キキキーッ!!
……ドーンッ____
「青っ!青!あぉ……」
誰かが俺を呼ぶ声がする。
空?
泣いているのか?
誰でもいい……。
誰でもいいからあいつの涙を拭ってやって。
――――ごめん、青……。
私はあなたの足を引っ張ることしか出来ない。
私……何も出来ない。
ただここで待つことしか出来ない……。
――――私は、無力だ。
――――2時間前。
「ねぇ、青」
「ん?」
「私、ちょっとここで降りていい?」
「え、いいけど……なんで?」
青はチャリを止めた。
止めた場所は学校近くのコンビニ。
青が頑張ってくれたおかげで、朝練の時間までには余裕があった。
「ちょっと買いたい物あるから先行ってて。もう学校近いし、大丈夫」
私は、青のチャリから降りた。
私は消しゴムがきれていたことを思い出した。
「ああ、わかった。じゃあ、後でな!」
そういって青はまたチャリをこぎ出そうとした。
その瞬間だった。
コンビニに、明らかに走り方のおかしい大型トラックが突っ込んでこようとしてきたのは。
トラックはもの凄いスピードで、コンビニの丁度入り口前に立っていた私の方へ突っ込んでくる。
私に逃げ場所はなかった。
ただただ、目前に迫り来るトラックを見つめることしか出来なかった。
ダメだ……死んじゃう……。
「空っ!」
え……なんで?
いつの間にか、私の目の前に青がいた。
そして、青は私を思いっきり突き飛ばした。
キキキキーーーッ!!!
ドーンッ……
「青ーっ!!」
私の声はもう届かない。
いやだ……いやだよ。
青っ……!
「青ぉっ!!」
私は叫んだ。
叫んだ。
叫んだ。
嫌だよ。
行かないでよ。
一人ぼっちはもう嫌なんだよ――――。
手術室の扉が開いた。
「……っ先生!青は、青は?」
私は先生が出てくるなり飛びついた。
私の顔はもう涙でぐしょぐしょだった。
だめだ。
涙が止まらない。
だめだ……。
おじさんとおばさんは真っ青な顔をしている。
「命は取り留めました。しかし、頭を強く打っています。意識がいつ戻るかはわかりません。最悪、一生このままということも……」
医者は静かにそういった。
青の意識が……戻らないかもしれない……。
あの無邪気な笑顔も。
あの愛しい手の温もりも。
青の野球をする姿も。
もう、見られなくなるかもしれない。
もう、感じることは出来なくなるかもしれない。
『俺、甲子園いって、スカウトされて、プロ入りする予定だから』
私が青の未来を奪った。
あのとき、そのまま学校に向かっていれば。
私が2人乗りなんてしなければ。
私があのとき動けていれば。
後悔がどんどん募っていく。
「……うぅ……ごめんなさい……私のせいだ……」
目の前が真っ暗になる。
未来が見えない。
未来を見たくない。
青のいない未来なんて……
ふと、私の頭の上に温かいものが置かれる。
私の頭をおばさんが撫でてくれた。
「空ちゃんは悪くないの。飲酒運転の事故ですもの。大丈夫よ、あの子石頭だから……大丈夫よ」
おばさんは必死に慰めてくれる。
だけど、おばさんの目には涙が溜まっていた。
「……うぅ……ひっ……ううぁ……ううぅ……あぉっ!」
私はその場に崩れ落ちた。
神様。
私の大事な人から、大切なものを奪っていかないで。
野球を彼から奪わないで……。
青は真っ白なベッドの上で静かに眠っている。
今日の天気は雨だ。
私の心の中みたい。
私はそっと、青の手を握った。
決して握り返してはくれない青の手。
「目覚ましてよ……。約束……守ってくれるんじゃなかったの?」
私の頬を暖かいものが伝う。
そして、青の手に落ちた。
私と青との小さい頃からの約束。
手術室の扉が開いた。
「……っ先生!青は、青は?」
私は先生が出てくるなり飛びついた。
私の顔はもう涙でぐしょぐしょだった。
だめだ。
涙が止まらない。
だめだ……。
おじさんとおばさんは真っ青な顔をしている。
「命は取り留めました。しかし、頭を強く打っています。意識がいつ戻るかはわかりません。最悪、一生このままということも……」
医者は静かにそういった。
青の意識が……戻らないかもしれない……。
あの無邪気な笑顔も。
あの愛しい手の温もりも。
青の野球をする姿も。
もう、見られなくなるかもしれない。
もう、感じることは出来なくなるかもしれない。
『俺、甲子園いって、スカウトされて、プロ入りする予定だから』
私が青の未来を奪った。
あのとき、そのまま学校に向かっていれば。
私が2人乗りなんてしなければ。
私があのとき動けていれば。
後悔がどんどん募っていく。
「……うぅ……ごめんなさい……私のせいだ……」
目の前が真っ暗になる。
未来が見えない。
未来を見たくない。
青のいない未来なんて……
ふと、私の頭の上に温かいものが置かれる。
私の頭をおばさんが撫でてくれた。
「空ちゃんは悪くないの。飲酒運転の事故ですもの。大丈夫よ、あの子石頭だから……大丈夫よ」
おばさんは必死に慰めてくれる。
だけど、おばさんの目には涙が溜まっていた。
「……うぅ……ひっ……ううぁ……ううぅ……あぉっ!」
私はその場に崩れ落ちた。
神様。
私の大事な人から、大切なものを奪っていかないで。
野球を彼から奪わないで……。
青は真っ白なベッドの上で静かに眠っている。
今日の天気は雨だ。
私の心の中みたい。
私はそっと、青の手を握った。
決して握り返してはくれない青の手。
「目覚ましてよ……。約束……守ってくれるんじゃなかったの?」
私の頬を暖かいものが伝う。
そして、青の手に落ちた。
私と青との小さい頃からの約束。
――――あれを交わしたのは何年前だっただろうか。
確か……10年前か……。
私と青はまだ幼稚園児だった。
『藤青学園高校!な、なんと8年ぶりの甲子園出場です』
私の父と青と私は並んでテレビを見ていた。
「青、お前はあそこを目指せよ!」
お父さんが青の頭をくしゃくしゃっと撫でる。
「あそこって、どこ?」
「甲子園さ!野球をしている高校生は皆甲子園を目指すんだ。夢の舞台なんだよ」
お父さんは目を輝かせてそういった。
「こうしえん?ゆめのぶたい?……俺行く!」
青はあどけない笑顔でにこっと笑う。
「おう、頑張れよ青!俺が特訓してやるからな」
「空もそこ行きたい!!」
好奇心旺盛な私は、夢の舞台という言葉に惹かれてそう言った。
「はははっ!空は女の子だからなぁ~」
「青だけずるいっ!」
そういって私は泣きじゃくった。
「そーらーっ!俺が空を連れて行くよ。もっともっと野球練習して、上手くなって、甲子園に空を連れて行く!んで、俺、てっぺん取る!」
青がそういってくれて私は嬉しかった。
甲子園に行けるんだと。
青が私を連れて行ってくれるんだと。
そして青がその大舞台で頂点に立ってくれるんだと。
「本当に?」
「うん。約束な?」
そして、私は笑顔になったっけ……。
幼い2人の間に出来た大きな約束。
お互いに小さな手の小指をからめ、私たちは指切りげんまんと歌った。
私はふと、病室の窓から見える空を見る。
昨日と全く変わらない空。
当たり前か……。
世界は変わらず動き続ける。
青が事故にあったなんて、世界から見ればほんの小さなことに過ぎない。
時間は進み続けるんだ。
今も……これからも……。
それにしても今日は泣いてばかりだ。
明日から学校へ行かなければならない。
青のいない教室。
青のいない部活。
これが、当たり前になるかもしれない。
そういえば、ずっと前に青が冗談半分でこんなこと言っていたっけ……。
「なぁ空」
「ん?」
「もし、俺がお前の前から急にいなくなったらどうする?泣く?」
その時は、何言ってるのこいつ、とか思っていた。
だから、あんな返事しか出来なかった。
「何言ってんのバカ。じゃあ、青は?」
「俺?俺は……笑うかな」
「え……」
「だって、悲しいの俺だけじゃねぇし。泣いたって、お前は戻って来ねぇし。とにかく目の前にいる人元気づけるかな。……んで、お前探しに行くかな」
そういって青は笑ってたっけ……。
まさか、現実になるなんてね。
でも、青は死んだわけじゃない。
私の前から消えたわけでもない。
生きているんだ。
確かに青はここで生きている。
そう……青はまだ私の目の前にいる。
私と青の道は一緒だと思ってた。
だけど、現実、そんなことは許されなくて、自分の足で道を作っていかなければならない。
青が作ってくれた道を、今まで私はただ歩いてた。
これからは、私が道を切り開いていく。
――――自分の道を私は歩いてく。
雨はいつの間にか止み、雲の間から微かに青空が見えた。
「青、私頑張るから。青が眠っている間、私があの約束守れるように頑張るから。私が野球部を甲子園へ連れて行く。もたもたしていると置いていくよ」
そういって、私は青の手をぎゅっと強く握った。
そして無理やり笑顔を作ってみる。
さぁいこう。
前を向こう。
一歩ずつ未来へと向かってゆこう。
ピピピッピピピ……
目覚まし時計が鳴る。
また今日一日が始まる。
青のいない一日が。
青が学校からいなくなってもう何日が経っただろう。
そんなことを考えながら私はベッドから体を起こす。
もう夏が近い。
甲子園の予選が始まる。
――――あの夏が近い。
学校での休み時間。
私にとって一番憂鬱な時間かもしれない。
いつもなら、青が話しかけてくれるんだけど、今はいないんだ。
私は大体自分の席でじっと教科書を見ているか、窓の外を見ているかのどちらかで時間を潰している。
だから、余計な会話が耳に入ってくる。
聞きたくもない会話が……。
「ねぇねぇ、水木さんって彼氏がいなくなって悲しくないのかな」
「ってか、笑ったところとか、泣いているところとか見たことないよね」
「きっとさ、感情ないんだよ」
ほら、聞こえてくる。
感情がないわけじゃない。
私だって……本当は……。
気が緩むとすぐに涙が出てきそうになる。
そんなとき頭の中で、笑顔の青が私に言うんだ。
『悲しい時こそ笑顔が一番だよな!』って。
――――青……。
私笑えてないけど……泣いてないよ。
心の中で、そういってみる。
心の中では素直になってみる。
私は今日も頑張っているから。
「そーらちゃんっ!」
……え?
背後から声がする。
私の名を呼んでくれる人なんて野球部と青以外にいたっけ?
まして、女の子で私の名前を呼んでくれる人なんて……。
私は恐る恐る振り向いた。
そこには、同じクラスの川島愛梨《かわしまあいり》の姿があった。
クラスの女子の中でも中心的な人物。
なんでこんな人が私に?
「そんな警戒しないでよ……。前から話してみたかったんだけど、相原君いたから……」
ああ……。
そういえば私と青が付き合ったの入学してすぐだったっけ……。
「うん」
私は一先ず頷いてみる。
なんたって女の子と話すの久々だったから。
「川島さんが……なんで私に?」
私がそういうと、川島さんはパァッと笑顔になった。
「そうだよ!よかった!名前、覚えてくれていないかと思った!」
「覚えているから大丈夫だよ」
「ねぇ、愛梨って呼んでよ!私も空って呼んでいい?」
「うん」
「ふふふっ!なんかうれしいな。空!」
私の名前を呼ばれて、心がなんだか温かくなった。
青の時とは違う。
なんだか、じわっとくる温かさ……。
そして、目頭が熱くなった。
なんで……こんなときに……。
「ちょっと……ごめん」
私は自分でも訳が分からず教室を飛び出す。
もう授業が始まるっていうのに……。
だめだ……。
止まらない。
「空!」
あの子が呼ぶ、私の名前の呼び方と……青が呼ぶ、私の名前の呼び方とが……なんだか似てるように感じられたから。
声は全然違う。
だけど…。
なんだか青に呼ばれた感じがしたんだ。
私は屋上まで上がってきた。
もう授業のベルはとっくの前に鳴ってしまった。
ああ、人生で初めて授業をさぼってしまった。
私は、顔を覆っていた手をおろす。
大丈夫。
ここなら、誰もいない。
私の目から、涙が一気に零れ落ちてきた。
「…うぅ…あおっ…ひっく…」
溜めていた想いが溢れ出す。
どれだけ、自分の中で大丈夫、大丈夫って言い聞かせていたって、
どれだけ、青のことを信じていたって、
少しでも気を抜けば溢れる涙。
「ああ、やっぱり……」
後ろから声がする。
この声はまさか……。
……愛梨。
恐る恐る振り返るとそこには、愛梨が立っていた。
「な…ひっ…なんで…っく」
私は驚きも涙も、もう隠せなかった。
「辛かったよね……泣いていいんだよ。誰にも言わないから……」
愛梨は私の傍まで来て、背中を擦ってくれた。
その瞬間、溜めていた想いが私の中で爆発する。
「うわわぁ…ううぅ…あおぉ…ひっく…ううあぁ…」
愛梨は私の隣でずっと私が泣くのを黙って聞いていた。
私の背中をずっと優しく擦ってくれていた。
なんで、ついさっき話しかけてくれ子の前で私がこんなにも泣けたかは分からない。
だけど、私の涙は止まることを知らなかった。
不安。
悲しみ。
焦り。
寂しさ。
愛しさ。
青への感情が全て涙となって流れていく。
「うぅ…ひっく……」
「落ち着いた?」
私は5分間ぐらいだろうか。
愛梨の傍で泣き続けた。
久しぶりにこんなに泣いた。
あの日以来だった。
「うん……。ありがと」
すると、愛梨はにこっと笑った。
あ……笑い方……。
青と似ている。
口角があがって、まるで子どもみたいに笑うんだ。
「空って、本当に相原君のことが好きなんだね?」
……え?私が青のことを好き?
「なんで?」
「なんでって……だって、こんなに相原くんのことで悩んでるじゃん」
それは、幼馴染みとしての感情であって、本当に私が青のことを好きかどうかは分からない。
「あのさ……」
愛梨に全て言ってしまおうか。
私と青との関係を。
「……ん、何?」
きっと大丈夫だ。
なぜか、愛梨の傍にいると安心できた。
まるで、青の傍にいるようだ。
「私、青に告白された時……青のこと好きじゃなかった。だけど、青を離したくなかった。だから……私、青のことを好きかどうか分からないまま付き合うことにしたの。私……青に最低なことした」
愛梨は私の目を真っ直ぐに見てくる。
何もかもが見透かされているようだった。
「わかってたよ」
……え……?今なんて……。
わかってた?
「なんで?私、このこと青にさえ言ってないのに」
「相原君も……わかってたよ」
……え。なんで。
「私、中学の時から相原君好きだったんだ。あ、そうそう。私と空同じ中学なんだよ?中学の時は同じクラスになったことないから、知らなくて当然か……。でさ……私卒業式に告白したんだ。相原君に。だけどさ……。振られちゃった。ものの見事に」
「……」
言葉が出てこない。
だけど、愛梨はノーリアクションの私に構わず話を続けた。
「でさ、そのときの振られ文句が、”俺、空のこと好きなんだ。だけどあいつ、俺のこと男として見てねぇけど”っていってた。だからさ……。相原君は気づいていたよ」
「……っ!」
青は……気づいていた……?
じゃあ私、知らない間に青を傷つけていたんだね。
また、目頭がジーンと熱くなる。
鼻がツーンとする。
思わずまた涙が溢れそうになる。
だめなのに……。
笑顔でいなきゃいけないのに。
「でもほら、空。ちゃんと相原君のこと好きじゃん!空も恋してるじゃん!」
「え……?」
私はうつむいていた顔を上げた。
あ……。
愛梨も泣いている。
なんで……?
