茶色く濁った川を眺めながら歩いているとつい前方不注意になってしまった。
気がついたら黒い靴が視界の中にあって、慌てて足を止める。
「ご、ごめんなさい!」

咄嗟に謝ってから顔を上げると、そこには菊田風紀そっくりなイケメンがびしょ濡れになって立っていた。
彼はポカンとした表情でこちらを見ている。
「あ、あの、傘!」

慌てて背伸びをして彼にさしかけると、彼はようやく時間が戻ってきたかのように「あ、ありがとう」と、かすれた声で言った。
びっくりした!

だって本当に今日会えるなんて思ってなかったんだから!
心臓が口から飛び出してしまいそうなほどの緊張感が襲ってくるけれど、どうにか微笑んで見せた。

「この前もここで会いましたよね? 覚えてますか?」
「もちろん。覚えてるよ。あのときはありがとう」
照れくさそうに頭をかく姿は子供っぽくて可愛い。

「あの、私●●高校2年生の岩崎美佳っていいます」
今度は言いそびれてしまわないよう、歩き出す前に自己紹介をする。
「僕は??高校3年生の伊賀雅文です」

軽く頭を下げると伊賀と名乗った彼の前髪からしずくがしたたって私の頬を濡らした。
「あ、ご、ごめん!」
慌ててズボンのポケットからハンカチを取り出すものの、それも濡れていて使い物にならない。

彼は片手でハンカチを絞って途方に暮れる。
そんな姿を見て思わず笑ってしまった。
「これくらいどうってことないですよ。それより、伊賀さんって呼んでいいですか?」

「もちろん。じゃあ僕は岩崎さんっていいかな?」
本当は下の名前で呼んでほしかったけれど、急激に距離を縮めるのは難しいのでうなづいておいた。

ふたりでトロトロと歩くのは商店街方面だ。
「あ、あの、伊賀さんはだいたいこの時間にこの辺にいるんですか?」

ちょっと変な質問かもと思ったけれど、今日偶然出会えたことがそうさせていた。
けれど伊賀さんは首をかしげて「そうでもないよ?」と難しそうな表情で答えた。
そんなに難しい質問をしただろうか。
もしかしたら行動時間は結構バラバラなのかもしれない。
3年生ともなれば部活していてもそろそろ引退だろうし、就活や進学で考えることは一杯あるばずだ。
確実に会うためにはやっぱり相手の連絡先を教えてもらう方がいい。

私は伊賀さんにバレないようにゴクリと唾を飲み込んだ。
今まで異性とは必要なクラスメートたちとしか連絡先を交換していない。
連絡内容は学校の行事予定のことばかりで、それ以外で連絡を取り合うことはなかった。

「あ、あの。よかったら連絡先を教えてくれませんか?」
緊張から最後の方は声が裏返ってしまった。
心臓は今にも爆発してしまいそうだ。

「連絡先って……スマホのこと?」
質問で返されて私は困惑する。
今どき連絡先と言えばスマホだろう。

スマホを持っていない高校生なんて見たことがない。
それなのにそんな質問をするなんて。
と、嫌な予感が胸をよぎったとき「ごめん。僕スマホないんだ」と、嫌な予感が的中する返事があった。

全身がドロドロに溶けてしまいそうな脱力感と絶望感に支配される。
スマホがないなんて言い訳で誘いを断るなんていくらなんても下手すぎる。

そんなの誰も信じないのに。
ジワリと目頭が熱くなった時「だから、探している人にも会えないままなんだ」と、せつなそうな声が聞こえてきて伊賀さんへ視線をやった。

伊賀さんのほうこそ今にも泣き出してしまいそうな顔をしていてビックリする。
もしかしてスマホがないというのは断るための口実ではなく、本当のことなんだろうか?
その上今のせつなそうな顔を見ると誰を探しているのか質問できそうにもなかった。
私はうつむき、無言で歩き続ける。
せっかく自己紹介して名前を知ることができたのに、前進できた気分にはなれない。
むしろ伊賀さんとの距離がすごく離れてしまったように感じられて胸が痛くなる。

しばらく歩いていると川へ向いてしゃがみこんでいる女の子の姿を見つけた。
その子は薄ピンク色の大きな傘を差してジッと動かない。
一体なにをしてるんだろう?

気になりながらも傘を避けるようにして歩く。
今は他の人を気にかける気分でもない。
私と伊賀さんは終始無言で歩き続けたのだった。
翌日学校で昨日の出来事を説明すると希は渋い顔をした。
「スマホ持ってないかぁ。それは脈なしかもね」
希は今日もポッキーをポリポリと食べている。

食べかすが落ちないように会話するのが得意みたいだ。
「やっぱり、そうだよねぇ」
ため息交じりにつぶやいて机に突っ伏した。

昨日の時点でわかっていたことだけれど、友達に相談して断定されると更に落ち込んでしまう。

「でも伊賀さんって人も探している人に会えないって言ってたんだよね? ってことは、スマホがないことは本当なのかも」

「それは私も思った! でも、それならなにか別の手段とかさぁ……」
ハードルは高くなるけれどパソコンのアドレスとか、家の電話ならあるかもしれない。

それを伝えられたところで連絡する勇気は出ないかもしれないけれど、少なくとも脈なしだと思って落ち込むことはなかったかもしれない。

「また次に会ったときに教えてもらうしかないんじゃない?」
希の言葉にぐぅとうめき声を上げる。
次にいつ伊賀さんに会えるかもわからないし、またあの道を通うしかないんだろうか。

