今日の朝刊を見て、私は無我夢中で病院へ走った。
空のいる、病院へ。
学校なんて知るかっ!
早く、早く……このことを空に知らせなきゃ。
運がいいことに今日は青空。
走る分には気持ちがいい。
まるで青空が、私に味方してくれているようで。
病院の廊下を走っているとき、看護師さんになんどか注意されたけど、そんなの知るもんかっ。
一刻も早く早く……。
私は勢いよく病室のドアを開ける。
空は予想通り、驚いた顔をする。
いつもなら私は学校で1限目の授業を受けている時間だから。
「なんで?」
空の声は今にも消えてしまいようだった。
前来た時よりも、確実に弱ってきている。
私は、握っていた新聞紙を無動作に広げて、空に見えるように前に持ってくる。
「空!青君、甲子園出場決めたよっ」
空は、唖然としていた。
私の目からはなぜかはわからないけど涙があふれて来た。
なんで、こんな時に涙が……。
泣きたいのは……私じゃなくて空なのに。
必死に涙をこらえようとするけど、笑おうとするけど、止まらない涙。
そして、空の目からも、涙があふれてきた。
「空、青君ここにくるよっ。あの甲子園球場に……」
そう。
甲子園球場はこの病院からとても近い。
たぶん徒歩5分くらいのところにある。
空は、何を思ったのか、顔を窓に向けた。
きっと、青君のこと思ってるんだ。
青君にこの小さな病室から青空へエールを送っているんだ。
青君に届くように――――。
そして、空は私の方を見てにこっと笑う。
空の顔は涙でぐしょぐしょだけど、綺麗な笑顔だった。
「美和。ありがと」
そんなこと言われたら、私まで、笑顔になる。
空の笑顔は綺麗だ。
笑うことは少ないかもしれないけど、その分きれいなんだと思う。
空の笑顔は……周りを幸せにしてくれる笑顔だと思った。
きっと、青君もこの笑顔を好きになったんだと思う。
私も、空の笑顔は大好きだから。
私は空のベッドに新聞を置いて、空の病室を出た。
目は、泣いたからちょっと腫れているけど気にしない。
私はゆっくりと、学校へ歩いた。
なんだか、今日の天気は気持ちがいいから。
「はい、美和遅刻っ!」
教室に入った瞬間、飛んできた声。
もう4限目が終わり、弁当の時間だった。
私、どんだけゆっくり歩いてきたんだろ。
「ごめんごめんっ」
私は笑いながら謝る。
すると、クラスの会長が、教卓の前に立った。
「はいはい。皆さん着席っ」
皆、訳が分からないという顔をしている。
私も、訳が分からないが、ひとまず自分の席に座る。
皆も、自分の席に座った。
「美和、お前、空のところ行ってきたんだろ?」
会長が、ドヤ顔で私に聞いてくる。
「あ、うん」
私は、唖然としていた。
クラスの会長、川崎誠《かわさきまこと》。
皆、誠のことは会長って呼ぶ。
顔はイケメンと皆は言うけど、私からしてみればどこが?って感じだ。
成績はいつも学年トップで頭脳明晰。
野球部に所属しているから運動神経は抜群。
クラスをまとめる力もあり、皆から信頼されている。
だから、クラスの会長なんだけどね。
「俺らの将星《しょうせい》高校も今年甲子園に出場を決めたわけで……。なんと1回戦目は藤青。もちろん俺たちの学校は全校応援ってなわけ……。わかるよな?」
会長がニヤッと笑う。
そして、同じ野球部のやつらもニヤッと笑う。
会長の考えていることはわかった。
空と青君を会わせようとしている。
「要は、空と青を会わせるってことでしょ?」
クラスの誰かが口にする。
すると、会長は首を縦に振った。
「どうやって?空、外出届け出るかどうかわからないんだよ?」
私がそういうと、会長は、よくぞ聞いてくれましたという顔で、再びしゃべりだした。
「そうなんだ。外出許可が出れば、空を球場へ連れて行けば済む話だが、もし外出許可が出なかったとき、または、空が頑固で見に行かないと言ったとき、相原青に空のいる病院を教える。きっと、相原青は飛んでいくさ」
会長はどうだという顔をしている。
このまま会わせてもいいのだろうか。
空は、青君と会うことを望んではいない。
だけど、きっと会いたいって思ってる。
でも、青君は?
空に会いたいって思ってるのか。
2人が別れた理由を私は知らない。
それを知るのが先なんじゃ……。
「会長。青君の気持ちは?青君、空に会いたくないって思っているかも……」
私は静かにそういった。
すると、意外な一言が返ってきた。
「相原青も、空に会いたいと思っている」
……え?
何でそんなことわかるの?
「本人に聞いたのか?」
クラスの誰かが会長に質問する。
「ああ。俺の従兄弟が藤青で野球してんだよ」
え、そんなの初耳なんですけど……。
クラスからは動揺の声が聞こえてくる。
しかし会長は、構わず淡々と話し出す。
「そいつと、前久々に会って、空のこと話したら、色々教えてくれた。空は、当時彼氏だった相原に手紙一枚だけ残して、この将星にきたらしい」
クラスの皆は不思議そうな顔をしていた。
手紙一枚??
ここに来る、ぎりぎりまでは付き合ってたってこと?
なんで……
なんで……
空は……。
青君に空から別れを言ったってこと??
そういえば前…
『私には美和やクラスの皆がいてくれるから。私は十分恵まれているから。幸せだから』
空の言葉が脳裏に蘇る。
「俺の考えるに……。ここからは推測だけど、多分空がここに来た理由は、相原が事故にあったからなんじゃないかって思うんだ」
その瞬間クラスの皆の顔つきは変わった。
皆驚いた顔をしている。
「相原はその事故から、約半年間、目を覚まさなかったらそうだ。その間空はずっと、相原の傍にいたらしいし……。きっと、空は相原の傍にずっといて、何もできない自分を無力に感じたんじゃねぇか。それで、相原にも同じ気持ちさせたくないとかで、ここに来たんだと、俺は推測する」
会長の推理はすべて筋が通っていた。
納得せざるおえない私たち。
「空の了解なしに、結構空のこと探っちまったな……。美和あとで謝っといてくれよ」
そういって、会長は意地悪そうに笑う。
私は笑いながら、わかったよ!と返事をした。
「じゃあ、この話に乗る人っ!挙手っ」
会長が大声でそういうと、クラス全員の手があがった。
そして、皆笑顔になる。
「じゃあ、この話は秘密だぞっ!特に空には!美和、お前が一番危ないっ!」
そういって、会長がキッと私を睨んでくる。
そして、クラスの皆の注目の的になる私。
「え、私??」
私がそういった瞬間、クラスに大きな笑い声が響く。
私もお腹を抱えて笑ってしまう。
空。もうちょっと待っててね。
もうちょっとで、空をもっともっと笑顔にさせてあげることができるから。
空がこの学校に来てくれたということ。
その感謝の意味も込めて。
この青空の下で私たちが奇跡を起こそう。
これもきっと運命ってやつ。
青空へ、手紙を毎日送っている空。
決して届かないその手紙。
その配達人を私たちが引き受けよう。
愛しいあの人に届くように――――。
「おーい青っ!もう上がるぞっ」
向こうで町先輩の声がする。
練習を一通り終え、帰る部員たち。
甲子園まであと3日。
不安で不安で仕方がない。
空に俺のこと伝わったかな。
今、なんでかわかんねぇけど、すっげぇ会いてぇな……。
「おい、夏樹っ」
部室に戻ろうとしている夏樹を俺は呼び止める。
「ん?何だよ」
夏樹は不思議そうな顔をしている。
「ちょっと、付き合ってくんね?」
俺はそういってにこっと笑う。
夏樹は、フッと笑い「しゃーなしっ」と言って、グローブを構えてくれる。
俺は、夏樹のグローブに向かって思いっきりボールを投げる。
野球をしているときだけ、ボールを投げているときだけ、俺は俺でいられる。
気持ちがいい。
この感覚。
もう、日が暮れて、空は茜色になっていた。
「青、調子あがってきたんじゃねぇか?」
夏樹が、笑いながら言ってくる。
「当たり前っ」
そういって、俺は思いっきりボールを投げる。
あと3日。
あと3日で夢の舞台。
「……っ!……はぁはぁはぁ……」
さすがに連続で全力の球を投げ続けるのはきつい。
俺は、その場に倒れこんだ。
「おいおい、大丈夫かよ。お前、試合3日前なんだぞ?」
夏樹が心配そうな顔をして近づいてくる。
グランドのど真ん中で寝っころがる俺。
微かに吹く風が気持ちいい。
夏樹は、俺の隣に何も言わず寝転んだ。
「なぁ、青」
夏樹は空を見ながら、静かに俺を呼んだ。
「ん?」
「絶対に勝つぞ」
夏樹はそれだけ言うと、にこっと空に笑いかける。
「おうっ。ここまで来たんだ。目指すは優勝しかねぇだろっ」
俺も暗くなった夜空に笑いかける。
空、お前のためにもな。
心の中で小さくつぶやいた――――。
「おい、忘れもんとかねぇよな?」
キャプテンがバスの中で最終チェックをする。
「「ういっす」」
バスの中に響く男たちの声。
今日の天気は青空だ。
俺たちは、明日にある試合に備え、前日に会場に向かう。
バスの周りには全校生徒が見送りに出てきていた。
「じゃあ、出発するぞ」
そういって、キャプテンは席に着く。
「お願いしますっ」
「「お願いしますっ」」
キャプテンの掛け声とともに再び響く男たちの声。
その声とともに動き出すバス。
全校生徒は俺たちに手を振っている。
俺たちの夢と未来《あす》を乗せたバスがゆっくりと俺らを夢の舞台へと連れてゆく。
「なあ、青。お前、今もし空に会ったらなんていう?」
隣に座っていた巧が、俺にしか聞こえないような小さな声で話しかけてくる。
「は?」
空?
なんで、今そんな話を……。
「例えばだよ」
そう言って巧は笑っている。
空にあったらか……。
「抱きしめたい。会えなかったぶん。そして、甲子園見にこいっていうだろうな」
そういうと、巧は「そっか」と言って、笑った。
空。
甲子園の試合前はお前のこと考えないように考えないようにしようって思ってたけど、やっぱり、無理みたいだ。
お前がいたから、今の俺があるわけで。
お前がいたから、こうして俺は甲子園に行けるわけで。
俺の中から前を消すなんて不可能なんだ。
お前は俺に『俺の道を』って言ったけれど、俺の道にはどうしてもお前が必要で。
会いたい。
何度思っただろう。
もう一度抱きしめたい。
何度願っただろう。
もう一度お前の笑顔が見たい。
何度我慢しただろう。
この試合に優勝して、お前を探しに行こう。
絶対に見つけてやる。
絶対に……。
「おい、着いたぞ。青」
隣の巧に起こされる俺。
「っ……」
俺は小さく背伸びをする。
「おいおい、先輩待たせるんじゃねぇよ」
巧に頭を叩かれて、目が覚める俺。
「……った!……あ、甲子園っ!」
そうだ、俺、甲子園球場に向かってたんだった。
「そうだ、ほら、青降りるぞ」
そういって、巧は俺をせかす。
俺は急いで、荷物を持ち、バスを降りる。
バスを降りた先にあったのは、ばかでかいホテルだった。
「でっかっ……」
その大きさに唖然とする俺。
「じゃあ、今日はここのホテルで各自泊まるぞ。部屋割りは前決めた通りだ。鍵は事前に配ってあっただろう。明日に備えて今日は各自、練習はほどほどにすること。ホテルを出る際は、俺か、監督に許可をもらうこと。いいな!」
キャプテンは説明を終えると、「解散っ」と言って、ホテルの中へ入っていく。
俺たちも、ホテルに入り、自分の部屋へ向かった。
俺と同じ部屋は……巧か……。
「……っしょっと……」
俺は自分の荷物を、部屋に置くと、トレーニングウェアに着替えた。
「ちょ、お前どこ行くんだよ」
巧は驚いている。
「ちょっと走ってくるわっ!あ、巧。キャプテンと監督には内緒だぞ?」
そういって、俺は、巧の返事も待たずに部屋を飛び出した。
じっとはしていられない。
じっとして居ろって言う方が無理な話だ。
明日、甲子園で試合できるっていうのに……。
体を動かしたくて動かしたくて仕方がない。
俺は、野球部の部員にばれないように、遠回りをして、外に出た。
空には青空が広がっている。
「うっし……」
俺は気合を入れて走り出す。
前へ前へ……。
俺の向かう先は決まっている……。
甲子園球場。
明日までなんて……待ってられねぇっ!
