ごとん、ごとん、と少し音を立てながら、観覧車は上がっていく。私は涼風くんと向かい合って、遊園地の中を見つめていた。冬ではなくてもライトアップされているこの遊園地の夜景は、とても綺麗だった。
「冬に来たら、もっと綺麗かな」
思わず、そう呟く。涼風くんがこちらを見たので、私も目を合わせて、微笑む。
「また、来たいね。一緒に」
すると、涼風くんははっと目を見開いて、やがてゆっくりとその目を細めた。口元に、優しい笑みが浮かんで。
「そう……だね」
でも、それはすぐに消えてしまう。少し寂しそうな、悲しそうな笑みに変わってしまって。私は、しばらく考えた後に、
「話したいって言ってたけど……聞いても、いい?」
涼風くんは観覧車の上のほうを見上げた。まだ観覧車はのぼりはじめたばかり。大きいことで有名だから、時間はある程度あるだろう。同じことを考えたのか、涼風くんはうなずいた。
「本当は、遊園地に来てまで話すことじゃないってわかってるけど……」
「いいの。私のことは、気にしないで」
申し訳なさそうに謝ってきた涼風くんに、私はすぐに言った。遠慮はしないでほしい。吐き出せるなら、吐き出してほしい。そう願いを込めて見つめていると、涼風くんは口を開け閉めしていたが、やがて頷く。そして、細く、長い息を漏らした。まるでそれは、何かを胸の中に押し込めるための吐息に聞こえて。
「こんなこと、夜見さんに話してもどうにもならないってことも、わかってるんだけど」
話し初めの言葉は、自嘲するような響きを孕んでいた。
「僕……兄貴と妹がいるって言っただろう。その兄貴が、天才なんだ。何でも難なくこなして。特に、音楽と美術の才能がピカイチだった。コンクールで何個も賞を取った。だから、その分、僕も期待されたんだ」
そこまで話して、涼風くんは唐突に言葉を止めた。私はうつむくようにしながら、そっと彼の顔を盗み見た。彼はうつむいていて、長めの髪が表情を隠している。でも、苦しそうだ、と思う。私はどう話しかけるべきか迷った。
「……苦し、かった? 期待が……重圧になって」
彼の心を読み取ろう。そう思って紡いだ言葉は、あっていただろうか。彼を、傷つけていないだろうか……? そう不安だったが、涼風くんがちらりとこちらを見て、弱々しく笑った時。私は、それこそが彼の悩みの根源なのだと、悟った。そして、私の考えがあっていた、ということも。きゅう、と胸が締め付けられて。
「夜見さん、もっと話してもいいかな?」
少しかすれた声で問われた。私は迷いもなく、何度も頷く。ありがとう、と涼風くんはささやくように言った。そして、外を見た。遊園地とは反対側……町の夜景を。私もつられてそちらを見る。そろそろ頂上に達そうとしているからか、夜の街の明かりがすごくきらめいて見える。美しかった。でも、涼風くんは、あまりそれも目に入っていないように……ぼんやりと、見つめていた。
「妹は……直莉っていう名前なんだ。名前の通り素直なんだけど、兄貴と正反対で、頭が悪いんだ……勉強が全然できなくて。運動はできるんだけどね。だから」
「だから、涼風くんには直莉ちゃんの分の期待もかかっちゃったんだね?」
私は涼風くんが言わなくて済むように、重ねるように尋ねた。それは当たりだったらしい。彼の表情は一層暗くなった。話を聞くだけならできる、私はそう言った。でも今、話を聞いてあげたけど、涼風くんの心は穏やかになっていないようだ。彼の心労を取ってあげるには、どうしたらいいだろう?
