夜風の中で、君に伝えたいこと。

 外の木の葉を見る。ちょっとだけ緑に茶色が混じり始めていた。工程から、サッカーをする男子たちの声が聞こえてくる。吹奏楽部が演奏の練習をする音。演劇部の声出しの音。廊下を走る靴音と、きゃあきゃあ騒ぐ女子の声。
 九月、まだ蒸し暑さも残るころ。私たちは夏休みが終わってしまったので、学校に毎日登校している。夏休みを終えて間もないからか、皆少しだるそうだ。みんな大体ため息をついたり、伸びをしたり、昼寝をしている人もいる。そしてその気持ちは、私と天黎も一緒。お昼休みの今、私たちは夏休みが恋しいとぼやきながら、ぶらぶらと学校の中を歩いていた。
「はー……もう夏休み終わっちゃったよ。早くない?」
「天黎はそればっかり。あーあ、遊園地もっかい行きたい……」
「灯鞠はそればっかりだなぁ」
 あの日、遊園地に行ったからか、四人の仲はかなり深まったと思う。観覧車で悩みを話したからか、涼風くんも少しすっきりしているみたいだ。私たちは二人にテニスの試合を見に来ないかと誘われて、二人がプレーしているところを観戦したり、そのほかにも、一緒にご飯を食べに行ったりなど、夏休み中も四人でいろいろなところに行ったと思う。今年の夏休みはすごく充実していた。
「今日はどうするの? 暑いし、部室で食べる?」
 天黎がしているのは、お昼ご飯の話だ。私はうーん、と考え込む。今日は少し風もあって、心地いいとは思うのだが……屋上はどうだろう、と思って、情景を思い浮かべる。
ドアを開けると、一面開けている。真ん中に、申し訳程度に置かれている古いベンチ。誰かが勝手に持ち込んだと思われるプランターの花は、暑い日差しで枯れてしまっている。給水機にはなぜかアサガオのつるが巻き付いている。日差しを遮る屋根のようなものは一切なし。
「屋上は日陰ないしね……暑いだろうし、どうしよう……って、ん?」
 私はスマホの着信を感じて、スマホを見た。天黎にも何か来ているらしく、彼女もスマホを取り出している。通知元は、四人グループのRUINだった。
『よければ、四人で裏庭で食わないか?』
 一条くんが提案していた。私と天黎はお互いに頷きあって、スタンプを送る。
『了解』
『OK』