風が気持ちいい。
真夏だっていうのに、走りたくて仕方ない。
汗を掻きたくて仕方がない。
そして、あっという間についてしまった。
意外と近かった。
「ここか……」
大きかった。
どうやら、試合までは入ることが許されていないらしい。
ここまで来たのに。
俺は仕方なしに、帰り道を走った。
その帰り道、グラウンドで野球をする球児たちの姿が目に入った。
俺は、その様子を立ち止まって、フェンス越しに眺めていた。
確か、あのユニホームは……。
将星高校。
俺らが1回戦目であたる高校。
俺と同じ2年にすごい頭のきれるキャッチャーがいるって、どこかでちらっと聞いたことがある。
名前は確か……川崎誠っていったっけな。
すると、俺に気づいたのか、誰かがこちらにやってきた。
そいつは、帽子を脱いで軽く頭を下げてきた。
「練習の邪魔したならすいません」
俺も、軽く頭を下げる。
「いやいや。君、相原青君でしょ?」
そいつは満面の笑みで話しかけてくる。
「俺の名前……なんで?」
俺が不思議な顔で、問いかけると、そいつは、あはははっと笑い出した。
「君さ、高校野球の中だったら有名人だよ?」
「はぁ……。そうなんすか……」
そんなうわさ、聞いたことねえけどな……
たまに記者とか、俺の取材来たりするだけで……。
「おう!俺の名前は川崎誠。よろしくな」
川崎誠。
こいつがあのすごいキャッチャーで有名の……。
「あの、キャッチャーの……」
俺が小さな声で言うと、そうそう!といって、嬉しそうにうなずいていた。
人は見かけによらずっていうのはことのことか。
俺と同じくらいバカなやつかと思った。
「明日はお手柔らかにな?」
そういって、川崎は再び笑う。
「ああ、お互いな?」
俺がそういうと、川崎が急に空を仰いだ。
俺もつられて空を仰ぐ。
「明日、青空になるといいな。……空も喜ぶ」
そういって、川崎は、意味ありげに少しニヤリと笑ったかと思うと、急に俺に背を向けて練習に戻った。
俺はただただ、呆然と立ち尽くしていた。
空……?
どういうことだよ……。
空って……あの空か?
どういうことだよ……。
意味わかんねぇよ……。
俺は誰かに肩を叩かれ、振り向く。
そこには、ボーイッシュな女の子が立っていた。
誰?
「こんにちは。相原青君」
そういって、その子はにこっと笑う。
何でこいつも俺の名前……。
俺ってそんなに有名人なのか?
「なんで……」
俺は訳も分からずそう聞き返す。
「ちょっと、ついてきてほしいところがあるの。時間は大丈夫よね?」
そういって、彼女は俺の返事も待たずに俺の前を歩き出す。
俺は不思議に思いながらも、彼女についていくことにした。
こんな怪しいやつについていく俺は、どうかしていると思う。
だけど、なんとなく、ついていかなきゃいけない気がしたんだ。
まるで、青空が、俺についていけって言っているような気がした。
ただの気のせいかもしれないけど。
俺にはそう感じたんだ。
そして、彼女が止まった先は大きな総合病院だった。
なんでこんなところに……。
彼女は、なんの躊躇もなく、その病院の中へ入っていく。
「ちょっと待てよ」
俺は、足を止める。
ここで彼女はやっと振り向いた。
「なんで、こんなところに俺を連れて行くんだよ」
俺はそういってはみたけれど、彼女は平然としていた。
ただ一言。
「ついてくればわかる」
それだけを言って再び歩き出す。
何がわかるんだよ。
俺は疑問を抱きながらも、彼女についていく。
そして、彼女は、ある病室の前で止まった。
病室前のプレートには、俺の探し続けていた、愛しい人の名前。
……ま、まさかな。
きっと同姓同名。
今の時代珍しくはない。
きっとそうだ、きっと……そうだ。
彼女は、少し息をついてから、ゆっくりとその扉を開けた。
「あ……美和」
中から聞こえるか細い声。
今にも消えそうなこの声。
愛しい……あいつの声。
間違いない……
俺がこの声を聞いて間違えるはずがない……
あのプレートに書いてあった名前は、やっぱり……空、お前だったのか……。
「今日、空に会わせたい人連れてきた」
彼女はそういって、病室の中に入っていく。
俺は意を決して、病室の中へ入った。
そこには変わり果てた空の姿があった。
――――だけど、間違いなく空だった。
元から細かった体はさらに細くなり
疲れ切った顔をしていた。
俺が大好きだった、あの黒髪はなかった。
「……っ!」
空は俺を見るなり、ベッドにもぐりこんだ。
「空、ごめん。何も言わなくて。勝手なことして……。でも、どうしてもあなたに青君を会わせてあげたかった」
そういって、彼女は静かに泣いていた。
俺には、意味が分からなかった。
空が……
あの空が……
あの生意気だった空が……
病気ってことなのか。
それくらい、頭の悪い俺でもわかる。
そして、彼女は空に背を向けて病室を静かに、何も言わずに出て行った。
俺と空の2人の時間が流れ出す。
この時間を待ちわびたはずなのに……
話したいことや、伝えたいことはたくさんあるはずなのに……
時間が止まったように感じられた。
俺はただ、その場にに立ち尽くしていた。
空は一向に、ベッドの中から出てきそうにはなかった。
どうすれば……どうすれば……。
お前は、以前のように笑ってくれるんだよ。
俺は、ベッドの傍にあった丸椅子に座った。
自ら、2人の止まった時間を動かしてみる。
「……なぁ……空。俺、甲子園出場決定したんだぜ?」
俺は、ひたすら空に話しかける。
だけど、空はベッドにもぐりこんだまま出てきそうにない。
「お前さ、俺と別れるっていったけど、俺納得してねぇから。俺、お前じゃないと無理だから。ここまで来たのもお前のためだし。だからさ……顔。見せてくれよ……」
俺はもう泣きそうだった。
男が泣くなんてかっこわりぃ。
だから……早く、お前の顔見せてくれよ。
そんなことを考えているうちに、俺の目から一滴の涙が零れ落ちる。
「……っ!」
「男が泣くなんて……バカ青」
空はいつの間にか、ベッドから顔を出して笑っていた。
どんなに、やせ細っても、変わらない空の笑顔。
綺麗な笑顔。
俺の大好きな空の笑顔が目の前にあった。
「泣いてねぇよ。汗だ」
俺はそういって、にこっと笑ってみる。
久々だ。
こんなに、胸が温かくなるのは……。
「ごめんな……空」
俺は小さな声で謝った。
すると、空は細い体を起こした。
「青は相変わらずバカだよね。なんで青が謝るの?」
空のまっすぐな目が俺を見つめる。
「お前が辛いとき、お前の傍にいられなかった。俺、彼氏失格だな」
再び出そうになる涙。
なんでだろう。
なんで今日はこんなにも涙が出るんだろうか。
すると、手に温かいものを感じた。
空の手。
確かに空の手は俺の大きな豆だらけの手をしっかりと両手で包み込んだ。
「青は悪くないのに。男が泣くなんてバカみたい」
そういって空は笑っている。
お前……。
強くなったな。
見ないうちに。
お前は強くなった。
俺は、空に握られていないもう片方の腕を空の肩にまわし、抱きしめた。
細くて、今にも壊れてしまいそうな空の体。
「青?」
空は小さくそうつぶやく。
「ん?」
「明日の試合。勝たないとぶっ飛ばすよ」
相変わらずの毒舌っぷりだ。
「ぶっ飛ばされないように頑張る」
俺はそういって、笑顔になる。
空。
やっと今日お前と出会えた。
やっと今日お前の声が聞けた。
やっと今日お前を抱きしめることができた。
やっと今日お前の笑顔が見れた。
――――病室から見える青空だけが俺たちを見ていた。
お前の夢をかなえよう。
空、お前との約束を守ろう。
「空、明日。俺に惚れるなよ?」
俺は腕をとき、空の顔を見てニヤッと笑った。
「バカじゃないの?」
そういって空は、少し照れたように笑った。
誰かが病室を開ける音がした。
そこへ入ってきたのは…
俺をここまで連れてきた彼女と……川崎誠……!?
「よっ。上手くいったみたいだな」
そういって、ニヤッと笑う川崎。
「私のおかげだよ?」
そういって、川崎の隣でクスクスと笑う彼女。
……え?
一体全体どうなってんだよ。
「会長と美和が仕組んだんでしょ??」
空は、少し、怒り気味に言った。
「私たちだけじゃないよ?共犯者まだまだいっぱいいるしっ!ね?」
「ああ。俺たちだけじゃ無理だった。いやぁ……まじで焦った……。巧から、連絡来たときは、本当にっ!」
そういって2人は笑っていた。
ちょっとまて……今気になるワードが出てきたぞ!?
巧??
「なぁ、その巧って……」
俺がそういうと、川崎ははっとした顔をして「俺の従兄弟」とあっさり答えた。
……え?
ちょっと待てちょっと待て。
俺の頭は混乱していた。
野球のことしか基本動かさない俺の頭。
パンクしそうだ。
「会長。青にわかりやすいように説明お願い。私も知りたいし……」
空がそういうと、会長は、笑いながら、淡々と話し出した。
「俺が、明日の試合に備えて、バッテリーを組んでいる先輩とキャッチボールを、甲子園近くのグラウンドでしていた時、丁度巧から連絡があったんだよ。青が今1人で出かけたから、空と会わせるなら今がチャンスだぞってな。んで、頭のいい俺は球児が出かけるのはきっと甲子園球場だろうと推測した。だから俺はこのままお前が通るであろうあの、甲子園近くのグラウンドで練習しながら、待ち伏せをしていた。からの、準備の良い俺は、もしかしたらのために、美和も呼んだってわけ。本当は俺がお前に、空のいる病院と病室を教える予定だったが、美和に頼んだ方が確実だと思って、急遽美和にここまでお前を案内させた。で、今に至るってな感じだなっ」
川崎はドヤ顔をしていた。
「じゃあ、私と青のことは巧から聞いてたってこと?」
空がそういうと、川崎はは首をうんうんと縦に振った。
「あ、そうそう、空。外出許可どうだった?」
川崎は思いついたようにそういう。
「ん……ごめん……。だめだった」
空は悲しそうに言った。
川崎は「そっか……」と少し残念そうにうつむく。
ってか……俺の頭の整理はまだ出来ていなかった。
まず、こいつらは空のなんなんだ?
んで、巧は、ずっと前から空がこうなってるってのを知っていたのか?
そして空はなんで、俺に何も言わずに、こんな所へ来たんだ?
なんで……俺に言ってくれなかったんだ?
