夜風の中で、君に伝えたいこと。

 翌日の昼休み。私と天黎はクーラーがよく効いている部室でお弁当を食べていた。いつも私たちはここで食事を取る。部員以外の生徒が寄り付かないし、先生もなかなか来ないここでは、結構自由なことができるからだ。
「さて、作戦会議と行きますか」
 私が半分ほどお弁当を食べ進めた時。天黎がぱん、と手をたたいてそう告げた。
「何の作戦会議です?」
 今、この部屋にいるのは私と天黎を含めて三人。残りの一人は、私たちによく懐いてくれている後輩、音恋(ねこ)ちゃんだ。音恋ちゃんはたまに私たちのところに来てご飯を一緒に食べる。友達がお休みの時など、ひとりになってしまう時にこちらにくるらしい。今日は、お友達は早退してしまったそうだ。
 音恋ちゃんはそう天黎に問いかけた。作戦会議、という言葉が持つワクワクとした響きが、音恋ちゃんの好奇心を掻き立てるのだろう。彼女のふわりとカールしているロングヘアがワクワク度合いを表すかのように、音恋ちゃんの後ろで回っている扇風機の風を受けて揺らめく。
「んー? 灯鞠がクラスメイトのことで勝手に悩んでるから、そのお悩みを解決しちゃおうと」
 天黎は手に持っているお箸をくるくる回しながら説明し、しまいにはビシッと私の方へ箸を突きつけた。行儀悪いよー、と私はその箸を降ろさせる。天黎はふっと息を吐いた。不機嫌そうに私から視線を外す。
 天黎は私が他人のことで思い悩むことをあまりよく思っていないらしい。いつも少し不機嫌になる。結局、一緒に考えてくれるのだけれど。
「ふうん……それ、私が聞いていい話です?」
 音恋ちゃんはパンの袋を開けながら、私と天黎に視線を行き来させながら尋ねた。彼女はこういうところで鋭い感性を発揮する。心の機敏を読み取ることが得意なのだろう。天黎が肩をすくめたので、私が少し考える。
「まあ、音恋ちゃんならいいんじゃないかな? 誰にも言わないだろうし、知っても特に何をするとかはないだろうし」
「じゃあ、面白そうなのでここ居ちゃいます」
 私の返事に対し、目をキラッと輝かせて音恋ちゃんは言った。面白そう、というのが音恋ちゃんらしい。音恋ちゃんは小説を書くのに熱心な子だ。いつもネタを探している。今日の話もネタにされるのだろう。
 私はお弁当のご飯を大体食べ終わったので、おかずに移った。だし巻き卵をほおばると、ほろりとほどける卵とだしの味がした。もぐもぐしていると、天黎は私をちらりと見た。
「で? 灯鞠はどう思ってんの?」
 ジー、ジー、というセミの鳴き声を聞きながら、見えないテニスコートの方面を見つめて、つぶやく。
「……力になれたらなって、思うけど」
 昨日の涼風くんの様子を思い出す。力無く笑う、なんて、本の世界でしか読んだことがなかったけれど、確かに昨日の彼の笑顔はそう形容できるものだった。何か苦しんでいることがあるなら、助けたい……そう思う。
「まあ、そうだよね」
 天黎もそれはわかっていたようで、頷く。音恋ちゃんは口いっぱいにほおばっていたパンを飲み込むと、私のほうを見つめる。
「具体的にはどうやって力になりたいと考えていますか?」
 そう問いかけてきた。涼風くんが悩んでいることを知らないし、まだ私はちゃんと涼風くんと話していない。今の状況は、私が偶然よくないところを見てしまって、勝手に助けたいと思っているだけだ。正直なところ、彼が迷惑だと感じても致し方ない状況で、そんな中でどう力になるかなんてわからない。
「全然思いつかない。話を聞くくらい、だけど、涼風くんがそれを許すかどうか……そもそも、彼が望んでいなかったら、だめだよね」
 考えを整理するように口に出して答えを言うと、音恋ちゃんはきゅっと眉根を寄せた。
「そうですね……なんで夜見先輩は、その、涼風先輩のことを気にかけてるんですか?」
 音恋ちゃんは再び問いかける。天黎は口を挟まずに、どこか在らぬところを見ながらお弁当をつついている。私はすぐに、自分の中から答えを見つけ出す。
「昨日の涼風くんが、いつもの涼風くんと全然違ったから」
 涼風くんは、文句なしの、絵に描いたような優等生だ。成績も常に上位をキープし、運動もできる。周りへの気配りが上手で、困っている人はすぐに助ける。先生のお手伝いもしっかりするし、クラスの仕事を率先して手伝う。だからと言って友達が少ないわけではなく、時々周囲を笑わせるように無邪気に振る舞う。笑顔が絶やされることはなく、いつも何らかの種類の笑顔を浮かべている。怒っているところも悲しんでいるところも、疲れを感じさせるところも、誰も見たことがなかった。ある時クラスのお調子者の男子が、
「お前、本当に喜怒哀楽あんの? 人間?」
 と問いかけたら、
「失礼だなぁ。ちゃんと人間だって」
 と少し怒ったような素振りを見せた。でも、それも一瞬で、すぐに笑顔になったから、結局怒ったという判定になっていない。
 そんな完璧人間の涼風くんが、何かに対して悪態を吐き、疲れたようにしていたのだ。気になるし……それに、私はそういう苦しんでいる人のことを、勝手に助けたいと思ってしまう。自分がなぜそう思っているのか、原因である汚い感情もわかってるけど、どうしても。
「涼風先輩かぁ……テニス部の女の子が話題にしてましたね。超かっこいい先輩で、もう完璧すぎて人間じゃない、近寄れないって」
 音恋ちゃんは私の話を聞き終えると、再びパンを口いっぱいに頬張りながら、そう感想を漏らした。そこから、誰も話さなくなった。私たちが昼食を食べる音、外でセミの鳴く音、そして扇風機が回る音だけが教室内に響く。私は窓の外の青い空を見ながら、なんでこんなに悩んでいるんだろう、とふと思った。ただ一度変なところを見ただけの人に、ここまで考える必要はあるのだろうか……
 沈黙を破り、私の思考を遮ったのは、かたん、と弁当箱の蓋を閉じた天黎だった。
「まあ、ぶつかってみるしかないんじゃない? 考えてみたけど、私も話してみるくらいしか思いつかなかった」
 どう? と天黎が視線で問いかけてくる。考えが悪い方向に進んでいきそうなので、私は一度考えるのをやめた。視線で、そうだね、と答える。
「私、涼風のRUINのアドレス持ってるよ。送ろっか?」
「お願い。私、ちょっと話してみる」
 私は天黎からRUINの涼風くんのアドレスを送ってもらった。天黎に促され、メッセージを送る。
『突然ごめんなさい、夜見です。もしよければ、裏庭でまた会いませんか?』
 堅苦しい文章になってしまったけれど、最初はこんなもんだろう。音恋ちゃんも「きっと大丈夫ですよ、灯鞠先輩!」と言ってくれた。
 作戦会議が終わったので、残りは音恋ちゃんが書いている小説の話に時間を費やした。音恋ちゃんが詰まっているところを聞いて、私たちが一緒に考える。


 予鈴のチャイムがなる頃、涼風くんからメッセージが届いた。
『わかった。放課後、部活終わりにお願いできるかな』
『了解です』
 私はすぐに返事を返すと、ふう、と小さく息を吐いた。