「私さ……羨ましかったんだ。2人が。正直、空、美人だし、何でも出来るから他の女子みたいに、妬んだ時も、悪口とか言ってた時期もあったよ。でもさ、相原君が入学式終わったなりの時に、”俺、お前みたいにちゃんと思いぶつける”って言ってくれたの。あり得ないよね、普通。なんで、振った相手に、そんなこと報告するかなって思ったよ。だけど今考えたら、私、相原君に信頼されてたんだと思う。だって、もしかしたら、私が相原君の告白邪魔することも出来たわけでしょ。だけど、相原君は、私がそんなことしないって信じてたから言ってくれたんだって、暫くして分かった。んでね、相原君が事故にあったって聞いたとき、本当に信じられなかった。あの相原君が……?って思った。私さ、今相原君は困っていると思うんだ。”空に心配かけたー”とか、”空、一人になってねぇかなー”とか、目覚まさないだけで、思ってると思うんだよね。だから、次は私が相原君に恩返しようと思って。空には私がいるから、相原君は少しゆっくりしてていいよって。あ、違うかっ!早く目覚まさないと、空、私じゃ満足しないかっ!あははっ!あ、でも、私ずっと前から空と仲良くなりたかったってのも、もちろんあるよ?だって、相原君が空の話するとき、すっごく楽しそうだったんだもん!」
愛梨は一生懸命今までのこと語ってくれた。
青、こんないい子振るとか頭どうかしてるよ。
本当に青はバカなんだね。
気づけば私は笑顔になっていた。
青以外の人の前で久々にみせた笑顔。
青、大丈夫。
私笑えてるよ。
早く目覚ましてよ。
バカ青。
「空!明日の試合の日程なんだが……」
「はいっ」
私は相変わらず、マネージャーの仕事を淡々とこなしていた。
というか、この方が体を動かしているから、青のこと考えなくて済む。
だけど、少しでも気を緩めれば、あのマウンドで誇らしげに立っている青の姿が見えてしまう。
今、そこに青はいないのに………
前に進むって私は決めたから。
次の試合は甲子園に繋がる予選の大会。
私、青のいないこの野球部で甲子園目指すよ。
この、青空の下で――――。
「空、青の調子はどうだ?」
部活終わり、たまたま家の方向が同じ先輩と一緒に帰っていた。
青ととても仲が良かった舟橋《ふなはし》先輩。
青と同じピッチャー。
2年生で、とても親切で気の利く先輩。
「んー……。相変わらずです」
「そうか……。寂しいな」
寂しい……?
確かに寂しい。
だけど、私だけじゃない。
私の周りの人もきっとそう。
きっと舟橋先輩だって……。
「先輩。試合頑張りましょう」
私は無理矢理にでも笑顔を作った。
野球部内でも私は今まで笑った数は数えられるほど。
珍しい私の精一杯の笑顔。
先輩は、驚いていた。
だけど、先輩も笑ってくれた。
これでいいんだ。
――――『空、お前は笑えよ』
青の口癖。
これでいいんでしょ?
青はいつも私を導いてくれる。
道は違うけど、道の開きかたを私に教えてくれる。
今も、これからもずっと……。
さあ、試合は……一週間後。
今年も、あの熱い夏がやってくる。
あなたは今どこにいるのだろうか。
空から私のこと見てるのだろうか。
そんなことしているならはやく自分の体に戻ってほしいんだけど。
でも、私なんとかうまくやれてるんだ。
私親友ができたよ。
青のいつもいたポジションに今は愛梨がいてくれるんだ。
だからさ、はやく目を覚ましてよ。
「バカ青……」
私は、ベッドの傍にある丸椅子に座って、ベットで静かに眠っている青にぽつりとそういいかける。
だけど、やっぱり反応してくれないんだ。
きっと、私が教科書でなんど頭を叩いたって起きてはくれないだろう。
青の髪が少し伸びた。
坊主頭だから、少しでも髪が伸びればすぐにわかる。
頭皮はもう全く見えないほど髪が濃くなってきた。
もう……どれだけの月日が流れただろうか。
1か月ほど経っただろうか。
青がいなくなって。
まだ正直慣れない。
青がいないなんて……きっと一生慣れない。
私はそっと青の手を握る。
決して握り返してくることはない青の手。
私、あの頃幸せだったんだ。
帰り道、私がぎゅっと握れば、青もぎゅっと握り返してくれた。
私は過去の青との思い出に浸っていた。
私の心臓はトクントクンと鳴りはじめる。
前に愛梨が言っていた。
『恋ってさ……。不思議なものだよ。いつの間にか誰かを好きになっていて……。自分が恋してるって気づかない時もある。もしかしたら、認めたくないだけなのかもしれないけど』
私にとって恋とは未知の世界。
”好き”という気持ちが私には分からない。
この心臓のなる理由さえ分からない。
あのさ、青。
青が目を覚ますまでには私、この気持ちの正体突き止めるから。
今日は青から勇気を貰いにきた。
明後日、試合だから。
青が目を覚ましたらいい報告が出来るように。
「青……。待ってて」
私はそう言って青の手をそっと離し、静かに病室を出る。
そして、夜の道を私は一人歩き出した。
空には星がたくさん輝いていた。
あの、儚い光が私に降り注いだ。
「わあぁぁぁぁぁあ……藤青学園っ!」
青空の下、たくさんの声援がスタンドから聞こえてくる。
今は9回裏、こちらからの攻撃で2アウト満塁。
点数は1対1。
バッターは主将の川原先輩。
「ふぅ……」
先輩は大きくネクストサークルで深呼吸をするのが分かった。
先輩……緊張してるんだ。
当たり前か……。
ここで打てばサヨナラだ。
こんなところで私たちは負けていられない。
目指すのは甲子園という大舞台。
川原先輩はゆっくりとネクストサークルで立ち上がる。
「先輩!ここで負けたら私、青に笑われます。勝ちましょう」
私はベンチから精一杯川原先輩にそう叫ぶ。
なぜ青のことを言ったのかは私にも分からない。
私は絶対に負けたくなかった。
こんなところで負けるもんか。
川原先輩は振り替えって、首を縦に動かし、笑顔を向けてくれた。
私も笑顔を先輩に返す。
青とは違う川原先輩の笑顔。
先輩の笑顔は目じりが少し下がる。
私を安心させてくれる笑顔。
そして川原先輩はゆっくりと青空の下で一歩踏み出す。
『3番、ファースト、川原君』
「わぁぁぁぁっ!川原っ、かっとばせぇ~!!」
周りの声援は大きくなる。
きっと、川原先輩のプレッシャーも大きくなっているだろう。
でも、きっと大丈夫。
なんたって、彼はこの野球部の大黒柱なのだから。
こんなことでは潰れない。
私たちが目指すのは、まだ遥か先にあるんだ。
__カキーン……
白いボールが青空へと溶け込んでゆく。
ゆっくりと青空に吸い込まれていく。
……サヨナラホームラン。
「わぁぁぁぁぁあ!!!」
声援は今日一番の盛り上がりとなる。
ああ、まだ始まったばかりなんだ――――。
「青、私たち明後日決勝かけた試合だから。本当に青はバカだよ。……本当に……バカ」
その後、私たちは順調にコマを進め、ベスト4に入った。
明日は決勝戦をかけた試合が行われる。
念入りにミーティングをし、私たちは明後日の試合に備えた。
私はその帰りに病院により、今青のところにいる。
青に聞こえるはずもない私の声。
そんなの分かっているけど、話しかけられずにはいられない。
きっと、私が報告しなかったら、青は怒るから。
青の手は相変わらず、私に握られるばかりで私の手を握ろうとはしてくれない。
そのたびに、悲しくなるけど、青の手は私を幸せにしてくれるんだ。
私のことを守ってくれる大きな手。
あのとき、私の体を突き飛ばしたのもこの大きな手。
私の心を落ち着かせてくれたのも大きな手。
この大きな手から今日も私は勇気をもらう。
明後日……勝つから。
私は、青の手をそっと私のおでこにつける。
絶対に……勝つ。
「…っ!監督……このままだと……」
「ああ、でも頑張ってもらうしかないんだ」
9回裏。
こちらの守備で、2アウト満塁の大ピンチ。
点数は2対2。
しかも、投手の舟橋先輩はもう限界。
もともと肩に怪我をしている先輩。
先輩の肩はもう……。
これ以上投げるのは危険すぎる。
きっと監督も分かっている。
だけど、この場を凌げるとしたら先輩の他にはいない。
難しい選択が迫られる。
「……駄目だ……舟橋を下げる。赤坂……お前が行け」
監督はポツリと言う。
きっと監督の判断は正しい。
先輩の野球生命を守るための決断。
代わりの赤坂巧《あかさかたくみ》は1年生。
野球のセンスはあるがまだまだ荒削り。
試合で投げるにはまだ早すぎる。
しかも相手は4番バッター。
こんな大事な場面で、自分が投げなければいけない。
そのプレッシャーは計り知れないものだろう。
舟橋先輩がベンチに戻ってきた。
顔には、涙が一滴頬を伝っているのが見えた。
先輩……悔しいんだ。
当たり前か……。
最後まで投げさせてもらえなかったんだから。
「……っ!すいませんでした。俺が不甲斐ないばかりに、巧に任せなければいけないことになって……」
舟橋先輩は私たちの前で深々と頭を下げた。
「先輩……。俺チャンスだと思ってますから。なんで謝るんですか?俺の見せ場作ってもらって感謝してるんすよ」
巧が優しく先輩の肩に手を置いた。
巧の声は少し震えている。
緊張してるんだ。
だけど、強くあろうとしている。
強くなければいけないって自分に言い聞かせてる。
真っすぐと前を見ている。
「俺、青が羨ましかったんっすよ。同じ1年のピッチャーなのに、あいつは俺よりも遥かにうまくて、あいつは試合に出て、このチームのエースで……。俺が試合に出ることは一度もなかった。悔しかった。追いつきたかった。そんな時に青があんな目に合ってしまった。俺の目標がいきなり目の前から消えてしまったんです。何やってんだ青!って思いましたよ。で、青が楽しみにしていた試合が始まって今に至っています。俺、青が目覚めたら驚かせてやりたいんです。焦らしてやりたいんです。だから、俺絶対に止めますから。絶対に抑えます。先輩、ベンチから見ていてください。俺の活躍を!」
巧の目は、遥か先を見ている。
もう、迷いはなかった。
そうだ、私たちはここで終わるわけにはいかないんだ。
巧の声はもう震えてはいなかった。
舟橋先輩は、涙を流していた。
そして、巧は前へと歩き出した。
マウンドへと……憧れの舞台へと。
だけど背中はまだ強張っている。
私は巧の高い肩に手を置いた。
頑張れ……巧。
心の中でそう呟く。
巧は少し驚いた顔で振り返り、また笑顔になる。
そしてまた歩き出す。
青空の下へ。
あの、ピッチャーの舞台へ。
「巧ー!絶対に抑えろっ!」
ベンチから、野球部が必死になって叫ぶ。
私たちの戦いは……まだ終らない。
まだ終わらせないっ!
「青、私たち明後日決勝かけた試合だから。本当に青はバカだよ。……本当に……バカ」
その後、私たちは順調にコマを進め、ベスト4に入った。
明日は決勝戦をかけた試合が行われる。
念入りにミーティングをし、私たちは明後日の試合に備えた。
私はその帰りに病院により、今青のところにいる。
青に聞こえるはずもない私の声。
そんなの分かっているけど、話しかけられずにはいられない。
きっと、私が報告しなかったら、青は怒るから。
青の手は相変わらず、私に握られるばかりで私の手を握ろうとはしてくれない。
そのたびに、悲しくなるけど、青の手は私を幸せにしてくれるんだ。
私のことを守ってくれる大きな手。
あのとき、私の体を突き飛ばしたのもこの大きな手。
私の心を落ち着かせてくれたのも大きな手。
この大きな手から今日も私は勇気をもらう。
明後日……勝つから。
私は、青の手をそっと私のおでこにつける。
絶対に……勝つ。
「…っ!監督……このままだと……」
「ああ、でも頑張ってもらうしかないんだ」
9回裏。
こちらの守備で、2アウト満塁の大ピンチ。
点数は2対2。
しかも、投手の舟橋先輩はもう限界。
もともと肩に怪我をしている先輩。
先輩の肩はもう……。
これ以上投げるのは危険すぎる。
きっと監督も分かっている。
だけど、この場を凌げるとしたら先輩の他にはいない。
難しい選択が迫られる。
「……駄目だ……舟橋を下げる。赤坂……お前が行け」
監督はポツリと言う。
きっと監督の判断は正しい。
先輩の野球生命を守るための決断。
代わりの赤坂巧《あかさかたくみ》は1年生。
野球のセンスはあるがまだまだ荒削り。
試合で投げるにはまだ早すぎる。
しかも相手は4番バッター。
こんな大事な場面で、自分が投げなければいけない。
そのプレッシャーは計り知れないものだろう。
舟橋先輩がベンチに戻ってきた。
顔には、涙が一滴頬を伝っているのが見えた。
先輩……悔しいんだ。
当たり前か……。
最後まで投げさせてもらえなかったんだから。
「……っ!すいませんでした。俺が不甲斐ないばかりに、巧に任せなければいけないことになって……」
舟橋先輩は私たちの前で深々と頭を下げた。
「先輩……。俺チャンスだと思ってますから。なんで謝るんですか?俺の見せ場作ってもらって感謝してるんすよ」
巧が優しく先輩の肩に手を置いた。
巧の声は少し震えている。
緊張してるんだ。
だけど、強くあろうとしている。
強くなければいけないって自分に言い聞かせてる。
真っすぐと前を見ている。
「俺、青が羨ましかったんっすよ。同じ1年のピッチャーなのに、あいつは俺よりも遥かにうまくて、あいつは試合に出て、このチームのエースで……。俺が試合に出ることは一度もなかった。悔しかった。追いつきたかった。そんな時に青があんな目に合ってしまった。俺の目標がいきなり目の前から消えてしまったんです。何やってんだ青!って思いましたよ。で、青が楽しみにしていた試合が始まって今に至っています。俺、青が目覚めたら驚かせてやりたいんです。焦らしてやりたいんです。だから、俺絶対に止めますから。絶対に抑えます。先輩、ベンチから見ていてください。俺の活躍を!」
巧の目は、遥か先を見ている。
もう、迷いはなかった。
そうだ、私たちはここで終わるわけにはいかないんだ。
巧の声はもう震えてはいなかった。
舟橋先輩は、涙を流していた。
そして、巧は前へと歩き出した。
マウンドへと……憧れの舞台へと。
だけど背中はまだ強張っている。
私は巧の高い肩に手を置いた。
頑張れ……巧。
心の中でそう呟く。
巧は少し驚いた顔で振り返り、また笑顔になる。
そしてまた歩き出す。
青空の下へ。
あの、ピッチャーの舞台へ。
「巧ー!絶対に抑えろっ!」
ベンチから、野球部が必死になって叫ぶ。
私たちの戦いは……まだ終らない。
まだ終わらせないっ!
舟橋先輩と俺が交代。
そう監督に言われた。
この絶体絶命のピンチの場で。
俺は正直胸が押し潰されそうだった。
ああ先輩の前で言ってはみたけど……。
俺は……やれるのか……?
この俺がこの場を……。
『巧っ!お前なら出来る』
後ろから聞こえた声。
……青?いや……青がいるわけがない……。
だって今青は……。
俺は、後ろを向いた。
空……?
空が、俺の肩に手を乗せていた。
いつも、感情を表に出さない空。
そんな空が今にも泣きそうな顔をしている。
なにやってんだ俺……。
男だろ……。
何女の子泣かせてんだよ。
かっこわりぃ。
こんなところ、青に見られたら笑われちまう。
俺は両手で顔をパシっと叩いた。
そして俺は青空の下にでる。
俺は……負けねぇっ!!