疑問だけが、どんどん募っていく。
何で……何で……
「青」
空の優しい声が、聞こえ、俺ははっと顔を上げる。
すると、川崎と美和というこの2人は俺の前に手を差し出して来ていた。
「改めまして、空の同級生でクラスの会長の川崎誠。明日はよろしくな」
そういって、川崎はにこっと笑った。
「えっと、空の親友の西村美和。無理やり連れてきてごめんね」
そういって、西村は優しく笑った。
俺は2人の手を握った。
事実、こいつらのおかげで、俺と空は出会えた。
こいつらのお陰で今俺は空と同じ空間にいる。
「ありがとう」
ひとまず俺はお礼を言う。
たった五文字の、精一杯の感謝の言葉。
空、お前はいい仲間を見つけたな。
空は俺の後ろで満足そうに笑っていた。
空、お前に聞きたいことはまだ山ほどあるけど、それは試合が終わったらゆっくり聞こう。
もう、日が落ちそうだった。
俺は、明日のこともあるため、空の病室をでて、川崎と西村とも別れた。
そして、近くの河原で俺は座り込みケータイを取り出し、電話を掛ける。
掛けた先は……巧。
『おう、青。会えたか?』
電話の様子からすると、やはり巧はすべてわかっていたらしい。
なんで言ってくれなかったんだよ……。
俺が今までどんな気持ちで……。
『ごめんな、青。本当はお前に言いたかったんだ。だけど、誠に言うなって口止めされていたんだ』
巧の声は少し悲しそうだった。
「なんでだよ……」
『誠曰く、空のことを知ったら青は、きっと野球なんてほったらかしにして、空に会いに行くだろうって。そしたら、結果空は悲しむっからって』
「でも……空のあんな姿見たら……っ!俺……」
ツーンと鼻筋に痛みが走る。
再び溢れそうになる俺の涙。
情けない……今とても自分が情けない……。
『でもお前は空の夢をひとつ叶えた。空……どんな顔してた?』
空の顔。
あいつ……最後は……。
「笑ってた」
『誠曰く、空はお前の邪魔はしたくなかったんだろうって。自分が病気になって、無駄な心配をさせてお前をつぶしたくはなかったんだろうって。空は、お前を守ったんだよ。青』
「空が俺を守った?」
『ああ。そうだ。だからお前明日勝たないと、マジで空を泣かすことになるぞ?』
空を泣かす?
絶対にそんなことはさせない。
あいつはもう十分泣いた。
苦しんだ。
「絶対に勝つっ!」
俺は力強くそういった。
『ああ、その意気だ。ってか、早く戻ってこい青。もうちょっとで夕食だ』
「了解っ」
俺はそういってケータイをポケットにしまい、勢いよく駆け出した。
勝利の道を――――。
「今日がどういう舞台かわかっているな。ここまで来たからには目指すのは優勝だ」
キャプテンがグラウンドで声を張り上げる。
「「うっすっ」」
グラウンドに響く勇ましい男たちの声。
相手は地元の将星高校。
勝つ。
絶対に勝つ。
「空のことには協力したけど、明日の試合は全力で勝ちに行く。そこは協力できないからな」
昨日の帰り際、川崎が俺にそういった。
当たり前だ。
本気で勝ちにこい。
そのかわり、こっちも全力で勝ちに行く!
「整列だ。引き締めろっ」
キャプテンの声が聞こえる。
始まる。
この舞台で俺たちは勝つんだ。
「今から藤青学園高校と将星高校の試合を始める。礼っ」
「「お願いしますっ」」
球場に響く、両校の球児たちの声。
一瞬、俺と川崎と目があった。
だが、それぞれ、持ち場があるため、何もなかったようにする。
戦いは始まった。
勝つ。
俺の頭にはそれしかなかった。
「青、誠となんかあったか?」
心配そうに聞いてくる、巧。
俺は首を横に振り、「なにも」と答えた。
そして、ベンチに戻る。
空は快晴の青空。
今日は野球日和だ。
試合開始を知らせるサイレンが響き渡る。
始まった。
空、お前病室から見てるか?
絶対に勝つからな。
お前にかっこ悪い姿だけは見せねぇから。
「青、わかってるな?」
町先輩にバシッと背中を叩かれる。
――――油断しない。
前の決勝でそれを思い知った。
「はい」
そう返事すると、町先輩は「うっし」と言ってもう一度俺の背中を叩く。
「行って来いっ。全国にお前の実力見せてこい」
そういって、町先輩は笑顔で俺を送り出してくれた。
1回表、1塁にランナー。
かっ飛ばす。
『4番、ピッチャー、相原君』
俺の名を呼ぶアナウンス。
俺は、今甲子園という大舞台で野球をしている。
野球をやる誰もが立ちたいこの舞台。
そこに俺は今立っている。
後ろを向けば、仲間がいる。
上を見れば青空がある。
大丈夫。
俺は……強い。
「よう、相原。かっ飛ばせるもんならかっ飛ばしてみろ」
マスクをかぶった、川崎が、俺にしか聞こえないように小さな声で言ってくる。
俺はフっと笑った。
「言われなくても、かっ飛ばしてやるよ」
バッドを強く握りしめ、ピッチャーを睨む。
大きく振りかぶるピッチャー。
そして、ピッチャーの手からボールが離れ、俺に向かってくる。
ここだっ!!
カキーン…
ボールは俺のバットに当たり高く舞い上がった。
その瞬間バッドを投げ捨て、勢いよく駆け出す俺。
1塁ベースを余裕で踏み、目指すは3塁っ!
その間、ボールはレフトとセンター間に落ちた。
野手が素早く対応し、ボールがこちらに向かってくるのが分かる。
俺はもう2塁ベースは踏みきっていて、今3塁に向かっている途中。
俺の前のランナーも今本塁に向かって必死に走る。
走る。
だけど、必死に将星の守備が、こちらへとボールを運んでくる。
……まだくんなよボール。
もうちょっとだ、もうちょっとでたどり着くんだ。
あと……ちょっとなんだ!
「……サードっ!!」
どうやら、ショートから、サードにボールが渡ろうとしているらしい。
俺は迷わずスライディング体制にはいる。
「……くっ……!!」
ズザザザっと、滑り込む音を立てて俺は突っ込む。
間に合えっ!
それと同時にバシッと、サードの構えたグローブにボールが入る音がした。
ほぼ同時。
俺でさえ、どっちが速かったのかわかんねぇ。
審判の判断を待つことしか出来ない。
「……セーフっ!!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
審判の大きな声とジャッチに、アルプスの応援団は興奮する。
俺は、立ち上がってガッツポーズを見せつける。
点数は1対0。
初盤で大きく動き出したこのゲーム。
結果は誰にもわからない。
5回裏、俺らの守備で、1アウト3塁。
点数は1対0のまま。
次の打者は……
『2番、キャッチャー、川崎君』
こいつにだけは打たせねぇ。
川崎はバッターボックスに立つと、キッと俺を睨んでくる。
俺は大きく振りかぶった。
「ストライクっ」
審判の声が響きわたる。
あと2回。
相変わらず、川島は冷静な顔で構えていやがる。
再び大きく振りかぶる俺。
「ストライクっ」
……あと1回。
あと1回でアウトだ。
__『油断するな』
頭の中にふと聞こえた町先輩の声。
油断はしない。
俺は大きく振りかぶる。
全力で投げてやる。
絶対にお前をここで抑える。
カキーン……
鈍い音が球場に響きわたる。
ヒットだ。
ショートの方へと勢いよくボールが飛んで行く。
「ショート!!」
俺は全力でそう叫ぶ。
ショートの岡田はそれに答えるかのように、ボールに飛び付き、町先輩の方へ真っ直ぐボールを投げた。
三塁にいた選手も無我夢中で塁にスライディングする。
ほとんど同時だった。
俺らは待つことだけしか出来なかった。
審判の判断を。
「……アウトっ!!」
その声に藤青アルプスはうわぁーっと盛り上がりをみせる。
俺はひとまず、はぁーっと息を吐いた。
あの球を俺は全力で投げた。
コースも狙い通りだった。
速さもきっと、自己ベストいったんじゃないかってくらいに、いい球を投げれた。
なのに……なのに……
あいつはそれを打ちやがった。
不安と焦りが俺の中で募っていく。
甲子園という舞台。
川崎誠。
恐ろしいやつ。
だけど……。
俺には勝たなければならない理由がある。
俺の顔に自然と笑みが零れた。
わくわくする。
なんかわかんねぇけど、めちゃくちゃわくわくする。
「ふぅ……」
俺は息を整えて、気持ちを切り替える。
まだだ。
まだ、ここで終わるわけにはいかない――――。
『いやぁ~……。この2チームの見どころは、この2年生2人に注目ですね』
『あ、藤青の相原と、将星の川崎ですね?』
テレビから実況の声が聞こえる。
甲子園が始まった。
あの、夢の舞台に、今青は立って戦っている。
幼いころから憧れ続けたあの舞台に、青は自らの足で立っている。
今日は家族全員で、私の病室に集まり、テレビから青の姿を見守っていた。
昨日、突然私の目の前に現れた青。
初め見たときは、幻覚なんじゃないかって疑った。
だけど、声を聞いて分かった。
あ……青だって……。
何度も、何度も心の底から会いたいって思ってた青だって……。
その気持ちを必死に押し殺していたのに。
青に会った瞬間、その気持ちが私のなかで溢れだした。
青は何一つ変わってなかった。
笑顔も、私の大好きな笑顔のままだった。
だけど、青。
あなたは強くなった。
大きくなった。
ちゃんと、成長していた。
そして今、あなたは、この青空の下で戦っている。
私はここからあなたを応援しているから。
――――頑張れ、青。
九回表、青たちの攻撃。
2アウト1塁にランナー。
得点は4対1。
藤青が3点リードしているが、油断はできない。
ここで、できるだけ得点をとりたいところ。
「あ、あーちゃんだっ!」
そういって私の隣に座ってた瑠璃は、テレビ画面を指差す。
その先には、大人びた青の真剣な姿があった。
「ここが勝負だな。」
お父さんが、真剣にテレビ画面に映る青をみる。
「青君。成長したわね。」
お母さんが、懐かしそうにそういった。
青の野球をする姿を見たのは本当に久しぶりだった。
私がそばにいた時よりも格段にレベルアップしている。
青はちゃんと私がいなくても、前進していた。
『いやぁ~……。いきなり相原はかっ飛ばしてくれましたからね。次はどんなプレイを私たちに見せてくれるんでしょうか』
実況の声が、私をより興奮させる。
試合の始め、全国にそのたくましい姿を見せつけた青。
間違いなく彼は藤青のエースだ。
きっと青なら大丈夫。
青は、強くなったから。
青は、成長したから。
バッターボックスに立った青は、深く深呼吸をしたように見えた。
青は、集中するとき、こうやって深呼吸をして気持ちを静める。
自分の最大限の力を出すために、緊張を和らげる。
もう一度、この大空へ。
この青空へ。
白球をかっ飛ばせ……青。
ピッチャーが大きく振りかぶる。
「ストライクっ」
空振りだった。
青の表情には焦りは見えなかった。
青は落ち着いていた。
大丈夫。
まだ大丈夫。
再び大きく振りかぶるピッチャー。
今度こそ……っ!
