夜風の中で、君に伝えたいこと。

「裏庭が、老朽化のため、改築されることになりました。新たに建てられるのは、ガーデニングルームです」
 先生が放った言葉に、教室中がざわめいた。私は先生の言葉が本当かわからず、耳を疑った。裏庭が、壊される……? ちら、と涼風くんのほうを見ると、目を見開いて固まったまま、先生を見つめていた。近くにいた男子が気付いて、涼風くんのことを突っつくと、ようやく我に返ったようで、少し笑った。でもそれは明らかに作り笑いとわかる表情で、かなり引きつっていた。
 クラスの中のお調子者の男子が、手を上げた。
「先生、なんでガーデニングルーム創る必要があるんすか? もっと教室をゴージャスにすることにお金使ってくださいよ」
 その言葉に、教室のクラスメイトのほとんどが笑った。先生はんんっ、と咳払いをして、皆の注目を集めた後に、話し始めた。
「わが校ではすでに、メダカやウサギ、花壇など、生物に触れあえる機会を多く持てるように、様々な生物を飼育しています。けれど、まだ植物をちゃんと育てている場所はありません。授業とは関係なく、野菜や果物を作れるようになることで、生徒たちが植物に親しみ、地球環境への関心を高めるとともに、ガーデニングによるリラックス効果も図っています」
 へぇ、という納得の声と、えー? というブーイングの声が同時に聞こえる。私は納得できてしまう側だったが……あの場所は、涼風くんと……そして、天黎と一条くんと会える場所だ。あまり目立ちたくないし、四人だけで居たいからあの場所を選んだのに、そこがなくなるってなると……
 ふいに、スマホのバイブが鳴った。私は先生にばれないようにそっと机の下で起動する。一条くんからのメッセージ。
『裏庭無くなるって、これからどうする?』
 私は返信できなかった。どう返信すればいいのかが、わからなかったからだ。
 私が勉強を教えてもらえなくなるのは、別にどうでもいい。天黎とはいつも一緒にいる。一条くんは……多分涼風くんと一緒に居れるから大丈夫。
 問題は……涼風くんだ。あの日の様子からするに、おそらくまだ一条くんにはちゃんと話せてない。片鱗は天黎と音恋ちゃんも知ってるけど、本質を知っているのは、私だけだろう。あの、観覧車の中で聞いた話を、知っているのは。
 また咲妃莉にはうぬぼれだって言われるかもしれない。今までも涼風くんは一人で乗り越えてきたから、大丈夫かもしれない。でも……やっぱりどうしても、心配で。そっと涼風くんのほうを見たら、彼もスマホをこっそり、強く握りしめている。感情の行き場がないのだろうか。
『一回話そう。今日告知されただけだし、工事はたぶんまだ先』
 天黎が提案のメッセージを送ってくる。私は一つため息をつくと、メッセージを作った。天黎に便乗するように。
『そうだね』



 部活が終わった後、私たちは裏庭に集まっていた。天黎の予想通り、まだ工事は始まっていなかった。天黎が先生に尋ねたところ、もう明日、明後日には工事が始まるそうだ。私たちは先についていたので、最期の景色を眺めよう、と裏庭の中をぶらぶら散歩していた。
「灯鞠。涼風のこと、どうするの? ここでしか話す場所、ないんでしょ?」
 天黎が唐突に話し始めた。私は俯く。結構長く伸びている草が、靴下に覆われていない部分の足を撫でる。少しかゆくなりながら、ため息とともに重苦しい気分を吐き出そうとする。そんな私の様子を見て、天黎は立ち止った。そして、くしゃくしゃと頭を掻き乱す。
「涼風、すごく……」
 なんと形容すればよいのかわからないらしく、天黎はそこで口をつぐんだ。私も黙ってうなずく。涼風くんのことを気にしているのは、私だけじゃない。天黎も一緒だ。
「灯鞠ちゃん、月守!」
 一条くんの声がして、私たちは入口のほうを振り向いた。肩で息をしている一条くんがこちらを見ていた。隣では、涼風くんが苦しそうに顔を歪めて、じっと裏庭の桜の木を見つめていた。私たちは速足で二人のもとへ、入り口のほうへ戻る。一条くんは不安げな表情で私たちを見た。
「ここが壊されるなんて聞いてないし! 生徒側に何の相談もなしに決めるなよ! せっかく勉強会も好きになれてきたし、四人が仲良くなったとこなのに……ここが壊されたら、あとは、屋上とかか? でも、あそこ人もいるし……」
 一条くんは学校に対して文句を叫んだ後、対処法を考えるかのようにぶつぶつと呟き始めた。私は一条くんの焦りように驚いた。天黎はしばらくじっと黙っていたが、やがて一条くんの前に歩いて行って、まだ何かぶつぶつ呟いている一条くんの肩を、そっとたたいた。一条くんが顔を上げる。
「光海」
 ただ、名前を呼んだだけだった。でも、その声はいつもの、天黎が一条くんを呼ぶ声とは全然違っていて。お母さんみたいな、優しげな声だった。
「あの時みたいになるわけじゃない」
 あの時がどの時を指すのかはわからない。でも、一条くんにはそれで伝わったらしく、はっと目を見開いてから、静かに目を閉じた。深呼吸をし始めたところを見ると、彼は落ち着いたと思っていいだろう。私は涼風くんに視線をやった。彼はまだ桜の木を見上げている。
「涼風くん」
 私は彼の名を呼んだ。涼風くんは静かに私に視線を移す。その顔はまだ歪んでいる。私は彼の前に立って、そっと手を取った。まだ暑さが残る空気の中、涼風くんの手は、少し冷たかった。
「大丈夫?」
 率直に聞いてしまうのが嫌だと前は思った。でも今は、率直に訊いたほうがいいと思った。私の問いに、彼はそっと目を伏せて、深呼吸をした。よかった、落ち着いたかな。そう、想ったのに……

なんということか、涼風くんは微笑みを浮かべてしまった。完璧な、作り笑い。その瞳の奥に揺らめく光も、すべて閉ざされて。そして、わかった。

 涼風くんは、今、自分を閉じ込めた。前のように。

「大丈夫」
 その声は、どこか虚ろに感じられて。
「今までごめん、夜見さん。でも……もうここもなくなっちゃうし、大丈夫」
 ああ……私はグッと唇を噛み締めた。多分これ以上私が何かを言っても、意見を変えようとはしないだろう。涼風くんは大丈夫と言ったのだ。それを信じる……? でも、やっぱり涼風くんは壊れて……
 そこまで考えて、気づいた。あ、と口が間抜けに開いて。なのに、声も出なくなって。私は、よろめくようにしながら涼風くんと距離を取る。涼風くんが向けてくる視線は、なぜか冷たく感じられて。いやな汗が、背筋を流れる。

 ———私は、涼風くんの何なんだ?

「灯鞠ちゃん、透海……」
「どうするの……?」
 天黎と一条くんの問いかけにも、私は答えることができなかった。だから、涼風くんが答えた。笑顔のまま。感情を、出さないまま。


「終わりにしよう」