何としてでも……青を超えるんだ。
後ろからは俺を励ます声が聞こえる。
俺は一歩一歩確実にグラウンドを歩いた。
上にはきれいに広がる青空。
今、俺が立っているのは憧れの舞台。
キャッチャーの町《まち》先輩は優しく頷いてくれている。
今まで立つことの出来なかったこのマウンド。
――――そこに俺は今立っている。
カキーンッ
白球は再び青空へと飛び上がる。
現実はあまりにも残酷で私たちの目の前に広がる。
これが、現実だ。
これが、事実だと。
「わぁぁぁぁぁあ!!!」
歓声は大きくなる。
勝利があれば敗北がある。
それは……当たり前のこと。
「……ちっくしょう……っ!」
巧がマウンドで崩れ落ちる。
ああ……私たちは……負けたんだ。
3年生はこれで最後。
私たち野球部の3年生は3人。
キャプテンの川原先輩。
ムードメーカーの村上《むらかみ》先輩。
いつも優しい大原《おおはら》先輩。
この試合で……高校野球引退。
3年生の目には涙が光っていた。
そして、野球部皆はゆっくりと巧の方へ集まる。
川原先輩は座り込んでいる巧に手を伸ばした。
「巧……。お前はよくやってくれた。ありがとう。お前と野球がやれてよかった」
「……先輩っ……。俺は……」
「立て、巧。お前はよく頑張った。青の分までお前は頑張った」
「……っ……先輩……」
巧は川原先輩の手を握り、立ち上がった。
そして、深々と頭を下げる。
「来年こそ……来年こそこの屈辱を晴らします。ありがとうございましたっ」
巧を筆頭に、1、2年生は皆3年生に向かって頭を下げた。
皆泣いている。
どんなに監督に怒鳴られようが、きつい練習だろうが泣かない人たちが……。
あんなに泣いている。
この悔しさをバネに、彼らは再び歩き出すんだ。
勝利というものを追い求めて。
いや、違うかもしれない。
彼らはきっと、自分達だけ野球というものを追い求めているのだろう。
「監督……。野球って……いいですね」
ベンチからその光景を見ていた私はぽつりと言う。
「ああ……。そうだな」
監督は私の隣で静かにそういった。
「なぁ……。今日空、青のところ行くのか?」
試合が終わり、病院にいこうとしていた、私を川原先輩が呼び止める。
「あ、はい。今日の報告を……」
「俺たちも行ったら駄目か?3年だけだが……」
「あ、はい。大丈夫ですよ。青も喜びます」
「じゃ、ちょっと待って。あいつら呼んでくるから」
先輩はそういって他の2人の先輩を呼びに駆けて行った。
今から負けたことを青に報告しなければいけない。
「はぁ……」
私は一人小さくため息をついた。
青は負けず嫌い。
負けることをとても嫌がった。
皆、負けることを嫌うのは当たり前だが、青はその想いが一段と強かった。
試合に負ければ、今までの倍練習した。
そして、また負ければ、またその倍練習をした。
負けるたびに青はどんどん強くなっていった。
私はそばでそんな青の姿をずっと見てきた。
負けたと報告することはなんて辛いことだろう。
「おっし……。空、待たせて悪かったなっ」
川原先輩が戻ってきた。
村上先輩と大原先輩も一緒だ。
4人でゆっくりと歩き出す。
茜色の空が私達の上に広がる。
もう、日が沈む。
綺麗な茜色の光が私たちを優しく包み込んでいた――――。
「青……。先輩来たよ。川原先輩と村上先輩と大原先輩」
青は相変わらずだ。
ベッドでただ寝ているだけ。
喋ることはない。
「青……。お前が倒れた時以来だな」
川原先輩が優しく青に語りかける。
「お前さ……。目覚まさないから俺たち引退しちまったじゃねぇか」
村上先輩は少し笑いながら言う。
「お前が目覚ます頃、俺たちはどうしているんだろうな」
大原先輩が静かにそう言う。
先輩は皆悲しそうだった。
当たり前か。
負けた報告をしなければいけないのだから。
「青……。お前に謝らなければいけないことがあるんだ。お前が楽しみにしていた甲子園に繋がる試合。負けちまった。本当にすまない。俺たちの力不足だ。俺たちが不甲斐ないばかりに負ちまった。……っ!本当に……ごめんな」
川原先輩は青のベットに崩れ落ちた。
泣いている。
あんなに普段頼りになって、しっかりしている先輩が。
「……っ!ごめんな……青」
村上先輩も泣いている。
「青……。すまねぇっ!」
大原先輩も泣いている。
先輩皆泣いている。
なんで泣くの?
青はきっと……
「先輩……。青はきっと怒ってないし、先輩方に謝ってほしくないと思っています。むしろ、青はきっと先輩方に謝りたいと思っていますよ。だって、青、先輩方のこと本当に尊敬していましたから。大好きでしたから」
なぜ、こんなこと言ったかは自分でもわからない。
先輩を励まそうとか、そんなことで言ったわけじゃない。
ただ……青の気持ちが私にはなんとなくわかったから……。
そうなんだよね……青。
その瞬間目の前の視界がぼやけた。
体がぐらつく。
あれ……。
体に力が……
先輩たちの顔がどんどん薄れて行く。
平衡感覚が分からなくなる。
「おい、空っ」
川島先輩の声が聞こえる。
ピ…ピ…ピ…ピ…
機械のような音が聞こえる。
この音……どこかで聞いたことがある。
確か……私は閉じていた重い瞼をゆっくりと開けた。
白い天井。
あ、ここは病院か。
そして、私はベッドの上にいる。
右を見れば点滴。
そして、何本かの細い紐で私は繋がれている。
なんで私こんな状態になっているの。
――――まるで青みたい。
「空っ!」
あ……お母さん。
声に出したつもりだったけど、声にならない。
お母さんは今にも泣きそうな顔で私の顔を覗き込んでくる。
なんで……。
私さっきまで青のところにいたはずなのに。
「空……。お前今まで体に異常はなかったか?」
お父さんは優しく聞いてくる。
私の体に異常??
今考えてみればあったかもしれない。
生理がこなくなった。
立ちくらみが毎日のようにした。
ダイエットもしていないのにがくんと体重がおちた。
食欲があまりなかった。
これらはすべて、ストレスだって思っていた。
青がいなくなってきっと疲れてるんだって思っていた。
でも……。そうでしょ?
私にはまだしなければいけないことがあるんだ。
青との約束……私が守らなくちゃいけないんだ。
「私……大丈夫なんだよね?」
私はやっとのことで、か細い声を出す。
2人は一瞬、何か言うのを躊躇った。
しかし、お父さんがゆっくりと口を開いた。
何かを覚悟したように。
「空……お前は……。癌なんだ」
”癌”
それはあまりにも残酷な現実だった。
――――14時間前。
水木宅に一本の電話が鳴った。
『水木空さんのお宅でしょうか。今すぐ病院に来て頂けますでしょうか。娘さんがうちの病院で倒れました』
偶然にも仕事が早く終わり、家で寛いでいた両親は急いで病院へ来たという。
そして、すぐに私のところへと通され、私が倒れた原因を聞いたとか。
私のような10代での癌の発症は珍しい。
しかも……大腸がんだなんて……。
私は自分の体の状態をすべて聞いた。
癌がリンパ節の転移こそしていないものの、もう大腸の壁への浸潤が見られており、手術をしなければいけないとか。
転移の恐れがあるリンパ節を切除するとか言ってた。
どうやら、大腸がんにはステージ0~ステージⅣと、ステージ別に治療方法が変わってくるらしい。
私はステージⅡにいるんだと、後で調べてわかった。
ステージⅡの5年生存率は約80%
この数値は高いのだろうか。
残りの20%の人たちは……。
”死”
私は改めてそれを自覚した。
”生”と”死”は隣り合わせとよく聞く。
それは、自覚していたつもりでも、実際に突きつけられたら、恐怖という感情が自分を支配する。
私の間の前から一瞬、光が途絶えたような気がした。
私の病気が分かって1か月が過ぎた。
私は無事手術を終え、今は今まで通り学校へ行っている。
初めは部活のメンバーに心配されたが、今はもう大丈夫だ。
癌のことは誰にも言っていない。
学校には”ストレスによる疲労”と言ってある。
別に同情とかしてほしくないし。
無事癌を切除したから、言うまでもないと思った。
「空!今日部活ないんでしょ?」
私が帰ろうとしていた矢先だった。
玄関で愛梨に引き留められた。
「あ、うん」
私は小さく頷いた。
今日は青のところに行こうと思ってたんだけど……。
「ちょっと付き合って!合コンっ!」
……え。
「合コン??」
待って、私男子苦手なんだけど……。
野球部と青は別。
でも、初めは野球部ともうまく馴染めなかった。
だけど、あの時は青がいたから……。
「空、相原君以外の男子と絡んでみないと!そしたら、何かわかるかもよっ。ほら、相原君が目覚ますまでに、その相原君に抱いている気持ちの正体突き止めるんでしょ?」
それはそうだけど……。
合コンはさすがに……。
「ほら!いくよ!」
「えっ……!?」
私は愛梨に手を引かれるまま学校を後にした。
今日の空は、すこしどんよりと曇っていた。
「よしっ!着いた!」
愛梨が止まった先は、カラオケボックスだった。
私……音痴なんだけど。
「愛梨……私やっぱり……」
「空!ここまで来て、それはないでしょ!ほら、勇気だして!笑顔笑顔っ」
そういって、愛梨は私を無理やり、カラオケボックスへと引っ張っていく。
そして、店内をずんずん進んで行き、ある個室の前で足を止めた。
「こんにちは……」
愛梨がそっとその扉を開けた。
そこには……
3人の男たちがいた。
皆、髪の毛をワックスでしっかりと決めて、顔はそんなにかっこよくもないのに、身なりだけ無駄に着飾っている。
この人達……嫌だ……。
私は愛梨の後ろに隠れるようにしていた。
この空気嫌いだ。
「うぉ~可愛い!愛梨ちゃんと空ちゃんだっけ?よろしくな」
一番奥に座っていた黒い革ジャンを着た男が口を開いた。
「あ、はい……。こちらこそ」
愛梨はそういって、愛想笑いを浮かべる。
愛梨はこういうのに慣れているの?
すると、一番手前に座っていた男が立ち上がり私の手を握った。
その瞬間、一瞬にしてサーッと私の体に鳥肌がったった。
この手……いやだ。
青みたいな手じゃない。
あの、温かい手じゃない。
私に触らないでよ……
そして、その男は私の手を強く引いて自分の隣に座らせた。
「空ちゃん……。大丈夫?俺のことそんなに嫌?」
その男は私の顔を覗き込んで来る。
手はしっかり私の手を握ってくる。
離してくれそうにはない。
私は何も答えなかった。
俯くことしか出来なかった。
すると、愛梨が空かさずフォローに入る。
「あ、その子、男の子苦手なの。私が無理やり連れて来ちゃったんだ」
「あ、そうなんだ。じゃあ、今日で苦手を克服出来るといいね」
男がにやりと笑う。
怖い。
気持ち悪い。
私はずっと下を向いていた。
……助けて……青……っ!
すると、男が私の手を離した。
え……。
そして、男はその腕を私の肩に回してきた。
「……っ!」
嫌だ……っ!
触らないで。
これ以上私に……触らないでっ!
私は男の手を即座に振り払って勢いよく立ち上がった。
「え……?」
男は唖然として私を見上げている。
私はそんなのお構いなしに、カラオケボックスをもの凄い勢いで出た。
後ろから愛梨が私を呼ぶ声が聞こえたが、止まる気にはなれなかった。
私はその勢いのまま道を駆け出す。
向かうところは決まっている。
青のところへ――――。
今……あなたに会いたい。
「はぁ…はぁ…はぁ……」
私は勢いよく、青のいる病室のドアを開ける。
「……っ!」
青の顔を見るとなぜか涙が出てきた。
前に愛梨に聞いたことがある。
「ねぇ愛梨。恋すると、どういう気持ちになるの?」
「んー。なんだろうね……。何故か、その人の隣にいると安心して、訳も分からず泣きなくなるし、訳も分からず笑いたくもなる。何よりも、その人の笑顔を見れば何もかもが許せちゃうような気持ちになる……かな?」
青……私分かったよ……。
私、青が好きなんだ……。
だって……あなたを見るとこんなにドキドキしてるんだ。
こんなに、安心するんだ……青の隣は。
「ねぇ……お願いだから……目、覚ましてよぉー……」
そして、また私の隣で笑ってよ。
また、甲子園行くんだって言ってよ。
幼馴染みの境界線。
私はとっくの間に越えていたんだ。
早く気づけばよかった。
早く伝えればよかった。
「青……っ」
ごめん……青。
今日だけは、思いっきり泣いてもいい……かな。
今日は何故か涙が止まらないんだ。
「うう…っ……。ぅうわぁあ……っく……」
私はそれから気のすむまで、青の隣で泣き続けた。
青が目を覚ましたら伝えよう。
青……私はあなたに恋をしていますと――――。
季節はもう、秋になろうとしていた。
青が目を覚まさなくなってもう5か月が過ぎようとしている。
時間は……私と青を待ってはくれない。
今日は月1回の定期検診の日。
癌が何処かに転移していないか検査する日。
「はい。大丈夫ですね。どこにも転移の様子は見られないですし……」
私の主治医の五十嵐《いがらし》先生が紙をペラペラとめくっている。
一緒に来ていたお母さんは安堵したのか、胸をさすっている。
私は表情一つ変えずにその話を座って聞いていた。
今は大丈夫なだけ。
いつまた再発するか分からない。
そんな不安を胸に抱いていた。
『空……』
青?
私は後ろを振り向く。
五十嵐先生とお母さんは、私の行動の意味が分からず、頭の上に?マークが浮かんでいる。
青がいるはずない……。
だって青は今病室で……。
……っ!もしかしたら……。
「……っ!」
私は勢いよく、診察室を飛び出した。
「ちょっと……空っ!」
後ろでお母さんが私を呼ぶ声が聞こえる。
だけど、今の私にはそんな言葉を聞き入れる余裕はなかった。
体が重い……。
目の前が真っ暗だ。
空……。
ごめんな。
お前を1人にしちまった。
早く戻らねぇと。
ってかここどこだよ。
俺今どこにいるんだ……。
早くあいつのところに行かねぇと……。
あいつには俺がいないと駄目なんだ。
俺は長い間そんな真っ暗闇をさ迷った。
何もない。
どんなに叫んでも声は出ない。
焦りだけが募っていく。
『青っ!』
空?
お前……。
俺は声の聞こえる方へ急ぐ。
早く……早く……。
早くあいつのところへ……。
「空っ!」
俺は叫んだ。
だけどやっぱり声にならない……。
ちっきしょう……。
あいつの約束を守ってやらねぇと……。
『青!ここだよっ』
再び聞こえた空の声。
手になにか温もりを感じた。
空……。
俺はその声を頼りに走り出す。
――――すると……光が見えた。
とても眩しい光が。
「……青っ!青っ!」
耳元で確かに俺を呼ぶ声が聞こえる。
俺は恐る恐る瞼を開ける。
白い天井。
ここは……どこだ?
右手には確かな温もりを感じる。
俺はゆっくりと首を右に傾ける。
そこには涙を流した空の姿があった。
なんでお前泣いてんだよ。
あれ……まず俺なんでここにいるんだっけ。
ここは、病院だよな?