「……打て……っ!」
小さく私はつぶやいた。
カキーン…
再び大空へと放たれる白球。
行け。
どこまでも。
青に……藤青に勝利を。
「わぁぁぁぁああ!!」
本日初のホームラン。
甲子園初のホームラン。
青は気持ちよさそうに、ダイヤモンドを走り回る。
最高の笑顔で。
『ホームランですっ!相原はこの甲子園という舞台でホームランを打ちましたっ!いやぁ~……。相原はすごいですね。さすが今、注目ナンバーワンの選手ですね』
実況の声が、興奮しているのがわかる。
私も見たい。
この興奮を……球場で味わいたい。
でも……もし行ったらきっと……
後には引けなくなる。
この試合で最後だって決めたんだ。
そうだ……私には……もう時間がないんだ。
本当は大内先生から外出許可はもらっていた。
だけど、私はあえてもらってないって、会長には嘘をついた。
会長はきっと、私を甲子園球場に連れて行こうとしていたんだろう。
そうだって、わかったから、私は嘘をついた。
だけど青と、今会えてよかった。
青のたくましい姿を今こんなに堂々と見れるから。
だから、今私と青を会わせてくれた、会長をはじめとするクラスの皆には本当に感謝している。
この試合が終われば、私と青はもう2度と会うことはないだろう。
前、私の家で別れを言ったとき、中途半端だったから。
きっと、私は心のどこかでまだ希望を抱いていたんだと思う。
――――明日を生きる希望を。
そして、心のどこかで今日のような時が来るのかなってちょっとは期待していたのかもしれない。
だけどもう、そんな甘い考えは許されないんだ。
あんなことを聞いてしまったんだから。
__1か月前。
お父さんとお母さんが私のお見舞いから、帰るとき、私の病室にお母さんが財布を忘れて行ったことに気付いた。
私は重たい体を起こし、財布を持って、お母さんの車がいつも止まっている駐車場へと急いだ。
「なんで……なんであの子だけ……っ!」
駐車場に着いたとき、お母さんの今にも泣きそうな声が聞こえた。
私は、聞くつもりはなかったが、入れそうにもない空気だったため、ひとまず、柱に身を隠した。
「大丈夫だ。俺たちの子だ。きっと、なんとかなるさ」
お父さんの声が聞こえる。
お父さんも今にも泣きそうな声をしていた。
「……んで……1年なんて短すぎるわよ……。空の余命があと1年なんて……」
そういって、お母さんは駐車場に泣き崩れた。
私の余命はあと1年?
この日から、私の命のカウントダウンは始まった。
「……空。青は立派になったな」
お父さんが、柔らかい表情で懐かしそうにしみじみと言う。
私は「うん」としか答えられなかった。
青は……明日も、明後日も、ずっと生きていく。
青にはきっと輝かしい未来が待っている。
私のいた時間よりも、きっと長くこの世界で生きてゆく。
「うわぁぁぁぁぁぁぁあ!」
再びテレビから聞こえる歓声。
『藤青、久しぶりの甲子園で、一勝上げました』
藤青が……青が……勝った。
その瞬間私の頬を伝う涙。
青、やったね。
あなたは……私の分も生きて。
強く、たくましく。
この、球場の歓声を力に変えて……生きて。
甲子園球場で流れる藤青学園の校歌。
グラウンドで涙を流すチームメイト。
歓喜している藤青の応援団。
甲子園という、大きな舞台で俺たちは勝った。
一勝をあげた。
「青、お前、本当にやるときはやるやつだなっ」
そういって、町先輩が俺の頭をポンポンと叩く。
まだだ。
目指すのは優勝。
ここで、満足するわけにはいかないんだ。
「おい、相原」
帰り際、球場を後にしようとしたとき、誰かに俺は呼び止められた。
振り返るとそこには、川崎の姿があった。
「川崎……!」
俺は先輩に急用ができたからあとで戻ると言い、川崎と近くの公園で話すことになった。
気まずい空気が流れる。
こいつはいったい何を俺に……。
俺らは一先ず、公園のベンチに座る。
子どもの姿は見られない静かな公園。
ただ、茜色の夕日だけが俺たちを見ていた。
「まずは、一勝おめでとう」
川崎はこちらも見ずに、ただ、前を見て静かにいった。
「ああ。さんきゅっ」
俺も川崎の顔を見ずに答える。
「次の試合の相手はどこか知ってるか?」
「ああ、南聖だろ?さっきキャプテンが言ってた」
俺は、自信満々にそういうと、川崎はふっと笑った。
「お前、南聖なめてるだろ?」
は?俺が南聖をなめる?
でも、初戦、南聖は相手チームのエラーに漬け込んだみたいな勝ちかただったじゃねぇか。
しかも、今年初出場の野球部創立一年目だぞ?
「南聖には、そんなに球は速くはないが、コントロールがすげぇ岩崎っていうピッチャーがいる。俺らと同じ2年。だから、決してなめてかかるなよ」
そういって、川崎はゆっくりと立ち上がった。
俺は、ただただ、座って横にいる川崎を見上げていた。
「なんで、お前が俺にそんな情報を俺に……?」
「勝って欲しいからに決まってんじゃねえかっ!お前から負けたら、俺ら将星の実力もそんなもんかってなっちまう。俺らの分も、勝ち進め!そしてな……相原青。お前は、いろんなものを抱えすぎだ。ボールに力が入りすぎている。野球は楽しむもんだ。野球ってもんは、楽しむことが第1だ。楽しむことの延長線上に勝利ってもんがある。だろ?」
そういって、川崎は笑った。
笑うとこいつ、ガキっぽくなるんだな。
そんなことを思いながら俺もつられて笑う。
「ああ。そうだな……ちょっとくやしかったぜ。俺のなかでの最高の球をお前に打たれちまったしよ。だけどな、お前らとの試合わくわくした。お前らが、甲子園での一番最初の相手でよかった」
俺はそういって、立ち上がり、川崎と同じくらいの目線になる。
「まあな。負けて悔しいけど、お前と出会えてよかった。俺もお前との野球楽しかった。今から空のところ行くのか?」
そういって、川崎は肘で俺をつついてくる。
絶対にこいつ面白がってる。
俺は、赤くなる顔をごまかしながら「まあな」と言った。
そして、俺たちはそれぞれの道を夕日が照らすなかそれぞれの道を歩いていった。
川崎誠。
不思議なやつ。
そこまで、相手チームを分析するのか。
その仕事は、空の仕事だった。
あいつは、試合であたるチームの練習試合にまで赴いて、分析に分析を重ねていた。
一時期、野球部内で分析オタクって呼ばれいたほど。
あいつほど、完璧なマネージャーはきっといないと思う。
選手一人一人の過去の成績から、体調管理まですべてのことを、わかっていた。
約半年間、空がいなかった。
俺らは過去に空が記録していた分析を元に、ここまで来た。
――――この、甲子園にきた。
そして、お前と再び出会うことができた。
もう二度も失いたくない。
もう二度と離したくない。
もう二度と俺の目の前から消えないでくれ。
青空へ。
お前のいない間俺は手紙を飛ばし続けた。
届かない手紙を。
それが、お前にやっと届いたんだ。
もう、お前を見失わない……。
そんなことを考えている間に、俺はいつの間にか空のいる病院の前に来ていた。
「……うっし……」
俺は気持ちを切り替えて、空のもとへ向おう……
と思ったが、さすがにこの汗臭いユニホーム姿で空のもとへ向かうのはまずい。
ということで、俺は近くのトイレでさっと着替え、改めて空のもとへ向かう。
俺は勝ったんだ。
堂々と、空に顔を見せれる。
「なんででしょうねぇ~……。空ちゃん」
病院の廊下を歩いていた時、ふと聞こえた空という名前。
もしかしたら、違う空かもしれないが、一応俺は足を止めて、壁に身を隠しながら、誰が話をしているかのぞいてみる。
あれは……おじさんと……空の担当医の……大内先生だったけ??
二人は、真剣な顔で、空について話しているようだった。
「私も、その理由が聞きづらくて。本当は行きたいと思うんですがね」
おじさんが、頭を抱えている。
「五十嵐先生からは話は聞いていました。相原青君のことは」
俺のこと?
なんで、俺が出てくるんだ?
「ああ……そうなんですか……外出許可が出ているのになんで甲子園を見に行かないのか……。空はもしかしたら……青を守ろうとしているのかもしれないな」
そういって、おじさんは「はぁ……」と小さくため息をついた。
俺を守る?
なんでだよ。
なんであいつは……
俺は、それ以上の話は聞かずに、空の病室へ急いだ。
「空っ!」
俺は病室に入るなり、叫ぶ。
空は、はっとして、こちらをむいた。
俺は、カバンを無動作に床に置き、空のベットに両手をついて空の顔をうかがう。
空の顔は、どこかさびしそうだった。
どこか悲しそうだった。
「青、ここ病院。声のトーン落して」
か弱い声で、反抗してくる空。
その声は冷たかった。
「なぁ……お前、本当は外出許可出てたんだってな?」
俺の声は、いらだっていた。
なんでだよ。
俺たちの約束、お前忘れたのかよ。
「うん。出てたよ」
空は、顔をそらさずにいう。
そして、空は上体をゆっくりと、おこした。
俺は、そばにあった丸椅子に腰を掛ける。
こいつ、何考えているかわかんねぇ。
「なんで……甲子園見に来なかったんだよ」
答えろよ、空。
お前、子どものころ俺に甲子園に連れていけっていったじゃねえか。
俺が納得するような答え出してくれよ。
お願いだよ……空。
「見たくなかったから」
空は冷たくそういった。
俺の目を、冷たい目で見る空。
その目は、氷の様な冷たい目だった。
一瞬、今起きていることが現実なのか、夢なのか、分からなくなった。
空の一言は、俺の心に刺さる一言だった。
「な……なんでだよ」
俺は動揺を隠せない。
見たくない?
俺の野球姿がか?
誰よりも俺のそばにいて、俺の野球する姿を間近で見てきた空が……なんでだよ。
「私、好きな人ができた。だから」
そういって空は俺を冷たく突き放す。
「誰なんだよ」
「青、今日戦ったでしょ?川崎誠」
なんでだよ……。
俺のこの半年間、青空へ放った手紙はただの一方通行だったのかよ……。
俺は唇をかみしめた。
「川崎も今日試合出てたぞ。なんであいつの姿見に行かなかったんだよ」
俺は、最後の望みをかける。
嘘だと言ってくれよ。
冗談だと、いつもみたいに、笑ってくれよ。
そんな……。
そんな目で俺を見るなよ。
「私が行ったら、青、調子乗っちゃうでしょ?」
そういって、空はまたもや俺を突き放す。
じゃあなんであの時……
「俺になんで勝たないとぶっ飛ばすって言ったんだよ。なんで俺を応援したんだよ」
「そ、それは……」
言葉が詰まる空。
「……昔の癖」
そういって、空は俺から顔をそらす。
何なんだよお前。
「帰って。今日は体調が悪いから」
そういって、空は布団の中に潜り込んでしまった。
俺は、しばらく呆然としてゆっくりと空に背を向けた。
そして、重たいカバンを持ち上げ、空の病室を後にする。
その足は……重かった。
いつの間にか夕日は沈み、あたりは暗くなっていた。
甲子園で1勝したのに……
なんで、こんなにむなしいんだろうな。
なんで、こんなに胸が空っぽなんだろうな。
「ただいま……」
俺は力なくホテルの部屋のドアを開けた。
そこには、風呂を入り終えて部屋着に着替えた巧の姿があった。
巧は椅子に座ってくつろいでいる。
「おお、青遅かったな!って……なんかあったか?」
そういって巧は心配そうな顔をする。
俺は持っていたカバンを床に無動作に投げつけ、巧の正面に座った。
「お前、空にあって来たんだろ?」
巧が不思議そうな顔をする。
俺は、仏頂面で「ああ」とだけ答えた。
「なんで、そんなしけた顔してんだよ」
なんでだって……。
そりゃあ……。
「空に振られた。あいつに、俺以外に好きな奴ができたらしい」
しばらくの沈黙が続く。
巧は、黙って俺の目を見たまま固まってしまっている。
まるで時が止まったかのように……。
「本当に空はそういったのか?」
巧はまだ信じられないようだった。
そりゃあそうだ。
俺だってまだ信じられなんだ。
「ああ。確かにそういった」
「わりい、青。俺のせいだ。俺がこんなタイミングでお前らを会わせたから……」
巧は下を向いて俺の顔を見ようとしない。
なんでお前が謝るんだよ。
お前は……
「お前は悪くねぇよ。むしろ俺感謝してるし。空の笑顔が見れたから……」
そうだ。
それだけで十分じゃないか。
空の笑顔をもう一度見れたからいいじゃないか。
「青、大丈夫か?気持ち切り替えられるか?」
巧は、ゆっくりと顔をあげ、心配そうに俺を見つめる。
「ああ、今日1日では無理そうだけど、明日までにはぜってぇ切り替える」
そういって、俺は無理やり笑顔を作った。
巧も、つられて笑ってくれた。
そうだ。
俺はここに来たのは空に会うためじゃない。
勝つためにきた。
勝つためにここまで頑張ったんだ。
チームに迷惑をかけるわけにはいかない。
「藤青のエースはお前だ。青」
巧がそういって、俺の肩を軽くたたいた。
「当たり前だ。この座だけはわたさねぇっ」
俺がそういうと、巧はいつもの笑顔にもどる。
俺もつられて笑った。
誰かが部屋のドアをノックする音が聞こえる。
誰だ?
