家にたどり着く頃には雨はすっかりやんでいたのに、私は傘を閉じるのも忘れていた。
もしかして。
そんな予感があって私は着替えもせずにスマホをいじる。

検索しているのはあの川で起きた水難事故のことだ。
数年に1度あの川で踊れる子供がいることは知っている。
けれど死亡した人はそんなに多くないはずだ。

ほとんどの人が無事に助けられたり、自力で川から脱出している。
そんな中死んだのは……。
スマホをいじる指先が微かに震える。

それは先月のことだった。
台風の季節にはまだ少し早かったものの、風雨が強い日があった。
私は吹奏楽部が早く切り上げになって帰宅した日のことを思い出していた。
雨が振っていたものの、風も強かったから傘をささずに帰ってきたのだ。
そのせいで全身ずぶ濡れになってしまったけれど、飛ばされずに済んだと思った。
あの日、あの川に流されて亡くなった人がいた。

その人は悪天候を心配してイトコを迎えに行く途中、風に煽られて川に転落して、そのまま……。
私は記事に書かれている名前を読んで息が止まった。

伊賀雅文(17)
彼の名前がそこにあったから。


よく晴れた日の夕方頃、私は白い花を持ってひとり川沿いの道を歩いていた。
しばらく歩いていると小柄な女性が座り込んでいるのを見つけた。
私は一旦足を止めて大きく息を吸い込む。

「里歩先輩」
声をかけると先輩が顔を上げてこちらを振り向いた。
そして前髪をかきあげてうっすら微笑む。
「美佳ちゃんも来てくれたんだ」

立ち上がった足元には黄色い花が添えられている。
私は近づいていき「はい。今日でちょうと一ヶ月なんですよね?」と、質問した。

「えぇ。今日はとてもいい天気だけれど、あの日はすごく荒れてた」
里歩先輩が空を見上げたので、私もつられて空を見つめる。
今日はとてもいい天気で、雲ひとつ見当たらない。

「花を手向けてもいいですか?」
「もちろん」
私はその場にしゃがみこんで黄色い花の横にそっと白い花を置いた。
この場所だけ華やかになってなんとなく喜んでくれているような気分になる。

そのまま視線だけ川へ向けると、透明感の強いおだやかな水が流れている。
普段は人を飲み込んだりするようには見えなくても、それは常におだやかなわけじゃない。
人の感情と同じか、それ以上に荒々しいものなのかもしれない。
「伊賀さんは里歩先輩を探しています」

突然の私の言葉に里歩先輩が驚いて目を丸くした。
「どういう意味?」
私は立ち上がり、先輩へ向き直る。

「私は伊賀さんの幽霊と波長が合ったようです。だから知っているんです、里歩先輩を探していることを」
その説明に里歩先輩は視線を泳がせ、だけど否定することなく私の話を聞いてくれたのだった。

私と里歩先輩が連絡を取り合うようになったのは、互いに花を手向けた日からだった。
私の話を全部信じてくれたとは思えないけれど、一応は信用してくれたみたいだ。

「で、次の雨を待ってるってこと?」
事情を説明すると希が呆れ顔になってポッキーを食べた。
今日もとてもいい天気で、教室の外に見える空はよく晴れている。

あれ以来伊賀さんの姿も見ていない。
「だって、雨の日じゃないと伊賀さん出てこないんだもん」
雨と共に現れて晴れると同時に消える。

伊賀さんはそういう存在だった。
そして互いに波長が合わなければ認識し合うこともできない、なんとも儚い存在。
「いいの? 伊賀さんのこと好きなんでしょう?」
その指摘に胸の奥がチクリと痛む。
確かに伊賀さんのことは今でも好きだと思う。
初めての恋だし、幽霊だったからといって簡単に忘れられそうもない。

でも想ってもダメなものはダメだ。
たとえ伊賀さんが生きていたとしても、その気持が私へ向かうことは無いと思う。
だって、伊賀さんと里歩先輩はあんなに互いに思い合っている。

だからこそ早くその姿を見せてあげたいなと思う。
私はいつでも使えるようにカバンに入れている、中古のポラロイドカメラを思い出す。

川に花を手向けたあの後、すぐに中古ショップへ行って購入してきたのだ。
何度か試し撮りをしてちゃんと動くことはわかっているけれど、これで伊賀さんの姿を取ることができるのかどうかは、まだ少し不安が残った。