……あ……そうか俺、空をかばって……。
よかった。
結構強く突き飛ばしたけど、こいつ大丈夫みたいだし。
「空……ごめんな」
俺はやっと出る少し掠れた声で空にそういう。
すると、空の目からはぶぁっと、たくさんの涙が溢れてきた。
「え……ちょっ……!」
俺はあわてて、起き上がろうとする。
だけど……
ズキっ
「……っ!」
頭に激痛が走り、俺はベッドに倒れこんでしまう。
ちくしょう………。
あいつの涙も拭ってやれねぇ……。
誰かがこちらへ走ってくる。
誰?
勢いよく、ドアを開ける音が俺の病室に響き渡る。
「こら、空!あんたなんで逃げて……っ!」
おばさんだ。
俺を見るなり、目を見開いて驚いた顔をする。
「……あ、今先生呼んでくるわねっ!」
そういってまた走って病室を出て行った。
今日は……慌ただしくなりそうだ。
ここの部屋から見えた空は、青空だった。
こんな日は……野球がしたい。
「うん。大丈夫だね。意識もしっかりしているしな」
おばさんが、病室を出ていってほんの数分後、慌ただしく医者が入ってきて、俺の体のあちこちを調べ始めた。
そして、そのうち、俺の両親もやってきた。
空は、壁に寄りかかって、涙こそ止まったものの、今にもまた泣きそうな顔をしている。
「この調子だと、あと1週間くらいで退院できるでしょう」
医者は、俺と俺の両親に向かい、笑顔でそういった。
すると母さんが深々と頭を下げた。
「先生。ありがとうございました」
そして、父さんも空も頭を下げた。
母さんは泣いている。
「あ、お父さんとお母さんはちょっとお話があるのでこちらへ」
看護師さんに両親はそう導かれ、再び俺と空だけになった。
「空……」
俺は久し振りに愛しい人の名前を呼んでみる。
すると、端っこにいた空は近くまで寄ってきて、ベッドの傍にあった丸椅子にストンと座った。
俺は上半身だけ、ゆっくりと体を起こした。
「ごめんな」
再び謝る俺。
女々しいって思われるかもしれない。
だけど、謝らずにはいられなかった。
「バカ青」
久々に会った初めの言葉がそれかよ。
俺は少し笑う。
すると、空は、俺の手をぎゅっと握った。
空の顔は下を向いていてよく見えない。
付き合っているとき、俺から握ることはあったが、空から握ってくれることは一度もなかった。
そんな空が俺の手を自分から握ってきた。
ドキン……ドキン……
自分の心臓がうるさい。
このまま空を抱きしめたい。
俺はそんな気持ちを必死に抑えた。
「青……。好きだバカ」
「……っ!」
振り絞った空の声。
俺の手の握る空の手が強くなる。
空の言った"好き"が俺と同じ"好き"になったこと。
空のその真っ赤になった顔を見ながら、理解するのに数十秒はかかった。
理解したとき、俺は今世界で一番幸せだと感じた。
恋って単純なんだと思う。
相手の"好き"が自分の"好き"と同じだとわかっただけで、こんなにも世界がキラキラして見えるんだ。
例え、こんな病院の個室だろうが。
空の想い、やっと聞けた。
やっと通じ合えた。
俺は空に握られていない方の手を空の肩にまわした。
そして、優しく空を抱きしめる。
長くて綺麗な空の黒髪が俺の頬にあたる。
「空……愛してるから」
俺は、空の耳元で小さくそう呟いた。
好きだけじゃ足りなかった。
愛してるって言いたかった。
「おかえり。青」
空は俺の腕の中で小さくそういう。
「ただいま。空」
俺は腕をほどいて、空の顔を見た。
少し濡れた空の頬。
俺のためにお前泣いてくれたんだよな。
俺は空の唇にそっと甘いキスを落とした。
幸せってこういうことだなって心の底から思った――――。
「あ、青!それ私のなんだけどっ」
「だってここに置いてあったし……。いいだろ別にっ」
俺はそういって、空が剥いてくれたリンゴの最後の一切れを口の中に放り込む。
「あー!このバカ青っ!」
バシンっ
「……った!おいおい、俺けが人!」
空は、さっきまで予習に使っていた教科書を丸めて俺の頭を叩いてきた。
「だって、先生に”青の頭、教科書でたたいても大丈夫ですか?”って聞いたら、”全然大丈夫ですよ”って言ってたし!」
「げっ!まじかよ。これで当分はゆっくり寝れると思ってたのに……」
空は毎日部活終わりに、俺のところに来てくれる。
今日は土曜日。
まだ2時だ。
一日はまだ長い。
空は毎日、学校の話や、部活の話をしてくれる。
俺が事故にあう前よりも明るくなったと思う。
親友も出来たとか。
俺もあと2日もすれば退院。
久々の学校、久々の部活……。
早く行きたい。
早く野球がしたい。
誰かが病室のドアを開ける。
誰だよ。
「よぉ、青!久々だなっ!」
川原先輩!
その後に続いて、野球部全員が入ってきた。
「あ、お久しぶりっすっ!」
すると、奥の方から騒がしい声が聞こえる。
きっとこの騒ぎ声の原因は……。
「青っ!マジで会いたかったぁ~。待たせてごめんなぁ。本当、忙しくてなぁー」
2年生の町先輩が勢いよく俺に抱きついてきた。
俺が倒れる前、俺と先輩はバッテリーを組んでいた。
久々だな……この感覚。
空は、気を使ったのか、また奥でリンゴを剥いているようだ。
「青……。きっと空から聞いているだろうが、俺らは夏の試合で負けたんだ。ごめんな」
川原先輩が少し、悲しそうな顔で言う。
なんで謝るんだよ。
謝るべきは……
「俺のせいっすよ。俺がこんなに弱いから。俺があんな時期にぶっ倒れたから。だから先輩方は何にも悪くないっすから」
俺は笑顔を作った。
「ちがうんだ。青。俺のせいなんだ」
後ろの方から、巧が前に出てきた。
泣きそうな顔をしている。
「巧……。空から話は聞いたぜ。お前頑張ったじゃねぇか。あそこでもしお前が抑えてたら、俺の立場が危なかったぜ」
俺は少し冗談交じりで言う。
すると、巧は笑顔になる。
野球がしたい……。
今すぐ……野球がしたい。
「青っ!」
空の声と共に俺のグローブが飛んできた。
「え……?」
野球部の皆も唖然としている。
「そこの公園で少しやってくれば?」
こいつは……。
超能力でも使えるのかよ。
「よしっ!奥さんの了解ももらったし!いくぞ青!」
町先輩が俺の手を引く。
「えっ、っちょ……っ!」
俺は引かれるまま病室を飛び出した。
そして、残りの野球部も皆ついてくる。
今日も空は……青空だ。
「いくぞっ!青っ」
「おうっ、こい!」
目の前には俺の球をとってくれる巧。
巧は上手くなった。
俺、マジでもたもたしてると危ねぇかもな。
そんなことを思いながらも、巧のグローブに思いっきりボールを投げる。
__パシーンっ
俺の好きな音が公園に響き渡る。
やっぱり気持ちいい。
頬を伝う風。
じわりと滲む汗。
グローブにボールが入る感覚。
見慣れたチームメイト。
何もかもが懐かしい。
俺の顔は自然と笑顔になる。
「あーおっ!そろそろ検査の時間っ!」
遠くから空が俺を呼ぶ声が聞こえる。
もう行かねぇとな。
「じゃあ、俺もう時間なんでっ!」
俺は軽くチームメイトにお辞儀をして、公園を後にした。
公園の出口には空が立っていた。
「さんきゅうな、空」
俺はそういってグローブを空に渡す。
「別にっ」
空は、少し照れたのか顔をそらして歩き出す。
少し強い風が吹いた。
その瞬間大きく揺れる空の長い髪。
俺は空の髪が好き。
綺麗で透き通るような黒。
俺は、そっと空の手を握った。
すると、空も俺の手を握り返す。
その瞬間ふと溢れる笑み。
「何笑ってんの?」
空が俺の顔を覗き込んでくる。
「別にっ」
そういって俺らは歩き出す。
さあ、2人で未来へ歩き出そうか。
2人ならもう大丈夫なはずだから――――。
『青……』
目の前は真っ暗。
ここはどこだよ。
闇?
空の声は聞こえるけど、何も見えない。
「どこだよ空っ!」
俺は手探りで周りを調べるけど、何も分かりやしない。
『ごめん、青。私もう青の傍にはいられない』
「はぁ?お前何言ってんだよっ」
ってかここどこなんだよ。
『私もう行かないと』
「意味わかんねえよ。何でだよ……。おい!」
『バイバイ……青』
「おい、待てよ。空!空ーっ!」
__ピピピッ……ピピピッ
「っ……はっ!」
俺は咄嗟にあたりを見渡す。
そこは、見慣れた自分の部屋。
俺は枕元の目覚まし時計をカチっと止める。
「夢か……」
はぁーっとため息を溢しながら、くいっと体を伸ばす。
それから、俺はいつも通りスウェットからトレーニングウェアに着替える。
そして、寒い朝の道を走り出す。
季節はもう冬。
空が俺の目の前から姿を消して、約3か月が過ぎた。
隣の家にあった空の家はもう売家になっている。
「っ……!」
俺は走るスピードを速める。
空……お前は今何してんだよ。
なぁ、戻ってこいよ、空。
今日も天気は曇り。
最近青空を見たことがないんだ。
何でだろうな……。
「おぅ、青!今日も頑張ろうなっ!」
朝練前、巧がバシッと俺の背中を叩いてくる。
「った……!おう、巧もなっ」
そして俺もバシッと巧の背中を叩く。
俺たちは俺が倒れて以来、より仲が深まった。
今ではいいライバルだ。
巧はどんどん実力を伸ばしてきている。
俺も追いつかれまいと、必死になって練習に打ち込む。
冬は雪が降って練習場は大幅に減ってしまう。
その分、基礎体力を上げるため、筋トレメニューが多くなる。
そして、俺は暇さえあれば投げていた。
もっと上手くならないと……
もっともっと……。
あいつの耳に入るように。
あいつの耳に届くように。
「……おっ!おい!青っ」
「……っ!」
「おい、俺の話聞いてたかよ」
「あ、わり。なんだっけ?」
巧は俺の肩に心配そうに手をおいた。
「大丈夫か?」
「あ、ああ。大丈夫」
巧はそれでも心配そうな顔をしている。
「まぁ、いいけど。ほら授業に遅れるぞっ」
そういって巧は俺の前を走って行った。
俺も巧の後を追う。
――――そうだ空はもういないんだ。
ロッカーを開けると勢いよく出てくるラブレター。
今はSMSが発達してそっちだろって思う人もいるだろう。
だけど、俺はSNSとか本当に信用している奴じゃないと追加したくないし、メアドも教えたくない。
だからだろうな……。
告白手段が、アナログな手紙に限られてくるから。
俺は、手紙を一つ一つ丁寧に拾う。
きっと、頑張って勇気ふり絞って書いてくれた俺への気持ち。
それを踏みにじるわけにはいかない。
空がこの学校からいなくなって、急に増えたこのラブレターの数。
俺は空以外考えられねぇんだけど。
そう思いながらも、教室に着くと一応一つ一つラブレターの中身を見る俺。
中身は皆同じようなフレーズが並べてあった。
”付き合ってください”とか”ずっと前から見てました”とか”連絡ください”とか。
「はぁ……」
ふと漏れるため息。
「モテる男はつらいねぇ」
後ろから声が聞こえてくる。
この声は……
「……っ!なんだよ夏樹」
唯一同じクラスの野球部の辻 夏樹。
夏樹のポジションはキャッチャー。
よく、自主練に付き合ってくれるいい奴でもあり、町先輩と並んで部で1位2位を争う賑やかなやつ。
うちのキャッチャーは何でこうもうるさいやつしかいないのか不思議になる。
俺は机の中へラブレターを隠した。
夏樹はニタニタと笑って俺の前の席に座った。
こいつは、女の子大好きで、いつも女をとっかえひっかえしている。
なんで、そんなことができるか俺には分からない。
「青、もう諦めろ。空はもう……」
「おい。それ以上言うと、いくらおまえでも怒るぞ」
「ああ、わかったわかった言ねえって!そんな怖い顔すんなよ」
そういって夏樹は少し笑ってごまかした。
「はぁ……」
俺は再びため息を着く。
「でもな青。いつまでも後ろ向いてたら前進めねぇぞ?」
夏樹が珍しく真顔で言ってきた。
「わかってるって。んなことぐらい……」
「じゃあさ」
そういって、夏樹は俺の机の中にあったラブレターを一気に引き抜いた。
「あ、ちょっ!おい!」
そして、夏樹はそれらをトランプのように両手で持ち、俺の目の前へ持ってきた。
「お前の目の前にあるのは、お前を好きな女の気持ちだ。さあ引け青!」
俺には意味が分からなかった。
「お前何言ってんだよ」
「だから、お前がこの中の一枚を引いて、その子と一度付き合ってみればいいじゃねぇか。人生一期一会っていうだろ?」
「だから、俺は空以外考えられねえんだって……!」
すると、夏樹は小さくため息をついた。
「あのな。人生何があるかわかんねえんだ。空と今連絡取ることもできてねえんだろ?」
「あぁ。まぁ……」
登録してあった空のケータイ番号に何度電話しても、メールを何度送っても応答は全くなかった。
「さぁ、引け」
夏樹はラブレターを突き出してくる。
俺は仕方なく、ゆっくりと一枚の手紙を引いた。
差出人は……
”武東玲奈《むとうれな》”
空がいなくなった今、学年ナンバーワンだと称されるほどの美人。
やっべっ!
引いた瞬間思った。
「おお!青っ!お前が羨ましいぜっ!玲奈ちゃんからラブレターなんてよ」
「いやぁ……。でも俺……」
俺が否定している間に、夏樹は俺からラブレターを奪う。
「おい。ちょっ……!夏樹っ!」
俺が止めようとするが、夏樹はそんなのお構いなしに、ラブレターを開いて俺の目の前に持ってきた。
相原青君へ
突然の手紙ごめんなさい。
どうしても、私の想いを相原君に伝えたくて、この手紙を書きました。
今日の昼休み、屋上で待っています。
武東玲奈より
女の子らしい字で書いてあった。
どうすんだよこれ。
あーあ。
いつもなら俺はこんな手紙は無視する。
屋上なんて行くつもりはさらさらない。
「青、行けよ」
夏樹は真剣な顔をしている。
「おま…っ。だから俺にはそ……」
「だからっ!」
夏樹が俺の言葉を遮る。
教室の皆はびっくりしてこちらを見る。
俺もびっくりして、ガタンとイスごと思わず体を引いてしまった。
夏樹は、少し怒っている様子。
「空は、忘れろ……。青」
静かに夏樹はそういいきった。
そして、ラブレターを俺の机に置いて教室を静かに出ていく。
空を忘れる……?