「ああ、誠だよ。なんか、青に言い残したことがあるからって言ったから、俺が呼んだんだ」
そういって、巧はキーチェーンを外して部屋のドアをすんなりと開けた。
今世界で一番会いたくないやつランキング1位が俺の目の前に現れる。
「ちーっす!おお、青、元気そうだな」
川崎は入ってくるなり、俺の下の名前を軽々しく呼び、片手を軽く上げ満面の笑みで俺に近づいてくる。
「かーわーさーきーっ!!お前、どうやって空を誘惑したんだよっ!」
俺は拳を振り上げ、今にも川崎に飛びかかろうとした。
しかし、あとちょっとのところで、巧にそれを阻まれる。
「おいっ、巧やめろっ!こいつ一発殴らねぇと、俺の気がすまねぇっ」
川崎は何が何だかわからないって顔していやがる。
「ちょ、落ち着けって青!なんでこいつに……もしかして空の好きな人って……」
巧は、俺の腕を抑えながら、驚いた顔をしている。
「そうだよ。空の好きな人は川崎誠っ!お前なんだよっ!」
俺がそういうと、2人は顔を見合わせて、笑い出した。
「あはははははっ!お前マジで野球以外はバカだな?」
そういって、巧は、俺を抑えていた手を離し、腹を抱えて笑い出した。
「あははははっ!巧、こいつマジで面白いな?」
川崎まで、腹を抱えて笑っていやがる。
何なんだよこいつら……。
俺のことバカにしてやがる。
「まあ、空が何考えてるかは知らねえけど、少なくとも、空は俺のことをそういう目では見てねぇよ」
そういって、川崎は、ベッドの上に座りだした。
そして、巧が川崎の横に座り、俺はその二人に向かい合うように、近くにあった椅子に座る。
なんなんだよ。
2人して。
何が違うんだよ。
「なぁ、青。俺の考えるに、きっと空はお前を守ろうとしたんだ」
巧が真剣な顔で言ってくる。
俺を守ろうとした?
あ……そういえばさっきおじさんも……。
『……青を守ろうとしているのかもしれないな』
病院の廊下での会話が蘇る。
俺を守る……?
なんでだよ。
「つまりだ。……やっぱりやめた」
そういって川崎はニヤッと笑う。
「は?なんだよ。最後まで言えよ」
俺が身を乗り出して聞き出そうとするが、川崎は首を横に振るばかりで答えてくれそうにない。
なんなんだよ……。
空も巧も川崎も……何考えてんだかさっぱりわかんねぇ。
「青。お前が本当に空のことを想っているなら、空の考えていることはバカなおまえでもわかるはずだぜ?」
巧はそれだけ言うと、俺の肩を軽くたたいてきた。
空の考えていること。
小さい時から一緒だった。
あいつのことは誰より俺がわかっているつもりだった。
わかっているつもりだっただけであって俺は……本当は空のことは何も知らない。
知らない。
わからないんだ。
なのになんでこいつらにはわかるんだ。
「川崎。なんでお前空とあって間もないはずなのに、空の考えていることがわかるんだよ?」
俺がそういうと、川崎はニコッと笑った。
「俺の趣味は人間観察なんだよ。青は、かなりの負けず嫌いで、一度のめりこんだものには全力を注ぎ、愛嬌があるから誰にでも好かれるってとこか。んで、空は、自分よりも他人を思いやり、心がすっげぇ綺麗なんだ。感情は基本表に出さないが、それは人見知りなだけであって、決して冷淡な奴ではない……だろ?」
川崎は俺にドヤ顔をしてきやがった。
そうだ。
あいつはいつも他人が1番で、自分はいつも後回しだった。
そう……自分はいつも後回し。
あいつは今病気で、必死に今も孤独に戦っている。
俺に言わないで、勝手に引っ越しやがった。
それは、俺のためか。
俺に心配かけると思ったから。
俺の甲子園の邪魔になると思ったのか。
じゃあ、なんで今日、川崎が好きだって嘘ついたんだ。
また、俺を守るためか。
ここまできても、まだ俺を突き放すのか……。
まだ、嘘を突き通すのか。
なんで。
なんでここまで来たのに……。
考えられることは一つ。
だが……考えたくない。
信じたくない。
嫌だ――――。
「どうやら、空のことが分かったみたいだな」
巧は、俺の目を見て話しかけてきた。
「ああ……だけど……」
「青。受け入れろ。きっとお前の導き出した答えはあっていると俺は思う。時間がねぇんだ。やるべきことは一つだ。わかるな?」
巧は、しっかりと俺を見てくる。
その目は、俺への期待で満ちていた。
「……勝つ」
俺は小さくそういった。
勝つ。
それしかねぇっ。
「はいはい。じゃあ、その件はそれで終わりでいい?俺の話していい?」
川崎はパンパンと手をたたいた。
「「ああ」」
俺と巧の声が重なる。
「俺が今から言うことを、明日お前らの口から藤青の野球部全員に伝えてもらいたい。俺が今日伝えに来たのは、南聖の情報。知っていると思うが、次の藤青相手は、南聖。南聖で一番気をつけなくちゃいけないのは、サウスポーのピッチャー、岩崎。俺らと同じ2年生。サウスポーなだけでも厄介だが、一番厄介なのは奴の球のコントロール能力の高さだな。球のスピードはそんなに速くはないんだが、コントロールの仕方が、半端ないらしい。あと、手元で伸びてくるらしいから気を付けろよ?俺は実際に戦ったことねぇから、よくわかんねぇけど、戦った奴がそういってた。厄介なのは、そいつだけじゃない。他も強豪ぞろい。なめてかかると痛い目にあうぞ。そして、俺が一番驚いたのが、県予選での南聖の成績。去年、南聖の野球部が創立され、今年やっと野球できる人数がそろったらしい。南聖は今年の春のセンバツには欠場して、今年の夏。つまりこの大会が南聖野球部の初舞台らしいんだ。きっと、周りの学校は油断したってこともあるんだろうが……。相手チームに1点もやってねぇんだ。つまり、鉄壁の守りっていうわけだ。決勝なんか、11対0で抑えていやがる。俺の中では、今年の甲子園の優勝候補だな」
川崎はすべて話し終えると、ふぅ…と息をついた。
県予選の決勝を11対0で抑えた?
どんだけ化け物なんだよ……南聖は。
俺はなんだかゾクゾクしてきた。
「なんだ、青。お前まさかビビってんじゃねえよな?」
川崎が少し笑いながら、俺にそう言ってくる。
「んなわけねぇだろ。なんか、ゾクゾクってか……わくわくするんだよ。はやく戦いてぇっ!」
「その調子だと、大丈夫そうだな」
そういって、川崎は立ち上がり、俺の背中をバシッとたたいた。
「…ってぇ…。手加減しろ川崎っ!」
俺はそういって、痛みに目を細めた。
「あ、もうこんな時間じゃねえか……。俺ら夕食の時間。誠、お前もう帰れ」
巧は時計を見て、あわてたように言う。
確かに、他校の生徒が、ホテル内に侵入して、部屋にいるのを見られてはまずい。
「うっし……じゃあ、俺帰るわ。青、お前、俺らの分まで戦ってこい」
そういって、川崎は勢いよくドアを飛び出していった。
あいつ、なんか嵐みたいなやつだな……。
俺の口元がふっと緩む。
だけど、すぐに俺の頭には空の顔が浮かぶ。
その瞬間俺はきゅっと口元を結ぶ。
「なぁ……青。お前、空のこと……大丈夫か?」
巧が再度心配そうに聞いてくる。
「……わかんね。なぁ、巧。死ぬって……どういうことなんだろうな」
俺は、うつむいたまま、巧に問いかけた。
巧はただ一言、「さあな」としか言わなかった。
きっと、空は自分がもう長くないってわかったんだ。
だから、わざと俺を遠ざけた。
俺が悲しんで、つぶれてしまわないように。
俺に嫌われるようなこと言って、俺から離れていくように仕向けた。
バカなのは、空。
お前だよ。
俺の諦めの悪さを
空、お前はわかっていない。
この試合に勝って、優勝旗勝ち取って、お前の元へ駆けつけよう。
俺がお前を死なせない。
絶対に守ってやる。
次は俺がお前を守ってやる。
空、お前がいなきゃ、俺は自分の野球ができねぇんだ。
お前がいなきゃ、青空にならねぇから。
「空、なんか今、青君が悲しそうな顔で出て行ったけど……」
青が帰った後にお母さんが入ってきた。
私は、涙でぐしょぐしょの顔をベッドから出す。
お母さんはびっくりして、私に近づいてくる。
「どうしたの空。……青君と喧嘩でもしたの?」
お母さんは私の頭を優しく撫でてくれる。
私はただただ何も答えず首を横に振っていた。
そのあとは、お母さんは何も聞かなかった。
ただ、私の隣で、優しい顔をして私の頭をずっと撫でていてくれた。
青、ごめん……本当にごめんね。
あなたを傷つけてしまった。
あなたに、おめでとうの一言も言えなかった。
ありがとうの一言も言えなかった。
こんな、最低な女もういらないよね。
本当にさようならだよ、青。
もう、テレビからしか、応援できないけど、生きている限りはあなたを応援し続けるから。
あなたにここから、エールを送り続けるから。
青空を通じて。
天気は快晴。
明日は、青の試合が行われる。
確か相手は、南聖って新聞に書いてあった。
私の中での優勝候補。
藤青と南聖。
きっと勝敗の決定はお互いのピッチャーにかかってくるだろう。
南聖のピッチャーは青と同じ野球の天才。
まだまだキャリアがないため、青よりは知名度は低いが、今後、青と同じくらい注目を集めることになるだろう。
彼の名は、岩崎直樹《いわさきなおき》。
恐ろしい選手。
病室のドアを開ける音が聞こえる。
「ヘイ!空元気だったー?」
美和が元気よく病室に入ってくる。
そして、そのたびに、美和はクラスからの手紙を紙袋いっぱいに私に渡してくれる。
「はい、今週の分ねっ!いやぁ~……。皆早くもってけってうっさいのよ~……」
そういって美和は笑う。
私もその笑顔につられて笑ってしまう。
「ありがとね。毎週毎週」
「いいってことよ~!空のためならどこへでもっ!」
そういって、美和は、私のそばにある丸椅子に座った。
私はゆっくりと、上体を起こす。
「ねぇ、青君明日だね?」
美和が優しく私に微笑んだ。
「うん……そうだね」
「空、時には甘えることも大事だよ。自分を大事にしなよ」
美和は心配そう顔をしている。
「うん」
私はもう幸せなんだよ。
だから、私はそれ以上を望んではいけないんだ。
周りを不幸にしてしまうから。
私は、1年後、きっとここにはいないから。
この命が燃え尽きるまで、自分を犠牲にしてでも、これから何年も生き続ける人を悲しませてはいけない。
その悲しみは、長い間引きずることになってしまうかもしれない。
悲しみを少なくさせてあげるように。
それが、私の最後の使命だって思うんだ。
「よしっ!じゃあ、明日青君の試合見に行こうね、空!」
美和は満面の笑みで私の顔を覗き込んできた。
……え?