「でも、まだしばらく雨が降らないみたいだね」
希がスマホで週間天気予報を確認して呟く。
「そうだね」

雨が降ってほしいときに限って降らない。
そんな天の邪鬼な自然現象に私はやきもきした気持ちになるのだった。


「あっ!」
思わず声が出てしまい、口に入れたばかりの卵焼きがひざの上に落ちる。
「ちょっと美佳、汚いでしょ」
前の席に座っていたお母さんがしかめっ面で私を見つめる。

我が家の朝食の時間には大抵てテレビがついていて、今は今日の天気予報が流れているところだった。

ニュースキャスターの男性によれば《晴れ時々雨。夕方から本降りになるでしょう》ということだった。

今日しかないと思った瞬間につい口が開いてしまったのだ。
私はすぐに床に置いておいたカバンからスマホを取り出して里歩先輩へメッセージを送る。

「こら! 食事中にスマホをいじらないの!」
お母さんの怒号は耳に入ってこなかったのだった。


天気予報は的中し、午後から雲行きが怪しくなってきてそのままポツポツと教室の窓を雨粒が叩き始めた。
天気の悪さに教室内が陰鬱な雰囲気に包まれる中、私は心の中でガッツポーズを作った。

このまま雨が降り続ければきっと伊賀さんは出てきてくれる。
そこに里歩先輩と共に行って写真を取れば、互いを認識することができるはずだ。

「本当にいいの?」
今日の計画を知っている希が心配そうな顔で聞いてきた。

珍しくポッキーをくわえていない。
「初恋の人の恋愛を後押しするつもりなんだよね?」
希の言葉に私は頷いた。

「そうだね。初めて恋をして嬉しかったし楽しかった。すごく短い期間だったけれど、伊賀さんと会えたことは後悔してない。それよりも、互いに好き同士なのに認識し合うことができない世界があるってことの方が、ずっとずっと悲しいことだと思う」

私は伊賀さんと里歩先輩がすれ違った時の光景を思い出していた。
ふたりの思いはひとつなのに、見ることも話すこともかなわない。

私なんかじゃなくて、里歩先輩と伊賀さんの波長が合うべきだったはずだ。
それが、なんのいたずらかこんなことになってしまったけれど、それなら私のやるべきことはひとつだけ。

ふたりの架け橋になることだった。
「後悔はないんだね?」
私は希の顔をしっかりと見返して、大きく頷いたのだった。


奇しくも今日は伊賀さんが亡くなってから49日に当たる日だった。
魂がこの世を離れるこの日、彼は現れてくれるだろうか。
「ねぇ、なにか用事があって私を呼び出したんだよね?」

ピンク色の傘をさして隣を歩く里歩先輩は、さっきから無言のままの私に怪訝そうな表情を作っている。
「もう少し待ってください。そうすれば絶対に現れますから」

場所はもちろん川沿いの道。
伊賀さんが事故に合った場所だから、里歩先輩はあまり長い時間ここにいたくないみたいだ。
さっきから少し顔色も悪いかもしれない。

「現れるって一体なんのこと?」
里歩先輩の質問に答えるよりさきに前方にずぶ濡れの人陰が見えた。
「里歩先輩、あれが見えますか?」

私が指差す方向へ視線を向けるが、里歩先輩は「なにもないけど」と、首をかしげている。
更に近づいてくとそれが伊賀さんであることがわかった。
伊賀さんがこちらに気がついてうすく微笑む。
その目はまだ大切な人に出会えていない証拠のように、さみしげだ。
「美佳ちゃん。僕はもうそろそろ行かなきゃいけないんだ」
「ちょっと、待ってください!」
私は慌てて伊賀さんを引き止める。

その光景に里歩先輩は驚いて後ずさりをした。
里歩先輩から見ると私はなにもない空間に話しかけているように見えるはずだから、驚いても仕方ない。
私は伊賀さんを手招きして、立ち位置を代わってもらった。

これで里歩先輩と伊賀さんは互いに認識できなくても、隣同士に立ってもらうことができた。
私は少し息を吸い込むと、鞄の中からポラロイドカメラを取り出してふたりへ向けた。

まさか私が初恋で恋のキューピッド役をすることになるなんて、思ってもいなかった。
「そのまま、動かないでください」
ふたりへ向けて声をかける。

そしてカメラを覗き込んでシャッターを切った。
私には肉眼でもカメラ越しでもちゃんとふたりの姿が見えたけれど、写真にはどう写っただろうか。
真っ白な写真が出てきて心臓が高鳴る。

初恋は雨と共に

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