夜風の中で、君に伝えたいこと。

「灯鞠ちゃん、やっぱりその人のことが好きなんだ?」
「……あの、先輩、さっきは」
「いいのいいの、気にしない気にしない。灯鞠ちゃんも疲れてたんだよ、ね?」
 今、部室の中にいるのは柚月先輩と私だけ。私たちは、天黎を待つために、ドアのほうを向きながら、壁に背を預けて座り込んでいた。天黎は「飲み物買ってくるね」と言って部屋を出て行ってしまった。掃除の時間なのに、柚月先輩は私のためにここにいてくれる。それは嬉しいけど、申し訳ない。しかもさっきは、泣き散らしたばかりなのだ。
 でも、柚月先輩は謝らないでと優しく言ってくれる。その優しさが、今は少し苦しい。柚月先輩はゆらゆらと足の先を揺らしている。正直、柚月先輩のことは大好きだけど、考えていることがよく読めない先輩でもあると思う。こっちの心情を言い当てたり、何かわかっているようなそぶりなのに何も言わなかったり。気づけば柚月先輩のおかげで問題が解決してる、なんてことも多々あって。いったいどういう人生を送ってきてるんだろう、とたまに不思議に思う。
「灯鞠ちゃん。さっき私が言えなかったこと、言ってもいい?」
 柚月先輩の問いに、私はうなずきで答えた。うーん、と、顎に手を当てながら柚月先輩は考え込む。この人は時々、妙にアニメの主人公っぽい動作をする。それがかわいく見えるから先輩は最強すぎるんだけど。
「えーっと、まずは……さっき聞いたこと、もう一回きくね。灯鞠ちゃんは、その人のこと、好き?」
 私はなぜか緊張して、つばを飲み込む。乾いた口で、答える。
「わかりま……せん。私は、恋がどういうものか、好きがどういうものか……実感ができなくて。だけど……彼のことは、守りたいって……役に立ちたいって、そう思って。だから……ちゃんと話す場所を作ってあげられなくて、申し訳なくて……それに、もっと話したいって、思うと、なんか苦しくて」
 私のぼんやりとした回答にも、柚月先輩は何度も頷いてくれた。そっか……と言いながら、再び先輩は考え込む。恋って、本当に何なんだろう。世の中の結婚している人は、なんで相手のことが好きになったんだろう。好きって、どういう基準なの?
「私の基準で言うと、灯鞠ちゃん、結構その人のこと好きだと思うよ。まあ、灯鞠ちゃんはすごくいい子だから、誰にでも尽くしてくれるんだけど……でも、その人のこと話すときの灯鞠ちゃん、目がキラキラしてるように、私には見えたよ」
 柚月先輩は自分の目元を指さしながら、そう説明してくれた。そうか……これは、やっぱり好きなんだ。じゃあ私は、涼風くんのことが好きだったんだ……私が妙に腑に落ちて納得していると、ふふっと、柚月先輩は笑った。
「さっき言ったこと、もう一回言うね。本当に好きなら、その人のことをずっと考えていい。その人にどんなことをしたいか、よく考えればいい」
 さっきとは違って、自信満々に、柚月先輩はそう言った。ふと、扉のほうに人影が見えた気がして、私は思わずそっちに視線をやった。柚月先輩もそちらに目をやって、あっ、と声を上げた。
「ごめん灯鞠ちゃん、なんか来ちゃったけど、気にしないで!」
「いや、ちょっと気になっちゃいます……先輩の彼氏さんですか?」
「うーん、まあ、そう! ちょっと話してくるね!」
 柚月先輩は少し顔を赤らめながらそう言って、立ち上がってドアのほうに走っていく。その後ろ姿をぼんやり見ていると、柚月先輩がドアを開けた。柚月先輩の彼氏である男の先輩が、こちらを覗き込むようにして立っていた。
「もう、夕陽くん! 来ちゃだめだって言ったのに!」
「柚月のことが心配だったんだ、文句言うな。お、あの子が言ってた灯鞠って子か?」
「そうだけど! 今大事な話してるから、帰って。先生に言っておいて」
「わかったわかった、怒んなって。お前の好きなお菓子買っといてやるから」
「え、ホント、うれしい! じゃなくて! あ、ちょっと、夕陽くん」
 先輩たちの会話がほほえましくて少しにやにやしながら見ていたら、夕陽先輩がこちらを覗き込んだ。柚月先輩が止めようとするのを意にも介さず、私のほうをじっと見た。
「ちゃんと休めよ。あと、気にしてることは全部柚月に吐け。気の知れた相手が気まずいなら俺が聞いてやるから、どっちにしろ、柚月に言えよ。じゃ、柚月、また後で」
「え、ちょっとどういう……」
 一方的に言い放った夕陽先輩は、柚月先輩の疑問の声に対して振り返らずに片手を上げるだけで、去って行ってしまった。柚月先輩はしばらくドアの前に立っていたが、やがてため息をついてドアを閉め、こちらに戻ってきた。
「ごめんね、灯鞠ちゃん。なんか夕陽くんが変なこと言って」
「あ、いいんです。すごい素敵な方ですね」
「えへへ、ありがと」
 私が本心から褒めると、柚月先輩はわがことのように喜んでにこにこ笑った。本当にあの先輩のことが好きなんだなって、思う。柚月先輩はそうだ、話してたんだった、と呟いて、思い出すように空中を睨んでいた。

 全部吐け、かぁ……

 夕陽先輩が言っていたことを、考える。でも、全部吐けって言われても、私の中でもすべて言語化できないから、困っているのだ。考え終わったのか、悩んでいる私を見て、柚月先輩は苦笑した。
「ほんとに、夕陽くんの言ってたことは気にしなくていいからね。えっと、そうだな……灯鞠ちゃんは、逃げてるように見えてるって、さっき言ったよね。でもね、それもいいことだと思うの」
「え?」
 柚月先輩は衝撃的なことを口にした。私は思わず声を上げてしまう。柚月先輩は恥ずかしそうに笑いながら、
「だって、夕陽くんが逃げてもいいって、教えてくれたから」
「逃げても、いい……」
 夕陽先輩の言葉だから。そう聞くと、なぜか納得してしまうのはなぜだろう。微妙な顔つきになってしまっていたのか、不思議だよね、と柚月先輩は笑う。
「夕陽くんの言葉はすぐに胸に入ってくる……だから、私も夕陽くんの言葉を借りて、灯鞠ちゃんに伝える。逃げるっていうのも、労力を使うことだよ。だから、時々立ち止まって。立ち止まったときに考えるの。この先、どっちに行こうかなって。戻れそうなら戻る。戻れなさそうなら戻らない。後ろに行ってても前に行ってても、進んでいることには変わりない。だから、そんな自分を肯定して。心の余裕ができたら、考えて。本当に灯鞠ちゃんがしたいことを。そして、それを実行して。きっとそれは、いいことにつながるから」
 長い長い言葉。でも、やっぱりその言葉はすっと胸に入ってくる。私は胸をそっと抑えながら、頷いた。なぜだかはわからないけど……やれる、気がした。
「私、やってみます。柚月先輩と、夕陽先輩のおかげで……元気が出ました」
 私がぐっと手を握りながらそう宣言すると、柚月先輩は一度瞬きをした後、嬉しそうに笑ってくれた。そして私の手を握って、
「頑張って、灯鞠ちゃん! 私たちは、いつでも相談に乗るから。苦しくなったら、おいで」
「……はい!」
 私も笑った。柚月先輩と話せて……すっきりした。これからやることを、少し考えてみる。

……まずは、一条くんに聞いてみよう。