「だから私外出届が……」
私がそういって、言い返そうとすると、美和の顔が険しくなった。
「空。私にまで嘘つかないでよ……本当は出てるんでしょ?私今日、空の病室来る前に空の担当医に、なんで空に外出届け出してやらないんだって言ったら、その担当医が、もう出してるよって言うんだもん。マジびっくりしたから!」
「ああ……そうなんだ……。ごめん。嘘ついて」
私は美和の顔を見れなかった。
私のことこんなに慕ってくれている美和に私は平気で嘘をついた。
ごめんね。
私、青のためならいくらでも嘘つけちゃうような人なんだ。
最低なんだよ。
「まぁ、わかってるけどね。空の考えてることくらい」
美和の顔は、笑顔に戻っていた。
……え……?
わかってた?
何を?
「青君のためでしょ?青君を自分から遠ざけるために」
なんで……。
なんで美和は……。
「私の考えていることがどうして……」
私が顔をあげると、美和はニヤッと笑った。
「さぁ~……。なんででしょうか?私が空のこと大好きだからかな」
そういって、美和は私の頭を撫でてくれた。
「……私、もうこうするしかなくて……。青を守りたいから」
私の目からは次々と涙がこぼれ落ちてきた。
「くうっ……うっうっ……ひっ……あ、私っ……あ、青が……っく……」
涙が止まらず、伝えたいことが伝えられない。
「空。大丈夫。わかってるよ。だからね、青君を助けたいのなら、明日私と一緒に甲子園いこう、ね?」
美和は私の背中をさすってくれた。
「……ひっく…っく……で、でも……私、昨日青に…っく…ひどいことを…っく…」
「ああ、知ってる知ってる。昨日の夜会長から聞いたよ。会長笑ってたよ?空が俺のこと嘘の材料に使いやがった~とか言って」
そういって、美和はくすくすと思い出し笑いをしていた。
「……ふぇ……?なんで会長、あたしが嘘ついたこと……」
「あー……。なんか、あいつ、昨日の夜青君たちのホテル乗り込んだんだって。そこでたぶん青君から聞いたんだと思うけど」
……ってことは、青あたしが嘘ついたこと……ばれたのかな。
あいつ、野球以外バカだから、あんな子どもだましみたいな嘘をついてもきっと気づかれないと思ってついた嘘。
今、連絡ないってことは本当にばれてないのかも。
でも会長には悪いことしちゃったな……。
「空。私ね、病気の1番の治療法は笑顔にあるって思うんだよね。どんなにすごい薬よりも笑顔が1番だって思う。根拠はないけれど、心の底から笑えば、どんなにつらい状況でも、痛みとか軽減されることってあるでしょ?だからさ、限られた人生の中でどれだけ笑えるかによって、その人の人生価値ってのは決まってくるんじゃない?どれだけ長く生きたって、笑わなかったら、楽しくないでしょ?でも、短くても、たくさんたくさん笑えば、楽しいし、もっと生きたいって思うと思う。つまりね、空の傍には今、青君が必要なんだよ。空にとっての、この世に一つしかない最高の薬が青君なんだよ」
私にとっての1番の薬。
それが青なの?
「空って、青君の前だと本当に柔らかい笑顔になるんだよ?」
そういって、美和は半泣き状態の目で無理やり笑って見せる。
「……柔らかい笑顔?」
私の……笑顔……
「私は、青君の前で笑う空の笑顔が好きなんだよ。だからね、2人がもう一度顔を見合わせて笑うところを私に見せてよ」
美和は、私の手を強く握った。
温かい美和の手。
私に幸せを分け与えてくれる温かい手。
「……美和。でも、私もう長くないんだよ。……あと1年、生きることができるかもわからない」
そうだ。
私にはもう未来がないんだよ。
「……空。空は自分の病気に負けを認めるの?」
美和の目はまっすぐ私の目を見つめてくる。
何もかもを、見透かしてしまいそうな美和の目。
「……でも……」
「私は嫌だよ。負けるのは嫌いだもん。私は認めないよ。空が空の病気に負けるなんて!」
負けたくない……。
「本当は負けたくない……嫌だ!まだ死にたくない。まだ生きたいっ……私、生きたいよ……」
私が叫びに近い、感情剥き出しの声でそういうと、美和は待っていましたというように、笑顔になった。
こんなに感情を表に出したのは初めてかもしれない。
「だから空。明日、一緒に行こうね?」
美和が私に優しく笑いかける。
「……ん……。ちょっと考えさせて」
私は、一人になりたい気分だった。
昨日今日で、事がありすぎた。
考えたい。
もう一度、何が一番いいのか考えたい。
「わかったよ。一応明日迎えに来るから、その時返事きかせて?」
美和は優しく私に微笑んでくれた。
「うん。わかった。ありがとう」
私がそういうと、美和は静かに私の病室を出て行った。
何が正しいのか。
何が間違っているのか。
そんなの、神様以外わかるはずがない。
もしかしたら、神様さえもわからないかもしれない。
このまま、私は青に素直になってもいいのだろうか。
青は、私のこと重荷に感じるときが来るかもしれない。
そしたら私は……。
病室の扉が開く音がする。
誰?
美和?
「ねーちゃんっ!」
そこには、ランドセルを担いだ、幼い瑠璃の姿があった。
クリクリの目に、少しくせ毛の入った柔らかい長い髪が特徴的な瑠璃。
「なんで、瑠璃がここに?」
私が、びっくりした顔でそういうと、瑠璃はあどけない可愛らしい笑顔を浮かべた。
そして、瑠璃はランドセルを近くにあった机の上に置き、私のベッドに潜り込んできた。
「ちょっと、瑠璃。暑いって……」
「え~……。だってねーちゃんとしばらく会ってなくて寂しかったんだもんっ!あ、そうそう瑠璃ね、あーちゃんからお手紙もらったの。ねーちゃんに渡してって!」
そういって、瑠璃はポケットに入れていた一枚の手紙を取り出した。
青が私に手紙を?
なんで?
私、昨日あんなにひどいこと言ったのに……。
すこし、くしゃくしゃにはなっていたが、それは綺麗な青空の色をした封筒だった。
「はい、ねーちゃんっ!」
そういって、瑠璃は私にその手紙を差し出してきた。
私は、小さな瑠璃の手からそっと封筒を受け取り、ゆっくりと開いた。
空へ
俺がお前に手紙を書くのは初めてだな。
ごめんな。
本当は直接話したいけれど、お前にまた追い返されるかと思って手紙を書いた。
あのな、空。
お前、俺との約束忘れてねぇよな?
俺が、お前を甲子園に連れて行くってやつ。
お前が来なきゃ、俺一生その約束守れねえんだけど。
どうしてくれんだよ。
お前は、俺を嫌いでいい。
俺のこと、好きじゃなくていい。
だけど、明日は来い。
甲子園に来い。
来なかったときは、病院に乗り込んでやる。
わかったな!
青より
汚い字で、文章力のない手紙。
青らしい。
ふっと口元が緩んだ。
「ねぇ、ねーちゃん笑ってるの?泣いてるの?」
瑠璃が不思議そうな顔をして私に問いかけてくる。
気づけば、私の目からは、涙が流れ落ちてきていた。
今日一日で私どれだけ泣いたっけ……。
「嬉しいんだよ、瑠璃。ねーちゃん笑ってるの」
私がそういうと、瑠璃はにかっと笑った。
「瑠璃。明日、あーちゃん見に行こうか?」
私が笑顔でそういうと、瑠璃は「やったぁ~!」と嬉しそうに喜んだ。
青に病院にまで乗り込まれたら、たまらないからね。
青、青の考えることは本当にバカだよね。
あれだけ言われたら普通引くでしょ。
本当に……バカーーーー。
藤青対南聖の試合当日。
私は、病室の洗面台でウィッグを付け、将星の制服に着替える。
こうやって、鏡の前に立つと、とても癌患者には見えない。
少しやせたが、服を着てしまえば、もうわからない。
「ねーちゃんまだいかないの~?」
瑠璃が、私のスカートのひだをつかんで、駄々をこねている。
「まってよ。もうちょっとで、ねーちゃんのお友達来るからっ!」
そういうと、瑠璃はぷぅっと頬を膨らませて、椅子におとなしく座った。
本当はお父さんとお母さんも行くつもりだったが、急な仕事が入り、残念がっていた。
だから、今日は瑠璃と私と美和だけで観戦なはず。
勢いよく病室のドアを開ける音が響く。
美和が来た。
「……っ!……はぁはぁ……あー……。つっかれたぁー……」
美和が、息を切らして、病室に入ってきた。
「え、そんなに急いでどうしたの?」
私は美和に駆け寄った。
え、まだ試合まで結構時間あるはずなんだけど……。
「はぁはぁ……っ!……空、窓の外見てみ?」
窓の外?
私は、美和の言っている意味が分からないまま、一応窓の外を見る。
窓の外の下には、クラスメイト全員が集まっていた。
え……なんで?
