夜見さんが話してくれたんだけど……夜見さんの言葉がなんだか、がんがん胸に打ち付けられる感じがして……だんだん手を伸ばせそうになったんだけど、夜見さんの最後の叫びで、僕じゃない僕がまた暴れちゃって」
「……あれは、その……ごめん、なんかすごく口調もキツかったし」
「いや、それぐらいがちょうどよかったんだよ」
私の謝罪を、涼風くんは笑って受け流す。彼の表情を見て、驚いた。先ほどのような疲れていそうな表情が、苦しそうな表情が、だいぶ薄れているように見えたのだ。
「僕じゃない僕に、夜見さんはしがみついてくれた。その……夜見さんを傷つけたことで、僕じゃない僕の意思が薄れたんだ。僕は自分を取り戻すことができた。……最低だけどね」
自嘲するような笑みを浮かべて、でも表情は昔のように穏やかで。涼風くんは背中に回している手で、私を自分のほうに抱き寄せた。ふぅ、と涼風くんは息を吐き、コンクリートの上に寝転がった。抱き寄せられていた私の体は、涼風くんに重なるように倒れこむ。涼風くんは、しっかりと私を受け止めてくれて。
至近距離で、彼と目が合う。人とこんなに近いところに来たのは、いつぶりだろう。しかも、異性の友人と。でも、なぜか恥ずかしさは出てこなかった。人とふれあっている……その行為が、私の体から力を抜けさせる。
「ありがとう、夜見さん。僕……もう夜見さんがいないと、ちゃんと生きていけないみたいだ」
涼風くんの瞳から、涙がこぼれた。でも、口元にはすごく優しい笑みが浮かんでいる。そしてそれは、ちゃんと私に向けられていて。それを見て、私の目からも涙があふれだす。
「また泣くの?」
「泣き虫なのは自覚してるもん……」
涼風くんのからかうような言葉に、私はそう言い返した。ふふっ、と泣いているのに、笑みがこぼれた。そして、涼風くんの瞳をしっかりとみた。感情が揺らめく、瞳の奥を。
ふわっと、いつの日かと同じように、夜風が私の頬を撫でて。
「私も……一緒にいたいよ」
囁くように願う。すると、涼風くんは静かに笑って応えてくれる。その笑顔を、肯定の意を受け取って、私は久しぶりに安心を覚えた。それはだんだんと眠気に変わっていく。瞼が重くなって、まどろんでいると、
「夜見さん、寝ちゃダメだって。ここ、コンクリートの上だよ?」
涼風くんが私の体を少し揺さぶって、心配そうに言った。私は微笑む。
「もう少しだけ」
そう、もう少し。もう少し、このまま……
ううん。もう少し、じゃなくて、ずっと。
この一緒にいる時間が……続くと、いいな。



