今日も今日とて、俺は可及的速やかに授業が終わることを望んでいた。

 俺の祈りが通じたのか、いつの間にか授業は終わり、いつものような昼休みが始まった。
 生徒たちが教室から溢れ出し、中庭や学食へと向かっていく。
 俺はひっそりと目立たないように学食へと向かった。

 淡々と食事を終わらせて、俺は約束の地へと向かう。
 その人の流れに背を向けるように、俺は階段へと足を向けた。
 階段を一歩ずつ上りながら、周囲を確認する。
 そして、誰もいないことを確認する。
 そう、この昼休みにここの階段には人が少ない。

 あとは資料室まで一直線だった。

 四階に到着。
 廊下は人気がなく、俺一人分の足音だけが虚しく響いた。
 誰もが一階の学食や中庭に集まる時間帯だった。

 だからこそ、ここは最高の隠れ家となる。
 第四資料室の前に立ち、深呼吸する。ドアノブに手をかけ、回す。

 ガチャリ。

「あ、先輩。こんにちは。」

 予想外の声に、俺は一瞬で凍りついた。
 資料室の窓際に、見知らぬ女子生徒が立っていた。

 中等部の制服を着ていた。

 細身の体格に、ショートカット。ジャギーの入った黒髪。
 顔は整っており、小さな鼻や大きな目が特徴的でかわいいと感じられる風貌だった。
 肌は透き通るような白さ、唇は薄めながらも自然な血色で、彼女の活発そうな雰囲気を生み出していた。

 大きな瞳で俺を見つめている。

 俺は無言で扉を閉め、踵を返した。
 こんな場所に人がいるなんて、想定外だった。
 今日はもう別の場所を探すしかない。

「ちょちょちょ、ちょっと、待ってください!」

 背後から声がした。
 次の瞬間、扉が再び開き、細い手が俺の制服の袖をつかんだ。

「離せ!それに誰だよ、お前!」

 冷たく言い放ったが、女子生徒は手を放さない。
 細いのに、異様に力が強い。

 そのまま、引っ張られて資料室へと引きずり込まれてしまった。

 …もしかして、俺、非力か?

「一ノ瀬ナズナです。中等部三年生です。先輩、逃げなくていいじゃないですかぁ!」

 彼女は必死な様子で俺を引き留める。

「いいから、離せ!暑苦しい!」
「ちょっと、ちょっとだけ、お話しましょう?先輩?」
 
 なぜか必死だ。しかしそれが余計にイライラさせた。

「嫌だ、俺はお前と話すことなど無い!」
「そんなことないでしょ?ね、先輩?」

 そう言って、抵抗する俺をこいつは完全にシャットアウト。
 もう疲れてきた。

 いや、俺…。
 目の前の女の子よりも力がないのか。

 まあ、いいや。
 疲れたのだから、俺は抵抗を辞めた。

 それに、俺にはこいつに関して気がかりなところがあった。
 
「どうして俺のことを知ってる?」

 そう、どうしてこいつは俺のことを先輩だと知っているんだ?

「先輩のことは色々知ってますよ。綾小路キョウ先輩、高等部一年生。『効率』を重視する生活を送っていて、スマホの動画を見るのが日課ですよね?」

 一ノ瀬は俺の目をまっすぐ見つめながら言った。その視線には妙な既視感があった。
 まるで昔からの知り合いのように俺を見つめていた。
 もちろん、俺はこんなやつ、知らない。

「お前は誰だ?」
「一ノ瀬ナズナです。さっき言いましたよ?」

 おどけた様子で彼女は俺にそう言った。
 うるせぇ、と内心思った。

「お前、もしかして…。」
「なんですか?」

 そうって彼女は、可愛らしく首をかしげている。
 もちろん、俺の腕を離さずに…。

「俺をストーキングしてるのか?」
「違いますよ。たまたま、先輩がここにいることを知っていただけです。」

 一ノ瀬は軽快に言った。
 その態度はあまりにも自然で、かえって不自然に感じる。

「たまたま、今、会ったんだろ?」
「ああ、そうともいいますね!」

 ニコニコと彼女は言った。

「なぜここにいる?」

 なんだか、ばからしくなってきた俺は苛立ちを抑えきれなくなってきた。

「ちょっと静かな場所が欲しくて。中等部は昼休みうるさいんです。」

「他を探せ。ここは俺の場所だ。」

 冷たく言い放つ。

「先輩のものじゃないですよね?学校の施設ですから。」

 一ノ瀬は笑顔を崩さない。
 まるで俺の反応を楽しんでいるかのようだ。

「……じゃあな。俺は出ていく、それでいいだろ。」

 これ以上の会話は時間の無駄だ。
 
「いいえ、先輩。ここで一緒に動画でも見ましょうよ!」
「いやだ。」

 俺は即答した。
 怒りが込み上げてくる。
 俺の生活は誰にも干渉されないように設計されている。
 それが最も効率的だからだ。

 赤の他人にとにかく言われる筋合いはない。

「まぁまぁ、そんなに怒らない。ねぇ、先輩。椅子に座ってください。」

 後輩はそう言って、俺をさらに引っ張った。

「おいおい。」

 俺は急に引っ張られたので、バランスを崩しそうになる。

 彼女は俺の意思を完全に無視して、俺を半ば無理やりパイプ椅子に座らせた。

「監禁しているのか?」
「まぁ、似たようなもんですかね?」

 彼女はそんなことを言いながら、俺の隣にパイプ椅子において、そこに座った。

「うーん。疲れた!」
「お前が俺を無理やり引っ張るからだろ!」

 俺は突っ込みを入れた。
 俺の突っ込みは、完全に無視された。

「先輩、いつも見てる動画って、短いやつばかりですよね。なぜですか?」
「効率的だからだ。」

 無視するつもりだったが、思わず口から言葉が漏れる。

「へえ、効率的。でも、それって本当に効率的なんですか?次から次へと新しい刺激を求めるだけじゃ、何も残らないと思いますけど。」

 一ノ瀬の言葉が心に刺さる。何も残らない?それが目的なのに。

「残す必要はない。その瞬間を楽しめればいい。」

「でも、それって逃避じゃないですか?」

 思わず顔を上げると、一ノ瀬の真剣な眼差しと目が合った。

「何から逃げてるんですか、先輩?」
「……黙れ。お前に何がわかる。」

 スマホの画面を見つめ直す。動画を再生しようとするが、彼女からの視線が邪魔で集中できない。
 ああ、なんなんだ、こいつ。

 俺は心の中で愚痴った。

「先輩の好きな動画配信者、あの海外の人ですよね。毎週水曜に投稿してるやつ。」

 その言葉に、再び顔を上げる。なぜそんなことまで知っている?

「…どうして知ってる?」
「当ててみただけです。」

 一ノ瀬は微笑んだが、その目は笑っていなかった。
 俺はもはや、この目の前にいるストーカーをどう解釈していいものか、悩んでしまった。

 じっと、黙る。

「わかりました。今日はこれで。」

 一ノ瀬は立ち上がった。

「では、明日も来ますね。先輩と話すのは、楽しいですね!」
「俺は楽しくない。」

 俺はきっぱりと感想を言った。

「また、会いましょう!」

 彼女は、そういいながら一ノ瀬は資料室を出て行った。

 無視された。
 …それはまあ、いいや。

 彼女が去った後、俺は深いため息をついた。

 なんだあいつは?
 俺についてなぜそこまで知っている?

 考えれば考えるほど不気味だった。

 スマホを見るが、いつもの楽しみが台無しになった気分だ。
 結局、その日の昼休みは何も手につかなかった。