「また、兄貴の話に戻るんだけど」
考えているうちに、涼風くんが話し始めた。私は彼の話に黙って耳を傾ける。
「兄貴は優秀な分、メンタルが弱いんだ。どこまでも兄貴と正反対な直莉は、馬鹿みたいにメンタルが図太いんだけどな。初めて夜見さんに会ったときも、兄貴に泣きつかれたんだ……。兄貴は一回メンタル崩すとなかなか治らない。だからいつも、ある程度治まるまで話を聞くんだ。でも、兄貴の話は才能があるから苦しいっていうものでさ。ああ、僕にはそんなことはできない。経験することすらかなわない。才能の差を見せつけられて。僕が欲しいものを兄貴は持ってて、でもそれで苦しんでて、なんで僕にはそれがないんだろうって、兄貴が苦しむくらいなら僕にくれよって、そう……」
耐えきれなくなったのか、涼風くんの口から呻きが漏れた。私は迷ったけれど、立ち上がって、彼の隣に座る。そっと、彼の背に手を置いた。体を近づけて、彼に寄り添う。拒否されるかなって、思った。あまり話してもいないクラスメイトと、こういうことをしたくないだろうとは思ったから。でも、涼風くんは拒否しなかった。やがて呻きは嗚咽に代わり、一つ涙がこぼれると、止まらなくなった。
私は何も言わずに、先ほど涼風くんが話してくれたことを反芻した。彼を締め付けていた重圧を感じて、胸が押しつぶされそうになる。兄が優秀であることによる期待。妹が不出来であることによる期待。合わされば、それらは過度な期待となる。私だったら絶対にその生活に耐えられない。でも、涼風くんは……その期待を背負って、優秀な成績を修め、完璧な人間になろうとしたのだ。
「ごめん……急にこんなこと聞かされて、困るよな」
観覧車ももう頂上なんかとっくに過ぎてしまって、地上もだんだん近づいてきて。すすり泣きに変わるころ、涼風くんはぽつりとそう呟いた。ううん、と私は首を振る。何を話そうか、どう伝えようかと考える。
「本当に、すごいよ、涼風くんは」
結局、出てきたのはそんなありふれた言葉だった。え? と涼風くんは私を見た。私はやっぱり、あまり語彙力がないから。伝えきれるか、それはわからないんだけど。
「涼風くんは、お兄さんの分と、直莉ちゃんの分の期待を背負おうと、一人で頑張ってたんだよね。それは……すごいことだよ。私は弱いから……すぐ天黎とか、お姉ちゃんとかに頼っちゃうのに。多分涼風くんは、お兄ちゃんにも直莉ちゃんにも頼れなくて、友達にも心配かけたくなくて、そうなっちゃっただけだと思うんだけど。でも、それでもやっぱりすごいなって、あはは、すごいしか言えないな」
そろそろゴンドラを降りなくてはならない。私は少し迷った後、彼の体を抱きしめた。私がいつも、お姉ちゃんや天黎にやってもらっているように。涼風くんは何も言えないようだった。私はもっと彼を強く抱きしめる。
「知り合って二か月しかないのに、話してくれてありがとう。私を信じてくれて、ありがとう。私は涼風くんの役に立てない。ご家族を変える力も、涼風くんを救う力もない。だから、せめて私は、私だけはずっと涼風くんのそばにいるよ。守るよ。だから、頼って。弱音だって吐いていい。泣きたいときは泣いていい。怒りたい時は怒っていい。私との時間は……本当の涼風くんでいて」
ああ……違う。彼が大事なのは、天黎に似てるからじゃない。いや、それもそうだけど。でも……
守りたい。それは……好きって、ことじゃない?
「冬に来たら、もっと綺麗かな」
思わず、そう呟く。涼風くんがこちらを見たので、私も目を合わせて、微笑む。
「また、来たいね。一緒に」
すると、涼風くんははっと目を見開いて、やがてゆっくりとその目を細めた。口元に、優しい笑みが浮かんで。
「そう……だね」
でも、それはすぐに消えてしまう。少し寂しそうな、悲しそうな笑みに変わってしまって。私は、しばらく考えた後に、
「話したいって言ってたけど……聞いても、いい?」
涼風くんは観覧車の上のほうを見上げた。まだ観覧車はのぼりはじめたばかり。大きいことで有名だから、時間はある程度あるだろう。同じことを考えたのか、涼風くんはうなずいた。
「本当は、遊園地に来てまで話すことじゃないってわかってるけど……」
「いいの。私のことは、気にしないで」
申し訳なさそうに謝ってきた涼風くんに、私はすぐに言った。遠慮はしないでほしい。吐き出せるなら、吐き出してほしい。そう願いを込めて見つめていると、涼風くんは口を開け閉めしていたが、やがて頷く。そして、細く、長い息を漏らした。まるでそれは、何かを胸の中に押し込めるための吐息に聞こえて。
「こんなこと、夜見さんに話してもどうにもならないってことも、わかってるんだけど」
話し初めの言葉は、自嘲するような響きを孕んでいた。
「僕……兄貴と妹がいるって言っただろう。その兄貴が、天才なんだ。何でも難なくこなして。特に、音楽と美術の才能がピカイチだった。コンクールで何個も賞を取った。だから、その分、僕も期待されたんだ」
そこまで話して、涼風くんは唐突に言葉を止めた。私はうつむくようにしながら、そっと彼の顔を盗み見た。彼はうつむいていて、長めの髪が表情を隠している。でも、苦しそうだ、と思う。私はどう話しかけるべきか迷った。
「……苦し、かった? 期待が……重圧になって」
彼の心を読み取ろう。そう思って紡いだ言葉は、あっていただろうか。彼を、傷つけていないだろうか……? そう不安だったが、涼風くんがちらりとこちらを見て、弱々しく笑った時。私は、それこそが彼の悩みの根源なのだと、悟った。そして、私の考えがあっていた、ということも。きゅう、と胸が締め付けられて。
「夜見さん、もっと話してもいいかな?」
少しかすれた声で問われた。私は迷いもなく、何度も頷く。ありがとう、と涼風くんはささやくように言った。そして、外を見た。遊園地とは反対側……町の夜景を。私もつられてそちらを見る。そろそろ頂上に達そうとしているからか、夜の街の明かりがすごくきらめいて見える。美しかった。でも、涼風くんは、あまりそれも目に入っていないように……ぼんやりと、見つめていた。
「妹は……直莉っていう名前なんだ。名前の通り素直なんだけど、兄貴と正反対で、頭が悪いんだ……勉強が全然できなくて。運動はできるんだけどね。だから」
「だから、涼風くんには直莉ちゃんの分の期待もかかっちゃったんだね?」
私は涼風くんが言わなくて済むように、重ねるように尋ねた。それは当たりだったらしい。彼の表情は一層暗くなった。話を聞くだけならできる、私はそう言った。でも今、話を聞いてあげたけど、涼風くんの心は穏やかになっていないようだ。彼の心労を取ってあげるには、どうしたらいいだろう?