会えないことがこんなにつらいことだなんて知らなかった。
寝返りを打つように顔を向きを変えると廊下を行き交う生徒たちの姿が見えた。
みんな自分よりも楽しそうで幸せそうに見えてしまう。

しばらく廊下の光景を見つめていると、1人だけ胸のリボンの色が青い生徒が横切っていって顔を上げた。

1年生は赤色、私達2年生は緑色、3年生は青色と決まっているので、この階に青いリボンの生徒がいたら目立つのだ。
「あ、さっきの先輩集会中に倒れた人だよ」
希も目ざとく見つけていたようでそう言ってきた。
「あぁ、そうなんだ」

どこかで見たことがあると思ったら、昨日の朝の集会で倒れた、あの小柄な先輩だったみたいだ。
「昨日倒れたことでちょっと有名になっちゃったよね」
「え、そうなの?」

キョトンとして聞き返すと希が驚いた表情をこちらへ向けた。
「先輩が倒れた理由、聞いてないの?」
「知らない」

「あの時突然雨が降ってきたでしょう? それが原因だったみたいだよ」
「雨が降ってきて倒れたの?」
余計にわからなくて首をかしげる。

確かに昨日は急に雨が降り始めたけれど、今の時期雨なんて珍しくない。
けれど希は「うん」と頷いた。
「雨が降るってわかってれば大丈夫みたいだけど、急に降り始めると気分が悪くなるんだって」
「そんなの大変じゃん」
「だよね。ここだけの話、心が関係しているんだって聞いたよ」

「心?」
ますますわからなくて首をかしげた。
雨の日は気圧がどうとかで頭が痛くなる人もいるから、精神的に落ち込みやすくなってしまう人もいるのかもしれない。

「あの先輩のイトコが、雨の日に川に流されて亡くなったんだって。それから雨が苦手になったらしいよ」

希の話を聞いて、なぜか私は昨日川に向けてしゃがみこんでいたピンク色の大きな傘を思い出していたのだった。


その日の放課後、希がどうしても伊賀さんを見てみたい! と言うので、仕方なく一緒にいつもの道を歩いていた。
昨日よく振ったせいで今もまだ川は濁って流れも早い。
空を見上げると今すぐにでも雨が降り出しそうな雰囲気があるものの、雨粒は落ちてきていなかった。

「会う時はいつもこの辺なの?」
大通りというわけでもない、民家の立ち並ぶ景色を眺めて希が聞く。
「そうだよ。だいたいブズ濡れになって歩いてる」

「それってちょっと妙ではあるけど、その伊賀さんって人は傘が嫌いなのかな?」
「そうでもないと思うよ? 相合い傘をして帰るときには、持ってくれるし」
そう言いながらなんだか付き合っているカップルみたいな言い方だったなと思って顔が熱くなった。

「へぇ、優しいんだ?」
案の定希から茶化されてしまった。
それからもふたりでトロトロと歩いていたけれど、この日は伊賀さんを見つけることはできなかった。

せっかく吹奏楽部の練習を早めに切り上げてきたのにガッカリだ。
あからさまに肩を落とした私に「そういえば面白い映画借りてたんだった! ちょっとうちに寄って行かない?」と、声をかけてきたのだった。
きっと希は私を慰めるために映画に誘ったに違いない。
白とピンクを貴重にした可愛らしい部屋に通され、少し待っている間にポッキーと麦茶が出てきたところまではよかった。

だけどその後再生された映画はまさかのホラー映画で私は画面の前で固まってしまった。
「あれ、美佳ってホラー苦手だっけ?」

「いや、苦手と言えば苦手だけど……」
好んで観ることのないジャンルだ。

勝手な想像だったけれど、絶賛片思い中の私のためにちょっと切ない恋愛映画とか、ラブコメディとかを準備してくれていると思っていた。

でもそんなことはないんだ。
希は私を慰めることになるとは思っていなかったんだから、ホラー映画が流れ出したからと言ってガッカリしちゃいけない。

出された麦茶を一口飲んで画面を見つめる。
映画の内容はとある家族が悪霊に襲われ、それを霊媒師が祓うというものだった。

よくある設定だけれど霊媒師がまだ若い女性ということで苦難も多く、結構おもしろいかもしれない。
気がつけば私はその映画に見入っていた。

『悪霊は波長の合う人間にしか見えない。そして悪霊も波長の合う人間のことしか認識できない』
「へぇ、そういう考え方もあるんだね」
ポッキーを口に咥えたままで希が呟く。

「悪霊や幽霊からは、どんな人間でも見えてるもんだと思ってた」
確かにそうかもしれない。
だけど悪霊側からも見えていない人がいるのなら、できることも限られてくるだろう。
『このカメラを使いましょう。カメラを通すことで姿を見せることもあります』
若い霊媒師が古いポラロイドカメラを取り出して屋敷内を撮影している。

そのカメラで撮影すると正方形の真っ白な写真が出てきて、少し待てば画像が浮き出してくる。
何枚も撮影しているとその中にいるはずのない人影が写り込んでいた。
『この部屋にいる!』

若い霊媒師が叫んだ頃には、私も希も映画に夢中になっていたのだった。
「今日は映画に誘ってくれてありがとう。結構楽しかった」
希の家から出るとすっかり外は暗くなっていた。

少し雨も振っているようで、早く帰らないといけない。
「ううん引き止めてごめんね」
「また明日」
一応傘をさして早足で来た道を帰る。

川の流れは一段と強くなっているようで、街灯だけが頼りの時間帯に覗き込むと引き込まれてしまいそうな不安感がある。