そんなのできっこない。
あいつを忘れたらきっと今の俺はいない。
空がいたから、今の俺がいるのだから――――。
「はぁ……。どうすっかなぁ……」
俺はため息を着き、一人机の上で頭を抱えていた。
昼休みになった。
今から楽しい楽しい弁当タイムっ!といきたいところだが、俺には今日用事がある。
やっぱり、行くだけ行ってみよう。
別に武東と付き合うとかそんなんじゃねえし。
夏樹もあそこまで言ってくれたわけだし。
俺は、速足で教室を出て、屋上へと向かう。
今日も空は曇っていた。
いつ……青空が見えるんだろうな。
そんなこと思いながら、屋上へ続く階段をのぼっていく。
屋上には誰もいない。
「寒っ!」
当たり前か。
もう12月。
時より吹く北風がとても冷たい。
「っしょっと……」
俺は屋上で寝転ぶ。
そして空を見る。
青空なんて一つも見えない。
灰色の雲で覆われている空。
まるで俺の心の中みたい。
空……。
何でお前俺に何も言わずに居なくなったんだよ。
何で……。
考えれば考えるほどわからなくなる。
だめだ……泣きそうになる。
男なのにな。
泣かないって……決めたのにな。
屋上のドアが開く音がした。
「あ、相原君」
声の主は……
風になびく、少し茶のかかった長い髪。
まるで、モデルのようなスタイルの彼女。
武東……玲奈……。
「あ、わりわり」
そういって俺はゆっくりと立ち上がる。
「あ、わたしこそ、ごめんね。こんなところに呼び出しちゃって……」
武東は恥ずかしそうに下を向く。
その一つ一つのしぐさがとても女の子らしい。
どこかの誰かさんとは大違いだった。
「ああ、俺は別に……。ってか用って?」
俺がそういうと、武東はパッと顔を上げる。
上目使いの大きな目。
一瞬ドキッとなる。
「あのね、私……っ!相原君のことずっと好きだったの。だから……私と付き合ってもらえないかなって……」
あーあ……来た。
久々に受ける面と向かっての告白。
手紙では、毎日見るこの言葉。
やっぱり直接言われると、いくら空一途の俺でも焦る。
だけど返す言葉は既に決まっている。
俺はやっぱり……。
「やっぱり、水木さんのこと忘れられない?」
っ!
……先に言われた。
俺が言おうとしている言葉を、武東は先に口に出した。
「ああ……そういうことだから……」
俺は、うなずくしかなかった。
「なんで……?あの子は3か月前に、彼氏の相原君にも言わずに転校していったんでしょ?」
武東は、既に半泣き状態。
ごめんな……。
「わかってる」
わかってるよ、そんなこと。
こんなことしか言えない俺を許してくれよ。
「なんで……なんで……?なんであの子なの?絶対私の方が」
そういって、武東は泣き崩れた。
俺は、武東の頭を優しく撫でる。
「ごめんな……武東」
それだけ言って、俺は屋上を後にした。
__なぁ、空……。
お前生きてんのか?
ちゃんと飯食ってるか?
やっぱり俺未だにわかんねぇよ。
なんで、俺に連絡一つよこさずに、消えちまったんだよ。
なんで……。
頭が悪い俺には、お前がいなくなる理由なんて到底わかんねぇよ。
俺やっと、目覚めたのに。
やっと俺、お前とふたりでまた歩き出せるって思ってたのに。
なんであんな……突然なんだよ。
___3か月前。
朝、空が俺を迎えに来なかった。
時間に正確な空。
おかしい。
もしや、あいつの身に何か。
俺は心配になって、あいつの家に行った。
そして、玄関の呼び鈴を押した。
「はーい」
空の声。
聞きなれた声だからすぐにわかった。
俺は空が出てくる前に、待ちきれなくて自分から玄関のドアを開けた。
「青っ!」
空は驚いている。
は?
……驚きたいのは俺なんだけど。
なんでお前、まだパジャマ姿なんだよ。
「お前、いつもの時間にこねぇから。学校……行くだろ?」
俺がそういうと、空は少し困った顔をする。
なんで、空がこのとき、こんな顔をしたのか、このときの俺には理解不能だった。
「……ごめん。青、今日先学校行って」
空はうつむきながらそういう。
俺の顔を見ようともしない。
こいつ……。
なんか俺に隠してるな。
長年一緒にいればわかる。
空は俺に、隠し事や嘘つくときは絶対に俺と顔を合わせようとはしない。
だけど、もう時間がない。
朝練に間に合わなくなっちまう。
俺は、学校でそのことを聞こうと思った。
「わかった……」
俺はそういって、空の家を出ようとした。
そのとき、
「青!」
空が俺を呼び止める。
俺が振り返ると、空は笑っていた。
しかも満面の笑みだった。
「私が、もし、青の目の前からいなくなったとしても、青は私のことを探さないで。約束だからね」
空はそういうと、バタンと玄関のドアを閉めた。
その時俺は空の発言の意味が分からなかった。
何言ってんだあいつ。
俺の前からいなくなる?
んなわけあるか。
そしたら、俺がお前を甲子園へ連れて行くって約束はどうなんだよ。
あいつ……どっかで頭撃ったか?
そう思いながら俺はいつも通り、朝練に励み、朝礼にでる。
だが、そこに空の姿はなかった。
次の瞬間、担任の口から俺は衝撃的な一言を聞くことになった。
「ええ……。突然ですが、水木空さんは、今日転校することになりました。水木さんからは皆さんに今までありがとうということでした」
俺は勢いよく立ち上がる。
空と仲が良かった川島も唖然としている。
あいつ、このこと誰にも言ってねえのかよ。
はぁ?転校だ?
ふざけてんじゃねえぞ空。
俺は、勢いよく教室を飛び出し、空の家へ向かった。
外はいつの間にか雨が降っていた。
だけど、俺は構わず走った。
お願いだ。
間に合ってくれ。
空に……会わせてくれっ!
俺は心の中で何度も何度もそう願った。
だけど、現実は思い通りにはいかなかった。
俺が空の家に着いた頃には、家の中の家具はすべてなくなっていた。
空の部屋にあった、野球グッズも。
思い出の写真も。
あいつのお気に入りの本も。
なにもかも……なくなっていた。
なんで……なんでだよ……。
俺は絶望感で、その場に崩れ落ちた。
「……ん?」
床に一枚の紙が落ちていた。
俺はそれをゆっくりと拾う。
青へ
別れよう。
青は青の道を。
それだけだった。
それだけ書かれてあった。
「……ははっ……空……。これ、なんだよ……」
俺の口元が少し緩む。
俺と別れるってか……。
俺はその紙をくしゃっと手で握りしめる。
強く強く。
……お前の考えていること、わかんねぇよ。
俺がこんなんで納得すると思ったかよ。
なんでだよ……。
なんで俺に何も言わねぇんだよ。
なんで……っ!
考えれば考えるほどわからなくなる。
俺は、その1日学校へは行かなかった。
携帯には、野球部とクラスの皆からの俺を心配するメールがたくさん届いていた。
俺は返信する気になんてなるはずもなく、空のいた部屋で、1日泣きとおした。
涙は……なぜこんなにもあふれてくるのだろうか。
枯れることはない涙。
お前が、俺のこんな姿見たら、笑うだろうな。
だけど、今日だけは泣くことを許してくれないか。
今日だけは……。
次の日、俺はいつも通り朝練にでる。
予想通り、キャプテンと監督に昨日無断欠席したことをこってりと怒られた。
だけど、皆空がいなくなって、動揺していた。
俺は無理やり笑顔を作った。
「おい、青。お前、今日の球安定してねぇぞ。」
町先輩に厳しく言われる。
集中できない。いつもみたいに野球にのめりこめない。
今は野球がしたくない……。
「青……。お前ちょっと来い」
町先輩に俺は呼び出され、グラウンドの端っこへと移動させられる。
「町先輩……なんすか?」
町先輩がいきなり俺の胸に拳を突き出してきた。
俺の胸に衝撃が走り、一瞬顔が歪んだ。
「……った……。何するんすか!」
「青、お前カラ元気はいいが、部活に支障をきたすな。空がいなくなって動揺しているのはお前だけじゃない。皆そうだ。お前が急にいなくなったときだって、皆動揺した。だけど空は、前を向いていたぞ。お前のために。青、お前がしっかりしなくてどうするんだ。お前が投げなくて誰が投げるんだ。……エースの務めを果たせ。青っ!」
町先輩は、じっと俺を見てくる。
そうだ……俺はこのチームのエースなんだ。
俺何やってんだよ……。
青は青の道を。
空の手紙の文章が脳裏にふと浮かんだ。
きっと、空は俺がこうなることを見越してこの文章を残したんだ。
何も言わずにいなくなった空。
やっぱりあいつは俺のことを分かってた。
何もかもお見通しだった。
「先輩……。俺、空に俺の活躍が耳に入るまで、頑張り続けます。俺、絶対にもう折れません」
俺がそういうと、町先輩はにこっと笑った。
いつもの町先輩に戻る。
俺もにこっと笑う。
俺には、もう野球しかない。
俺には野球しか残されていない。
俺の活躍が、この空を通じて届くように。
――――頑張り続けよう。
この青空の下で。
「えええっ!?お前、あの玲奈ちゃん振っちまったのかよっ!」
夏樹の声が大きい。
部室中にその声は響く。
すると、先輩方は俺の方をぎろっと見てくる。
あっちゃぁ……。
やっべ……。
「あーおー……。なんでお前はそうやって、女の子を独り占めするんだっ」
げっ……。
なんでこうなるわけ??
町先輩が俺に迫ってくる。
いやいや近い近いっ!
「ちがうんすよ!……俺も好きで告られたわけじゃ……。そもそも、夏樹が行けって……」
俺は必死に否定するが、それは逆効果だった。
__フワっ……
風に乗って病室に桜の花びらが入ってくる。
季節はもう……春。
「はーいっ。空ちゃん、診察の時間ですよ」
看護師さんが病室に入ってきた。
私は窓にむけていた顔を看護師さんの方に向ける。
「あら。今日はなんだか顔色がいいんじゃない?」
看護師さんはクスッと笑いながら、車いすをベットに寄せた。
「今日は……青空なんで……」
私は小さくそうつぶやく。
看護師さんはふーんとうなずきながら、私の体を起こして、車いすにゆっくりと座らせる。
「じゃあ、行きますよ」
そういって、看護師さんは私の乗っている車いすをゆっくりと押した。
青……。ごめん。
急にいなくなったりして。
でもきっと、青なら私がいなくても大丈夫だって思ったから。
きっと、青なら私がいなくなっても夢を追い続ける強さがあるって信じているから。
青と離れてもう半年が経った。
青はもう2年生か。
私も、青と一緒に進級したかったけど、駄目だった。
神様は少し私たちに残酷だった。
青があの時私を守ってくれたように、次は私が青を守るから。
青は、青の道へ。
私は、私の道へ。
それぞれ道は違うんだ。
「うん。どうやら、薬が効いているようだ。安定しているよ」
私の担当医の大内《おおうち》先生はにこっと微笑んだ。
私はひとまず安堵する。
死と隣り合わせの私。
生きるってこんなにも大変なことだったなんて知らなかった。
看護師さんは再び、車いすを私の病室へと向かわせる。
「あっ、そうだ!空ちゃん、この調子だと、1か月もすれば学校行けるってっ」
看護師さんが満面の笑みで後ろから私に話しかけてきていることがわかる。
「学校……」
「そうよっ!よかったわねっ」
学校か……。
私は引っ越してまだ学校には一度も行っていない。
手術とかでバタバタしていたから。
青のいない学校……。
嫌だな……。
私の選んだ道。
これ以上わがままは言えない。
私は、はぁ……とばれない様に小さくため息をついた。
___半年前。
「肺と肝臓への転移が見られました。今すぐ入院の必要があるかと……」
私の当時の担当医、五十嵐先生は真剣な顔でそう言った。
そして、訳の分からない今後のことを淡々と話す。
お母さんは、涙を流していた。
私は、ただ唖然としていた。
せっかく青が目を覚ましてこれから、頑張っていこうと思っていたのに。
なんで急に……。
神様は……私達に残酷だ。
私は、病気のことをまだ青に話していなかった。
余計な心配をさせたくはなかったから。
青を私のことでつぶしてはいけない。
これ以上、私は青の足を引っ張ってはいけない。
青は、私の生きる希望だから。
そう考えると、私の取るべき行動が見えてきた。
「お母さん……1つわがまま言っていいかな」
先生が、一生懸命お母さんに私の病状を説明していたところへ私が口をはさむ。
「……何?」
優しいお母さんの声が返ってくる。
私は顔を伏せて、静かに言った。
「学校を……転校したい」
その一言にお母さんはびっくりしたのか、しばらく目を見開いたまま何も言わなかった。
しばらくの沈黙が続く。
そして、ゆっくりとお母さんはうなずいた。
「わかったわ……。お父さんとも相談しないとね」
すると、先生はすかさず、一枚の紙を私に差し出した。
「転校するということは、引っ越しするということだよね?もし、引っ越し先が決まっていないのなら、ここの病院に近いところへいくといい。ここは君と同じような症状の子がたくさんいるところだから。空ちゃん、頭いいって聞いてるし、この病院近くの学校なら余裕で編入試験合格すると思うよ」
樺橋総合病院《かきょうそうごうびょういん》……。
写真に写っていたその病院はできたばかりなのか、とても新しく見えた。
「空……。ごめんね……。丈夫な体に産んでやれなくてごめんね」
お母さんが泣きながら私に謝る。
なんで謝ってるの?
私まだ死んでないのに。
私まだ生きてるんだよ……?