「また、兄貴の話に戻るんだけど」
考えているうちに、涼風くんが話し始めた。私は彼の話に黙って耳を傾ける。
「兄貴は優秀な分、メンタルが弱いんだ。どこまでも兄貴と正反対な直莉は、馬鹿みたいにメンタルが図太いんだけどな。初めて夜見さんに会ったときも、兄貴に泣きつかれたんだ……。兄貴は一回メンタル崩すとなかなか治らない。だからいつも、ある程度治まるまで話を聞くんだ。でも、兄貴の話は才能があるから苦しいっていうものでさ。ああ、僕にはそんなことはできない。経験することすらかなわない。才能の差を見せつけられて。僕が欲しいものを兄貴は持ってて、でもそれで苦しんでて、なんで僕にはそれがないんだろうって、兄貴が苦しむくらいなら僕にくれよって、そう……」
耐えきれなくなったのか、涼風くんの口から呻きが漏れた。私は迷ったけれど、立ち上がって、彼の隣に座る。そっと、彼の背に手を置いた。体を近づけて、彼に寄り添う。拒否されるかなって、思った。あまり話してもいないクラスメイトと、こういうことをしたくないだろうとは思ったから。でも、涼風くんは拒否しなかった。やがて呻きは嗚咽に代わり、一つ涙がこぼれると、止まらなくなった。
私は何も言わずに、先ほど涼風くんが話してくれたことを反芻した。彼を締め付けていた重圧を感じて、胸が押しつぶされそうになる。兄が優秀であることによる期待。妹が不出来であることによる期待。合わされば、それらは過度な期待となる。私だったら絶対にその生活に耐えられない。でも、涼風くんは……その期待を背負って、優秀な成績を修め、完璧な人間になろうとしたのだ。
「ごめん……急にこんなこと聞かされて、困るよな」
観覧車ももう頂上なんかとっくに過ぎてしまって、地上もだんだん近づいてきて。すすり泣きに変わるころ、涼風くんはぽつりとそう呟いた。ううん、と私は首を振る。何を話そうか、どう伝えようかと考える。
「本当に、すごいよ、涼風くんは」
結局、出てきたのはそんなありふれた言葉だった。え? と涼風くんは私を見た。私はやっぱり、あまり語彙力がないから。伝えきれるか、それはわからないんだけど。
「涼風くんは、お兄さんの分と、直莉ちゃんの分の期待を背負おうと、一人で頑張ってたんだよね。それは……すごいことだよ。私は弱いから……すぐ天黎とか、お姉ちゃんとかに頼っちゃうのに。多分涼風くんは、お兄ちゃんにも直莉ちゃんにも頼れなくて、友達にも心配かけたくなくて、そうなっちゃっただけだと思うんだけど。でも、それでもやっぱりすごいなって、あはは、すごいしか言えないな」
そろそろゴンドラを降りなくてはならない。私は少し迷った後、彼の体を抱きしめた。私がいつも、お姉ちゃんや天黎にやってもらっているように。涼風くんは何も言えないようだった。私はもっと彼を強く抱きしめる。
「知り合って二か月しかないのに、話してくれてありがとう。私を信じてくれて、ありがとう。私は涼風くんの役に立てない。ご家族を変える力も、涼風くんを救う力もない。だから、せめて私は、私だけはずっと涼風くんのそばにいるよ。守るよ。だから、頼って。弱音だって吐いていい。泣きたいときは泣いていい。怒りたい時は怒っていい。私との時間は……本当の涼風くんでいて」
ああ……違う。彼が大事なのは、天黎に似てるからじゃない。いや、それもそうだけど。でも……
守りたい。それは……好きって、ことじゃない?