「……はぁ……。驚いたでしょ?私がクラスのグルーブSNSで、空に会いたい人明日空の入院している病院の入り口付近に集合ねって言ったら、全員来ちゃったっ!いやぁ~……。私も驚いたよ。でも、全員この狭い病室に入れるわけにはいかないからさ……。私が代表で来たってこと。空、その格好からすると……甲子園行くよね?」
美和がにこっと笑った。
「もちろんっ!」
私も笑顔になる。
「瑠璃も行くもんっ!」
瑠璃は、いつの間にか、私のベッドに入り込んでいたらしく、ベッドから素早く出てきて、私の背後に隠れた。
「え、え、え?空の妹?」
美和の目が輝きを増した。
あ、そういえば、美和って可愛いものには目がないんだった……。
「うん。瑠璃っていうの。ほら、瑠璃。私の友達の美和」
私は、瑠璃に挨拶させようとするが、瑠璃は私の背後に隠れたまま出てきそうにない。
「へぇ~……。瑠璃ちゃんって言うんだぁ!おねえちゃんね、今あめちゃん持ってるんだけど、瑠璃ちゃんにあげるっ!」
そういって、美和はしゃがんで、キャンディーを瑠璃の目の前に出して見せる。
すると、瑠璃は私の背後から出てきて、美和の持っていたキャンディーに飛びついた。
「いいの?美和おねーちゃん」
瑠璃は嬉しそうにキャンディーを両手で握った。
「きゃぁーっ!めっちゃ可愛いっ!」
そういって、美和は瑠璃を抱きしめる。
瑠璃は、キャンディーがよっぽど嬉しかったのか、美和に何をされようが、にかっと笑顔のままだった。
「……美和。瑠璃といちゃつくのはいいんだけど、時間大丈夫?」
私がそういうと、美和ははっとして、立ち上がった。
「そうだそうだっ!クラスのやつら下で待機させてるんだった!うわぁ~!怒られちゃう。よし、行こう」
そういって、美和は瑠璃の手を握って私を待たずに病室を出て行った。
ったく……。
瑠璃に美和をとられた気分……。
まぁいいか……。
今日は生で青のプレーが見れるんだし。
私はゆっくりと、美和の後を追った。
今日は青空だし、青喜んでるだろうな。
そんなことを思いながら歩き出す。
久しぶりの青空の下。
この一歩が間違っていないと私は信じたい。
病院の入り口の自動ドアが開く。
そして、目の前には懐かしき、クラスメイトの顔が並んでした。
「「空、お帰りぃ~」」
そういって私を迎えてくれた。
この感じ久しぶり。
「ふふふっ。空、泣きそうな顔してる!」
そういって、私の頬を美和が引っ張った。
「ひゃいてひゃひって……っく……」
そうはいってみたけれど、私の目からは一滴の涙が流れ落ちた。
……え……なにこれ……。
なんで私……。
「おねーちゃんまた泣いてる~!」
そういって瑠璃が私のスカートの裾を引っ張った。
私は急いで涙をぬぐい、前を向いた。
「だ、大丈夫っ!」
そういって、私は上を向いた。
眩しい。
上には、驚くほどきれいな真っ青な青空が広がっていた。
青、青も見てるかな。
今日の青空は綺麗だよ。
この空へ、今日もかっ飛ばしてよ。
「よし、行こうか!会長が、とっておきの席とってくれたんだよね~」
そういって美和は、瑠璃と手をつないで駆け出す。
そのあとを皆が追う。
もちろん私も。
青、私が行くんだから、負けるなんてことは許されないよ。
空、お前は今日来てくれるのか。
瑠璃に昨日、手紙を渡した。
ちゃんと見てくれたか?
絶対に勝つから。
絶対にお前の前で勝つから。
誰かがベンチに座っていた俺の背中をたたく。
「おう、青。集中してんのか?」
町先輩だ。
そして、俺の隣に座る。
「今日の試合、ちょっと厳しそうなんで」
俺が甲子園のグラウンドをベンチから見つめながらそういうと、町先輩は俺の頭に手を乗せてきた。
「なぁ、青。お前は大丈夫だ。お前と俺は最高のバッテリーだろ?お前、空と会ってきたんだろ?その様子だと、上手くは、いっていないようだがな」
「あ、はい。上手くは………ってなんで俺が空と会ったってこと知ってるんすかっ!」
俺、空と会ったってこと、巧にしか言っていないはず……。
「だって、お前、将星との対決の時、まるで空がいたときのように楽しそうに野球やるしよ。いやぁ~……。バッテリー組んでると、結構お前のこと見え見えなわけよ」
そういって、町先輩はくすくすと笑う。
バッテリー組むと、そんなことまでわかってくるのか?
「まぁ、とにかくお前は強い。空と何があったかはわからねぇけど、それは、試合が終わってからにしろよ?」
そういって、町先輩はもう一度バシっと俺の背中をたたいて、グラウンドへ出て行った。
そうだ。
今は勝つことだけを考えるんだ。
勝つことだけ……。
「あ、そうそう」
町先輩が、何か俺に言い残したことがあるらしく、俺の方を振り返った。
「勝つことより、楽しめ。そしたらきっと勝てる」
そういって、笑う町先輩。
そういえば、川崎も空も以前そんなこと言ってたっけ。
確か……
『私ね、見ている人が野球をしたくなるような、そんな気分にさせてくれるチームを応援したい。そんなチームは、いずれは、強くなると思う。青の野球はそんな野球だよ』
そういって、あいつは笑ってたっけ……。
楽しそうにか……。
そうだな。
俺らが楽しそうにしてないと、見てる奴らも楽しくないもんな。
『楽しむことの延長線上に勝利ってもんがある』
川崎の言葉が脳裏に蘇る。
俺はゆっくりと立ち上がった。
さぁ、行こう。
青空の下へ。
「今日の、相手の南聖は、今年創立されたばかりだが油断はするな。特に、あの2年のピッチャーの岩崎には気をつけろ。以上、よし、整列だ」
そういって、キャプテンは声を張り上げる。
「「うっす」」
球児の声が球場に響き渡る。
スタンドは満席に近い。
この中に空がいるかいないかなんてわかるはずがない……。
「今から藤青学園高校と南聖高校の試合を始める。礼っ!」
「「おねがいしますっ」」
再び聞こえる球児たちの声。
始まる。
2度目の甲子園での試合。
後悔のないように。
俺の野球を。
「青、肩の力を抜け、誠にも言われただろ?」
ベンチの戻ろうとしたとき、巧が、声をかけてきた。
「ああ、さんきゅっ」
俺はその場で小さく深呼吸をする。
きっと、まだ緊張してるんだ。
でも、それ以上に今は……わくわくする。
早く投げたい。
早く打ってみたい。
早く……早く……。
「青、先に守備だ。いいなっ」
町先輩に、ポンと肩をたたかれ、俺は気持ちを切り替える。
そして、白球とグローブを手に持ち、俺はマウンドに立つ。
俺の目の前には、マスクをかぶって、俺のことを信頼してくれている町先輩がいる。
はじめからかっとばす。
全力投球だ。
絶対に油断はしない。
試合開始を知らせるサイレンが鳴る。
町先輩が俺にストレートの指示を出す。
いきなり勝負に出る。
俺は小さく深呼吸をして、構えた。
そして大きく振りかぶる。
「っ……!」
投げる瞬間ふと漏れる声。
「ストライクっ!」
審判の声が響き渡る。
見逃しだった。
町先輩からカーブの指示。
俺はその指示に小さく頷き、再び大きく振りかぶる。
キっと俺は相手をにらむ。
「っ……!」
カキーン……
白球を打つ音が響き渡る。
ライトフライだ。
これくらいなら……
白球は、グローブの中にしっかりと入った。
「アウトっ」
審判の声が響き渡る。
その瞬間盛りあがる藤青アルプス。
あと2回。
俺はもう一度深呼吸をした。
まだだ。
まだ、油断しちゃいけない。
まだ、はじまったばかりなんだ。
7回裏、こちらからの攻撃。
点数は2対3で負けている。
あの1番の岩崎の球は特殊だ。
打てると思ったのに、急にボールが消えやがる。
どーなんてんだよ……。
なんとか、送りバントやスクイズ、犠牲フライで点数をつないでいた藤青。
でもこのままだと……。
『4番、ピッチャー、相原君』
アナウンスが俺の名を呼ぶ。
あー、くっそ!
どうすんだよ、あの球。
今は、3塁にランナーがいる。
たけど、ツーアウト。
俺に残された選択肢はひとつっ!
俺がここでかっ飛ばすのみ!
「っ……打つ……!」
俺は、小さくつぶやいた。
藤青の応援歌が聞こえる。
俺は、青空の下に出た。
そして、バッターボックスに立つ。
『かっ飛ばさなかったら、ぶっ飛ばす』
空の声が、一瞬聞こえた。
気のせいか……。
こんな大勢の中からお前の声なんて……。
「……っ!」
いた。
空は、奥のレフトスタンドにいた。
しかも、川崎とあの西村とも一緒だ。
俺の口元が緩む。
なんで、あんな遠くからお前の声が聞こえたんだろうな。
「ストライクっ」
いつの間にか、ボールは投げられていた。
大丈夫。
もう、俺は打てる気しかしねぇっ!
岩崎、いい気分なのはここまでだ。
俺は深呼吸をして、肩の力を抜いた。
周りの声援は聞こえなくなる。
自分だけの世界に入る。
そして、白球をじっと見つめる。
岩崎は、大きく振りかぶった。
この投げ方。
このボールの動きは……
見えた……ここだっ……
「……っ!」
カキーン……
大きく青空へと解き放たれた、白球。
そして、空のいるレフトスタンドへとかっ飛ばした。
ホームランだ。
岩崎は、驚いた顔をしている。
それと当時に、最高に盛り上がる応援団。
そして、藤青のベンチでは、もう、チームメイトガッツポーズで俺に「回れ、回れ」と叫んでいる。
ほらな?
空、お前がいれば、俺は無敵なんだよ。
お前がいれば、俺はどれだけでも強くなれる。
「さっすが、うちのエースは違うなー!」
そういって、夏樹がバシっとベンチに戻った俺の背中を叩く。
「……った!ああ、まあな!」
そういって、笑顔になる俺。
すると、誰かが、俺の頭に手をのせた。
この手はきっと……
「空、いたのか?」
町先輩だ。
町先輩が、俺にしか聞こえないように耳元で言う。
「レフトスタンドに」
そう言うと、町先輩は、俺の頭を軽く叩いた。
「よくやった、青。後は任せろよ」
そういって、町先輩はバッド握った。
今の点数は4対3。
まだまだ油断はできない。
『5番、キャッチャー、町君』
アナウンスの声と共に、青空の下へ出る町先輩。
その後ろ姿は、いつ見てもかっこよくて、俺は町先輩とバッテリーを組めてよかったって思う。
「町先輩、かっ飛ばせぇーっ!」
俺は、町先輩に届くように、叫ぶ。
そして、俺に続いて、野球部皆が叫ぶ。
俺らに勝利を。
藤青に勝利を。
___カキーン…
バッドに白球のあたる綺麗な音がする。
ライトへと、ヒットを放った。
「走れぇーーーっ!」
スタンドと、ベンチから一斉に町先輩に飛ぶ声。
「セーフっ」
審判の声が、球場に響く。
タイムリーツーベースヒットだった。
野球部ナンバーワンに足が早い町先輩。
確か100mは11秒2とか言ってた。
盛り上がるスタンド。
緊張が走るベンチ。
まだ、負けない。
俺らは最後まで諦めない。
空が見てる。
んな前で、カッコ悪いすがた見せてたまるかっ!!