診察室から見える空は、どんよりと曇っていた。
家に着けば、お父さんがいつもより仕事を早く終わらせてきたのか、家にいた。
7才の妹の瑠璃《るり》も、小学校から帰ってきていた。
お母さんが今日のことを、始めからお父さんと瑠璃に説明する。
瑠璃は、?マークを頭上に浮かべながら聞いていた。
もちろん、私が転校したいといったことも。
全てを聞き終えたお父さんは、私と目を合わせてきた。
「お前が転校したい理由は青か?」
お父さんには、私の心が見えているのだろうか。
お父さんの鋭さに私は驚いた。
お父さんは青が小さいころから自分の子どもの様に接してきた。
もちろん、私と青との関係もばれてはいるだろうと思った。
「うん」
私は小さくうなずいた。
「なぜだ?青はお前がいなくなって絶対に寂しがるぞ」
お父さんは、少し怒っている。
だけど、私決意は全くおれなかった。
この気持ちはきっと、大切な人を失いそうになった人しかわからない。
「青が事故にあって、私青の傍にずっといた。だけど、そばにいるだけで私は無力だった。何もできない自分がとても悔しかった。そんな思い、青にはさせたくない。それに、青には夢がある。甲子園っていうでっかい夢が。私はその邪魔をしたくない。遠くから、青の勇士を見守りたい」
言いたいことはすべて言った。
そう、あの無力感を青に味あわせたくない。
やっと目覚めた今、野球できなかった時間を青には取り戻してもらいたい。
私のことで、今の青を引き止めてはいけない。
青は走り続けなければならない。
……どこまでも…どこまでも……
例え、青の視界から私が消えようとも…
お母さんは鼻をすすっている。
お父さんは、黙りこくっている。
瑠璃は、相変わらず頭の上に?マークを浮かべている。
しばらく沈黙が続いた。
「ねぇねぇ。ねーちゃんの好きな人ってあーちゃんなの?」
一番最初に口を開いたのは幼い瑠璃だった。
瑠璃は昔から青のことをあーちゃんと呼ぶ。
青は瑠璃に呼ばれるたびに照れていたのを思い出す。
「うん」
私は首を縦にふる。
すると、瑠璃はあどけない笑顔を見せた。
「じゃあ、あーちゃんをねーちゃんが守ってあげないとね!」
そうだね瑠璃。
私が青を守らないとね。
「わかった。転校の手続きをしよう」
お父さんが静かにそういった。
また始まる。
青のいない時間が。
だけど、この道は私が選んだから。
後悔はないよ。
前を向いていける。
きっと、それは青……あなたが私にくれた強さがあるから。
あなたが教えてくれた自分の道の開き方を私は知ってしまったから。
「ありがとう」
私は、今日初めての涙を流した。
家族の温かさに救われた。そんな1日だった。
「空!引っ越しの場所が決まったぞ!」
引っ越しのため、部屋の荷物をまとめていたところへ、お父さんが、一枚の紙を私に見せてきた。
「え……ここって……」
「そうだ。甲子園が行われる会場の近くだ。しかも、あの、五十嵐先生の言っていた樺橋総合病院も近い」
こんな偶然……。
もしかしたら……。
以前、私が一人で診察を受けにきたとき、突然先生が聞いてきたことがあった。
「空ちゃんは彼氏がいるのかな?」
それは私が青と想いが通じ合って間もないころだった。
「へっ?」
変な声が出る私。
「ははははっ!そんな顔もするんだね空ちゃんは」
私は恥ずかしくなって、顔を伏せた。
「からかわないでください」
私は顔を真っ赤にしながら小さくそういった。
ごめんなっといいながらも、先生はまだ笑っている。
「彼氏は部活とか、何をしてるんだい?」
先生はにこっと笑いながら聞いてくる。
「野球です……」
すると、先生は驚いた顔をした。
「え、確か空ちゃんって藤青学園でしょ?野球強かったよね。あの期待の1年生は夏出られなかったみたいだけど」
「……私の彼氏……その出られなかった1年生です」
こんなことを言ってもよかったのか……。
私は言ってから後悔した。
こんなプライベートな話。
先生は驚いた顔をしている。
当たり前だ。
きっと先生だって青のことしっている。
この病院で青は入院していたのだから。
「もしかして……。相原青君の彼女さん??」
ほら、やっぱり知っていた。
「……はい」
先生は「やっぱり……」小さくとつぶやく。
そして、何かを思いついたように話し出した。
「相原君は僕の担当ではなかったけれど、話は聞いていたよ。1年にしてあの藤青高校のエースだっていうんだからね。……そうか……そうだったのか……。でも君たちの名前は素敵だね」
「私たちの名前……?」
「君たちの名前、くっつけたら”青空”だろ?2人がいれば雨知らずだなっ」
そういって、先生は笑っていた。
私と青で青空。
空にはどうしても、青という色が必要で……
青にはどうしても空という居場所が必要で……
お互い必然的に出会う。
それを運命という人もいれば、偶然という人もいる。
青と私の出会いは、運命なのか……はたまた偶然なのか……それは誰にも知ることは出来なくて……。
だけど、この世には確かなことなどひとつもなくて
全ては偶然の上で成り立ってると私は思う。
もしかしたら、偶然の先に運命というものがあるのかもしれない……。
もしかしたら、先生は私と青のことを考えてこの病院を進めてきたのかもしれない。
これは運命なのか……偶然なのか……。
それを私が知ることになるのは、もう少し後のことになる。
誰かが言っていた。
――――神様は乗り越えられる試練しか与えない。
この言葉を実証できたものはいないだろう。
現にこの言葉を信じて、亡くなった人だってごまんといる。
だけど、私は信じてみようって思う。
明日の道を見定めて……。
大丈夫、私の隣には私を支えてくれる人がいる。
瑠璃も、お父さんも、お母さんも、仕事場や学校が変わるっていうのに、文句ひとつ言ってこなかった。
ありがとう。
単純な言葉だけれど、温かい言葉。
今から始まる私の新しいスタートラインに一緒に並んでくれた人たち。
一緒に走ろう。
そういってくれた。
手を貸してくれた。
だから、私はあきらめない。
精一杯自分の道を行くって決めたから……。
ついに引っ越しの日が来た。
編入試験は、余裕で合格。
先生のいった通りだった。
そして、私はいつもより遅めに起きる。
もう、荷物はまとめ終わった。
あとは、移動だけ。
家のチャイムが鳴り響く。
誰?……こんな朝に……。
「はーい」
私は一応返事をして玄関のドアを開けた。
そこには変わらない青の姿があった。
「青っ!」
私は思わず叫んでしまう。
あ……そうか。
私いつもなら青を迎えに行っている時間だ。
「お前、いつもの時間にこねぇから……。学校……行くだろ?」
学校……。どうしよう。
もう私はこの家を出ていく。
だけど、言えない。
ここで言ったら、青に引き止められて、私はきっと立ち止まってしまう。
私は、必死に頭を回転させた。
なんとかここを上手く切り抜ける嘘を……。
「……ごめん。青、今日先学校行って」
私は青の顔を見られなかった。
ごめん。
青。
「わかった……」
青は静かにそう言ってくれた。
ああ……これで最後だ。
青とこうやって話せるのは最後になる。
でも、きっとこのまま私がいなくなったら青は……。
「青!」
最後に青の目には、私の笑顔を残しておきたい。
私は、精一杯の笑顔を作った。
青は少し驚いた顔をしていた。
「私が、もし、青の目の前からいなくなったとしても、青は私のことを探さないで。約束だからね」
私はそれだけいうと、ドアを閉めた。
パタンと閉じられた玄関の扉。
その扉は私と青との間に立ちふさがる。
もう、この扉を開けることは許されなくて。
私は自らその扉にガチャリと鍵をかけた。
もう、青がこっちの世界に来ないように……
来られないように……。
青……バイバイ。
私はそっと心の中で呟いた。
「えー……。転校生を紹介します」
病状が安定して、腫瘍の摘出手術を終えた私は、学校に行けるまでに回復した。
そして今日、久しぶりの学校に行く。
青がいない学校。
正直私は不安で押し潰されそうだった。
「ふぅ……」
私は小さく深呼吸をした。
大丈夫、大丈夫。
私はひたすら自分にそう言い聞かせる。
そして、教室の扉を開けた。
――――新しい未来への第一歩。
「うっわ……めっちゃ美人っ……」
「めっちゃかわいーっ!……私もあんなふうに細くなりたいな……」
そんな声が聞こえてくる。
「水木!自己紹介頼むなっ」
先生はそういって、一歩下がった。
自己紹介……苦手だな……。
クラスの皆の目は私に向いている。
『空!困ったときは笑えば何とかなるから』
いつかの青の声がふと頭をよぎる。
そうだ……。笑顔……。
私はにこっと、ぎこちなく笑った。
そうすると、不思議となんだか心が落ち着いた。
「……水木空です。藤青学園から来ました。入院とかで学校に来ることが出来ないときもあるかと思いますが1年よろしくお願いします」
私は軽くお辞儀をする。
拍手が聞こえてきた。
「じゃあ、水木の席は……西村《にしむら》の隣な。あの窓際の……」
すると、一人の女の子が手を挙げた。
「はいはーいっ!私が西村だよ、空っ!こっちこっち!」
……いきなり呼び捨て!?
そう思いきや、その子は立ち上がって、私に近づいてきた。
そして、私の持っていた重い荷物を軽々と持ち上げた。
「空、可愛いから私からの大サービスね?」
「あ……ありがと。に、西村さん」
「西村さんなんて……そんないいよ!美和《みわ》ってよんでっ」
そういって美和はにこっと笑った。
見かけはとてもボーイッシュなのに、笑うと一気に女の子っぽくなる。
目じりが下がる、可愛い笑顔。
「美和……。ありがと」
私は美和に聞こえるか聞こえないかぐらいの声でお礼を言った。
聞こえた……かな?
「ふふふっ。なんだが照れるねっ」
そういって、美和は私の荷物を私の席にストンと置いた。
私はその席にゆっくりと座る。
なんだか、落ち着かない。
そわそわする。
なんだろ……このくすぐったい感じ。
「おい美和!お前、いきなり空ちゃんのこと呼び捨てかよっ」
クラスの男子の誰かが美和に叫んできた。
「何、羨ましいの?いやぁー……ごめんねー」
美和は、そういって私の肩に腕をまわしてきた。
女の子とこんなにくっついたの久々かも……。
ちょっと……恥ずかしい。
「あ、空っ。赤くなってる!?まじ可愛いっ。え、付き合っちゃう?」
美和は私の表情をみて楽しんでる。
クラスの皆は大爆笑だった。
先生はもう、呆れながら、HR終了といい、教室を出て行った。
その瞬間クラスの皆が私の机を取り囲み、私は質問攻めにあう。
「彼氏いるの?」
「病気の状態大丈夫?」
「誕生日いつ?」
「カラオケとか好き?」
「彼氏今まで何人いた?」
「血液型は何型?」
「好きな食べ物は?」
「空って呼んでいい?」
私は暗記が得意な方で、人より少し耳はいい方で、こんな質問ぐらい聞き取ることは朝飯前だった。
「彼氏はいないし、病気は今のところ大丈夫。誕生日は4月10日。カラオケは苦手。彼氏は今まで……1人。血液型はAB型。好きな食べ物はみかん。私のことは好きに呼んでいいよ」
私が淡々と質問に答えると、私の机を囲んでいた皆は唖然とする。
……私おかしいこと言ったっけ?
そして、皆は一瞬にして目をキラキラと輝かせた。
「空かっこいい!今の聞き取れるとか天才?」
「4月10日??今日だよっ」
「マジで?じゃあ、放課後歓迎パーティー決行だな」
「じゃあ、民宿西村でやろうよ。空カラオケ嫌いみたいだし」
「おーいっ!美和。おまえんち今日行ってもいいか?」
……なんか勝手に話進んでいるような……。
「えー……私んち?……いいよ!!大歓迎っ」
美和がそういうと、クラスはさらに盛り上がる。
何……このクラス……。
前の学校とあまりにも違いすぎる……。
私は不思議に思って、隣にいた一人の女の子に声をかけた。
「あの……ちょっといいかな?」
「ん、何?」
その子はとても柔らかく笑った。
ふわふわとした雰囲気のとても可愛らしい子。
「なんで、皆こんなに仲いいの?まるで……昔からずっと一緒にいたような……」
すると、女の子はふふふっと可愛らしく笑った。
「ああ……そうか。空はまだ知らないんだね。私たち特進コースは皆小学校から一緒なの。学年も40人しかいないし、1クラス20人。少ないから仲いいってのもあるんだけどね。皆幼馴染って感じかな?」
「そう……なんだ……」
私は納得した。
ここにいる皆が幼馴染か……。
だから男子も女子もあんな感じで仲いいのか……。
まるで兄弟みたいに……。
羨ましい。
心の底からそう思った。
「空ーっ、今日の放課後空いてる??」
美和の声が、どこからか私に向かって飛んできた。
「うんっ」
私は美和に聞こえるようにできるだけ大きな声で返事を返した。
放課後に誰かと遊ぶなんて……。
青と愛梨以外なかったな……。
しかも、こんな大勢で。
1限目の授業を知らせるベルが鳴った。
皆は慌てて自分の席に着く。
朝だけでこんなに騒がしいのか……。
私やっていけるかな……。
私は窓から空を見つめる。
あ……。
雲の隙間からふと見える青空。
私の口元が少し緩む。
なんだか、青空を見たら思うんだ。
私と青は繋がっているんだって。
この空を通して。この……青空を通して。
「何、空。なんか嬉しいことでもあった?」
隣の席にいた美和が不思議そうに私を見ている。
「うん。まぁね」
私は空を見ながらそう返す。
美和は少し微笑んでから、前を見る。
ここで精一杯生きてみよう。
この命がある限り。
「ソーラーっ!早く!」
私の荷物を持つ美和が叫ぶ。
「はぁ……はぁ……ちょっ……待ってってばー……」
私たちは今美和に家に向かって移動中。
しかもクラス皆で。
本当は隣のクラスの人達も来たがっていたらしいが、私が人見知りなのを美和が悟って、今回は諦めてもらったらしい。
「お、空。もうへばったか?」
男子も私に普通に話しかけてくる。
正直、青以外の男子から空と呼ばれるのは少し緊張する。
だけど、なぜか嫌ではなかった。
なんだかすっと胸に入ってくる。
「だ、大丈夫っ!」
私が、そういうと、その男子はにこっと笑って私の前をゆく。
「ほら、空っ!あと少しだから」
そういって私の手をとって引っ張ってくれる女の子もいる。
なんだか、心が温かくなった。
私は自然と笑顔になっていた。
青と一緒にいなきゃ、私は自然に笑える日は来ないだろうと思っていた。
だけど、私は今笑えてる。
私は今、心の底から笑っている。
私、病気になって、最悪だと思っていたけど、今私幸せだよ。
青。
私笑えてるよ。
あなたがいなくても。
私は大丈夫だから。
私はそう、上に広がる青空に言ってみる。
心の中で。
「あ、あ、マイクテストマイクテスト……。えー……。本日は青空に恵まれー……我がクラスも最近結成したばかり。見慣れた顔で、俺以外相変わらずのバカ揃いメンバーです。そして、今日、新しいメンバーが加わりました。な、なななんと、超絶美人の……水木空っ!!」
その掛け声とともに最高に盛り上がるクラスの皆。
私はただただ、驚いていた。
広い座敷の中心に大きな長テーブル。
その上にはには美味しそうな沢山のオードブル。
それを囲うようにして私たちは席につく。
ステージでは、マイクを持って、場を仕切るクラスの会長。
なにこの状況……。
「このクラスに……学年に……これほど美しい女性はいたでしょうかっ!」
会長が再びマイクで語りだす。
その瞬間キッと会長を睨むクラスの女子。
おなかを抱えて笑っている男子。
「……っと……。これ以上言うと、命が危ないのでやめておきましょう。ではでは、美味しそうなご馳走を食べる前にもう一度、空から一言頂きましょうか」
そういって、会長は私のところまでやって来て、マイクを差し出してきた。
え……。
なに話せばいいの……?
「大丈夫、こいつら、なんか言ったら何とかしてくれるから」
私が困っているのを察したのか、会長は、私にだけに聞こえるように、小さな声でそう言った。
不安ながらも私はゆっくりと立ち上がった。
そして、マイクを口の前に持っていく。
「えっと……。私は病気が原因でこの高校に転校してきました。前の学校では、野球部のマネをしていました」
皆は真剣に聞いてくれている。
私は話を続けた。
「初めてこの学校に来て、教室に入ったとき、不安で不安でたまりませんでした。私は前の学校では、一人浮いていて一匹狼状態でした。だけど、このクラスの皆は明るくて、優しくて、前の学校とは大違いで、正直今も驚いています。こんな私ですが、よろしくお願いします」
私は軽く皆に向かって頭を下げた。
本日2回目の拍手の音が聞こえる。
会長は私の隣で、にっこりと笑ってお疲れといい、私からマイクを受け取った。
そして私はゆっくりと再び座る。
「ではではお待たせしました。皆さん手を合わせてっ。美和のお母さんお父さんに聞こえるように大きな声で言いましょう。……合掌っ」
「「「頂きますっ」」」
大きな一室に大きな声が響き渡る。
その瞬間、うわぁっと我先にと箸が机の上を行き交う。
もの凄い速さ。
まるで野生の動物のよう。
私は唖然としていた。
すると、隣に座っていた美和が素早く私の取り皿の上にから揚げを置いた。
「空っ!なにぼーっとしてんの?こいつら、まじで遠慮ないから急がないとなくなるよっ」
そういって、美和は次々と食べ物を口に放り込んでいた。
……あの……。
ここは早食い競争の大会会場でしょうか……。
女子も男子も、もうお互い張り合っている。
私は、よしっと気合を入れて、皆に負けないように次々と料理を取り皿の上に乗せていく。
美和の言った通り、ものの30分で机の上にあった沢山の料理はなくなった。
皆、お腹を十分に満たして満足そうな顔をしている。
私も食べたいものは食べれたし、大満足。
「ふふふっ、今日は楽しかったねっ」
美和が独り言のように呟く。
「ああ……。楽しかった。空のおかげだな」
「本当に、空がこっちに転校してくれてよかったよ」
「これから、よろしくなっ」
美和に続いてクラスの皆は口々にそういってくれた。
私……ここにいていいんだ。
私の居場所……ここにはあるんだ。
私は嬉し涙を誰にも見られないように流した。
「ではでは皆さん、お腹は満たされましたでしょうか」
会長は再びマイクをもって1人立ち上がって喋りだした。
あちこちから、イエーイだとかそんな叫び声が聞こえる。
「今日は何の日か知ってるかぁ~?」
再び会長が皆に呼びかける。
「「空の誕生日っ!」」
クラス全員の声が重なる。
「では、皆で歌いましょう。音痴の人も、今日は歌うことを許しましょう。では、せーのっ」
会長がクラスの中心に立って指揮をとった。
「HAPPY BIRTH DAY TO YOU~♪HAPPY BIRTH DAY TO YOU~♪HAPPY BIRTH DAY DEAR ソーラー♪HAPPY BIRTH DAY TO YOU~♪」
大きな声が部屋に響き渡る。
皆満面の笑み。
私はどうやら、最高の学校に転校してきてしまったらしい。
私は今日1日笑顔を絶やすことはなかった。
青の前でしか、見せることのなかった自然な私の笑顔。
それが今日……私は青以外の人の前でこんなにも笑えている。
ここで始まる私の新たな未来。
新たな仲間に囲まれて、頑張ってゆこう。
踏ん張っていこう。
青、私はここで頑張るから。
帰り道の夜空にそう誓った。
諦めないよ。
精一杯生きてやる。
「ソーラーっ!ほら早く早くっ。移動教室遅れるって!」
「ちょ、美和早いから!」
私は不思議なくらいにクラスに馴染んでいた。
あれ以来、よく笑うようになった私。
前の学校にいた私が聞いたらきっと驚くと思う。
こんなに笑える日が来るなんて思ってもみなかったあの時。
青さえいればよかったあの時。
日に日に私の表情が豊かになっていくのが自分でもわかる。
だけど……1つだけまだ慣れないことがある。
「なぁなぁ、藤青学園の野球部、今年やばくね?」
移動教室先で同じグループの野球部2人が騒いでいる。
「おうおう、あのなんだっけ……あい……なんとか。ん~……。あ、わかった!相原あきだっ」
……青のことだろうな……。
あきって……。
私の口元はふっと緩む。
「お、何々?空俺らの話に興味ある?」
その男子は、私に話を振ってくる。
「相原青。あきじゃない」
私は、少し笑いながらいうと、その男子はそうだそうだと、納得している。
隣の美和は不思議そうな顔をしていた。
「あ、そっか!……空、藤青野球部のマネしてたもんね?もしかしてさ……。その青って子と空、付き合ってた?」
……え?