「あ、来た来た」
「ごめんね、遅くなって」
 私たちが裏庭に着くと、もう一条くんと涼風くんはお弁当を食べ始めていた。私たちも座る場所を見つけると、お弁当を開いて食べ始める。一条くんは涼風くんと面白そうな話をしていて、涼風くんも面白いのか楽しそうに笑っていた。その二人の姿をぼーっと見ながら食べていると、最近ずっと考えていることが静かに頭をもたげてくる。それのことを一瞬考えただけで、私の心はズーンと沈んだ。
「はぁ……」
 私はうなだれ、ため息をつく。天黎は私の顔を横下からのぞき込む。
「最近ずーっと悩んでるよね。だいじょぶそ?」
「だいじょばないよ……もうやだぁ」
 私はお箸を持ったまま、頭を抱えた。一条くんと涼風くんが話すのをやめる。
「どした?」
「何かあったの?」
「う~」
 私は説明する気力はもちろんだが、顔を上げる気力すらも起きず、ご飯をつまんでちょこちょこと食べ続けた。天黎がため息をついて、肩をすくめる。
「悪く思わないでやって。この子、数学苦手でさ……最近複雑になってるのについていけないの。それだけじゃなくて……この先どうしようとか、そういうの考えちゃう子なんだよね、昔から。だから今は……鬱期かなぁ」
 天黎の説明を聞いてるとなんだか涙が出てきた。私は昔から勉強が苦手で……集中もあまりできないし、わかったつもりでもわかっていないことが多かった。だから、最近数学がわけわかんなくなってきて、それだけじゃない、いろいろなのがどんどん難しくなっていくから……高校に上がったあたりから急に厳しくなったけど、そろそろ限界だ。
「塾とかには行ってないのか?」
「塾で聞いて分かったつもりでも、わかんないんだって。で、わかんないから、問題を解いても間違えて、もう解く気をなくす、っていう悪循環」
「あー……ちょっとわかるかも」
 一条くんと天黎の会話を聞きながら、再びため息をついた。いろいろなことが頭に浮かぶ。勉強をしなかったらどうなる? いい大学にも行けないし、いい仕事にもつけないだろう。でも、もういっそのこと清掃員とかにでもなる? でもそれはさすがに同級生と家族に顔向けできないし……というより、天黎とだいぶ学力差着かない? そうなると結構いやだな……私がこういろいろ考え始めてしまった原因は、学校から配られたプリント。
「進路調査も出てるし……大学……」
 私はぶつぶつ恨み言のようにつぶやいた。そう。もうそろそろ進路を定めないといけないころ合いに来てしまったのだ。高校二年の夏休み明け。それは、大学受験に向けて少しずつ考えていかなくてはならないころ合いになったことも示す。
 高校生活は楽しいけれど、その分勉強ももちろん難しくなっている。もう勉強をしたくないし、いっそサボってしまおうか。でも、学校をサボればもっとできなくなることは目に見えている。しんどくても頑張るしかないけど、もういやだ……
「んー……今の夜見さんを見てると、もう勉強嫌いって感じだね。そうなると、結構しんどいよね……」
 涼風くんが一緒にため息をついてくれる。私は何度も頷いた。勉強しようとは思うけど、どうせ解けないのだ。それなら、無理して勉強することに何の意味がある? 塾の先生にも何度も相談してる、でもなかなか解けるようにならないのだ。
「勉強時間を増やしても増やしても、逆に点数が下がってく……」
 慢心が原因なのだろうか。いろいろ考えてみたけど、答えが出るはずもなく。結果、こうしてうつ状態の出来上がりだ。ああああああ、と人がいないのをいいことに、私は叫んだ。涼風くんと一条くんが顔を見合わせる。
「えっと……わからないのは、数学だけ?」
 涼風くんの問いに、私は恨みも込めて答える。
「……計算が含まれる奴」
「ってなると、理系全般か。数学とか理科とか?」
「物理も生物も化学もわかんない」
 一条くんの問いに投げやりに答えて、私は重い手を動かしながらご飯を食べる。天黎は仕方がなさそうに笑う。
「灯鞠、理系教科苦手だもんね?」
「うるさい。お姉ちゃんたちにとられちゃったんだから仕方ない」
 そう、お姉ちゃんたちは理系教科が得意だ。お母さんとお父さんが理系だから、そっちの血は全部お姉ちゃんたちが持って行ってしまった。残されたのは、文系教科のほうだ。だから国語と社会、英語はある程度得意なわけだけど。
「じゃあ、僕が教えられるよ」
「……え?」
 私は目を瞬かせて、涼風くんを見た。涼風くんは優しい微笑みを浮かべて、私のほうに歩いてきた。いつの間にかお弁当は食べ終えていたらしい。彼は私の前にしゃがみ込むと、そっと私の手を取った。ひゅっ、と思わず息を吸い込む。
「全体的に得意であるつもりではあるけど、理系教科はもともと好きな部類に入ってたし。夜見さんのわからないところ、教えられるんじゃないかな」
 私の反応はお構いなしに、涼風くんはそう考えながら提案してくれた。おっ、と一条くんも目を輝かせる。
「良いじゃん、灯鞠ちゃん、教えてもらいなよ。透海、すっごく教えるのうまいんだぜ」
「そう……なの?」
 私は不安になりながらそう問いかけた。正直、あまり効果がないかもしれない、と思っている。天黎もうーん、とうなる。
「何度か私、教えてるんだけど……灯鞠は、遠慮しちゃうんだよね……わかんなくてもこっちのこと心配して、もうわかりました大丈夫ですって言っちゃうの」
「え……なんでそんなことわかるの」
「そりゃあ、長い間一緒にいますから」
 天黎の言うとおりだった。涼風くんに聞くのを少しためらうのも、それが理由。涼風くんの時間を奪ってしまうのは申し訳ないし、何回聞いてもまた忘れてわかんなくなっちゃう気がするし……そこまで考えると、なんだか私がダメな人間に思えてきた。目の前がぼやけていく。
「えっ、夜見さん……?」
「灯鞠……」
「あー……こりゃ、ホントにまずいな」
 涼風くんも天黎も一条くんも、突然泣き出した私にどう接すればいいのか図りかねているらしく、あたふたとしている。私は勝手にあふれてくる涙をぬぐいながら、何度も何度も謝る。
「ごめ、泣く、つも……りじゃ……うっ……私、きっと、何回も、おんなじとこ……聞いちゃう、から……迷惑、だろう、し……ごめんっ……」
 本当に、なんで泣いてるんだろう。私の中の冷めた私が、そう考える。ちょっとかんがえただけでこんなにおいつめられるなんて、何してるんだろ。みんなを余計に困らせてるだけじゃん。
「あ……灯鞠……」
 天黎だけが何かに気づいたように、私のほうに手を伸ばす。私は思わず首を振って、それを拒絶した。天黎は何も言わずに、自分の手をしばらく見つめていたが、やがて苦しそうに眉をひそめた。

 次の瞬間、涼風くんに抱きしめられた。

「……ぇ?」
「は……!?」
「ちょっ……」
 私は驚きで身をすくめ、天黎と一条くんは目を見開いて固まる。涼風くんは優しく私を抱きしめながら、そっとささやきかけてくる。
「僕と一緒にいてくれるんじゃなかったの?」
 今、それを引き合いに出す!? 私は心の中で突っ込むけど、あふれ出る涙が喉を締め付けて、うまく声が出せない。うぅ、と呻く私に、涼風くんはなおも語り掛ける。
「夜見さんは僕に寄り添ってくれるんでしょ。だったらそのお礼に、教えてあげる。何回聞いてもいい。何を聞いてもいいからさ」
 その言葉を聞いて、一条くんは驚きから回復して、そうだぜ、と言いながら、私の肩に手を添えた。私が涼風くんの腕の中で一条くんのほうに目を向けると、一条くんはニッと微笑んだ。
「俺も手伝う!」
「あんたは教えられるほうでしょ。灯鞠、私も手伝うよ」
 相変わらず鋭く突っ込んだ天黎は、そう言って私の反対側に手を置く。私はみんなの優しさが嬉しくて、再び本格的に泣き出してしまった。泣きながら思う。やっぱり私は幸せなんだな、って。それと……やっぱり、もう少し頑張らなきゃ、と。