9回裏、藤青の攻撃。
点数は4対9。
1アウト、三塁にランナー。
私は、レフトスタンドから、青を見守る。
「さっきの空の声、青くんに届いたかな?」
そういって、美和がふっと隣で笑っている。
「さあね。でも、多分届いたよ。青だから」
「なんか、以心伝心って感じ?」
「どうなんだろう。青はやるときはやるから。ピンチなときほど強い人だから」
私は青空を見上げた。
今日の青空は本当に綺麗な色をしている。
透き通るような青。
何もかもを、包んでくれる青。
大丈夫だよ。
青、青ならできる。
だって、私が応援に来たら、青は無敵だって言ってたから。
カキーン…
再び大空に放たれた白球。
「うわあぁぁぁっ!藤青っ!」
応援の声が激しくなる。
藤青が、青が再び打った。
その球は、ライトスタンドへと飛んで行く。
ホームランだ。
「うっわっ!また、青君かっ飛ばしたよ!よっぽど空にぶっ飛ばされたくないんだねー」
私の隣で美和がクスクスと笑っていた。
「そうなのかもね」
そういって、私もふっと笑う。
「青、やるな。さっすが俺の、見込んだ奴っ!」
会長が、満足げに美和の隣で笑っている。
「でも、青はまだここで終わらない」
私が静かにそう言った。
「ああ、藤青はまだまだこれからだな。だが、南聖も、やられっぱなしじゃないはずだぜ?」
会長がじっとグラウンドを見つめる。
美和は、頭の上に?マークを浮かべている。
「ストライクっ!バッターアウトっ」
審判の声が響く。
これで2アウト。
点数は5対9。
この状況でこの点差はかなり厳しい。
まずい。
しかもランナーは誰もいない。
ここで、打たなければ負ける。
「藤青、厳しくなってきたぞ」
そう言っている会長の顔も厳しくなる。
「ここで、打たなければ負けるな。藤青の次のバッターは確か……」
藤青の主将だったような。
『6番、ショート、森本《もりもと》君』
森本先輩は、この藤青のキャプテン。
やるときはやってくれる先輩。
「もーりーもーとー!かっ飛ばせーっ」
藤青アルプスからの応援がグラウンドへ飛ぶ。
でも、まだ森本先輩は岩崎の球をいまいち、見極められていない。
打てるか。
打てないか。
「あの人……多分打つぞ」
会長が、顔色ひとつ変えずそう言った。
「なんで、そんなことがわかるの?」
美和が頭に?マークを浮かべたまま、会長にそう言った。
「だって、目がもう、やべぇもん。きっと青になんか言われたっぽいな。青が今にもグラウンドに飛び出そうとしてるし」
会長は可笑しそうに笑っている。
私は、青のいるベンチの方に目をやった。
青が、巧と夏樹に押さえられながら、森本先輩に何かを一生懸命叫んでいた。
私の口がふっと緩む。
「なにやってんの、あいつ」
「野球バカだから仕方ないんだよな」
そういって、会長がすっと席をたった。
そして、ゆっくりとフェンスに近づいた。
「藤青ーーっ!将星の分も勝てっ!かっ飛ばせっ!」
大声で叫んだ会長。
その声は……
カキーン…
きっと……届いたはず。
森本先輩が……打った。
しかも、初球で。
そのボールはレフトのフェンスにぶつかり、グラウンドに落ちる。
「森本先輩っ!走ってっ!」
私は勢いよく立ち上がり、大声で叫ぶ。
先輩は、全力疾走で走り出す。
まだ終われない。
私たちはこの試合勝たなければいけない。
この青空の下で。
「セーフっ!」
「わぁぁぁぁぁぁぁあ!森本っ!」
審判の声とともに盛り上がるスタンド。
ふぅ…と息をつく私たち。
本当に、何が起こるかわからない。
「気が抜けないな……」
会長が、フェンスにしがみつきながら、静かに言った。
「……私たちよりも、青のほうが緊張してる。でも、今、青の野球してる姿、今まで見た中で一番好きかな。なんか……すっごく生き生きしてる」
「はいはい!空の口から好きという言葉っ!いただきました!」
そういって、美和が私の肩をバシバシ叩いた。
私の顔はその瞬間赤くなるのがわかる。
「あれ、空顔赤いよ?」
クラスの子が、私の顔を見て、にやにやと笑っている。
「え、これ太陽のせいっ!今日暑いから……」
そう、いってみたけど、皆をごまかすことはできなかった。
「まぁ、この試合に青はかけてるんだろうな。何をかけているかはわかんねぇけど、きっと大事な何かだろう……」
会長が、グラウンドを見つめてつぶやく。
青の大事な何か……か。
「それはきっと、空だね」
美和が私に笑顔で言った。
「え、私?」
「だって、それ以外考えられないでしょ。青君が自分よりも大切にしている空がいるから、今最高のプレーができているんじゃないの?」
「私がいるから?」
「そう、恋のパワーって人を何倍も強くさせちゃうからねっ!」
恋のパワーか……。
何でもいい。
青が、今精一杯野球をやれている。
それを見るだけで私はもう十分。
だけど、勝ってほしい。
青の喜ぶ顔が見たい。
負けて、悲しむ顔はもう見たくない。
私まで悲しくなるから。
――――青空へ願おう。
藤青に勝利を。
青に勝利を。
この青空のパワーが青に届くように。
『森本先輩っ!かっ飛ばしてください。チームのために、キャプテンとして』
俺は、森本先輩が、ベンチを出て行こうとしたとき、そう言った。
正直、俺がバッターボックスに立ちたかった。
負けるなら、俺が空振りか、フライをとられて負けたい。
そしたら、俺が練習して上手くなればいいこと。
だけど、それだと野球じゃなくなる。
皆で戦うから、野球なんだ。
だから、何がなんでも、先輩には打ってもらわないと困る。
そう思って、俺は生意気かもしれないが、先輩にそう言った。
先輩はその瞬間目の色変えたな。
先輩がバッターボックスに立った時、本当に叫べるだけ叫んだ。
『かっ飛ばせっ!』
その言葉を、夏樹と巧に抑えられながら、俺は必死に叫んだ。
まだ負けたくないんだ。
まだここで野球がしたいんだ。
空に、勝つ瞬間を見せてやりたいんだ。
――――そういう意味も込めて。
だから、先輩が打ったときは、自分がホームランを打った時よりも嬉しかった。
だけど、試合をする時間が少し長くなっただけで、まだ俺らがピンチなのには変わりはない。
次のバッターは……
後輩の田辺玲《たなべれい》。
かなりの実力者で、1年ながらレギュラーを勝ち取った。
「相原先輩っ!かっ飛ばしてくるんで任しといてくださいよ」
そういって、玲はグラウンドに出る。
青空の下へ出る。
玲は、スタートの調子は悪いものの、後半は集中してきて、打率が高くなる。
今の調子はたぶんいいはず。
任せたぞ、玲。
カキーン……
期待通り、ボールをバッドにあてた玲。
ホームランまではいかないが、守備のいない方へとボールを飛ばした。
「セーフっ」
審判の声が再び球場に響く。
点数は動かず5対9のまま1、2塁。
これで、きっと流れは藤青。
このまま、流れを止めずに、点数を追い抜きたい。
その後も何とか藤青は得点をつないだ。
そして気がつけば、既に点差を一点差まで縮めた。
8対9。
ここで再び……
『4番、ピッチャー、相原君』
俺の番が来た。
やっと打てる!
そんな、嬉しさと
打てなかったら……。
そんな不安とが絶妙に混ざり合う。
だけど、やっぱり……わくわくする。
「ふーじせーいのあおとはー♪おーまえーだー♪」
藤青のアルプスからそんな応援歌が聞こえてくる。
いつの間にそんな応援歌作ったんだよ。
俺の口元がふっとゆるむ。
それでは、皆さんの期待に応えて、藤青の青になりますか。
俺はバッターボックスで軽くバッドを振る。
そして、構えて、岩崎を睨む。
きっとこいつは攻めてくる。
ということは、あの球がくるはず。
岩崎のウイニングショット。
『岩崎のウィニングショットは、ぎりぎりアウトコースの急カーブだ。これは絶対に覚えとけっ!』
以前に川崎がいつかは忘れたけど、そういってた。
ここで、ウイニングショットを投げなかったらいつ投げる。
今だ。
岩崎が大きく振りかぶる。
よくボールを見るんだ。
こいつの球は、速くはない。
『青はピンチの時ほど強いよね』
空の言葉が、頭の中で蘇る。
そうだ。
藤青のエースは俺だっ!
カキーン…
ボールは綺麗にバッドにあたった。
そして、青空へ舞い上がる。
ホームランまでの高さはないが、無人のところへと、ボールは綺麗に落ちた。
「回れっ!走れっ!青っ!!」
ベンチからの声。
言われなくても走るってのっ!
俺は勢いよく地面を蹴りだす。
風が気持ちい。
太陽の光が気持ちい。
青空が俺に味方してくれているみたいだった。
「セーフっ!」
俺はギリギリのところで、2塁のベースを触った。
本塁に3塁にいたランナーが余裕で駆け込み、得点をあげた。
今の得点は9対9。
延長戦なんて持ち込ませない。
ここで勝つ。
なんたって、次のバッターは町先輩。
きっとやってくれる。
カキーン…
ほらな。
その合図とともに、俺は再び走り出す。
「セーフっ!」
再び聞こえる審判の声。
町先輩もギリギリ1塁に駆け込んだ。
俺の前にランナーはいなかったため、点数は上がらず。
だけど、もうあと少しで、あと少しでもう一点。
頼む。
「ストライクっ!」
球場に響く審判の声。
その声はやけに大きく感じる。
「ストライクっ!」
……もしや……。
次にこいつはきっと……
カコーン……
セーフティーバントだっ!
ボールが転がる。
「……っ!」
俺は勢いよく駆け出した。
あと少し、あと少しで届く。
白球が、こちらに向かってくるのがわかる。
頼む、届いてくれー―――。
「セーフっ!」
「うわぁぁぁぁぁあ!」
球場に響き渡る歓声。
ベンチから俺に向かって物凄い勢いで走ってくるチームメイト。
勝ったのか……?
俺はゆっくりと立ち上がり、軽くユニフォームについた土を落とした。
「青っ!よくやった、本当によくやった、よくやってくれたっ!」
キャプテンは俺の肩をつかんで強く揺さぶる。
誰かが、俺の背中をバシバシと叩く。
勝ったんだな……
球場響き渡るサイレン。
「……っしゃぁっ!勝ったぁ!」
俺は力いっぱい、そう叫んだ。
両手をあげて、青空に向かって。
「整列だっ!」
キャプテンの声とともに、俺らに整列がかかる。
「「うっす」」
南聖と向かい合う藤青。
南聖は岩崎以外全員泣いていた。
「10対9で藤青学園高校の勝利。礼っ」
「「ありがとうございましたっ」」
球場に響く両校の声。
俺が、ベンチに戻ろうとしたとき、肩を誰かに叩かれた。
「おい、お前、2年の相原だよな?」
振り向けば、そこには岩崎の顔があった。
「ああ、お前岩崎だろ?しかも、俺と同じ2年の」
「ああ、お前の球、いつか抜いてやる。来年だ、来年こそ勝つ」
「抜けるもんなら、抜いてみろ。来年また、試合しようぜ。楽しかったし」
「ああ、そうだな。楽しかった」
そういって俺らはお互い笑顔になった。
そして、俺は再びベンチに駆ける。
「青、エースとしてよく自分の務めを果たしてくれた。よくやった。そして、他のやつらもよくやった!お前ら最高だな」
監督は俺に、皆にそう言って笑顔になる。
その後、藤青応援団にも一通り、あいさつを済ませた。
だけど、俺はまだ済ませていない用がある。
「巧っ!ちっと、トイレで大きいのしてくるってキャプテンに言っとけっ」
目の前にいた巧に荷物を無理やり押し付けて俺は駆け出した。
巧は、なんとなく察しがついていたようで、嫌々うなずいてくれた。
向かうところは決まっている。
レフトスタンドに……。
空、お前の所に……。
「……っ!はぁ…はぁ…はぁ…っ!……川崎…そ、空は?」
レフトスタンドには、空のクラスメイトとも思われる奴らが川崎と西村を含め数名いた。
だけど、空の姿がない。
なんでだよ……。
あいつ逃げたのか?
「……あ、青くん、ごめん。青君来ると思うからって空のこと引き止めたんだけど、今は会いたくないって……」
西村が言いにくそうに答える。
「……くっそっ!なんでだよっ……あいつ……」
俺は、壁に疲れた体をもたれかける。
「青。お前、諦めるのかよ。空、追わなくていいのかよ」
川崎が俺に鋭い目で睨んでくる。
「そうだよ。空救えるのきっと相原君だけだよっ!」
「追えよ。手遅れになるぞ」
「空を、助けてあげてよ」
周りにいた今日会ったばかりのやつらも、俺に声をかけてくる。
そうだよな。
なんでここで俺、諦めようとしてんだろ。
空に避けられるなんて、今に始まったことじゃない。
「男なら、当たって砕けろの気持ちでいけ。青」
川崎の顔がいつの間にか柔らかくなっていた。
「おう、サンキュ。空のこと今までありがとな」
そう皆にお礼を言い、俺は再び駆け出す。
絶対に見つけてやる。
俺から逃げようなんて、そんなの100万年早いぞ空っ!