なんでそんなことわかるの?
私は黙っていた。
言うべき?
言わないべき?
「え、まじかよっ。今高校野球してるやつなら誰でも知ってるぜ?注目の選手だよ」
「同じ2年でマジ尊敬してるやつだよ。今年の甲子園は絶対に藤青くるって皆言ってるし」
野球部2人も興味津々のようだ。
でも、青の話はしたくない。
昔のことを思い出して……私はきっと泣いてしまうだろうから。
声を聴きたくなってしまう。
青の温もりに触れたくなってしまう。
許されるならば今青に……
「やっぱりね~……」
ニタニタと私の顔を見て笑う美和。
絶対に何か企んでいるこの顔。
「「ふ~ん……」」
双子かと思うくらい息ぴったりな野球部の2人。
この2人もきっと何かを企んでいる。
私はパニック状態だった。
きっと、私の顔から何かをこの人たちは悟ったのだろう。
もう授業内容なんて聞いちゃいない。
私はただただ、赤面するばかりで、下を向いていた。
「そーらっ!今日ちょっと付き合ってほしいところあるんだけど……」
美和が帰りの支度を済ませ、満面の笑みで言ってきた。
「うん」
私はそう返事をすると、美和は私のてを引っ張って、行こっと言う。
今では当たり前に一緒に帰る私と美和。
周りからは、お前ら付き合ってるのか?なんてからかわれるけど、そんなの気にしない。
美和が向かった先はとあるカフェだった。
「ここ、めっちゃ美味しいのっ」
そういって、美和は私の手を引っ張ってズンズンとカフェの中へ入っていく。
いらっしゃいませーと店内に響く店員さんの高い声。
レトロな雰囲気が漂う店内。
美和は一番奥の席に座る。
「ほら、空も座りなっ」
美和はにこっと笑い、私にメニュー表を渡す。
私は美和の正面に座り、メニュー表を眺めた。
窓際の心地よい席。
春の気持ち良い風が店内に入ってくる。
「空……決まった?」
美和は私の顔を覗き込んでくる。
「あ、うん。この抹茶パフェで」
私がそういうと、美和はにこっと笑う。
「了解っ!」
そういって、美和は店員さんを呼び、私の分も注文してくれた。
私は無意識に窓の外に目をやる。
青……今どうしてるかな。
ちゃんと野球頑張ってるかな……。
今日の空は、青空一つ見えない。
曇りだった。
「そーらっ」
美和が、不思議そうな顔で話しかけてくる。
「あ……ごめん。何?」
私は、はっとして、美和の方を向く。
「空って、暇さえあれば、空見てるよね?何か意味あるの?」
暇さえあればか……。
私……そんなにも見てたのか。
「あ……昔の癖が抜けなくて……」
「もしかして、野球部のマネが関係あるの?」
「あ、うん。ほら、野球って天気で左右されるスポーツだから……」
私がそういうと、美和は納得したようにうなずいた。
「私は、空が、青くんのこと想っているのかと思った。付き合ってたんでしょ?」
そういって、美和は優しく微笑む。
一瞬私の心臓がドキッとなる。
そういえば、なんで、私と青が付き合ってたってわかるのだろうか。
私はここに来て誰にも青の存在を言わなかったのに。
「ねぇ……。なんでわかったの?」
すると、美和は意地悪そうにニヤッと笑ってから私の目を見つめてきた。
その目は何もかもを見通せるように私は思えた。
「それはね……。私昔からそういうことには鋭かったの。人一倍ね。空が、青って子の名前を言ったとき、なんだか愛しそうにその子の名前を言ったから……もしかしたらっと思ってねっ」
案の定当たっていたし
と、囁くように付け加えて、自信たっぷりに美和は言った。
愛しそうにか……。そう……か。
「空はまだ、青君のこと好きなんだね」
「うん……」
考えるよりも先に私の口は動いてしまった。
しまったと思った。
美和は真剣にこちらを見ている。
どうしよう。
「会ってきなよ。空」
会って……くる……?
「え……」
美和のまっすぐな瞳が私を見てくる。
青に……会う?
無理だ。
そんなの残酷すぎる。
別れを告げたのは私からなのに……。
そんなの……できっこない。
「はーい。お待たせしました。抹茶パフェとチョコパフェです」
丁度そこへ、注文のものが運ばれてきた。
その瞬間美和の真剣な顔は一瞬にして崩れ、子どものようにはしゃぎだす。
「うっわぁ~おいしそうっ。空、話は後にして、食べよ食べよ!」
何この変わりよう……。
私は驚きながらも、抹茶パフェを口に運ぶ。
「……んっ!美味しい……」
私は思わずその言葉を口にすると、美和はでしょでしょ?と笑顔でパフェにがっついている。
そして、美和はものの1分で大きなパフェをたいらげてしまった。
私のはまだ3分の2以上残っているのに……。
なんという早さ……。
美和は食った食ったと満足そうにお腹をさすっている。
私はその姿に唖然としていた。
「あ!空今、私のことがさつだと思ったでしょ?いやぁ~……。あのクラスにいたらこうなんのよ……」
美和は、はははっと笑い出した。
そして、美和は自分のスプーンで私のパフェを少しすくい、ぱくりと食べてしまった。
「あ……私の……!」
「ふふふっ!早く食べないと、私に食べられちゃうよ?」
そういって、美和は意地悪そうに笑う。
私までつられて笑ってしまう。
「美和にはあげないっ」
私はそういって、大きな口で、パフェをあっという間に食べてしまった。
「なんか、今日は空の素が見れてよかったよ」
そういって、美和は優しく笑う。
私の素?
「あのね……。前の学校で空が何にあったか、私たちにはわかんないし、空が言いたくないのなら、無理やり聞こうとはしないよ。だけど、私たちの前では、空は空でいていいんだよ。誰も嫌ったりはしないし、一人ぼっちにはさせないから。……絶対に」
私は私でいていい……。
一人ぼっちにはもうならなくていいの?
あの時みたいに……。
ふと、12年前の記憶が蘇ってくる。
忘れたくても忘れられない……あの記憶が……
家の近くの公園で一人砂遊びをしていたら、同じ年くらいの男の子に声をかけられたことが始まりだった。
幼稚園でも、一人遊びばかりしていた私。
人の前で話すことに、とても抵抗を感じていた。
だから、いつも一人だった。
男の子たちは、話しかけても何も言わない私が気にくわなかったのだろう。
言葉は暴言へと変わり、私を取り囲み、あげくの果てには、蹴ったり、殴ったりしてきた。
夕方の公園に響き渡る声。
夕日だけが、私達を見ていた。
「おい、お前なんで笑わねぇんだよっ」
バシッ
痛い……
「笑えよ、泣けよ!」
バシッ
やめてよ……
「お前人間か?ロボットじゃねぇの?」
ボコッ
お願いだから……
「おいおい、ロボットが人間のふりしてんじゃねぇよ」
ボコッ
誰か……誰か……助けて……
「おい……。何してんだよっ!」
遠くから聞こえる声……誰?
私は傷だらけの顔をそっとあげた。
野球の格好をしている。
確かこの子は……隣の家にすんでる子。
お父さんがこの前、自慢げにすごい子見つけたって言ってた子。
「こいつ、笑わねぇし、泣かねぇから、ちょっといじめてたんだよ」
私を殴っていた1人がそう答える。
「女の子1人に男5人ってお前らどんだけ弱虫なんだよ」
野球少年はそう言い放つと、私を取り囲んでいた子たちは一斉に野球少年に飛びかかった。
だけど、あっという間に、私をいじめていた子達は、野球少年にボコボコにされ、泣きながら帰っていく。
私はその光景をただ唖然と見ていた。
「大丈夫?」
野球少年は優しく手を差し伸べてくれた。
私はその手をつかまず一人で立ち上がる。
どうせこの子だって私のこと、面白くないとか言っていじめてくるに決まってる。
きっと……そうだ。
私はそう思って、服に着いた泥を払い、その場を立ち去ろうとした。
「ねぇ君、名前は?俺、相原青。友達になろうよ」
何も言わず、立ち去ろうとしている私に、その子は構わず大声で後ろから私に話しかけてくる。
「あ……お?」
私は小さく青の名前を呼ぶ。
すると、青は私の方に駆けてきて、にこっと可愛らしく笑った。
「君の名前は?」
「水木……空」
そういうと、青は私の手を握ってくれた。
一緒に帰ろうって言ってくれた。
その日から私は一人じゃなくなった。
隣には青がいたから。
青の隣には私の居場所があったから。
なんで……こんな時にこんなこと……。
もう、ここに青はいないのに。
もう、あの時みたいに突然現れて私を助けに来ることはないのに。
私から青を手放したのに……。
気づいたときは私の目からは、一滴の涙がこぼれていた。
「空……?」
美和は驚いた顔をして私を見ている。
「あ、ごめん……昔のこと思い出してつい……」
すると、美和は私の頭をくしゃくしゃっと撫でてくれた。
泣きたいときは泣いていいよって言ってくれた。
その瞬間、私の目からは涙があふれ出してきた。
「空」
美和は私の頭をなでながら優しい声で言ってくる。
「空は幸せになっていいんだよ。我慢しなくていいんだよ。青君に会いたいって思ったら会いに行ってもいいんだよ」
私が幸せになってもいい?
青に会いってもいってもいい?
だけど、きっと青の傍私がいたら青は……だからこの気持ちは胸の奥にしまうってあの日決めたんだ。
――――引っ越しを決めたあの日から。
「うんん。私、青には会いにいかない」
私は涙をぬぐい、顔を上げた。
何うじうじしてるんだろ、私は。
決めたんだよ、あの日。
私が青を守るんだって。
私は私の道を行くんだって……あの日、あの時、ちゃんと決めたから……。
だから、立ち止まるわけにはいかない。
後戻りするわけにはいかない。
美和は、泣きそうな顔をしていた。
私の周りにはこんなにやさしい人がいるんだ。
これ以上わがままは言えない。
これ以上の幸せを私は望んではいけない。
「それで、空はいいの?」
美和は、真剣な目で私を見てくる。
「うん。私には美和やクラスの皆がいてくれるから。私は十分恵まれているから。幸せだから」
私はそういって笑顔を作ってみる。
美和には笑っていてほしい。
美和には泣き顔は似合わないから。
すると、美和もにっこりと可愛らしく笑った。
私と美和が店を出るころには、空には青空が広がっていた。
私は空を見上げてにっこりと笑った。
――――ねぇ、青。
あなたは今どうしていますか。
野球を頑張っていますか。
授業中寝ていないですか。
私がいなくなって、きっと青は授業中爆睡しているのだろう。
私は元気にやってるから。
青がいなくてもちゃんとやっていけてるから。
青はもう、好きな子とかできたかな。
青はモテたからきっと、可愛い子から毎日告白受けているだろうね。
私よりずっと可愛くて、彼女らしい人見つけているだろうね。
それでいいんだ。
それでいい。
青は青の道を。
私はこの青空を通して、あなたを一生応援してるから。
「私、何があってもずーっと空の味方だから!」
私の隣で、美和がいきなり青空に向かって叫びだした。
町のド真ん中にいた私たちは、一瞬にして注目の的となった。
私は不思議と恥ずかしさは感じられなかった。
単純にうれしかった。
「美和。ありがと」
私が小さな声でそういうと、美和は私の手を握り、行こっ!といってその場を離れる。
私は美和に引っ張られるまま、ついていった。
美和は、私の家の近くの公園で手を離し、息を整える。
私も膝に手を着き、息を整える。
「うはははっ。私マジで気違いだよっ」
そういって美和は一人おなかを抱えて笑い出した。
「ほんとだよっ。あはははっ」
私もつられて笑う。
こんなに笑ったのはいつ振りだろうか。
空はもう、青から茜色へと変化していた。
「空。今日は私に付き合ってくれてありがとね」
美和は、満面の笑みで私に笑いかけてくる。
「私こそ」
私も美和に笑い返す。
「じゃあ、明日ね」
そういって、美和は私に手を振り、公園を出ようとした。
「うん。じゃあ、まっ……」
突然目の前の景色が揺れる。
そして、だんだんぼやけてくる。
「……っ!」
手足に力が入らない。意識が薄れて行く……。
あ……あの時と同じだ……。
「空っ!」
美和の泣きそうな叫びか微かに聞こえた
これが、私の道なんだ。
これが、私の選んだ道なんだよ、青。
私の目の前で突然倒れた空。
私は急いで救急車を呼んだ。
そして、私は救急車に乗り込み、ずっと空に声をかけ続けた。
だけど、空が目を覚ますことはなく、救急車を降りると、空はすぐさま治療室へと通される。
私はその姿をただただ見守ることしかできなかった。
――――空。
あなたはこんな想いを青君にさせたくないからここへ逃げてきたんだね。
私だったらこんな決断できないよ。
きっとあなたは、誰よりも、自分よりも青君のことを大切に思っているからこんな決断ができたんだね。
空。
空が初めて私たちの教室に入ってきたときは目を疑ったよ。
あなたはとても寂しそうな、悲しそうな目をしていたから。
自己紹介をする前、無理やり笑顔を作っていたけど、やっぱり目は悲しそうだった。
あなたの過去を私は何一つ知らない。
だけど、心の底からあなたを助けたいって思ったよ。
何故かはわからないけど、きっと運命ってやつだと私は思うんだよね。
だから……空、ここでくたばっちゃいけないよ。
私がついているんだから。
あなたは生きて……幸せにならなくちゃいけないんだよ。
「空……っ」
私は、病院の帰り道、夜空にそっとつぶやく。
私はあふれそうな涙を必死に抑えて、帰り道を歩いた――――。
ピ…ピ…ピ…ピ…
あ……。
この音。
聞いたことがある。
確か……病院にある機械の音……。
「……空っ」
この声は……お母さん??
