「カラオケ、修斗も来いよ。帰宅部だし暇だろ?」
 新学期の放課後早々、辻浦に絡まれた。肩を組まれ、目が逃がさないぞと語っている。
 決して暇だから帰宅部なのではない。夢のために声優養成所に通っているからだ。しかし、今日はレッスンが休みの日だから、付き合ってやるのもやぶさかではない。
「親睦会の幹事手伝えってか?」
「話が早くて助かる」
 辻浦に連行され、総勢十八人でカラオケに向かう。
「楽しみだねー」
 後ろの方から信楽聖奈が友達と話している声がする。大勢の中にいても、信楽の声だけは色がついているからすぐにわかる。
 自己紹介で初めて声を聞いた瞬間、赤い光が見えた。共感覚者を自称するつもりは毛頭ないが、彼女の声には色がついている。信楽聖奈の声の“赤”に脳を焼かれた。土壇場参加の理由の半分は、彼女の歌声も美しい赤なのかという好奇心だった。

 カラオケボックスに着くと、パーティールームに案内された。着席するや否やデンモクを回されたので昔流行ったサッカーアニメの曲を入れた。女子がJ-popを歌う傍ら、辻浦がフードを端末で注文している。
「なあ修斗、ポテト二皿でいいと思う?」
「いいんじゃね?」
 辻浦の相談に乗っているとあっという間に曲が終わり、聞き覚えのある曲のイントロが流れ始める。去年流行ったアニメのOPだ。顔を上げて画面を見る。
「おっ、アニメ映像」
 映像に見入っている間に辻浦は注文を終えていた。その次の次くらいの曲順で俺に順番が回ってきた。懐かしい選曲で程よく盛り上げ、仕事完了。十八人もいれば次の順番はしばらく回って来ないだろう。
「桐原歌上手いねー、イケボじゃん」
「さんきゅ」
 隣でデンモクをいじっていた女子に褒められた。一言だけの会話を終えると、フードが来たので受け取った。辻浦と二人で皿を並べ、おしぼりと割り箸をみんなに回す。そうしている間にも曲は進んでまたアニソンが流れた。
「おい、修斗。手、止まってんぞ」
「あ、ごめん」
 フードの到来に育ち盛りの面々が盛り上がる中、曲が終わる。みんながポテトを取りあって騒いでいるので、辻浦がマイクを掲げて声を張った。
「次、誰?」
 画面には昨クールの覇権アニメのOPのタイトルが表示されていた。大ヒットして、アニメが終わっても街中でよく流れている。超高音域のサビの難易度の高さゆえカラオケで歌うと大抵事故になるが、誰が入れたんだろう。
「マイクこっちお願い」
 赤い光が見えた。信楽が手を挙げている。マイクが信楽の手に渡ったところでイントロが流れた。
 信楽が声を発した瞬間、空気が目に見えて変わった。今まで赤く光っていた信楽の声は、より鮮烈な青い光に変わった。衝撃というには生ぬるい電撃が全身を駆け巡った。青い光の中、信楽の背中に翼が見えた。地上に舞い降りた歌姫、歌うために生まれてきた天使……信楽聖奈を陳腐な言葉でしか表現できないことが悔しかった。
 サビに入るとその“青”はいっそう輝きを増した。高音域が出るとか出ないとかそんな次元の話ではなかった。歌いこなすだけではなく、歌を自分のものにして唯一無二たりえる力。彼女は持って生まれた存在だ。
 歌が終わって気づいたが、みんなポテトを食べる手が止まっていた。彼女の歌に聞き入っていたようだ。たった四分で彼女は俺だけではなく、この場の全員を魅了した。
「信楽さんうますぎ! 天才!」
 みんなが口々に彼女を褒める。俺はただひたすら余韻に浸っていた。
「ねえ、次これ歌ってよ」
 信楽にリクエストが殺到したのは言うまでもない。早口かつ音域の広さが異常で人間が歌うことが想定されていないボカロ曲が予約された。
 何曲かの後にまた信楽にマイクが渡る。今度は信楽の翼が緑色に光った。息をするのも忘れるくらいに美しいライトグリーンだった。
 その後も信楽は様々な色の光を放ちながら歌った。ある曲では紫色の、ある曲では金色の光が見えた。信楽聖奈は虹のような歌姫だった。

 永遠に続いてほしいと思った時間はフリータイムの終了とともに終わり、流れ解散となった。大多数が駅に向かう中、反対方向に歩く信楽を気づけば追いかけていた。
「信楽さん!」
 自分でも声が上ずってしまったのが分かった。信楽が首だけ振り返る。目が合った瞬間、冷静になった。わざわざ後をつけて、俺は何を言おうとしていたんだろう。下手なことを言えばストーカーだ。
 うまく声が出なかった。落ち着け、俺。仮にも声優の卵だろ。そういうセリフだと思えばいい。台本に「歌うまいね」と書いてある状態をイメージしろ。脳内でアニメ調にデフォルメされた俺がしゃべる口の動きに合わせて、素直な感情を乗せる。
「お疲れ。信楽さん、歌上手いんだね」
 うまく言えた。少なくとも、この言い方そのものは不快感を与えてはいないだろう。しかし、これを言ったあとのことはまったく考えていなかった。ただ衝動的に、詩の感想を彼女に伝えたいと思った。自分でも馬鹿げていると思う。俺の緊張をよそに、信楽が踵を返して二歩俺の方へと歩み寄った。
「嬉しい、ありがとう」
 信楽の声のトーンが上がり、赤色の彩度が二段階明るくなる。
「私も桐原君の声、好きだよ」
 続く言葉に世界が色づいた。夜の闇が一瞬で赤い光に包まれた。世界中から信楽の声以外のすべての音が消えて、信楽の声だけが脳の奥でリフレインした。
 声は俺のアイデンティティーだ。俺の存在全てが肯定されたような気がした。
「桐原君ってアニメ好きなの?」
「うん」
「だよね! アニソンに反応してたし」
 カラオケでの一挙一動を見られていたことに気恥ずかしさを覚えた。
「嬉しいなー、同じクラスにアニメ語れる人いて。桐原君もバス?」
「いや、俺は徒歩通」
「そっか、残念」
 答えた後に信楽の質問の意図に気づいた。帰り道でアニメを語ろうと誘ってくれていたのに断るような形になってしまった。
「いや、もう暗いしバス停まで送るよ。家、そっちの方だし」
「ほんと? ありがとう」
 本当は遠回りになるが、おそらくアニメ好きで話が合いそうな信楽と話がしたかったのでバス停に向かって歩き出す。春アニメの話題は想像以上に盛り上がった。繁華街を抜けて河原に出ると、ライトアップされたグラウンドでおじさん集団がサッカーをしていた。あまり上手くはない。おそらく実業団ではなく、仕事帰りの社会人サークルだろう。
「今日はありがと! また今日みたいに一緒に話そ!」
 別れ際、バスに乗り込む際に信楽がそう言って手を振った。次の機会があるかなんてわからないのに、俺はこうしてまた信楽と話すのが無性に楽しみだった。