私は重い瞼をゆっくりと開けた。
あ、やっぱりお母さんだ。
お母さんは、泣いていた。
また泣かせちゃったな……。
お父さんは椅子に座って、私をじっと見てくる。
ここは病院。
そして私はベッドの上。
学校行く前はずっとこのベッドの上で過ごしていた。
なんだか……懐かしい。
「空っ!あなた、体調悪くなったらすぐに言いなさいって言ってたでしょっ!」
お母さんは涙を流しながら怒っている。
確かに、以前よりも便は細くなっていた。
痔のようなこともあった。
医者曰く、私の癌の進行は驚くほどに早かったらしい。
あと少しでも手術する日が遅ければ危なかったとか……
問題の腫瘍を摘出したあとも、いつまた再発してもおかしくないと言われた。
だけど、定期検診はきちんと受けていたし、1か月前は大丈夫って言われたし……。
私も大丈夫だって思っていた。
こんなに早くまた再発することはないだろうって、自己解決していた。
きっと病院に戻ったら、自分は死と隣り合わせなんだって実感しちゃうから。
何もすることがなくなって、青のこと考えちゃうから。
だから……自分で大丈夫大丈夫って言い聞かせていた。
私以外と強いから。
だから今回も……大丈夫なんだよね??
「ねぇお母さん。私、まだ大丈夫でしょ?」
私は静かにそうつぶやいた。
その瞬間お母さんの目からは大量の涙が零れ落ちてきた。
「ああ。大丈夫だ」
お父さんはお母さんのかわりに静かにそういった。
ほら。大丈夫だ。
私はその言葉を聞いて、安心したのか、また眠りについた。
――――青。
私、あなたがこの甲子園の開かれる球場に来るまでは絶対に死なないから。
絶対に……ここで、あなたを待っているから。
「はーいっ、空ちゃん薬の時間だからねっ」
そういって今日も私の部屋へ看護師がやってきた。
どうやら、再び私の体には再び悪性の腫瘍が見られたらしい。
学校、1か月ちょっとしかまだいってないのに。
とんぼ返りをくらった私。
――――空。
俺ここまで来たぞ。
一昨日、手にした甲子園出場をかけた決勝戦の切符。
去年はこれなかった。
そして、今日その決勝戦が開幕しようとしている。
真夏の暑さが照りつけるこの球場。
スタンドには多くの応援団。
皆、俺たちの闘志を見ようと駆けつけてくれた。
絶対に勝つ。
絶対に甲子園に行く。
この青空の力を借りて。
「おい、整列だ」
キャプテンの一言が気持ちを引き締める。
俺はベンチからでて、青空の下に出る。
「青、思いっきりやれ。楽しめっ」
隣の町先輩が俺の背中をバシっと叩いた。
「うっすっ」
俺は笑顔になる。
頑張るから、俺頑張るから見ててくれよ。
どこからでもいいから、俺を見ててくれ、空。
「今から、藤青学園高校と日成学園《にっせいがくえん》高校の試合を始めます。礼っ」
「「お願いしますっ」」
二校の声が審判の掛け声とともに球場に響く。
始まるんだ。
熱い夏が。
5回裏、こちらからの攻撃で、2アウト3塁。
点数は1対1。
「3番、ショート、山口《やまぐち》君」
アナウンスの声が球場に鳴り響く。
その瞬間、盛り上がる藤青のスタンド。
山口は、俺と同じ年で、すっげぇ身長がちっちゃい。
だけど、素早い。
伊達に藤青のショートを守っている訳じゃない。
そして、藤青の三番バッター。
きっと、山口は……こいつはやってくれる。
「ふぅ…」
俺は、山口を信じて、ゆっくりと一歩前にでる。
そして、深く深呼吸をする。
「先輩、俺の背中バシっと思いっきり叩いてください」
俺は後ろに座っていた、舟橋先輩にそう頼む。
すると、舟橋先輩は立ち上がり、俺の肩に手を置いた。
「青、かっ飛ばしてこいっ」
舟橋先輩の声とともにジーンと感じる背中の痛み。
「うっしっ……」
気合は入った。
あとは……思いっきり打つだけっ!
俺は青空の下出て、ネクストサークルに腰を降ろした。
山口が、バッドをしっかり構えて、相手のピッチャーを睨む。
なんとか、打って俺まで回してくれよ。
そしたら、俺がかっ飛ばしてやっからっ!!
__カコーンっ!
初球を捕らえた山口。
バッドに当たったボールはショートの方へと凄い勢いで飛んでいく。
ショートはそのボールに飛び付くも、あと一歩間に合わず、ボールは外野へと抜けていった。
「っしゃぁぁぁあ!!」
俺の声とベンチからの声が重なった。
三塁ランナーが余裕で本塁を踏んだ。
山口は二塁で止まり、ガッツポーズを見せつけた。
やってくれるじゃねぇか!
さて、俺はもうちょいかっ飛ばしてやろうかな。
「かっ飛ばせー、あーおっ」
スタンドから聞こえる応援の声。
「ふぅ……」
俺はもう一度深く深呼吸をする。
すると、自然と周りの音は聞こえなくなる。
俺と相手ピッチャーとの一対一の勝負。
『青っ!かっ飛ばさなかったらぶっ飛ばすっ』
ふと、頭をよぎる空の声。
俺の口元はふっと緩む。
その瞬間大きく振りかぶる相手のピッチャー。
__カキーン……
気持ち良い音が球場に鳴り響く。
白球は青空へと吸い込まれる。
そして、レフトスタンドへと入った。
「わぁぁぁあ!!!」
盛り上がる藤青のアルプス。
「回れ回れっ!」
ベンチから聞こえる声。
全てが気持ちいい。
まるで、青空が俺に味方してくれているような……そんな気分だ。
まだ、始まったばかり。
俺らの戦いはここからなんだ
ベンチに戻ると、再び叩かれる俺の背中。
「……った……なんすかっ!」
振り向くと、そこには笑顔の町先輩の顔があった。
そして、町先輩はくしゃくしゃっと俺の頭をなでる。
「おうおう、青!よくやったなっ。よくぞかっ飛ばしてくれた。これで3対1だ。だけど、油断すんなよ」
そういって、再び町先輩はバシッとおれの背中を叩いた。
ヒリヒリする俺の背中。
「油断しませんからっ!絶対に勝たなきゃいけないんで……この試合はっ……」
俺は前を行く町先輩に大声で叫んだ。
すると、町先輩は振り返って、そうだなっという。
その顔は、真剣だった。
『5番、キャッチャー、町君』
町先輩は、青空の下に出た。
その姿は、とてもかっこよかった。
俺とバッテリーを組んでいる町先輩。
いつも、町先輩は俺のことを理解してくれていた。
「かっ飛ばせぇー!町先輩っ!」
俺は、ベンチから町先輩に聞こえるように大声で叫ぶ。
ここで負けてはいられないんだ。
このメンバーで俺は行きたいんだ。
甲子園という大舞台に……。
カキーン……
球場に響く音。
「わぁぁぁぁあ!!」
本日2回目のホームランを相手に見せつける藤青。
町先輩は片手をあげて、ガッツポーズをしながら、球場を走る。
その姿はとても誇らしくて……最高にかっこよかった。
点数は5対1。
勝てるっ!
そう思った。
それがいけなかったのか。
町先輩のあの言葉は、俺がそうなることを見越して言ったのか。
藤青の追い上げはここまでだった。
次の回で、藤青は3振してしまい、守備へとチェンジ。
別に、気を抜いたとかじゃない。
きっと、油断していたんだ。
カキーン……
「わぁぁぁぁあ!!!」
俺の投げた白球は相手のバッターのバッドに綺麗に当たり、青空へと消えていく。
そして、センターとレフトの間に落ちる。
「……っ!」
点数はいつの間にか5対4。
しかも、まだ相手はノーアウトだ。
くっそ……
このままじゃ追いつかれる……。
くっそ……
気持ちだけがどんどん焦ってゆく。
「タイムっ!」
審判の声が聞こえる。
町先輩がタイムをとった。
そして、町先輩は、マスクを取ってマウンドの方へゆっくりと近づいてくる。
いつも以上に険しい顔をしている。
「青。お前いいのか、ここで負けて」
怒られると思った。
町先輩の声は驚くほど優しかった。
「絶対に……絶対に負けなくないっすっ」
俺は顔を上げて町先輩の目を見る。
町先輩は、こくんとうなずいた。
「しっかりやれ!」
町先輩の大きな声が球場に響く。
「うっすっ」
俺たちは返事をすると、町先輩は自分の持ち場へ戻る。
俺は再び集中する。
「ふぅ……」
深呼吸をして。
町先輩の顔を見る。
先輩はこくんとうなずく。
絶対にこれ以上は点をやらない。
勝つのは
俺たちだ――――。
「ストライクっ!バッターアウト」
審判の声が、球場に響く。
その後、俺は投げ続け、連続で3振をとった。
「チャンジっ」
再び響く審判の声。
点数は4対3のまま抑えた。
ベンチに戻ろうとしている俺の背中を誰かが叩いた。
そして、頭の上にポンと手が乗る。
「青、よく抑えたなっ」
町先輩だ。
優しく言ってくる。
「すいません。俺きっと油断してました」
俺は、顔を上げることはできなかった。
「何言ってんだ。切り替えちゃんとできたじゃねぇか。ほら、次攻撃だぞ!」
そういって、町先輩はベンチに戻る。
俺は、顔を上げた。
そうだ……これからだ。
もう絶対に油断はしない。
そう、胸に刻んで俺は町先輩の背中を追いかけた。
「青、お前、よくあそこで抑えたなっ!」
ベンチに座っていたところ、再び叩かれる俺の背中。
振り向けば夏樹の顔があった。
ったく……俺の背中もう叩かれまくって、ヒリヒリどころじゃねぇんだけど……。
「……ったぁ……。ああ、まあな」
「羨ましいねぇ……。あの舞台でプレーできるお前がっ」
そういって、夏樹は俺の隣に座ってきた。
夏樹は、町先輩の次のキャッチャー候補。
だけど、今は町先輩がいるから、あの舞台には立てないんだ。
「夏樹なら立てるさっ。お前いい奴だしっ」
俺はそういって、夏樹の背中をバシッと叩いた。
「……ったぁ……。いい奴と試合出ることって関係ある?」
夏樹は少し笑っている。
俺も少し笑って「知らねっ」と答えた。
「俺の分も、試合楽しめよっ」
夏樹は、目の前で行われている試合を見ながら、小さくそういった。
夏樹はすこし、悔しそうだった。
俺には、試合に出ていない人たちの分もプレーするという義務がある。
野球を楽しむという義務がある。
夏樹の言葉で思い出した。
「当たり前だっ」
そういって、俺は笑った。
そして、ベンチから見える、青空に目をやる。
『青、頑張れっ』
ふと聞こえた空の声。
青空から聞こえたような気がした。
フッと口元が緩む。
「何1人笑ってんだよ青。気持ちわりぃぞ?」
夏樹が不思議そうな顔で言ってくる。
「何も……。ただ……勝たねぇとなと思って」
俺は、静かにそういった。
空。そうだよな。
俺、ここで負けたらお前に笑われるな。
絶対に勝ってやるから。
もう油断なんてしねぇ。
絶対に……負けねぇ。
何が何でも勝ってやる。
何が何でも甲子園へ行ってやる。
九回裏2アウト満塁。
こちらからの攻撃。
点数は6対7。
逆転の可能性は十分にある。
『4番、ピッチャー、相原君』
再び俺を呼ぶアナウンス。
次もかっ飛ばす。
絶対にかっ飛ばす。
勝つために……かっ飛ばしてやる。
「青、お前ならできるっ」
後ろで夏樹がそういっているのが聞こえた。
俺にはこんな最高の仲間がいる。
俺は打席に立ち、バッドを構える。
相手のピッチャーは、大分疲れているようだった。
俺はキッと相手のピッチャーを睨む。
大きく振りかぶるピッチャー。
ここだっ!
「ストライクっ」
っく……少し振るのが遅れたか……
審判の声が響く。
大丈夫。
あと2回チャンスはある。
大丈夫。
俺は必死に自分に言い聞かせる。
再び大きく振りかぶるピッチャー。
次こそ……当てる。
「ストライクっ」
再び審判の声が響く。
次、俺がストライクを取ったら……負ける。
この試合が終わってしまう……。
嫌だ。
絶対に嫌だ。
俺は、自分の顔をパシッと両手で叩いた。
勝つんだ。
勝つんだ。
打つんだ。
『青はピンチの時ほど強いよね。』
空は昔そんなこと言ってた。
そうだな。
今ピンチだから、俺強いはずだよな。
打てる。
俺は打てる。
大きく振りかぶるピッチャー。
__カキーン……
ヒットだ。
レフト側へ転がるボール。
「走れぇっ!」
スタンドから、ベンチから一斉に聞こえる声。
俺は一塁のベースを踏む。
どうやら、3塁のランナーは最後のベースを踏み点数を上げたようだ。
今の状態は2アウト満塁。
点数は7対7。
次の打者は……
『5番、キャッチャー、町君』
町先輩だ。
町先輩は、プレッシャーに強い人。
こんなところではきっと折れない人。
やるときはやってくれる人。
町先輩が構える。
その瞬間時が止まったかのように感じられた。
「ストライクっ」
審判の声が再び球場に響く。
再び大きく振りかぶるピッチャー。
「先輩、打ってくださいっ」
俺は先輩に聞こえるように大きな声で叫んだ。
聞こえたかどうかはわからない。
__カキーン……
ヒットだ。
俺は無我夢中で走る。
勝つ。
それしか考えていなかった。
「セーフっ」
俺は2塁へと進んだ。
そして、3塁にいた選手が本塁に滑り込み、得点を上げた。
その瞬間勝負が決まった。
「うわぁぁぁぁぁぁあ!!」
今日一番の盛り上がりを見せる藤青学園のアルプス。
この瞬間、俺たちは甲子園の出場切符をつかんだ。
俺たちは……勝ったんだ。
俺の真上には青空が広がっている。
微かに吹く風が心地よい。
再び2校が向かい合う。
「これで藤青学園高校と日成学園高校の試合を終了する。礼っ」
「「ありがとうございましたっ」」
審判の掛け声とともに響く球児たちの声。
俺はベンチに戻ろうと背を向いた瞬間、誰かに肩を叩かれた。
振り向けば、日成のキャプテンの顔があった。
「あ、お前の球、すごかった。まだ2年生なんだってな。甲子園俺たちの分の勝ってくれよ」
そういって、手を差し出してくる。
「もちろんです」
俺は笑顔で、その手を強く握った。
お互い豆だらけの手で。
「青っ!お前よくやったぞっ」
舟橋先輩が後ろからバシバシと何度も背中を叩く。
そして、夏樹もやってきて、舟橋先輩と一緒に俺の背中をバシバシと叩く。
「ちょ……マジ痛いっす。夏樹っ、お前少しは力加減というものを知れっ」
俺が笑いながらそういうと、2人も笑い出した。
「おい、集合だっ」
キャプテンの声が響く。
俺たちは、スタンドの前に立ち、帽子を脱ぎ、藤青学園の応援団に深々と礼をした。
「ありがとうございましたっ」
疲れ切った声が球場に響き渡る。
スタンドの中には泣いている奴もいた。
校長はただ一言「感動をありがとう」と言ってくれた。
空……俺、甲子園の切符つかんだから。
誰にも聞こえないくらい小さな声で、そっと青空に向かって言ってみる。
「青!帰りの準備だっ」
町先輩が、立ち止まっている俺をせかす。
「うっす……」
俺は、走り出す。
このメンバーとともに、この最高の仲間とともに……甲子園へ。
あの夢の大舞台へ――――。